2004.1.27(Tue)
“落ちる”
『インストール』再読中。さらっと読めてしまう文体なので、ついうっかり見逃してしまいそうな表現とか、いろいろ気付くこと多し。1回読んだ後、も一度ゆっくり読み直してみると、新しい発見に出会えるかも。
ちなみに本文の中でも触れられている、チャットにおける“落ちる”という表現方法は、私がパソコン通信やってた1993年当時にも一般的だった。私のニュアンスでは“回線これで落とします”という意味合いだったような気がする。チャットの場を移動する時には、“落ちる”とは言わなかったな。
常時接続が一般的な昨今では、回線を落とすという行為そのものがたぶん無意味というか理解できない人も多かろう。それでも“落ちる”という言葉が生き残ってるのは、慣習じゃなかろうか。
2004.1.24(Sat)
Amazonで注文
みこりんの通っている音楽教室では、小学生になったら2つのコースに分かれることになる。普通のクラスと、より専門性の高いクラスだ。はたしてみこりんをいずれに通わせるのがよいか、悩んでいる真っ最中。そのクラス分けの説明会に、Licとみこりんが出かけている間、私は本屋さん巡り。
『蹴りたい背中』があるかなと、ちょっと期待していったのだが、軒並み完売状態だった。さすがに話題性ある本である
仕方がないので、オンライン書店 Amazonで注文することにした。1500円から送料無料なので、ついでにLic用のコミック加えてしめて1600円。発送まで4〜6週間となっていたが、さて、いつ頃手に入るかな。
2004.1.18(Sun)
『インストール』
昨日買って帰った『インストール』を、読んでみた。行間が白いだけあって、読むのが遅い私でも1時間ほどで読み終えることのできる分量であった。
まずタイトルにもなっている“インストール”という行為に、ひっかかりを覚えた。PCだけ持って帰った風に表現されている小学生が、どうやってインストール・ディスクを入手したのか?PCと一緒に、付属品も持って帰ったのなら、そういう記述が欲しかったところだ。おそらく“インストール”という行為は、この物語の中でかなり重要なシーンのはずなので、もう少し丁寧に書いておくべきのように思う。……とまぁ、こんな感じの感想は、きっとこの作者の場合は不要なものなのかもしれない。文章全体から受ける、いかにも女の子っぽい雰囲気こそが、この本の魅力の大部分であるのだろうから。
そう、綿矢りさの紡ぎ出す言葉の数々は、徹頭徹尾、女の子そのものであった。この感覚は、たぶん似たような経験をした人にしか通用しないかもしれない。私の場合は、大学時代にこのような文章に出会ったことがある。当時私が在籍していたサークルでは、毎月、本を出していた。サークルメンバーそれぞれが書いた原稿をまとめ、コピーマシンで必要部数コピーしてホッチキスで留めるだけの簡素なものであったが、毎月毎月、定期的に本を出せる程度には活気のあるサークルであった。そこに彼女はいたのである。
彼女の書いた文章には、そこはかとなく愛らしさがあった。サークルには他にも女の子はいたのだが、そういう愛らしさを感じさせる文章を書いていたのは、彼女だけだったように思う。つまりそれは一種の才能なのだろう。その雰囲気を今、『インストール』を読み終え、思い出しているところだ。
そういう懐かしい雰囲気にさせてくれたので、私的には1000円の価値ありとしておこう。でもたぶんこの本は、ハードカバーより文庫の方が似合ってる。
2004.1.17(Sat)
本屋へGO
いつも利用している本屋は、土曜日ポイント2倍デー。というわけで、本を買うなら土曜日と決めている私は、さっそく『蹴りたい背中』を求めてやってきた。
やはりこういう旬のものは、レジ前のもっとも目立つ島にあるはず。というわけで、ひたすら探す。探す。探す。
『蹴りたい背中』のポップはすぐに発見できた。のだが、肝心の本体が見あたらない。平積みに空白はなく、売り切れた風にも見えないのだが…。かわりに『インストール』が5冊ほど積まれていた。ふむ。
私の読みたい順番は、当初『蹴りたい背中』→『インストール』だったのだが、ないのでは仕方あるまい。逆にしよう。というわけで、『インストール』を1冊、手に取る。いつもの癖で、最後のページをちらと読み、行間がやけに白いな、と初感想。1000円か。その価値ありやなしや。とりあえず、レジへと持っていくのであった。
2003.10.2(Thr)
死
文庫版の『百鬼夜行抄』(今市子)の最新刊を、真夜中、読んだ。隣ではみこりんが、すぅすぅと心地よさそうな寝息をたてている。起こさないように、枕元の“にょろにょろ型スタンド”の淡い光での鑑賞だ。このスタンドはワット数の低い白熱電球が中に入っており、色彩がどことなくセピアっぽくなるので、こういう雰囲気の作品には妙にマッチするような気がする。
この作品は、ずるずるどろどろした気色悪さがない代わりに、すぅっと血の気が引いてゆく感じにぞくぞくっとする怖さがあるので、たいへんお気に入りなのである。今回も、昼間なのに急に薄暗く感じる部屋の中とか、ノイズにまみれて消えそうな電話の声とか、ツボを押さえた描写がにくい。それでいて“もののけ”がコミカルに描かれている部分もあり、怖いのとほのぼのしたのが絶妙のバランスを保っているところも、素晴らしい。
今回は、特に“人間の死”というあたりについて、ちょいと考えるところのあるお話しが多かったような気がする。死んだ人間と、残された人間の関係とか、深く考え始めると、眠れなくなりそうなテーマもあり、秋の夜更かしにはぴったりかもしれない。
2003.9.1(Mon)
古本
先日、内田美奈子の新刊を買ったから、というのもあるのだが、ちょっと気になったので既刊本で買い逃しているものはないかと調べてみることにした。これまでにも思い出した時にはオンラインの古本屋でチェックしていたのが功を奏したか、残り2冊ということがわかった。
たまたまAmazonの検索一覧で、その2冊とも古本ということで出ていたため、買ってみることにする。Amazonそのものが古本を売ってるのではなく、登録業者の在庫も検索結果に含めるようにしてあるのと、購入手続きがAmazonで一本化できるのがこのシステムの利点のようだが、少々送料が高いのが気になる。本の本体よりも送料の方が高いというのはなんとも…。銀行で少額を送金したとき、手数料の方をがっぽり取られるのと似た心境である。
まぁなにはともあれ、これで単行本化されているやつが全部揃うのなら、よしとしよう。なんて思ってると、やがて1通のメールが届いた。さきほどの古本業者からのものだ。曰く「Amazonから依頼のあった本のISBNコードが間違っており、件の本はすでに在庫切れです」。がーん。
残り1冊、なんとかして入手せねば。
2003.8.27(Wed)
『放浪ノ双生児』
久しぶりに内田美奈子の新刊『放浪ノ双生児』が出るというのを、bk1のお知らせメールで知り、即行で注文したのが月曜日の夜のことだった。bk1では、1500円以上ならば送料無料になるので、他にLicのために竹本泉の『よみきりもの 5巻』も買い、これだけでは1500円に微妙に足りなかったので、買い逃している本がないか検索をかけた結果、木村紺の『神戸在住 5巻』がこの春に出ていたのを知り、これも加えておいた。しめて約2000円也。
本は、今日届いた。中1日で届くとは、さすが新刊。注文があと2〜3日、いや1週間も遅れていれば、どうなっていたことやら。永遠に入手できなかったかもしれん。
さっそく夕食後、ぱらぱらっとページをめくってみる。「んんん!?」なんかタッチが違うような?内田美奈子独特な細やかさがないような気がする。妙に線がすっきりしていて、画面が白い。特に目のあたりが、やけにさっぱりしすぎのような。『BOOM TOWN』の頃からこうだったっかな〜?と思いつつ、まぁとりあえず読んでみることに。
まだ最初の数ページしか読んでないのだけれど、話の中身は期待が持てそうな感じ。テンポが速くてダレてない。かえすがえすも、絵柄が変わってしまったのが残念ではあるのだが、まぁこれも時代の流れなんだろうか。ちょっともったいないかも。
2003.3.22(Sat)
『バチガミ』
二日続けてお昼まで寝てしまったが、なんだかあまり休んだ気がしない。体の節々が痛むのは、もしや昨日の縄跳びの影響なのか。もろい。もろすぎる。
足をややひきずり加減に階下へと降りてみると、玄関のところに、長さ1mはあろうかという細長いダンボール箱が置いてあるのに気が付いた。国華園に注文しておいたサクランボの苗が届いたようだ。最近、種やら苗やらが立て続けに到着しつつあり、冷蔵庫の種入れも、ぱんぱんである。種まきが待ち遠しいことよ。
そのダンボールの横には、小さな小包が1つ。こちらはBK1に発注していた本である。平井和正の『時空暴走気まぐれバス』と『バチガミ』が入っているはずだ。思い付いたときにこうして買っておかないと、入手不可能になってしまうので油断できない。
午後、PCの動画変換環境のトラブルに対処しつつ、みこりんとも遊び、ついでに『バチガミ』も読む。もともと同時進行する作業には向いていない私の脳なのだが、最近、仕事でそうもいっていられないため、少しは強化されたらしい。
しかし『バチガミ』には、してやられた。この先いったいどうなるのか、と思う存分期待して、最後の最後に突然終わる。中断である。そして続きはないらしい。そんな殺生な。
2003.3.15(Sat)
『プチカ』
この春から、みこりんに学研の『幼児のかがく図鑑 プチカ』を買ってやることにしている。その第一弾である4月号が、本日到着。さっそく付録を開封にかかるみこりん。本文よりも、付録の方が気になるらしい。
今回の付録は“リーフレタスの栽培セット”だ。ナスタチウムの種も、くっついている。
レタスの種は好光性、土を被せてなくても発芽する。それを利用して、付録では水を吸わせたスポンジマットの上にリーフレタスの種をまき、発根から発芽までのすべてのプロセスを観察することが可能となっているのだ。
栽培セットを自力で組立てたみこりんは、一日に何度も種の様子を覗きに行っていた。これまでみこりんと植物の種をまいたときでも、これほど種まき後のことを気にかけた事はなかったような気がする。すべてを自分でやったということと、種に土が被さっていないことが、みこりんの好奇心を刺激しまくっているのだろうか。いずれにしても、よい傾向である。
ところでナスタチウムの種だが、これまで私は一度も発芽に成功したことがない。こぼれ種で自然に発芽したことはあっても、自発的に種まきしたものは、ことごとく腐ってしまった。今回みこりんが種まきしたら、はたして発芽するのかどうか、とても気になるところだ。もしも無事に発芽したとしたら、今後はみこりんに種まきのすべてをまかせてもいいかなと思うのだった。
2003.3.10(Mon)
電子書籍端末
設定温度45度で沸かした風呂に、鼻の下までぬくぬくとつかりながらふと思う。あぁ、この状況で本が読めたらどんなに幸せか、と。
Licは器用に本を風呂に持ち込んで読んでいたが、私には本を濡らさずに読む自信がない。濡らさないまでも、本が湯気で湿気てしまいそうだ。やはりこういう場合は、生活防水の施された電子書籍端末が便利そう。従来型の電子書籍端末(PDAタイプの液晶1面型)にはあまり魅力を感じなかったのだけれど、最近どこかのTV番組で両開きタイプの端末が、いよいよ登場するとかなんとかやっていたような気がする。試作品を見た限り、なかなかよさげな感じだったが、その後音沙汰がないのが気になるところ。
大量の本の置き場所を気にすることなく、絶版も気にすることなく、データとして格納しておけばどんな本にもなる電子書籍端末。なぜゆえに普及しないのか。本を読む側にしてみれば、何のデメリットも存在しないように思えるのだが、供給する側でいろいろと紆余曲折があるのかも。まず本を印刷する必要がなくなるので、それで飯食ってる人たちが困るわな。流通関係の人もいらなくなるし。
本当にそんな理由なんだろうか。単に新しい事への業界側の拒絶反応が強すぎるだけってこともあり得るな。風呂の中でゆったり本を読める日は、いつのことになるのやら。
2003.3.1(Sat)
『インフィニティ・ブルー』
みこりんの小さな手を引き、Licと共に訪れたのは、とある郊外型の本屋だった。すぐには思い出せなかったのだが、もうずいぶんと昔に、私はこの本屋に来たことがある。そのことに気付いたのは、2つある入り口の、奥まった方にある自動ドア付近にまで近づいてからだった。
そこには他の展示スペースとは異なるタイプの、天井まで達するような大型の書架が2つ並んでいた。最上段には、H.R.ギーガー等の大判画集が詰め込まれており、中ほどには科学書やSFといった、どちらかというと私になじみ深い本達で溢れかえっていた。そのうちの1冊が、なぜだか妙に気になったので背表紙を確認してみると、平井和正の本だった。しかしタイトルには心当たりがない。どうやら『インフィニティ・ブルー』の続刊らしいのだが、なぜそんな本がこんなところにあるのか。
ありえなかった。最新刊の『インフィニティ・ブルー』の続刊など、出ているはずがないのだ。
しかし私には、ふいに閃きがあった。この書架に並んでいる本は、私の本なのだ。前回、この本屋に来たとき、ここに蔵書を置かせてもらった…。記憶は一気に蘇る。当時、部屋に溢れかえっていた本のために、この親切な本屋さんがスペースを貸してくれたのだった。
どうして今までそのことを忘れていたのか。この本達と出会うのも、もうずいぶんと久しぶりだ。そろそろ引き取ってもいいころではないか。そう、私は思っている。
でも、このまま本をまとめて店を出ると、泥棒と間違われやしないか。前回の訪問から何年も経過してしまっていては、店員も私のことなど憶えていまい。
書架の前で苦悩している私の元へ、一人の女性店員がつつと歩み寄ってきた。「あの、」と話し掛けられた私は、なんだか見覚えのある顔だなと思った。そして、店員の語る次の言葉に驚愕する。なんと、このスペースを学生用の下宿に改築するので、そろそろ本を引き取ってくれないかと言うのだ。
おそるべき店員の記憶力に感謝しつつ、私は本をまとめにかかる。ところで、さっきからみこりんとLicの姿が見えないが、どこに行ったのだろう。…、そう思ったところで、映像は唐突に暗転、私は目覚めていた。
外は薄暗かった。雨は、明け方からずっと降り続いているらしい。頭の奥に、鈍い痛みがあった。とても寒い。
夢の中で、私が本をあずけたのは、実際、何年も前のことだった。独身な頃だったと思う。その夢の続きを、まさか何年も過ぎた今になって見ることになろうとは。
体中の関節が痛みを発していた。布団に丸まってみても、足先の震えはおさまらない。みこりんが一度様子を見に来てくれたが、熱があるようだとわかると、小さな自分用の毛布をかけて、冷えピタを額に貼り付けてくれた。ありがたやありがたや。
少し気分が持ち直してきたので、残りわずかとなった『インフィニティ・ブルー 下巻』(平井和正 著)の続きを読み始める。上/下巻合せて、VHSテープ2本分以上の厚味となるこの本も、もうじき終わりかと思うと、なにやら寂しい。もっと読んでいたい。しかし、何事にも終わりは来る。ついに、ラストシーンへ。
美しい、あまりに哀しくも美しい幕引きか。私はただ静かに目を離すことが出来ず、言葉の1つ1つを記憶に刻み込んでいた。言葉はイメージとなり、脳内で情景が鮮やかに再現される。この本は、早春の今こそ、読んでおくべき本にまちがいない。来るべき桜吹雪のイメージが重なった。はるか昔、学生街を歩く私の姿が蘇る。素晴らしい本だった。満足して、本を置く。
ふと、Licならばこの本のラストシーンをどう感じるのかということが気になった。速読のLicならば、ものの1日で読み切ってしまうだろう。ぜひ感想を聞いてみたいものである。
2003.1.24(Fri)
とある本との出会い
最近、富島健夫氏の小説にはまっている。まだ2冊しか読んでいないが、おそらく次も本屋で見かけたら買うだろう。描かれる舞台設定は戦後とか、昭和の始め頃なのだが(発表されたのも70年代と、わりと古いものもある)、そういう時代の古臭さを感じさせないところが素晴らしい。人間の行為、思考、他人との関わりあいには、時代を超越して普遍のものがあるとはいへ、情景描写に深くのめりこむには、“古臭さ(あるいは異質さ)”はかなり致命的だ。それがまったくといっていいほど見られないので、すんなりと小説世界に入り込んでいけるように思われる。
台詞回しに多少現代とは異なった部分があるものの、それがかえって新鮮だったりするので、狙ってそうしているのではないかと思ってしまうほどである。
残念ながらすでに故人であるので、新作を読むことはもはやできない。それがかえすがえすも残念である。もしもこの作家との出会いが、中学、高校の頃であったなら、その影響の度合いは平井和正氏よりも大きかったにちがいあるまい。たまには別方面の小説に手を出すことも必要だなと、改めて思うのであった。
2002.10.10(Thr)
夜の声
丑三つ時。物の怪が、ひそやかに活動をはじめる頃、寝室ではみこりんのすぅすぅという心地よい寝息だけが聞こえている。隣に寝ころんだ私は、なぜか睡魔に見放されてしまっていて、暗い天井をぼんやりと見上げていた。
そろそろ睡眠薬代わりに、谷甲州の『星は昴』の続きでも読むべきか(短編集なのだが、“情報”を扱った話になると、私には途端につまらなく感じられる)、と思いかけた頃、突然響き渡る笑い声。
んきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅ
もうしんぼうたまらんといった感じの笑い方だ。発生源はもちろん眠ったままのみこりん。思わずこちらもつられて笑ってしまう。するとみこりんも反応するかのように、笑い声に変化が現れ、二人の声は重なり合いつつ寝室に染みてゆく。出遅れたLicが、ちょっとうらやましそうな目で、こっちを見ているのに気が付いた。
寝言でみこりんが笑う瞬間に立ち会えるのは、そうそうあるものではない。貴重な瞬間を共有できた満足感に浸りつつ、私は目を閉じる。あぁこれでゆっくりと眠れるだろう。……と思ったが、この夜、記憶の途切れたのは明け方近くになってからのことであった。『星は昴』は、結局、読破してしまっていた。最後の方の話には、“情報”が出てこなかったのが敗因だ、きっと。
2002.8.14(Wed)
夢のつづき
目覚めてみれば、すっかりお天道様は空の高みにあった。やがて正午のチャイムが団地内に鳴り響く。ついさっきまでの夢の続きが、なんだかまだ現実に重なっているようで、奇妙な感じだ。昨夜は眠るまで谷甲州の『終わりなき索敵(上)』を読んでいた。遙か銀河中心を目指す情報体…というシーンで記憶が途切れているので、ちょうどそれに関連した夢を見たのだと思う。宇宙をとぶ夢を見たいならば、この本はかなりお薦めだ。
さて、本日の作業は“座敷の片づけ”である。とっちらかったままお盆を迎えるのは、なんだか罰当たりな気がしたのだ。
みこりんの謎なアイテムが、あちらこちらから発掘された。がらくたというか、ゴミにしか見えない透明な板とか、紙片とか、何かの蓋といったものが、ごろごろと出てくる。いちおうすべて袋に入れて、みこりんの部屋に戻しておいたが…、はたしてみこりんはその全てを把握してるんだろうか、という疑問もある。こっそり“ぽい”しててもわからなかったりして。
すっきりと片づけたあとは、神棚の掃除。久しぶりに榊を取り替え、お供え物を一新し、ぱんぱんと柏手を2つ。家内安全、怨敵退散、etc...
夕方、突然黒雲が立ちこめ、落雷、激しい降雨に包まれる。隣の空き地方面から、「にー にー」いう心細げな鳴き声が頻繁に届いていた。雨は、夜には上がっていた。扇風機をつけると肌寒いほどの夜だった。
2002.8.2(Fri)
ワニのスワニー
という絵本を買ってきたらしい。工作してる近くの本屋で、ちょうど作者(中川ひろたか氏)による読み聞かせがあり、裏表紙にサインまでしてもらってきていた。
絵本の題名は、正確には『わにのスワニー3/しまぶくろさんのたんじょうパーティの巻』という。つまりシリーズものの3巻目だ(しかも新刊)。1巻目がなくても大丈夫なのかと少々不安なところもあったが、さっそく今夜の眠りの友として、みこりんに読んでやることにした。
しまぶくろさん、面白すぎる。途中、何度も笑いの虫に取り憑かれて音読するのも困難になりかけた。ギャグセンスが素晴らしい。幼児向けというより、これはオトナが読んでも十分楽しめる作品だと思う。絵本なので単価が高いのが難点ではあるけれど、それでもこれはぜひ買って手許に置いておきたい類の本である。
さっそく明日1巻買ってこなくてはなるまい。
2002.7.2(Tue)
夜に似合う本
岩崎るりは著『水琴館の惨劇』という本を、先週の金曜日に買ってきてからというもの、夜更かしの日々が続いている。“書下し耽美ミステリー”と銘打たれたこの本は、たぶん帯の『波津彬子さんお薦め』という煽り文句がなければけして手に取ることはなかったであろう。ミステリーは私の守備範囲にはほとんど入ってはいない。ほんの気紛れで立ち寄った未知の本屋でこその出会いといえる。なじみの本屋ではどんな分野の本がどこにあるのか知り尽くしてしまっているため、自分の興味の中心にある棚にしか滅多に近寄らないからだ。
こういう出会いのためにも、たまには違った本屋に足を運ぶのも悪くない。
さて本の中身について少々。たぶん“ミステリー”というには物足りない人が出てきそうだなと思いつつも(かなり都合良すぎるところが目立つ)、猫のいる情景が妙にリアルなのと、わかりやすい人物設定で眠い頭にもOKなところが私には気に入った。文章を読む楽しみというよりは、どっちかというと“雰囲気”を楽しんでいるといったところ。薄暗い白熱電球の灯りで読むにはうってつけだ。窓の外から雨垂れの音でもしていればなおよい。
続巻が出たら、たぶんまた買ってしまうことだろう。
2002.6.15(Sat)
本を買う
昨夜、本屋から入荷の連絡を受けていたので、満を持して買いに行った。
平積みコーナーをまず偵察にいっていたLicとみこりんが、なんだか興奮して戻ってきた。なんと3冊も平積みになっているらしい。我が目で確認してみた。たしかに3冊ある。こんな田舎の本屋で3冊。いったいどうなっているのか。SFの取り揃えがそれほど充実しているとは言い難い本屋なのだが、新刊は別なのか(新刊勝負なのかもしれん)。
その隣には、同じく第3回SF新人賞つながりで、こちらは新人賞受賞の『マーブル騒動記』があった。平積み残り1冊だ。おそらく入荷冊数は同数か、それ以上と考えるのが妥当。とすれば、早くも売れているらしい。
平積みコーナーに並べられた本は、その大部分がメリハリのくっきりとした表紙だったため、淡い色調の『歩兵型戦闘車両00(ダブルオー)』は、目立っていないように思われた。『マーブル騒動記』はすぐに見つけたのだが、『歩兵型戦闘車両00(ダブルオー)』はすぐ隣にあったにも関わらず、なかなか発見できなかった。これはLicも同意見だった。単体で見るとさほど感じないのだが、こうして多くの本に混じると、存在が希薄になったように見えてしまう。まぁ逆に言えば、それが特長になるかもしれない。最初は目立たなくても、そのうちに気になり始める可能性はある。
一冊を手に取り、あとがきを読んだ。…ふ、ふふ。たしかにそうした記憶は私にも少しあるなぁ、となんだか懐かしい記憶をくすぐられ。
1冊購入。山が1つ減った。
2002.6.3(Mon)
さむいお話
自分で借りてきておきながら、みこりんはその絵本を「こわい〜」と言ってなかなか読ませてくれなかった。寝る前の絵本の時間でのことだ。
『お化け』が出てくるのがダメらしいのだが、それなら借りてこなければよかったのに…、と思いつつ、怖いモノみたさっていうのかなと考えてみたり。
仕方がないので別の絵本を読んでやった。「おーしまい」と読み終え、消灯しようとしたとき、みこりんは今度は突然、怖い怖いと怖がっていた絵本を読むと言い始めた。私が読みたがっていたので、そうした方がいいと思い直したのかも知れない。
『お化け』は、正直、ちょっと怖かった。お化けが卵から生まれるという設定が、妙に生々しくて…。読み終えたあと、みこりんも私も、奇妙に押し黙ってしまっていた。蛍光灯から伸びている紐を、ぶちっと引き、常夜灯に。暗がりで、みこりんの瞳がこちらをじっと窺っているのがわかる。なでなでしてやろうとした時、みこりんは突然口をひらいた。囁くような声だった。
「さむいおはなし、して」
さ、さむい、おはなし…???
虚を突かれていた。さむいお話とは、寒いお話のことだろうか、それともギャグのすべったさむ〜ぃお話のことだろうか。
ちょこっと悩んだ末に、久しぶりに私は創作お話を即興で語っていた。もちろん寒くてちょびっと怖いお話を。みこりんは果たしてそれで満足したのかどうか、それはわからなかったが、「めでたしめでたし」で、静かに目を閉じ、夢の世界へと旅だっていったところを見ると、そう外したものでもなかったのかもしれない。願わくば、今宵みこりんが夜泣きしませんように。
2002.6.1(Sat)
予約
題 名:歩兵型戦闘車両OO(ダブルオー)
著 者:坂本 康宏
金 額:1,800円(消費税抜き)
発 行:徳間書店
発売日:2002年6月15日
備 考:第3回SF新人賞 佳作受賞作品
後輩の本がついに本屋に並ぶ。というわけで、予約すべく本屋へと向かった。5000部となれば、こんな田舎では入手するのはかなり困難が予想される。予約せねばなるまい。
SFな人も、そうでない人も、もし幸運にも書店でみかけたならば、一度手に取り、あとがきを読んでみてほしい。ぜひ。
2002.4.10(Wed)
あれからどれほど経ったのか
第3回日本SF新人賞で佳作となった坂本康宏氏の『○○式歩兵型戦闘車両』が、かねてよりアナウンスされていたとおり、次のように改題されてめでたく徳間書店よりハードカバーとして本年6月吉日、世に出ることとなったのでお知らせする。
『歩兵型戦闘車両OO(ダブルオー)』坂本康宏 著
〜 巨大合体ロボダブルオーは国民の血税で造られている! 〜
大学時代、同じSF研究会に籍を置き、よく遊びよく書きよく走ったあの素晴らしき日々よりすでに十数年。大願成就を讃えたいと思う。
2002.4.6(Sat)
春風か…
ここ数日、妙に背筋が痛むと思っていたが、今朝になって理由が分かった。猛烈な悪寒と頭痛。どれほど毛布を重ねようとも、がちがちと震えは止め処なく体の芯から湧き出でてくるのだった。
病院から戻ってからも、ますます状況は悪化の一途を辿っているように感じられた。とにかく足先から血液が流出していくかのように体温が失われていくような具合だった。Licに湯たんぽを用意してもらったが、布団の中は永久凍土に覆われた氷の中のように冷え切っている…ようにしか思われない。体温計を腋から引っ張り出してみると、39度をあっさりと突破しているのだった。道理で冷え込むわけだ。38度くらいなら熱も我慢してやろうと思っていたが、さすがにそんなことは言っていられないようだ。とっとと頓服飲んでこんな寒気ともおさらばしよう。
ひたすら眠る。寝ているという意識すらないほどに。
次に意識が戻ったのは、猛烈な暑さの中でのことだった。パジャマの中で汗がそのまま水滴となってじゃぶじゃぶとしたたっているのがわかる。全身から発汗していた。べったりと貼りついたシャツが、真夏の記憶を呼び覚ます。湯たんぽは、その能力をいかんなく発揮し始めたらしい。炎天下、熱射のただ中で昼寝をかましてしまったかのように汗みどろ。
やがて意識が奇妙に透き通ってくるのがわかった。徐々に肩あたりにひんやりしたものが感じられるようになってくる。頃合いだ。ばばっと着替え、布団も取っ替えて、再び寝たおす。さっきまでくるまっていた毛布は、シャワーでも浴びせたかのように湿気ていた。
夕方、だんだん寝ているのにも飽きてくる。薬が本格的に効いてきたらしい。というわけで、買ったままになっていた本を読みにかかった。
『キマイラ昇月変』(夢枕 獏著)。キマイラの第1巻から数えること20年目だ。まだまだ続く。まだまだ面白い。
外は激しい雨が降りしきっている。山火事は、今日の午後、鎮火が確認されたという。恵みの雨、か。
2002.3.17(Sun)
値札
さんざん探していた内田美奈子のとあるコミックを、Yahoo!オークションで見つけたのが数日前のこと。もちろん入札していたのだが、無事に落とすことに成功。現物が今日、届けられてきた。か、感無量である。
ふと裏を見ると、値札が貼ってあった。“ブックオフ”の値札だ。しかも『100円』。……これを100円で売るのかブックオフ。し、信じられん。ブックオフで安く買って、普通の古本屋で高額に売るという話は聞いたことがあったが、たしかにこいつはお手軽な小遣い稼ぎにはもってこいだ。
もしもブックオフが本格的に全店舗ネットワークのオンラインショッピングを始めた日には……、古本市場がとんでもないことになりそうな…。
2002.1.19(Sat)
『新暗行御史』
贔屓にしている本屋では、毎週土曜日にはスタンプ2倍デーになる。1冊でスタンプ1個(値段に比例する場合もあり)、50個で500円分の図書券と交換なので、かなり割はよい。2倍デーばかりを狙えば、25冊で500円。土曜日を逃す手はない。
何冊か小脇に抱えて店内を巡る。その中の1冊に『新暗行御史 第一巻』(作画 梁慶一/原作 尹仁完)があった。梁慶一、その名には覚えがある。平井和正の『死霊狩り』コミック版の作画を担当していた人だ。わりと好きな絵柄だったので、今回も大きく外すことはなかろうと踏んだ。
帰宅後さっそく読みふける。最初のあたりは説明口調というかこなれていない口語体なのが気になったが、途中からはそれほど違和感なく作品世界に入っていけた。
まぁまぁ良し。たぶん続巻が出たら買うだろう。新刊で。
ところで春香はずっとあのコスチュームのままなのか。ボディスーツ系の方がいいように思うが……
2002.1.9(Wed)
『ブレードランナー2 −レプリカントの墓標−』
先月末には本屋にまだ山と積まれていたはずの『サムライ・レンズマン』(古橋秀之 著/徳間デュアル文庫)が、忽然と姿を消していた。やはりあのとき買っておくべきだったか。と言いつつ、注文してまで買おうという気はまだないのだけれど。
本といえば、『ブレードランナー2―レプリカントの墓標』(K・W・ジーター 著/ハヤカワ文庫)を3日かけてようやく読み終えたところだ。改めて言うまでもなく映画『ブレードランナー』/原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の続編である。
あの日、地球に逃亡してきたレプリカントは6人いた…というくだりで、本当にそういうやりとりがあったのかビデオで確認したくなってしまったが、再生可能な状態になかったので果たせず悶々としながらも読み進めていた。いったい第6のレプリカントは誰なのか。死してなお動き続けるプリスは、ほんとうに人間なのかっ。レイチェルはこのままもしかして一度も目覚めることなく終わってしまうのでは…とか、なかなか楽しい読書時間を過ごすことが出来たと思う。
ところで、外見そっくりで記憶も部分的に重なり合っている、人と人ではないが非常に人と似ている生物(というか機械というべきか)がいたとしよう。片方の寿命はもうじき尽きようとしているが、あなたの愛人…もとい恋人である。もう片方の寿命はまだたっぷりとありそうだ。しかもなぜだかあなたに好意をよせている。さて、あなたならばどちらを選ぶ。
デッカードの気持ちもわからなくはないが、その結末ではレイチェルがあまりに哀れすぎやしないか…と思ったのであった。とはいえ、すでに死んでしまった人を嘆き悲しむよりも、新しい人生を選ぶというのも悪くはないか。…とか、なんだか生々しい思いが後に残るお話だった。
2002.1.6(Sun)
『メリッサの旅』
しばらく前からトイレの友として読んでいた本がある。ドロシー・ギルマン著の『メリッサの旅』だ。あえて分類するならば、サスペンス・ミステリーになるのではないかと思われるこの本は、これまでの私の読書傾向からすると、おそらく一生接点がなかったにちがいない。私が好む活字媒体の作家/作風は、神林長平や谷甲州などのSFか、夢枕獏などの伝奇アクションで、翻訳物といえばほぼ99%をハヤカワSFが占めるという状況なのだ。しかも購入量に読書量が追いついておらず、好きな作家の本でも数ヶ月、いや時には数年も積読状態になってしまう有様である。そんな中、どうしてこの本を読み進めることになったのかといえば、ただの気まぐれだった。その日、たまたまトイレの中に、その本が置いてあったという、それだけの理由だった。そう、この本はLicが買ってきたものだった。
なにごとも変化を嫌い、うちに籠もり、人との接触を避け、内的世界だけがすべてだった一人の女性が主人公である。精神科医のすすめでヨーロッパを一人旅することになったが、その道中、ある男から一冊の本を託される。男は、本をマヨルカ島に届けてほしいと言い残し、そして殺された。物語は、メリッサの一人旅と共に進行してゆく。そして舞台はついにマヨルカ島へ。これまでの淡々とした展開からは予測もつかないような結末へと向かう場面は、圧巻であった。それでもなお、終始一貫していたのは、これはメリッサの自分探しの旅だということ。乾いた白壁の粉々が手にくっついてくるぐらいリアルな描写とも相まって、メリッサの心境の変化はとても説得力のあるものだった。見知らぬ男から渡された本と、自分の命との交換条件。なぜメリッサは最後まで本を渡さなかったのか。命を懸けてまで。たしかに自分もそういう状況ならそう言ってしまうかも…、と思わせてしまうほどに、物語世界に引きずり込まれていた。
あとがきを読んで、さらに驚愕する。なんと初版は1967年なのだ。それだけ時代が離れていると、作品世界にはどうしてもある種の“古さ”が滲み出てしまうのではないかと思うのだが、ぜんぜん気にならないどころか、気づきもしなかった(舞台設定がヨーロッパというのも影響してるだろうが)。恐るべし。
次回、Licがドロシー・ギルマンの本を買ってきたら、今度は偶然ではなく、必然をもって私はその本を手に取ってしまうだろう。
2001.12.27(Thr)
寒い夜
Licが古本屋で買ってきたらしいコミックが、コタツの上に積まれていたので少々手に取ってみたりして……
ふむふむ。『日帰りクエスト』か。1巻、2巻……気がついたら、最後の7巻まで読み切ってしまっていた。今夜は早く寝るつもりだったのに。
寒い。石油ファンヒーターは設定温度、室温ともに20度を示しているというのに、膝から下が妙にすぅすぅ冷気がよぎる。部屋の中に取り込んでいるステビアの鉢植えも、すっかり茶色くひからびてしまった。どうあがいても地上部は枯れる運命にあるらしい。ならば早めに刈り込んでおくのが吉。春になれば、また新芽が伸びてくる。そうなってからでは手遅れだ。
今年はまだ本格的に雪が降っていない。暖冬……なのかひょっとして。
2001.9.25(Tue)
『MOONLIGHT MILE - THE END OF THE EARTH -』
SFを筆頭に宇宙開発モノはデフォルトで“買い”なのだが、昨日買ってきた『MOONLIGHT MILE - THE END OF THE EARTH - 1巻』(太田垣康男)は久しぶりに脳天がしびれた。
国際宇宙ステーション完成後の近未来、月面開発がまさに始まろうとしている時代のお話である。
宇宙開発が、研究段階から応用段階へとシフトしてゆくとき、それまでのいわゆる“ライトスタッフ”である宇宙飛行士に加えて、“土木系”などの技術者が必要になってくる。現在でもミッションスペシャリストとしての宇宙飛行士は存在するけれど、この作品世界に登場してくる“ビルディング・スペシャリスト”はさらに技術者(あるいは職人)サイドに寄ったものとして描かれてゆくことになるのだろう。
物語冒頭で、なぜ“彼等”が宇宙に行こうと思ったのかを“語る”重要なシーンがある。“彼等”が地上でもっとも高い“地べた”−エベレスト山頂−に立ち、もはや地球上にはここより高いものなど何もないのだと思い知る。でも、そこから見上げた天空には、国際宇宙ステーションの姿がおぼろげに現れてくるのである。
そうだ、宇宙へ行こう。その思いを、つい共有してしまうほどに臨場感ある情景だった。
“土木系”+“宇宙”といえば、谷甲州。というのがお約束だが、この作品は谷甲州の泥臭さにプラスして、夢枕獏風味の人間模様が加わっているように思える。ちょろっとしか登場しない人物でも、その背後には膨大なサブストーリーが展開してそうな厚みを感じるのである。おそらくこのあたりに私の想像力が刺激されているように感じる。だから面白いのだ。
続巻が楽しみである。
2001.9.3(Mon)
おとなしく月曜日
結局、風邪が悪化してしまったので仕事をお休み。みこりんもなんだか風邪っぽかったので、一緒にお休み。風邪っぴきが二人そろって布団でころころ。やがてころころするのに飽きたみこりんが、階下へと消えていった。しばらくして戻ってきたその手には、トランプが握られていた。最近みこりんはすっかりトランプにはまっているのだった。
トランプを2分割して、1つを“ばば抜き”、もう1つを“神経衰弱”に使用した。これだと同じ時間で2種類のゲームが楽しめるので、みこりんも大満足である。
トランプが終わると、みこりんは予定をすべて消化しきったかのように晴れやかな顔で、お昼寝モードに入っていった。隣で私は、最近Licが古本屋で買ってきた『未来のうてな』(日渡早紀 全11巻)を一気に読みにかかる。
前作の『ぼくの地球を守って』はリアルタイムに単行本を買っていたけれど、最終回で燃え尽き、その後なんだか気力が戻らず、結局『未来のうてな』には手を出さずじまいに終わってしまっていた。たぶん、『ぼく球』(私の近辺ではこのように略して呼んでいた)を越えられないのではないか…という漠然とした思いがあったから。
輪廻転生。古代より対立する2つの勢力。超常的な力(能力)……、読み進めるうち、どうしても『イティハーサ』の影を感じずにはいられなかったのである。もっとも、『イティハーサ』は輪廻転生には『うてな』ほど重きを置いてなかったと思うので、あくまで“そんな気がする”程度の類似度なのだけれど、新鮮味に欠けたことは否めない。でもそんなことより、最後まで謎だったというか、唐突だったような気がしたのは“大地”との関わりであった。“大地”すなわち“地球”というものが、結局、物語のキーであったのに、それを表現するエピソードが足りなかったように思う。そこらへんがくどいくらいに描かれていた『ぼく球』とは、あまりに対照的。ちょっともったいない。
就寝前、がらっと趣向を変えて、先日古本屋から届いた『Day in,day out』(内田美奈子)を読む。なんだか懐かしい感じがして、こんな季節にぴったりかもしれないと思いつつ、寝た。
2001.8.12(Sun)
“もののけ”
昨日からLicの買ってきた『百鬼夜行抄1〜3巻』(今 市子 朝陽ソノラマ版)を読んでいるが……じつに、いい。こいつはすごい。“もののけ”の描かれ方も、へんにグロっぽくなくてよし。昔の高橋留美子の描く“もののけ”に相通ずるような気もするが、そういうところも私の波長に合うのだろう。文鳥も好きだし。
でも一番良いのは司ちゃんである。そのまま内田美奈子の作品にも登場してきそうなキャラ、というのが私の第一印象であり、読後もそれは変わっていないのだが、内田美奈子作品を知らない人にはなんだかわからないと思うので以下簡単に特長を書いてみると、こうなる。
- 黒髪(しかも長い)
- 思い詰めるタイプ
- 天然ボケ
- 実直
- でもちょっと小悪魔的なところも…
- そしてじつは人並み外れた能力が…
ところで、この作品を読んだあとは、なぜか和室の掃除をしたくなるのもいい。おかげで部屋がキレイになった。めでたしめでたし。