2000.3.1(Wed)

で、結局

 気象庁のアメダスが誤作動した原因は、年号を2桁処理していたことにあったようだ。閏年判定ロジックは、完璧だったということになる。つまりこれは『400年に一度〜』が問題ではなかった。
 郵政省のATMの一部が起動しなかった不具合も、内蔵カレンダーチップが、もとから閏年を認識しないものだったようである。今年が初めての閏年だったのでたまたま発覚した。つまりこれも『400年に一度〜』が問題ではなかった。

 その他の日付誤表示系は、原因が特定されていないようだが、それらのなかに、ほんとうに“100で割る条件”を加えておきながら、“400で割るべき条件”だけを抜かしたのがあったとするのは、極めて可能性としては低いであろう。そんな中途半端な実装をしたプログラムは、そうそう見つかるモノではない。
 でもいまだにマスコミ報道では『400年に一度〜』が堂々と語られている。しかもコンピュータ関連のニュースサイトにも、当然のように書かれてある。・・・ほんとにテクニカルライターなんか?ちょっとでもプログラミングに関わったことのある人間なら(というか理屈を整理して考えることのできる人間なら)、誰でも気づくぞ、こんなこと。コンピュータやソフトウェア関連のライターの質の低下は、PC/ATがDOS/Vとともに日本で一般的になってきた当初から、指摘されてはいたが・・・・改まるどころか悪化の一途をたどってるんじゃないだろうかね。

ランキングの謎

 DirecTV が、SkyPerfecTV! に吸収されそうである。日本における通信衛星(CS)デジタル放送の事業者が1社になることに若干の不安も感じつつ、今日は SkyPerfecTV! の音楽系4チャンネルのランキング番組の謎について書いてみようと思う。
 私が現在契約しているのは『Ch.270 VIVE』『Ch.265 スペースシャワーTV』『Ch.269 MusicJapanTV』の3つである。これに、無料チャンネルの『Ch.199 ミュージック・フリークTV』を加えて、音楽系チャンネルとしては4chをチェックしているのだが・・・。

 なぜか“倉木麻衣”が有料契約チャンネルではランクインしてこないのだ。無料のミュージック・フリークTVでは、かなり話題にされているのとは、対照的。で、地上波やその他のSkyPerfecTV!以外で目にするランキングでは、倉木麻衣の『Love,Day After Tomorrow』は、10位圏内を維持していたりする。この違いは何だろうか。どうしてスペースシャワーTVや、MusicJapanTVのランキングでは出てこないのだろう。単に私が見逃しているだけなのか?。

 倉木麻衣だけではない。サザンの『TSUNAMI』もそうだ。この曲は当然のごとく、あらゆるランキングで上位を占める。けれども先の2つのチャンネルでは、ランクインしたのを見たことがない(補足:2000年3月中旬、『TSUNAMI』がスペースシャワーTVでランクインしていることを確認)。そして大泉逸郎の『孫』も、そう。20位以内に顔を出したのを、私は知らない。集計手法は、全国のレコード店の売り上げ、ラジオ局のリクエスト、その他一般からのリクエストによるとしているので、それほど乖離があるとは思えないのだが。
 意図的にランキング操作がなされている、と邪推したくもなってしまうが、それでも倉木麻衣の『Love,Day After Tomorrow』のビデオクリップを“通しで全部見たい”、ただそれだけを願って、今日もチャンネルを合わしてしまうのであった。


2000.3.2(Thr)

ちっちゃいもの

 ちょっとまえまでみこりんは、飴玉を食べることが出来なかった。噛まずに、舐め続けるという技を、会得していなかったためと思われる。でも、今年に入ってみこりんは、たゆまぬ練習の結果であろうか、ようやく飴玉を舐めることができるようになったのだった。
 甘いからというのも、もちろんあるんだろうけど、みこりんが飴玉を好きなのには別の理由があると、私はにらんでいる。飴玉をどんどん口中で溶かしてゆくと、最後のほうはとてもとても小さな円盤状の物体へと変化するが、それをみこりんはよく手にのっけているのだ。見つめる瞳はじつに幸せそうで、両手でそぉっと捧げ持つような感じで立ち止まっている姿を見ていると、こっちまでなんだかうきうきしてしまうのだった。
 そしてその口からは、「ち〜っちゃい!ち〜〜っちゃぃ!!」と、手の平の円盤を褒め称える呪文が・・・。みこりんは、消えゆくほど小さくなった飴玉を見るのが大好きなのに違いない。

 己の口の中で消えゆく運命にある飴玉の中に、この世の儚さを感じるのだろうか。消滅の直前、ぱっと激しく輝く線香花火に人が惹かれるのと同じように、みこりんは飴玉に諸行無常の理を見いだしていたりして。

沈没

 そろそろのぼせてきたので、先に風呂から上がる。みこりんは湯船の中で、まだまだ遊び足りないようす。呼び出しブザーでLicを呼んだ。入れ替わりに、Licにお風呂に入って貰おう。
 風呂場のドアを開けたまま、しゃかしゃかと髪の水気をとっていると、Lic登場。替わってと告げると、着替えを取りに消えていった。今夜も寒い。ちゃっちゃと体を拭いてと・・・。

 なんだか急に静かになった気がした。顔を上げた私の視線の向こうに、湯の中に完全に没したみこりんの姿が!!
 仰向けに滑ったのだと認識したときには、すでにみこりんを湯船から救出したあとだった。みこりんは、最初硬直していたようだが、すぐに“火がついた”ように泣き始めたのだった。幸い、水は飲んでいないようだ。ただ、鼻の中に湯が入ったようで、ひどく痛がっていた。抱っこしてやっていると、Licが駆けつけてきた。私は、みこりんがまだ体を洗ってなかったので、もう一度Licとお風呂に入れてやるつもりだったのだが、Licの指摘どおり、そんな怖い思いをした直後に、再び風呂に入ろうとはみこりんも思わなかったようで、「あがるぅ」と泣き声である。

 パジャマに着替えて、すっかり濡れてしまった髪の毛をドライヤーで乾かしてやっていたら、だいぶ落ち着きを取り戻した感じである。ちょうど明日は雛祭りということもあり、寝る前にみこりんと雛人形を見ておくことにする。明日を過ぎれば、このお人形とも一年間のお別れなのだから。
 やっぱりみこりんは、雛人形にはいたずらをしない。一緒に飾ってある羽子板のほうも、簪を「かわいぃ〜」とさするくらいで、恐ろしいほどみこりんはいい子である。やっぱりこの人形達は、みこりんにとって特別なのに違いない。

 思い立って、みこりんを抱っこしたまま、その場でぐるんぐるん回ってみることにした。5回、6回・・・10回、11回。いー感じに目が回る。みこりんと私は、酔っぱらい状態で畳に倒れ伏すのだった。やがてみこりんが、よろよろしながら立ち上がった。私よりも回復が早い。若さゆえか?たしか赤ん坊は、平衡感覚を司る気管が未発達のため、目を回すことはないそうだが・・・。立ち上がったものの、みこりんの足は千鳥足。自由にならないのが、なにやら面白いらしい。きゃっきゃと笑いながら、私に倒れかかってきた。で、案の定、回復したとたん「もっかい!」と言われてしまうのだった。たしかにこの遊びは、妖しげな気分を味わえる。目眩と風呂上がりの軽い上気加減が、絶妙のほろ酔い気分を醸し出してくれる。
 結局、4〜5回、ぐるんぐるん回しをやってしまった。もぅだめ、これ以上やったら“ダメ”になりそう。というところでLicにタッチ。みこりんは狂喜乱舞である。
 明日はハンディカムで、目を回しているみこりんを撮ってやらねば。

支離滅裂

 今日の朝日新聞朝刊の社説『■実名報道――説得力に欠ける判決だ』より。

 ひとりよがりの正義感を振りかざしたり、売れさえすればいいという考えに走ったりすれば、やがて信頼を失い、自らのよって立つ場を崩すことになるだろう。

2000.3.2 朝日新聞朝刊 社説『■実名報道――説得力に欠ける判決だ』より

 飲んでいた荒茶を、あやうく鼻から噴水状に吹き出すところであった。いやー、朝からとてつもないギャグをかましてくれるのぅ。

 これを読んで思い出した情景。
 『動物を虐待するな〜!クジラを守れ〜!』と、ミンクのコートにキツネのマフラー(ダチョウ革のブーツはいててもいいや)という装いでデモの先頭に立ち、マジに自分の勇姿に酔ってるやつ。
 他人に説教してるひまがあったら、自分をまずなんとかしたらどぅ?ってパターンの典型例だな。


2000.3.3(Fri)

記憶の始まり

 起きてからもみこりんは、「お水、お鼻の中に入ってきたよ」といきなり語り始めたりと、昨夜の“沈体験”の恐怖は、いまだ冷めやらずといった感じである。“沈”は昨日のことなので、覚えているのは当たり前としても、みこりんは去年の春や夏のことを、いまでもかなり覚えている。2歳半という年齢における“記憶力”の確かさには、いつもながら驚かされてばかりだ。多少、日付を誤ったりはするものの、どんなことがあったか、それについて自分はどう思ったか、などを、かなり詳しく聞き出すことができるので、だんだん会話の中身が“親子の団らん”になってきているのが、そこはかとなくうれしい。

 自分が同じ年齢だったころは、みこりんのような記憶力を発揮していたのだろうか。思い出そうとしても、まったくとっかかりさえ掴めないのだが。保育園のころの記憶なら、かなり鮮明に残っているのもある。たぶん4〜5歳付近だ。すると、それ以前、2歳から3歳あたりの記憶は、いったいどこにいってしまったのだろう。みこりんの様子を見ていると、そう簡単に忘れてしまうほど脆弱なものとも思えないのだけれど。

 明確なイメージとしての“記憶”ではなく、潜在的な“感覚”とか“雰囲気”とか“癖”などに、その時代の記憶が転化している可能性はありそうだ。私が都会よりも自然の野山を好むのは、生まれた当時、僻地のさびれた山村で過ごしたのが遠因になっているのかもしれないし。まぁそういうのも悪くはないが、やはり記憶として、思い出してみたい気はする。いったい自分は、どうやって3歳までを過ごし、何があって、どう感じたのか。自分の人生の始まりを知りたいと思うのは、宇宙の起源を探りたいという思いに通じるところもあったりして。

 そんな私にも、たった1つだけ、例外がある。まるで広大な砂漠の中に、ぽつんと一本の青々した木が生えるように、その記憶は今でも鮮明だ。『大阪万国博覧会』、太陽の塔の中におけるイメージである。
 ちょうど3歳の頃のこと。みこりんより、ちょっとお兄さんな時期だ。私が覚えているのは、巨大なゴリラの人形だった。螺旋階段を上る途中、ゴリラの大きな手が動いているのが生々しい・・・。ほとんど止め絵のような瞬間的な記憶である。私にとって、この出来事がどれほど重要なのかはまったくわからない。でも、いまだに思い出せるのには、もしかすると驚くべき秘密が隠されているのかもしれない。じつはゴリラの中には人間が入っていて、目が合ってしまったとか。あるいは、ゴリラに注目していたのではなく、その背景で行われていた“見てはいけないもの”を見てしまったからとか。

 こうして記憶を発掘する作業をやってると、普段使わない脳の隅々まで新鮮な酸素が行き渡るような気がして、なにやら頭がしゃきっとするから不思議だ。さて、みこりんは将来にどんな記憶を持ってゆくのだろう。よーし決めた。みこりんが18の誕生日に、“幼い頃の記憶について”語ってみることにしよう。はたして現実と記憶とは、どれほどの整合性を持っているだろうか。私の記憶は、この日記によってかなり補完されるのでボケだしてても大丈夫・・・・のはず。

待望の“春”の風、到来

 昼休み、ひさびさに工場内を散歩してみることにした。まだ少し風は冷たいが、日差しのやわらかさは、もはや春の兆しを予感させる。
 芝生の中に、桜の古木が立っていた。桜並木というには少し足りないが、それでも開花シーズンにはすさまじい桜吹雪を見せてくれる。でも今は、蕾もまだ固く、小さい。この工場が出来たときから、ずっとここで立っているのだろう。幹の太さは、男が3人は余裕で入れそうなくらい。貫禄たっぷりの巨体である。

 手を伸ばしたくらいのところに、なんだか奇妙なモノがくっついているのを発見した。小振りなバームクーヘンみたいなやつだった。下から見上げていたのですぐにはわからなかったのだが、それはどうやら“サルノコシカケ”の一種らしい。小学生のころ、山の中に落ちていたやつは、直径25cmほどの立派なものだったが、こいつはまだ直径にして5cmほどだ。猿が座るにはまだまだ足りない。でも、こうやって自生してるのを見たのは今日が初めてだ。いいことありそうな予感。

 夜になって、“いいこと”はやってきた。待望の“春”の風、到来だ。

 ところがLicには、春の風がわからないという。腹の底から沸き上がってくる衝動の、引き金となるこの風の匂いは、もしかすると一人一人が特別に感じるものなのかもしれない。LicにはLicの、春の風があるのだろう。私の春の風は、いつも懐かしい匂いをともなってやってくる。古いびた下宿屋の、早春の木漏れ日を見ていた18の時、初めて私はその風を感じることができた。乾燥した木の匂い、ちょっと甘いような、こそばゆいような。以来、毎年、春の風はやってくる。

 *

 みこりんが、雛祭りの歌を口ずさんでいた。今日は楽しい雛祭り。お雛様と一緒に写真を撮ってやろう。最近のみこりんの得意ポーズは、きゅっと上半身を横に曲げ、両手を頭のところに持ってくカタチ。去年は被布がだぶだぶだったが、今年もまだちょっと大きい感じ。来年は、被布が着られないくらい、大きくなってますように。


2000.3.4(Sat)

雨の土曜日

 予報通りの雨。アクアリウムのページをリニューアルするために必要な画像データを、せっせと撮り貯めておくことにする。
 水槽3つ分が終わったところで、3時間経過。そろそろ集中力が切れそうなので、切り上げた。延々、不自然な姿勢でカメラを保持していたせいか、腕や首あたりが音をたてるほどに凝ってしまっていた。ガーデニング関係の撮影に比べると、小さな魚(しかもちょこまか動く)が被写体となる水槽関係は異常に疲れる。

 撮影のあとは、郵便局へ。昨日、不在通知が入っていたのだ。届け物は古本である。古書専門の検索サイト『スーパー源氏』で、『古書店 林語堂』に在庫があるのを見つけて注文しておいたのが先週末のこと。何を買ったかと言えば、『BREAK−AGE(ブレイクエイジ)』馬頭ちーめい+STUDIOねむ、9巻セットだ。とあるサイトで、“オススメ”されていたのが購入理由。普通にオススメされていたくらいでは、どうということはなかったのだが、そこではオススメ5作品の中に、“士郎正宗”に加えて、“内田美奈子”の名前も上がっていたのが、決定打となった。

 Licが、さっそく包みを破って確認している。何を買ったか教えてなかったが、作者名を見て、なにやら納得している様子。この作者について、私は予備知識も何も持っていなかったのだけれど、Licには覚えがあるようだった。

 このあと、ビデオレンタルのカード更新のため本屋へ移動。睡眠不足でいまにも眠ってしまいそうな私に変わって、Licが運転を交代してくれた。心おきなく、助手席で爆睡させてもらう。
 ビデオの旧作に、あまりピンとくるものがなかったので、カード更新だけしておくことにした。CDのほうでも、最近気になってる“4D-JAM”置いてなかったし。
 ついでに、本の新作チェック。買いたいやつがあったので、別の本屋に向かうことにした。新作ならば、どこの本屋でもすぐ手に入る。ならばよりサービスの充実したところで買おうとするのは、当然の帰結。今から向かう本屋では、本1冊ごとにスタンプ1個、あわせて50スタンプで図書券500円分になるのである。塵も積もれば山となる、だ。

 だがその前に、泣き喚く“腹の虫”をなんとかせねば。「なんか食べる?」と聞いてみたところ、みこりんが即座に「パン!」とリクエストしてくれたので、先にパン屋に寄っていくことにした。パン屋といっても、スーパーに併設されたパン屋では、他の食い物に目移りしそうだ。独自に店舗を構えているところがいい。
 Licに教えて貰ったその店は、パスタ&ピザを食わせるカフェなのだが、パンとケーキのテイクアウトもやっていた。最近みこりんは、こういう形式のパン屋によく連れていってもらっているらしく、慣れた感じでトレーとハサミ(あれの名称はなんていうのが正解だろうか)を手に、物色している。焼きたてパンの、香ばしくも甘い香りに包まれて、飢餓感はますます増大中。棚の上から順に吟味していると、興味深いパンが1つ目に止まった。その名も、“ネギ焼きパン”。白ネギとキャベツをトッピングして、焼き、さらに半分に折ってある。縁から濃厚そうなタレと、キャベツの姿が覗いていた。

 まるでお好み焼きのテイクアウトのような様相である。腹の空いてるときに、アンパン、ジャムパンのような甘いパンは胃に響く。かといって無地なやつでは、いまいち物足りない。やはり、惣菜系のパン、この“ネギ焼きパン”が最良の選択であろう。
 私が和風の“ネギ焼きパン”ならば、Licが選んだのはイタリアンの“ピザパン”だった。そしてみこりんは・・・。じぃっとハサミを持ったまま、自分の背丈にあった棚の前で迷っているようす。サツマイモの形状を模した、“イモパン”(黒パン生地にイモ餡)をプッシュしてみたところ、みこりんも気に入ってくれたようで、いそいそとトレーに乗せた。
 クルマの中でさっそくがっついてみると、ネギ焼きパンは、まんま“お好み焼き”であった。120円という値段設定ゆえ、肉系のものは一切入っていないが、そんなことなどおかまいなくエネルギーの濃い食感で、たちまち腹を満たしてくれたのだった。みこりんにはどうだろう?と思って、囓らせてみたところ、なかなか好評。ネギにも負けず、食べてくれた。

 一息ついて、本屋で散策。
 本日の購入品。

  • 『ラーメン狩り』(作:鬼窪 浩久)
    ラーメンとバイオレンスという煽り文句に、ついふらふらっと。
  • 『キマイラ群狼変 キマイラ・吼シリーズ15』(著:夢枕獏)
    定番。買わないと落ち着かない。
  • 『BREAK−AGE(ブレイクエイジ)10巻』(作:馬頭ちーめい+STUDIOねむ)
    なんとこの巻で完結とか。古本で買うまでもなく、今、買っておこう。
  • 『犬狼伝説 完結編』(作:押井守)
    や、やっと続きが出た・・・。
  • 『DESIRE 7巻』(作:小谷 憲一)
    いい!
  • そしていつものみこりんの絵本『子供の友012』
    月に一度のお楽しみ。

 ところで、今夜の夕食には、小カニの唐揚げが登場した。生協のカタログに載ってたやつだ。甲羅はとってあったが、足はそのままなので、とげとげしたところが生々しい。食ってみると、香ばしくてけっこううまい。“えびせん”をさらに揚げたような感じだ。
 尖った足の先で、口の中が多少“傷々”になるのさえ我慢すれば、やめられない止まらない状態になってしまいそう。でも、皿の底に散らばった足だけ見てると、“カニ”というより、何かの“虫”という感じもしないではなく・・・。もしかすると、揚げゴキブリとか揚げカブトムシも、これに似たような感じの“味”だったりして。あまり違わないような気がしてきた。


2000.3.5(Sun)

植え替え

 みこりんに起こされてみれば、カーテンごしにまばゆい太陽の光が、さんさんと降り注いでいた。晴れた〜〜!!というわけで、さっそく布団を干しにかかる。そよ風は、まるで春のように暖かく、今日の予定はあっさりと決まった。ひさびさにガーデニングの日としよう。

 ワーディアンケースのセントポーリアなどに薄い液肥をやってから、鉢物の植え替え作業を開始した。主に観葉植物系の鉢植えが対象だ。
 まずクリスマスに買ったポインセチアから。こいつは土が安物で、水はけの悪さは天下一品。このままだと、いずれ根っこから腐ってしまう。
 みこりんに手伝ってもらって、植え替え用の土をブレンドする。培養土6:赤玉土4の割合で、混ぜ混ぜ。ポインセチアを鉢から抜いてみた。根がほとんど張っておらず、土を軽く崩してみたら、貧弱そうな根っこが露わに。こら、あかん。
 鉢底に、木炭片を敷き詰めて、ブレンドした土を入れ、植え込んでゆく。みこりんも、せっせと土をかけてくれた。まず一丁上がり。

 次に、ジャックと豆の木だ。去年の夏、うっかりサンルームで灼熱地獄を味合わせてしまい、元の葉っぱは大部分枯れたのだが、恐るべき生命力で復活しつつある。赤玉土主体の土にしてあったが、もう少し培養土を混ぜた方がいいような感じ。先ほどのブレンドで、植え替えだ。
 根っこは、かなり回っていたので、少し崩してやってから、一回り大きな鉢に植え替え。いや、鉢上げというほうがいいかな。

 そして花手鞠。夏の間に伸びていた枝は、ばっさりと刈り込んでおいたのだが、新芽があちこちから芽吹いてきている。最近、水やりしてもなかなか吸い込まないので、すっかり根がからまっているものと思われた。案の定、鉢から外すのもやっかいなほど、ぎゅうぎゅうに根が回っている。生命力の強い花なので、けっこう大胆に根を崩してから、大きめの鉢に植え替えることにした。枝垂れてきてもOKなように、高さのある鉢を選んでみたが、ちょっと頭でっかちになってしまったようで、風ですぐ倒れてしまいそうなのが少し心配。
 挿し木中の花手鞠も、鉢に植えてやることにした(これまで水に挿してたのだ)。100円ショップで買ってきてあった吊り鉢に、四方に散らすような感じに配置して。

 最後に、Licが買ってきて今年で4年目になるアジアンタムを植え替え。このアジアンタムも、一時はすっかり乾燥させてしまって瀕死状態にまでなってしまったのだが、ばっさり刈り込み、ワーディアンケースで養生させておいたら、すっかり元気に復活してくれた。もはやワーディアンケースに入りきらないほどに。買ってから一度も植え替えしていなかったので、根詰まり気味なのだ。
 鉢から抜いてみると、やはりものすごい根っこである。崩す土が残ってないほどの繁殖ぶり。これもかなり大胆に根を整理してから、大きめの鉢に植え直した。そろそろ新しい置き場所を考えてやらないと。

 植え替えが終わると、みこりんは余った土で泥んこ遊び。プリンを作っているのだという。・・・って、みこりん、その土は植え替え用の“良い土”じゃないか。あーあ、全部持って行ってしまった・・・。

針葉樹 or 広葉樹

 夕方になって、すこーしひんやりしてきた気配。
 部屋で水槽を眺めていると、みこりんが足元にまとわりついてくる。なんとなく“ぼぉぉぉ〜”とした、ふにゃっとした感じだったので、なにかな?と思って抱っこしてみると、あっというまにくたっと寝てしまった。
 お昼寝してなかったからなぁ。夕ご飯まで、まだかなり間がある。みこりんを座布団に寝かしてから、ちゃっぴー達の小屋掃除をすることにした。
 ダン、あかねちゃん、ちゃっぴーの順で、チップを交換して、餌入れを洗ってやった。ケージの丸洗いは、なし。

 スーパーのビニール袋に、たっぷり2つ分の古いチップ。このまま捨てるのも、なんだかもったいないような気もする。ふわふわチップなので、ゴミの容量もバカにならないし。焼いて灰にすれば、花壇とかに使えるんじゃないか?と思ったが、このチップが針葉樹でできていることを思い出し、さて針葉樹の灰って大丈夫だったかなと、しばし悩む。針葉樹の葉っぱなどからは、ある殺虫成分(?)が分泌されているらしく、堆肥などにも使わないし、アレルギー物質にもなるってことで、小動物に使うには気をつけたい素材なのだ。幸い、我が家ではここ6年間、特に障害は出ていないけれど…。要調査ってことで、今日の所は保留にした。

 広葉樹のチップに替えれば、悩むことなく灰にして再利用できるのだが、針葉樹チップに比べるとかなり割高なのが痛い。痛いが、ちゃっぴー達のためにも、広葉樹のチップがより安全なのは確かなので、次回からは針葉樹チップはやめておこうかな…。

“犬”

 私が“プロテクトギア”に初めて出会ったのが、大学2年だか3年だかの年だ。いまから12〜3年前ってことになる。押井守が初の実写映画を撮るというので(たしか映研関係出身だから、アマチュア時代に実写はかなり撮ってたんじゃないかと思うけど)、一部では話題になった。そのときの作品が、『赤い眼鏡』である。出演者のほとんどが声優(加えて、ほとんど『うる星』つながりのスタッフのような)で、商用作品というより実験映画というかアマチュア作品風な匂いのする映画であった。

 プロテクトギアは、冒頭部分に使用された以外は、終盤に一度シルエットを見せただけなのだが、同時期にこれを見た私とサークルの野郎どもは、その美しい“強化型外骨格”の虜となってしまったのだった。その年の学園祭では、客呼び込み用“着ぐるみ”にも使ったし、数年の保管の後、会社での仮装大会にも、これでエントリーしたものである。

 それから数年後、私が就職した翌年にコミック作品『犬狼伝説』として、プロテクトギアと再開。そのさらに翌年、再び実写映画『ケルベロス・地獄の番犬』が公開されたが、プロテクトギアの造形はともかく、中身はもはや思い出せない程度のものだった。

 『犬狼伝説』は、他の2つの映画作品に比べると、かなり毛色の異なる作品である。いちおうストーリーっぽいものがあるので、難解さに歓びを見いださなくなった私でも、楽しむことが出来た。ただ、攻撃部隊の必要性を内乱に求めるあたりに、やや古風というかイデオロギー臭いというか、新鮮味には欠けるのだが。まぁ、プロテクトギアがわんさと登場するので、見ていて楽しいという利点のまえには、そんな欠点も補って余りある。問題があるとすれば、未完で終わっていたということか。
 その完結編を、ようやく昨日、手にすることが出来たわけだ。ケルベロス争乱に至る、重要なポイントが描かれるはずである。

 で、読んでみての感想。かなりはしょってしまってる印象で、無理にケルベロス争乱に持っていった感じがする。決起するまでに追い込まれた、というのが私にはそれほど伝わってこなかったのが残念だ。特に、“人狼”というキーワードが出てくる回、あれは余分に思う。映画のための伏線なんだろうが、唐突であり、説明不足にすぎるのではないか。
 もっと面白くできるのに、わざとテンション下げてるような印象もあり。人物描写をあえて避け、いきさつを淡々と描いている。うーん、創作意欲を失ったんでは?などと思ってしまうが、それほど映画『人狼』に入れ込んでるのだろうか。はたしてプロテクトギアが出てくるのかどうかが気がかりだが、今年夏公開らしいので、期待しつつ待ってみることにしよう。

散髪

 子供の頃は、おもに母親が私の髪を切っていた。中学生になるまでは、それこそおしゃれなどとは縁遠く、ただの“坊ちゃんカット”でよかったので、それでも特に問題はなかった。そして中学から高校2年までは、校則により坊主頭だったので、これまた母親でも難なく突破できるレベルであった。ところが高校3年からは、坊主でなくてもよくなったのだ。それまで坊主頭を刈るだけだった母親にとって、いきなり少年の髪型などできるはずもなく、私は散髪のたびに“大失敗”する自分の頭に、死ぬほど恥ずかしい思いをすることになるのだった。

 なので私は、自分で自分の頭を散髪する道を選んだ。なぜプロに頼まなかったかといえば、ひとえに私の体質による。あの首に巻くやつが、大の苦手なのだ。しかも緊張に極度に弱いとなれば、床屋なりで散髪してもらうことは、私にとっては拷問に等しい。自分のことは自分でやるしかなかったのである。

 大学時代は、散髪代を浮かせるという大義名分もあった。しかも自分でやってるので、少々失敗しても、納得できる。慣れればハサミ一丁でも、なんとかなるもので、もはや私にとって散髪は恐るるに足らないイベントとなったのである。

 そして今夜、私は、自分でハサミを快調に飛ばしていた。散髪用のハサミではなく、文房具というのがかなりアレだが、いずれ宝くじでも当たれば豪華ハサミセットでも買うとしよう。
 右ききなので、右側をカットするのは多少“技”を要求される。最近は考えなくても手が勝手に動く程度にはなったが、始めの頃はなかなか右側がうまく処理できなかった。右と左で、別人のような印象になってしまうことも多々あり、自分は一生“阿修羅男爵”のような髪型なのかと悲観した時期もあった。もはや何もかもみな懐かしい思い出だ。

 今夜は、春に向けて大胆にカットしてみた。軽く軽く、髪を手でかき揚げる必要のないくらいに。ここまで短く切ってしまうと、毎朝セットする必要が出てくるので春眠暁を覚えずの春には、少しきついかもしれないが、重たい髪と寒い冬とはおさらばする決意を込めて、切ってみた。いつ桜が咲いてもいいように。

 この夜、みこりんの髪を初めて大人用シャンプーで洗ってやった。

かいちょー

 さて『ブレイク・エイジ』である。ゲームの世界でロボットに搭乗し、対戦するという、大昔の「コロコロコミック」に連載されてたマンガを連想するような始まりに、やや「早まったか?」と思ったのは事実。でも、登場人物が揃ってきたところで、なぜだか「ペリカン・ロード」を読んだときのような清涼感を覚えてきて、やめられなくなってしまったのだ。もはや午前4時だというのに、まだ6巻目。明日は仕事、とっとと寝ないときついんだけれど、“会長”が次にどんな技を繰り出してくるのか気になってしょうがない。
 “会長”面白すぎである。


2000.3.6(Mon)

それは玉

 今夜のおかずは“カレイの揚げ物”。みこりんが寝てしまったので、先にLicとふたりで食すことにする。
 内臓部分から手をつけてみると、小さいながらも卵を発見!。魚卵といえば、神経質な海水魚の餌付け用としては、最終兵器みたいなものである。それほど魚にとっても旨いものは、当然、人間が食っても旨い、というわけで私は一口ずつ噛みしめるように、魚卵を味わうのだった。・・・・・だが、まてよ、なんか変だ。妙に粒がのっぺりしてるというか、魚卵というにはペースト状すぎるような。でも白子にしては、歯ごたえが残ってるし。結局、卵なのか白子なのか、決定打を見いだせないまま、カレイを食い終わってしまった。

 魚の残骸を、Licのと見比べてみると、あまりの違いにいつも驚かされる。私のはまだ魚の形状が判別できるのだが、Licの皿には、きれいさっぱり骨と頭だけしか残っていない。それはもう見事なほどに。まるで骨格標本である。それでもLicの親類縁者の中では、魚の食べ方が下手なほうだという。いったいどんな強者どもが揃っているのやら。

 今夜はこの骨をさらに油で揚げて、骨煎餅にして食ってみた。先日食べた小カニの揚げ物のような味で、けっこう旨い。Licは背骨までばりばり食っていたが、私は縁側部分でやめておく。カレイの骨には、少々痛い経験があるのだ。

 みこりんが目覚めたときには、カレイは頭だけになってしまっていた。もちろんみこりん用に、ちゃんと1匹残しておいたので、大丈夫。最初こそ寝起きでぐずっていたが、魚は好きなのでそのうち黙々と食べ始めたのだった。
 みこりんのカレイにも、白子(ひょっとすると卵なのかもしれないが)が入っていたらしい。みこりんも魚卵系は好きなようで、喜んで食ってるもよう。みこりんにそれが何か聞いてみたところ、「たまごーー!」と答えてくれたので、私は言った。「ちがうよみこりん、それはねぇ、お魚の“き○たま”なんだよぅ」と。

 直後のみこりんの反応は、私の予想を越えていた。なんとみこりんは、恥ずかしそうに「ふふふぅ〜」と押し殺した笑いで、じっとカレイを見やっているのだ。ま、まさか、みこりんは“きん○ま”の意味を知っているのか!?私は妙に焦った。私は少なくとも教えていない・・・はず。Licも、ぶんぶん顔を横に振っている。今一度確認してみなくては。
 再び私はその単語を口にした。やはりみこりんは「ぶふふふぅ」などとほくそ笑むではないか。間違いない。みこりんはソレが何であるのか、ちゃんとわかっているのだ。おおぉぅ、いったいどこで覚えてきたのだ、みこりん。幼児のネットワーク、侮り難し。

 ちなみにLicが“きん○ま”の場所を問うたところ、みこりんは自信たっぷりに「ちん○んの横〜」と答えたという。ちょっと違うが、ほぼ正解だ。


2000.3.7(Tue)

ばい菌

 その瞬間を、私は偶然目撃してしまった。みこりんが、床に落ちたお菓子を拾っているのを。落ちた場所が悪かった。ちゅーちゃん達のケージのそばだったので、チップが散乱していたのだ。いくら“3秒ルール”を適用しても、こいつはまずい。
 「落ちたヤツは食べたらだめよ」という私に対して、みこりんは「これ、汚れてないよ?きれいよ?」と、食い下がる。どうして食べたらだめなのか、みこりんにもわかっているのだ。だから汚れてないことを、強調する。私はこの世の中には、目に見えない“ばい菌”というものがあることを教えてやった。

 みこりんが、目に見えない“ばっちいもの”を理解できたかどうか、定かではないが、その後の説得に応じてくれたということは、やはり進歩といえる。
 いずれ顕微鏡でミクロの世界を覗かせてやろう。おぉ、そういえば実家に弟が買ったきり使っていない顕微鏡が眠っていたはず。今度帰省したときにでも、持ち帰ってこなくては。

オン・ステージ

 トイレで『ブレイク・エイジ』の続きを読んでいると、みこりんがとことこやってきて、ネコ缶を2つ並べて置いてくれた。はて?これでいったい何をしようというのだろう。見守っていると、缶の位置を整え、みこりんはその上に立ったのである。そして、保育園で習ってきたのであろう、「さようなら」の歌を振り付きで熱唱しはじめたのだった。ネコ缶は、みこりんのステージだったのだ。
 今回の歌は、『カエルの歌』などよりもはるかに複雑と思えたが、たまに詰まることはあっても、音程もうまく取れているようで、みこりんの歌唱力は格段の進歩を遂げていることがわかった。
 「さようならぁ〜♪」と頭を下げるので、私も真似して頭をぺこん。いい具合に、頭と頭がごっつんこして、みこりんは「ぎょへへへへへへへ」と喜色満面。みこりんに悩みなんてないんだろうな〜、などとつい思ってしまうのだった。


2000.3.8(Wed)

消えたスリッパ

 昼間から、ちらほら粉雪の舞う、寒い一日だった。仕事を終え、帰宅してから、ぱたぱたと夜の日課をこなしていた私は、自分のスリッパがどこにも見あたらないことに気づいたのだった。
 かじかむ足をこすり合わせながら、スリッパを探してみる。ところが、思い当たる場所をさんざん見て回ったのだが、杳として姿は見えず。まさに神隠しである。

 じつは、昨夜も同じようにスリッパが見つからなかったのだ。幸い、それほど寒い夜ではなかったので、あまり気に留めていなかったのだが、気がついたときにはちゃんとスリッパを履いていた。たぶんどこかで見つけて、無意識のうちに装着したのだろう。はたしてどこに脱ぎ忘れていたのやら。
 昨夜と同じところに忘れている可能性は高いが、肝心の場所をまったく覚えていないのではどうにもならない。Licには健忘症の心配をされてしまうし、自分でもだんだん弱気になってきた。そういえば、最近、暗記力が衰えてきたような気もする。仕事中でも、同じ項目を何度もヘルプで調べてるなぁ…。

 家の中をうろついていたら、そのうち昨夜のように見つかるかも?と期待していたのだが、結局発見できず。諦めて先代スリッパを引っぱり出して履いていたら、見計らったようにスリッパが戻ってきたのだ。ヤツは、玄関前に居座っていた。そんな目立つところにいながら、どうして見つけられなかったのか。
 ヤツはカバンの下に隠れていたのだ。ついさっき、Licがカバンをリビングに運んでいったのが見えた。では、そのカバンをスリッパの上に置いたのは誰だ?あれこれ考えてみたところ、なんとそれは“私”ということになってしまった。……注意力散漫になってるなぁ、最近。


2000.3.9(Thr)

謎の呪文

 寒いと思っていたら、やはり雪が積もっていた。この時期に積雪を食らってしまうと、庭の植物たちへの影響が気になるところだ。新芽の動き出した朝霧草、枯れませんように。

 ところで、みこりんが最近よく口ずさんでいる歌の中に、なんだか謎なフレーズが登場する。歌詞そのものは、ウサギが山に行ってどうたらこうたらいう感じなのだが、問題の箇所では、ウサギが何かをかついでいるらしいのだ。私の耳には『ちゅっちゅき』をかついでると聞こえる。はて、『ちゅっちゅき』とは、何ぞや?山にあるということで連想すれば、『ススキ』かなとも思ったのだが、みこりんは「ちゅっちゅき、だってばぁ」と、あくまで『ススキ』との関連を否定するのだ。たしかにこの季節に、“秋”の代名詞でもある『ススキ』が出てくるのも妙ではある。保育園で教わってくる歌は、たいてい季節と強く結びついていることから、冬に関係する“何か”である可能性は高い。

 ちゅっちゅき ちゅっちゅき ちゅっちゅき ちゅっちゅき......

 みこりんが幼児言葉で『ちゅっちゅき』と歌っているさまは、反則技的に可愛い。可愛いのだが、童謡にありがちな謎の呪文系の言葉(かーごめかごめ、みたいなやつ)には、つい探求心がはたらいてしまうのだ。もしおそろしげな呪文でも隠されていたりしたら大変だ(あるはずがないと思いつつも、なんだか気になる妖しげな言葉)。

 まるで憑かれたように『ちゅっちゅき』の歌を繰り返すみこりん。何が彼女をそこまで魅了するのか。きっとみこりんには『ちゅっちゅき』がナニモノか、わかっているにちがいあるまい。意味もわからず聞き覚えた言葉にしては、あまりに自信たっぷりすぎる。想像力で、『ちゅっちゅき』をイメージしているはずである。おぉぉ、今気が付いたが、目鼻口が描けるみこりんならば、『ちゅっちゅき』がどんなものなのか絵に描いてもらえばいいのではなかろうか。もし絵にすることができたならば、それは大変なヒントになろう。どんな絵が炙り出されてくるか、楽しみである。


2000.3.10(Fri)

なんでもないことが新鮮

 カーテンを射抜く強烈な朝の光を見ていたら、ひょっこりみこりんが目を覚ましてこう言った。
 「おっきぃトイレでちゃんとシッコできたよ。みこりんじょうずにトイレでできたよ」
 前振りもなくいきなりだ。みこりんの起動シーケンスは驚異的に速い。コンマ何秒の世界である。
 夢の続きをすらすら語りだしたかと思ったが、これはどうやら昨夜の出来事を伝えているに違いない。昨日の夜、みこりんはお風呂に入る前、尿意を訴えた。すでにすっぽんぽん状態だったので、お風呂場でするよう言ったのだが、みこりんは頑としてトイレですることを主張。そのまま独りで廊下へと消えていった。
 やがて水を流す音がしたかと思えば、みこりん帰還。誇らしげにトイレで用を足せたことを報告してくれたのだった。

 そのことが、よっぽどうれしかったのだろうか。独りでトイレに行けたのは、昨夜が初めてというわけではないのだが、夢の中で何度も何度も思い出していたのかもしれない。そういえば、寝ている時も、急にくすくす笑い出したり、楽しそうな寝言が多かった気がする。
 みこりんにとって、日々の暮らしはまさに新鮮な驚きと興奮の連続なのだろう。自分もそんな時代があったはずだが、もはや欠片さえも思い出せないのが、なんだか悔しい。子育ては、自分探しの機会でもあると、誰かが言ってたけれど、近頃その意味が少しずつわかってきたような気がするのである。

ひみつ

 みこりんは知ってしまった。赤ちゃんが、どこからやってくるのかを。
 夕食のあと、すっかりくつろぎモードに入っていた私は、みこりんが突然「みこりん赤ちゃん欲しいで、おかーさんに産んでもらう!」とさらっと言ってのけたときも、「うん、そうやねぇ」などと条件反射の相づちを打ってしまったのだが、にわかに事の重大さに気づいて座り直し、みこりんを見た。

 みこりんはいったいどこで赤ちゃんの出生の謎を知ったのだろう。だいたい、“産む”って単語をどう解釈しているのか。聞きたいことは脳から溢れているのだが、なぜかみこりんはそれ以上この話題を続けるのを避けてしまったので、真相は闇の中だ。気になる。とても気になる。またの機会を逃さないようにしなければ。


2000.3.11(Sat)

“片づけの鬼”

 外に出るのが億劫になるほど、陰鬱で寒い天気である。こんな日には家でおとなしくしていようと決めた。ちょうどいい具合に水槽も苔ってきているし、“苔掃除”でもやっておこう。そう思って、洗面台奥の物置から脚立を取り出そうとした時だ。手前の棚が、いかにも“片づけ”して欲しそうに訴えかけるのだ。傾いたままの空き容器とか、乱雑に並べられたままの洗剤類とか。気が付いたときには、私は“片づけの鬼”と化して、ゴミ袋片手に、棚の整理の真っ最中。

 大量の荒ゴミをどけてみると、棚の物量は半分以下に減り、空白の美を愛でる余裕さえ醸し出していた。一箇所をやってしまうと、芋蔓式に他の部分にも着手してしまうのが、“片づけ”の恐いところである。苔掃除そっちのけで私は、窓枠の上やら、玄関にまで片づけの手を広げ、Licも参戦したことであっというまに大掃除の様相を呈してきた。もはやこうなってしまっては止めることなぞ不可能である。徹底的にやってしまおう。

 小一時間後、我々の作戦は完了した。あれほどガラクタで溢れていた棚の上には、おしゃれにミリオンバンブーのグラスなどが飾られ、さりげなくラヴェンダーの匂い袋が置かれていたりして。やればできるではないか。問題は、いかにこの状態を維持することができるか、だが、週1ペースで“片づけの鬼”モードを発動しておれば大丈夫だろう(発動エネルギーは膨大に必要だが)。
 ようやく私は本来の目的であった、水槽の苔掃除にとりかかることができたのだった。

 苔掃除もいつになく気合い入りまくりで徹底的にキレイにしたあと、2階の子供部屋にまとめておいた荷物類を押入に収納すべく、再び“片づけの鬼”モードへ移行する。この作業は、すでに荷物の整理は終わっているので、あとはいかに効率よく押入に押し込むかという、最適化問題を解けばよい。ばらけた小物を可能な限り箱に詰め、パズルに挑戦!……だがしかし、私はパズルが大の苦手なのだ。箱の数はせいぜい8個だというのに、出したり入れたり、積み直したり、横にしてみたりと苦闘が続く。すべて形の異なる箱で、さらに押入の奥にはPC墓場があったりと、これらの要因が必要以上に問題をややこしくしているのだ。

 みこりんが2階へと上がってきた。遊んで欲しいのだろうか?そう思って見ていると、みこりんはお医者さんセットと、洗濯物とで、お医者さんごっこを始めてしまった。一人で遊ぶつもりらしい。私は安心して、収納作業へと戻る。
 みこりんは、じつに上手に一人遊びをやってるようだった。お人形の“ぽぽちゃん”がいつのまにか患者として召還されていて、さらに、電車の中での診察というように設定も進化していた。イマジネーションの世界に没入しているのだろう。もはや私の入り込む余地は、どこにもないように思えた。私の作業も順調に進む。

 かなりいい感じの解にたどりつけそうだった。残すところ箱2つ。ところが、その箱の中から私は、忘れたままの記憶を掘り起こしてしまったのだ。そんなところに置いていたことさえ、失念していたほどのもの。小学校高学年から大学時代にかけての、私が写した写真である。
 私の両親は、私が小さいころには子供達の写真を撮るのに、世間並みの関心があったようなのだが、小学校高学年ともなれば、ほとんど興味を失ったようで、もっぱらカメラは私の所有物のような感じになっていた。だからアルバムにも、ほとんど自分の写真は残っていない。カメラを持つ人間の写真が残らないのは、必然といえる。当時の被写体は、大抵がクラスメートであった。中学、高校と科学部に所属していたこともあり、モノクロフィルムの現像・焼き付けなら部室で可能だったことも幸いして、いつもまにやらクラス専属カメラマンの地位を占めるようになっていたのだ。体育祭、文化祭、修学旅行、放課後の教室並木道・・・。なんでもかんでもフィルムに焼き付けていたような気がする。中学3年のときには、別れゆく恩師の授業を、遠隔操縦による無人撮影機を工作してまで残したりもした。

 そんな時代の写真が、ごろごろ出てきたのだ。収納などそっちのけで、一枚一枚、写真を確認してしまう。Licが、みこりんを呼びに来た。お買い物に行くという。ぽぽちゃんの診療も佳境に入っていたのだが、みこりんはあっさり診察を中止してしまった。お買い物にとことん弱いみこりんである。残された私は、夕闇迫る部屋の中で、ただひたすら写真をめくる。大学の頃の記憶さえ、もはや曖昧になりつつあった事に、我ながら驚いてしまう。なんと永く生きてきた事よ。たかが三十数年しか生きていないというのに、大昔の出来事のようだ。

 それにしても中学時代の写真が少ない。一番たくさん撮ったはずなのに。……あぁ思い出した。ネガを根こそぎ持ち逃げされたのだ。あの当時、思春期まっただ中の男女が揃えば、必然的に好意を抱く異性への写真注文が殺到する。そんな依頼人の一人が、私の名前を勝手に騙って、カメラ店から焼き増し写真もろともネガを引き出してしまったのである。直後に中学卒業。そいつは高校には進学しなかったので、音信不通となり、二度と私の手元にネガは戻らなかった。クラスメートの大半が同じ高校へと進学したので、当時はそれほどネガの不在を気にしてなかったが、今思えば取り戻しておくべきだったのだ。

 写真とネガの束を、再び箱の中に戻そうとしてやめた。これはきちんと整理しておこう。アルバムの中に。
 ほどなく、押入の中は箱で埋め尽くされたのだった。みこりんが小学校に上がるまでは、これで大丈夫。それまでに庭の片隅にでも物置を建てればよい。
 物置といえば、スチール製のプレハブ小屋というイメージが強いが、最近ではガーデニングブームの影響か、かなりおしゃれなブロック製のモノも入手しやすくなっている。煉瓦を模したやつなどは、まるでホラー映画に出てくる物置のよう。「ぎぃ」と開ければ、うなるチェンソー振り回しながらホッケーマスクの大男でも飛び出してきそうである。だから私は建てるなら、そんな物置がイイとLicに言ってるのだが、却下されてしまうのだった。Licは、ことのほか恐い系に弱い。庭の北側、日の当たらない場所に、そんな“薄気味の悪い”物置が建つなど、許せないのだろう。ところが私は、あの安っぽいスチール製の物置はダメなのだ。はたしてどんな妥協点が見いだせるか、あと数年間の攻防は続く。

 この夜、私はひさしぶりにコタツでうたた寝をしてしまった。


2000.3.12(Sun)

朝のひとこま

 寝起きの余韻を楽しんでいると、みこりんがむくっと起きあがった。私が目覚めているのに気が付くと、こちらの布団に潜り込んできた。みこりんは、いつもLicと同じ布団で寝ているのだ。
 「おててつなぐんだよ」とみこりんは言う。“私と”ではない。保育園でのことだ。「だいちゃんと、おててつなぐの」。だいちゃん?たいちゃんじゃなくて?みこりんは、ちょっとまえまで、たいちゃんが好きだったはず。確認してみると、間違いなく「だいちゃん」らしい。
 だいちゃんが好きなの?と聞いてみると、みこりんは恥ずかしそうに「くしゅしゅしゅ」と布団の中に潜っていった。気が多いなぁ、みこりん。

あの季節到来

 それにしても素晴らしい朝である。爽やかな風に青い空、白い雲…。どこから見ても春っぽい。さっそく布団を干して、と。このとき私は気づいていた。他の家では、布団が干されている光景が皆無なことに。だが、その理由にまで思い至らなかったのが、今日の敗因であった。その理由とは……、まぁおいおい書くとしよう。
 布団を干したら、洗濯物である。干したそばから乾いてゆく感じなのが、心地よい。

 風にはためく洗濯物をバックに、みこりんと庭で遊ぶ。とことん平和な日曜日だ。

 異変は夕方から。なんだか顔が痒い。目もよく潤っている。Licも顔が痒いという。その顔を見て、私はのけぞった。ぼこぼこに赤く腫れていたのだ。こっこれはぁ!!

 『花粉症』。油断していた。もうそんなシーズンなのだ。午前中、外で洗車していたLicは、私よりも花粉を浴びた量が多かったのだろう。症状がひどい。午後はクルマで移動していたのでそれほど感じなかったのだが、家に戻ってからは、日中窓を開け放して風を入れてたのが仇となってしまった。部屋中、花粉が蔓延しているに違いない。
 ここにいたって私は、大変な失態にようやく気がついたのだった。布団…、昼間、布団を干してしまった。こんな花粉の飛散している日に。布団は花粉まみれに違いあるまい。隣家が布団を干してなかったのには、理由があったのだ。

 Licが空気清浄機を引っぱり出してきた。最近使ってなかったが、使わずにはおれない痒さなのだろう。花粉が舞ってると“思う”だけで、アレルギー反応は出ると言うし。心理的にも、空気清浄機の役割は重大だ。
 夜、花粉まみれの布団に潜り込む。幸い私は大丈夫そうだ。F1中継でも見るとしよう。そのうち睡魔がやってきて、私は夢の世界へと誘われる。TVをつけたまま寝てしまったのは、何年ぶりだろうか。眠りの中で、ごそごそいう気配を感じた。Licが活動していたのだ。花粉まみれの布団という最悪の環境は、Licに途方もない痒みをもたらしてしまったらしい。失敗したなぁ…、来週は間違って布団を干さないように気をつけねば。


2000.3.13(Mon)

予防注射

 退社時刻、Licがいつものようにクルマで迎えに来てくれている。ドアを開けると、みこりんがなにやらむしゃむしゃかぶりついているのが見えた。何食べてるの?と問えば、「ごぼう食べとるのよ」とみこりんが答える。Licの補足により、それが“ごぼ天”であることが判明。スーパーの試食で、つかんできたらしい。
 黙々と食べるみこりんだが、やがて私に教えるべきことを思い出したようだ。「病院行ってきた」と言う。花粉症?と聞いてみると、違うらしい。なかなか核心を思い出せなかったみこりんだが、Licの誘導尋問に答えていくうち、ようやく今日“注射”してきたことを教えてくれたのだった。

 “はしか”の予防接種に行ってきたという。しかも、驚くべき事にみこりんは泣かなかったらしい。注射を打たれて、ワクチンが注入される過程を、冷静に観察できたというのだ。素晴らしい。日頃のお医者さんごっこで鍛えた成果だろうか。

 夕食後、みこりんが「ぐるぐるして〜」と、目回し遊びを要求したので、予防接種をした日はおとなしくしてないとダメってことを、人体の免疫系のことから話して聞かせてやったのだが、ちょっとみこりんには難しかったようだ。途中で別の遊びに夢中になってしまった。あぁぁ、早く科学ネタで会話できるようになるといいのになぁ・・・。話して聞かせたいことは、山とある。


2000.3.14(Tue)

まねっこ

 花粉症対策で、Licがマスクをかけるようになったのを見て、みこりんもマスクをするようになった。なんでも真似たがるお年頃だ。
 マスクをしたままチャイルドシートに装着されたみこりんは、なんだか窮屈そう。コートを着たままになってるからだ。しかもフードまで被って…。このコート、一昨年に買ってやったもので、クマの色彩で耳までついてる可愛いやつなのだが、今日のみこりんはどうみても“イウォーク”に見える。『スターウォーズ ジェダイの復讐』に出てきた、毛むくじゃらでちっこい森の住人。みこりんの大きさといい、形といい、黒目のおっきいとこや、仕草といい、まさに瓜二つ!

 自分が“イウォーク”になってるなんてこれっぽっちも思ってないみこりんは、いつもと変わりなくたくさんおしゃべりしてくれた。声だけ聞いてるとみこりんなのだが、暗がりで姿を見てしまうと“イウォーク”なのだ。一日の疲れも、あっというまに吹き飛ぶというもの。明日はみこりん、どんなコスプレをしてくれるだろう。

めっけもの

 ありそでなかった、こういうサイト。いや〜、素晴らしい。

 http://www.assahi.com/


2000.3.15(Wed)

変わりゆく季節

 今日は倉木麻衣のニューシングル『Stay by my side』の発売日!
 ただ気がかりなのは、プロモーションビデオで見る彼女の顔が、薬師丸ひろ子風に頬がぽっちゃりしてきたように見えることだ。デビューシングル『Love,Day After Tomorrow』のときの細っこい“あご”はいったいどこへ……。
 ま、まぁいい、この時期の女の子にはよくあることだ。声のほうは、変わりなく心地よいので贅沢は言うまい。

カタログ到着

 国華園と草春園よりカタログが届く。今回のはどちらもチラシ形態だった。草春園は、これまで冊子だったのだが、不況の影響だろうか。扱い品目も、少なくなったような気がする。山野草や東洋ランがメインなので、苦戦しているのかも。

 国華園のほうで目にとまったものといえば、『ジャックと豆の木』の種である。これを通信販売してくれるところを、他にも一軒知っているが、国華園ほどメジャーなところではなかった。今回のカタログ配布で、『ジャック』ファンも一気に増えそうな予感。どでかい“玉”から、にょきにょき生えてくる図は、じつに興味深いものである。最初は艶々で張りのある緑色の玉が、木が生長するにつれて、表面に皺が入り、だんだんしなしなにしぼんでゆくさまは、どことなく身につまされるところもあったりもし、いっそう身近に感じてしまうのであった。


2000.3.16(Thr)

簡単な理屈

 朝、たまたまTVでチャイルドシートの特集をやっていたので、つけておいた。番組調査での着用率は“数パーセント”とかで、非着用の理由に「子供がいやがるから」とか「高いから、合わなくても買い換えにくい」などと言う母親が多かったのには、相変わらずイライラさせられる。嫌がったら好きにさせとくのか、この親どもは。こんな親ならば、どうせ他の躾もとことんできてないことだろう。頭が悪すぎるというか、命を守るということの絶好の躾の機会を自ら放棄するとは、信じられない思いである。子供の命より、甘やかすほうを選ぶようなやつらは、1点減点などではなく、一発免取りに処すべし。クルマを運転する資格無しだ。

 番組では続けてチャイルドシートをしてない場合、どうなるかを実験映像で示していたのだが、一緒に見ていたみこりんも、衝突の瞬間を食い入るように見つめていた。座席から吹っ飛び、頭を強打する映像は、ことのほか恐ろしかったとみえる。「ちゃんと“そうちゃく”せんといかんねぇ」と私を見て言うのだ。2歳半の幼児にでも、チャイルドシートの重要性は理解できる理屈なのである。ますます先ほどの「子供が嫌がるしぃ〜」などと、さもそんな法律ができるのが悪いみたいな口調で言ってた親の姿が、情けなく思い出されるのであった。

なでなで

 帰宅後、にゃんちくんをケージから出してやる。ネコ缶とシーバ“マグロの海鮮カクテル”をご馳走してやると、今夜はやたらとすり寄ってくるにゃんちくんであった。うーん、もしや発情期なのでは……。

 ところで、みこりんがにゃんちくんを怖がらなくなって久しい。たしか去年の末ぐらいから平気だったような気がするが、今宵みこりんはにゃんちくんをとことん触りたい気分のようだ。私の膝の上で丸まっているにゃんちくんを、「かわいーかわいーする」とぐりんぐりん撫でまくる。少々、力の加減ができてなくて、にゃんちくんのお腹付近に手がめり込んでたりもしたが、今夜はにゃんちくんも触られたい気分だったらしい。いつもならとっくに待避してるとこだが、されるがままになっている。そのうち感極まってきたのか、仰向けになったり、アクロバティックな体位をとるようになったので、ますますみこりんが面白がって撫でる……。延々、続くかと思ってしまった。どっちも根気強いことである。

よぼうせーしゅ

 注射のとき泣かなかったのが、よほど心に残っているのだろう。みこりんはお風呂の中で、何度も何度も注射の痕を示しながら「よぼうせーしゅ、したんだよ。なかなかったよ」とお話してくれた。“予防接種”という言葉を教えてやったら、即座に学習してくれたのも心強い。ほんとは“はしかの予防接種”と教えてやったのだが、自分で省略形にしたようである。丸暗記するより、高度な技かもしれない。

 最近は、反抗期の兆しもあり、すっかりおねえさんっぽくなってゆくみこりん。鼻歌で、メロディーラインに乗せて本来の歌詞ではなく、「ちゅっちゅっちゅ〜」などと歌ったりもするし、幼児の能力は私の予想を遙かに超えている。もっともっといろんな事を体験させてやらねば。


2000.3.17(Fri)

豹変の妙

 迎えのクルマに乗り込むと、みこりんがパジャマを着ているのに気が付いた。私を見るなり、みこりんは「お茶ちょーだぃ」と手を伸ばす。私が会社の行き帰りに、“マイ茶入れ”を持参しているのを覚えているのだ。

 よほど喉が渇いていたのだろう。ごきゅごきゅと音が聞こえそうなくらい一気に飲み干しにかかるみこりん。普段こんなにお茶を飲まないので驚いていると、すでにお風呂にも入ってきたのだとLicが教えてくれたのだった。なるほど、それでパジャマなのか。風呂上がりで、エアコンの温風を浴びれば喉も渇くに違いない。
 しかも晩御飯まで食べてきたというのだ。保育園からの帰りに、自ら「ご飯食べて、お風呂はいらなかんねぇ」と要求したというので、さらにびっくり。いつもはすぐ「お菓子!!食べるっ」の、みこりんなのに。いったいどうしてしまったのか。こんなに良い子で大丈夫なのか!?ほんとにこれは、みこりんなんだろうか。じつは違う“みこりん”では?

 そういえば……、そういえば、思い当たることがある。数日前のことだ。夜、みこりんが“駄々っこモード”爆裂中。“あー言えば、こう言う”の言い伝えどおり、言葉で鎮めることは不可能に思えたその瞬間、みこりんは突然スイッチが切り替わったかのように、まるで次元の狭間でみこりんだけが“別のみこりん”に入れ替わったかのように、それまでの不機嫌をまったく忘却して、にこやかに語り始めたのだ。あまりに唐突、恐ろしいまでの不自然さ。目の前で起きたことを把握するのに全力を傾けねばならないという事態は、こんなにも日常のさなかに潜んでいるのか……。おぉぉ、スペクタクル!

 あるいはみこりんの中に、みこりんα、みこりんβ、みこりんγ、etc...という具合に、複数の魂もしくは人格が宿っていたりして。ありがちな設定としては、みこりんがじつは三つ子として誕生したものの、胎内で他の二人が消滅してしまい…、というのもある。もっと飛躍すれば、幼児期の自我はいまだ一本にまとまってはおらず、常に曖昧模糊とした状態で多重自我が同時に存在しているのだ、とも考えることができる。成長するにつれて、もっとも適した自我が生き残るというわけである。

 このあとみこりんは、私が晩御飯を食べてる最中に、いつもの“駄々っこモード”を発動してしまい、“良い子”のみこりんは消滅したようである。将来、どんな自我が確立しているのか、怖いような待ち遠しいような、ちょっと複雑な心境。


2000.3.18(Sat)

連休初日

 もはや“春”といっても少しもおかしくないほどの、優雅な一日の始まりであった。ところが、私はそんな陽気とはうらはらに、喉の痛みとずきずき響く頭痛で、やや気分も落ち込み気味。昨夜はやたらと冷え込んだのだ。気温変化に体がうまく適応できなくなってきたらしい。
 それでも太陽を浴びながら、鉢植えや花壇の植物たちに水などやっているうちに、体内に巣食った悪いものどもも一掃されたようである。有り難いことだ。

 みこりんと手分けして水やりを終え、玄関で靴を脱いでいると、Licがたいへんな情報を持ってきた。なんとピーコがしゃべった(ような気がする)というのである。ピーコとは、我が家でもっとも古くから飼っている手乗りセキセイインコ(メス推定7歳)のことだ。言葉を積極的に教えなかったこともあり、これまで一度もインコ語以外で話すことはなかったのだが。
 ピーコもついに妖獣の領域に入って行くのか。いまに尻尾が九つに分かれたりするに違いあるまい。頼もしいことである。
 夜、リビングの隣りの部屋で寝かすようにしたのが功を奏したのかもしれない。リビングの隣りならば、寝ている間も様々な会話が聞こえていることだろう。ちょうど睡眠学習のように、思わず覚えてしまったのではなかろうか。どんな感じに話すようになったのか、ぜひとも聞いてみたいものである。

 午後、Licとみこりんがお買物に出かけたあとは、せっせと水槽の苔掃除。まだ日のあるうちにと、早めに切り上げ、再び庭でデジカメ片手に植物の生長を記録する。先週より、確実に動きがわかるのは楽しいものである。花桃やプラムなど、木々の動きも活発になってきた。

 菜園の聖護院大根と人参を、それぞれ1本ずつ収穫する。人参はひょろひょろだったが、大根のほうは聖護院らしく丸く太ってほっと安心。デジカメで激写してから台所に持っていく。ついでに小腹がすいたので、何か食おうと思ったらタイミングよくLicとみこりんが戻ってきた。一緒に、遅いお昼ご飯を楽しむ。

 食後は庭で雑草取り。みこりんもお手伝いしてくれた。私が軍手をしているので、真似がしたいみこりんは自分のキティちゃん手袋を持ってきて装着。汚れをものともせず、果敢に固い地面と格闘を始めている。
 菜園の人参を、みこりんにも1本収穫してもらうことにした。人参がどこからやってくるのか、ぜひ覚えておいてもらわねば。みこりんに「人参抜いて」とお願いしてみたところ、「これ?」と地上の葉っぱを指差し、先っぽの葉っぱを少々ちぎってくれたのだが、やはり人参が地下にあるとはわからないらしい。「人参」という単語に怪訝そうである。この葉っぱがどうして“人参”なのか、混乱しているようだ。
 とりあえず根元を握らせて、一緒に抜いてやる。最初みこりんは、何が抜けたのかわかってないようだった。立派な葉っぱばかりに目がいってしまうのだろう。肝心の根っこ部分は、今回もひょろひょろだったし。「これなぁに?」とかろうじて人参とわからなくもない根っこを指差してみて、初めてみこりんも手にしたそれが“人参”であると認識してくれた。ようやくみこりんにも記憶にある“人参”と、自分で収穫した“人参”が一致したようで、意気揚々とLicに持っていってくれたのだった。明日は聖護院大根を収穫してもらうとしよう。今日の作業はこれでおしまい。伸ばした腰を、ぱんぱんと拳で軽く叩く。

 夕刻の空を、時告げのメロディーが渡って行った。午後6時の時報である。こんなにも明るいことに、感動する。たしかにもう、春がそこまでやって来ているのだ。

変わらないもの

 『トップをねらえ!』最終話を見終えた瞬間、おだやかな満足感に包まれている。今月はSkyPerfecTV!のキッズステーションで、全話放送が組まれているのだ。もちろん私はテープとLDで持ってはいるのだが、何度見ても飽きることはない。いまだこれを越える作品を、私は知らない。
 こんな夜には、BGMもそれ相応のものにしなければ。南佳孝の『冒険王』。やはりこれしかあるまい。

 学生時代、おんぼろ下宿の四畳半で、溢れる言葉を激しくワープロに撃ち込んでいたときにも、このアルバムが夜明けまでリピートされていたものだ。将来のことなどこれっぽちも想像できずに、もがいていたあの時代。そばにいてくれた彼女の面影は、もはや幻のようだ。
 あの頃と同じように、今もコタツの上でキーボードを撃つ私の向こうには、Licがいる。10年以上の時が流れて、音楽だけは変わることなく。さらに10年後、どんな自分であるのか、昔よりはわかったような気になりながら。


2000.3.19(Sun)

佃煮の食べ方

 休日の常で、今朝もみこりんが真っ先に目覚めたようである。Licは、花粉症でダウンしているもよう。苦悶の表情で寝入っているので、そのまま寝かせておくことにした。

 みこりんにベーコンエッグを手伝ってもらい(生卵を割ってくれるのだ)、朝食の準備を5分ですませて、二人で一緒に“いただきます”。一昨日、Licの実家から到着したイカナゴの佃煮も、みこりんの強い要望で皿に盛っておいたのだが、あっというまに食べ尽くしそうな勢いでがっついていた。よくも佃煮だけを食べ続けることができるものである。辛くないのだろうか?白ご飯も口に入れてごらんと勧めてみたのだが、「いま“いかなご”食べとるで、ごはんはあとでね」なんて言われてしまった。どうやらみこりんは、佃煮を白ご飯で食べる旨さを未体験のようである。これは教えてやらねばなるまい。

 佃煮が口に入っている間は、一切他のものを受け付けないとなれば、同時に食べさせればよい。白ご飯を佃煮の皿に箸でつまみ入れると、みこりんも興味を惹かれたようである。さらに、ご飯に佃煮をまぶせると、みこりんの大好きな“フリカケ”そっくりになったのですっかり食べる気になってくれたのだった。
 その渾然一体となったものを噛みしめ噛みしめしているみこりんに、「どう?」と感想を求めてみれば、「あまーぃ!!」との返事。この場合の“あまい”とは、「甘いわ、このうつけ者めっ」の“あまい”ではけっしてない。「あまーぃお菓子」の方である。佃煮単独では、単調で濃いだけの辛さも、白ご飯と一緒ならばじつに繊細な味わいの変化を感じることが可能だ。みこりんにもそれが実感できたのであろう、これ以降の佃煮は、すべて白ご飯と一緒に食べてくれたのだった。

獲物

 午前中はいい天気だったのに、お昼のチャイムが団地に響く頃にはすっかり曇天、雨の気配が忍び寄る。今日は庭の雑草を抜く予定だったのだが…。降ってくるまでにやってしまおうと取りかかったら、とたんにぽつりと来やがった。悔しいのでそのまま作業を続行する。小雨だったのが幸いだ。
 西側の花桃の下から、東側の菜園付近まで、地面に這いつくばった爬虫類のように移動してゆく。たちまち大きなビニール袋がいっぱいになる。この時期の雑草は、柔らかく抜きやすいのが特徴だ。軍手をしているとはいえ、ほとんど手を傷つけないで作業ができるのはありがたい。

 やがてみこりんが現れた。小雨が降っているのでLicが帽子とパーカーを着せてくれていたのに、私が軽装なのを見て、自分も脱いでしまった。なんでも真似たい年頃なのだ。このままだとみこりんが“あめふらし”のように湿気てしまう。そこで、菜園の聖護院大根を収穫してもらうことにした。なにか目的を達したならば、満足して部屋に戻っていくだろうとの読みである。
 昨日の人参同様、みこりんは大根がどのようにして生えているのかわからなかった。「どこ?どこにあるの?」と探している。大根は、地面から3cmほど首が見えているので、よーく観察すれば発見できるのだが、地面の中にあるとは予想もしていないのだろうか、どうにも見つけられないようだった。雨の降りが、やや強くなってきたので、少し覗いている“首”をそれとなく気づかせてやったところ、合点がいったようである。人参のケースを当てはめて類推したのだろう、今回はちゃんと株元を握って抜きにかかってくれた。

 ところがみこりんがいくら「うんうん」力を入れても、大根はびくともしない。丸くなるタイプの聖護院とはいえ、土中に10cm以上根を降ろしているのだ、幼児の手には少々余るようである。そこで童話『大きなカブ』のように、私も一緒に手をかけて引っ張ることにした。垂直にそのまま引いても、抜けはしない。左右にぐいぐいねじっておかねば。
 やがて、ずぼっと大根が抜けた。みこりんはいたく感動しているようである。ため息のような、満足げな声を上げた。自分の獲物を舐めるように見やったあと、再びみこりんは視線を菜園に転じていた。さっきの畝には、あと一株大根が残っていたのだ。これを抜かねば収拾がつきそうにない。仕方あるまい。今夜は“でこん鍋”としよう。

 みこりんは私がやったのと同じように、株を左右にねじってみたのだが、やはり独力では無理であった。今回も私が手を添えてやって、無事収穫完了。私に獲物を1つ手渡し、勇んでリビングへと向かうみこりん。雨がまた一段と強くなってきたので、私の雑草抜きも小休止である。

桜の木の下で

 夕方、雨はまだ降り続いていた。それでも、雑草抜きが中途半端になっては落ち着かないので、思い切って庭に出た。幸い、服の上からは感じられないほど弱い雨だったので、このまま作業を再開した。

 東側の庭には、“枝垂れ染井吉野”が植わっている。この家が出来た年の春、通信販売で苗木を購入して植えたのだ。庭に桜を植えるのは邪道とされるのだが(桜は密集して咲いてこそ真価を発揮するとか、大木かつ根が強大なため庭で育てるには向かないとか)、このときの私はそんなことなど構いもせずに、春の桜吹雪に思いを馳せていたのである。
 6年目の今年、ようやく枝という枝に、花芽がつくまでになってくれた。去年はまだ咲かなかったのだ(秋に季節外れの狂い咲きで、2つ3つ、花がついたけれど)。ついに庭で桜吹雪を見ることができるかもしれない。まぁ、所詮は狭い庭植えなので、せいぜい幅が2m、高さも2mほどでしかないのだが、夜の桜に言い知れぬ魅力を感じる私にとっては、満足すべき結果なのである。

 この桜の足元の雑草は、枝垂れた枝がバリケードとなって、去年まではそこだけ雑草の解放区のようであった。でも、今年は“雑草対策強化年”なのだ。解放区にも手をつけねばなるまい。根のしっかり張った夏草には容易に手は出せないが、早春の今ならば、なんとかなるのではなかろうか?予感は的中し、順調に雑草を仕留めてゆく。雨加減も味方していた。湿気た土は、ほどよくほどけてさらに雑草を抜きやすくしてくれるのだった。

 気配を感じて顔を上げれば、みこりん登場。私のしゃがんだ場所まで来ようとしたが、桜とプラムの枝が遮断機のように“とおせんぼ”。立ち往生したみこりんが「あーけーてー」と言うのが、そこはかとなく可笑しい。だが、それは無理な相談である。みこりんには、ハイハイしておいでと声をかけておいた。
 帽子が枝にひっかかって怒ってたけど、無事、みこりん到着。一緒に雑草を抜いてくれたのだった。

 さてこの雑草、どうしたものか。ものの本によれば、雑草をうまく堆肥化する方法や、液肥とする方法などがあるようだ。去年までならこのまま乾燥させて草木灰というところだが、たまには違う方法も試してみようと思う。野菜屑などの生ゴミも、いい感じに溜まってきていることだし。ありがちなコンポスト(好気性発酵)を使う方法よりも、ちょっと趣向を変えて嫌気性発酵に挑戦してみようか。失敗したら、そのまま土に埋めてしまえばいい。化学の実験のようで、なにやら楽しげな予感。


2000.3.20(Mon)

穴掘り

 午前中は、穴を掘って過ごした。なぜ穴掘りしているかといえば、雑草の堆肥化のためである。嫌気性発酵を、この穴の中で行わせるのだ。
 シャベルを固い地面に突き立て、ぼこっと掘り上げるたびに、そばで見ていたみこりんが「すごーぃ!おとーさん、すごーい!!」と歓声を上げてくれるので、つい余計に掘り進んでしまった。深さにして60cm、もはや底の土を取り出すのさえ困難である。このへんでやめておこう。で、みこりんはといえば、ちゃっかり掘り出したほくほくの土を使って“粘土遊び”の真っ最中。“ままごと遊び”も混ざっているのかも知れない。何かを一生懸命“料理”しているようだった。

 それにしても、今回は穴掘り作業が恐いくらいラクだった。みこりんの応援のせいばかりとも思えない。シャベルのコツが、わかってきたのだろうか。昔のように、ただ力任せにするのではなく、力加減とか、バランス感覚とか、いつのまにか体が勝手に最適なように動いている。がむしゃらに全力を出し続けられるほど、体力がなくなってきたのが最大の要因だったりして。

新たなる開墾

 再び桜の木の下である。今日は土の中にある、石ころの撤去だ。このあたりは、日当たり最高、風通しよく、植物を育てるには絶好のポイントなのである。活用しないのは罰が当たるというものだ。

 ランナーでいつのまにか殖えまくっているイチゴを傷つけないようにしつつ、土を掘る。砂利というよりは、岩のようなやつがごろごろしてる。手にしたスコップが、てこの原理をもろに受けて、ひん曲がってしまった。こいつはちょっと厄介かも。

 みこりんがウッドデッキにたたずんで、こちらを観察していた。今日はお手伝いしてくれないのかな?と思っていると、みこりんは「かーさん、どこにもおらん」と半泣きなのだった。Licはたしか2階で本を読んでいたはずでは?と聞いてみたところ、探したけど見つからないのだそうな。こんな天気のいい日には、花粉も大量に舞っていることだろう。Licが屋外で活動できるとは思えない。きっと家の中にいるはず。みこりんの厳しい捜索の手を、どうやってかわしたのか。みこりんが先ほどから気にしている、家の中から聞こえているらしい“ちいさな物音”というのが、謎を解くヒントにになりそうである。

 とりあえず今は、みこりんにこちらのお手伝いをやってもらおう。Lic探しは、あとまわしだ。去年から、これはぜひみこりんにやらせたいと思っていたことがある。それはイチゴの植え替えだ。この桜の木の下で、一大勢力を形成しているイチゴの群れを、もっと手前に寄せるのである。春、イチゴがたわわに実ったとき、みこりんが“宝捜し”しやすいように。
 奥でかたまって生えていた5株ほどを掘り起こし、みこりんに植え替えしようと話し掛ければ、案の定すぐに興味を示してくれた。もどかしげに靴を履き、庭へと降りてくる。スコップで軽く穴を掘ってやり、どうやって植えればいいかを話してやると、なかなかいい感じに植え替えてくれたのだった。これまでに私がやってきたことを、よく見ていたのだろう。手つきもなかなか堂に入っている。今年は、他にもいろんな植物をみこりんと育ててみようかと思う。

 そろそろ午後のおやつの時間だ。石掘りももうじき終る。ものすごい量の石が埋まっていた。1メートル×2メートルの範囲が、10cmほど地盤沈下してしまうほどのすごさである。また土を買ってこなければ。そうして、春になれば何か野菜でも植えよう。

 みこりんが私を呼ぶ声がした。Licが見つかったらしい。どうやらLicは、座敷でこっそり雛人形を仕舞っていたようである。意外に見つからないものだ。狭い家だが、みこりんと“かくれんぼ”するにはまだまだ十分なのかも。

99円

 夕方、買物に出る。ホームセンターで、ストレプトカーパスの植え替え用にミリオンAと新しい鉢、そして今日開墾した場所に入れる培養土3袋、それに安売り中の赤玉土3袋に、鶏糞1袋などを購入。レジのバイトの女の子が、妙にぎこちない動作なのが印象に残った。慣れてないのが一目瞭然、もしやこういうレジ打ちは始めてなのかもしれない。くっきり眉毛の整った顔立ちなのだが、間違わないように一生懸命なのか顔の表情が強ばっていて、かなりもったいないことになっていた。あと2週間もすれば、余裕の笑顔が出るようになるよと、心の中で応援しておく。

 帰りにみこりんの好きなマーゴで、食材の物色。1尾99円均一で、ヒメアジ、ニジマス、カマスなどが売られていたので、カマス4匹を買う。カマスといえば、食人魚バラクーダを思い出すが、売られていたのはどれも30cmサイズの小ぶりなやつだ。内臓をにゃんちくんにやろうと思ったが、これでは満足な量はとれないかもしれない。まぁオヤツ程度にはちょうどいいけれど。

 夜、カマスをさばく。みこりんが踏み台に乗って覗き込んでいたので、生物の解剖実習よろしく、腹を裂いて内部をじっくり見せてやることにした。内臓がどんなものかみこりんにはまだ理解できないだろうけれども、反応を見ているとそれなりに刺激はあったようである。ただ本当は、生き物を食すということは、こうした“死”があってこそなのだと、だから残さず食べるのだと、そう教えたかったのだが、まだ少し早かった模様。しっかり残されてしまった。
 今回は塩焼きにして食べたが、キスのようなあっさりした味だった。軽く醤油をかけてやれば、もっと風味が出たかもしれない。にゃんちくんには、内臓と頭と尻尾を茹でてやってみた。頭は食えまいと思ったのだが、やはり猫である。しっかり半分ほど齧って食べていたようだ。

 食後、みこりんが私の両手をつかんで、足から腹へと足をかけ、ぐるんと宙返りしてみせてくれた。な、なんということ。こんな高等な技を、いとも簡単にやってのけるとは。保育園で練習してるのだろうか?それとも今夜偶然できたのだろうか。少なくとも私は教えていない。みこりんが独自にあみ出したのならば、たいしたものだが。


2000.3.21(Tue)

RCモビルスーツ

 『ザクにCCDカメラを搭載するバンダイ』(「東京おもちゃショー2000」での出典作品より)

 どんな感じに2足歩行するのか、はやく実物を見てみたい。脚部は、ほとんど本物(っていっても、もとがアニメーション作品ではあるけど)と変わらないように見えるが、どんな制御則を使っているのだろう。HONDAのP3みたいな本格的な2足歩行を、5万円程度(予価)のオモチャには期待できないが、すり足ではなくて、ちゃんと歩行できるのだとすれば、たいしたものだ。

 ザクマシンガンでBB弾も発射可能というからには、モノアイに装着されたCCDカメラの映像は、眼鏡タイプの透過型ディスプレイに投影されるのを希望したいところ。きっと改造するやつは、大勢いることだろう。で、ザク保有者が集まれば、たちまち模擬戦の勃発だ。ザクの他には、ガンダムとかガンタンクの名前も挙がっているが、全MSがラインナップされるのは時間の問題と思われる(ほんまかいな)。製品化されなくとも、その筋のマニアが自作するだろう。そうなってくると、野山や廃ビルなどでは連邦とジオンの戦闘が、週末ごとに繰り返されることになるにちがいない。
 ラジコンに飽きたらず、制御コンピュータを搭載もしくは無線接続して、外界認識、ルートマッピング、障害物回避等々のアルゴリズムを組み込み、フルオートで動かすやつも出現するのであろう。2足歩行メカニズムのプラットフォームが与えられれば、改造せずにはおれないはずだ。そのうちノイジーなCCDカメラの映像だけを頼りに、野外認識をさせるような強者が登場すれば面白いことになる。ぜひ、バンダイにはザク・コンテストを開催してもらいたい(別にバンダイが開催しなくてもいいけど)。“人型不整地用”ロボット技術開発のオープン化に、これほど効果的なネタもあるまい。アマチュアには、プロが手がけるような高価なロボットは無理だが、安価なオモチャ(プラットフォーム)を基本とすれば、いくらでもアイディアを実現できるだろう。機構系の研究開発ではなく、視覚・聴覚・思考などのアルゴリズムは、メカ部分がオモチャであろうと、特注品の高価なブツであろうと、さして重要な違いにはならないのだから。というか、安価に実現できるようなものでなければ、あまり意味がないともいえる。

 このような妄想が現実のモノとなるかどうかは、ひとえに2足歩行の完成度次第。どこかに動画は公開されてないかな…。

お人形

 風呂上がりのヨーグルトを食べ終えると、みこりんの一日の活動はほぼ終了する。あとは布団にもぐって、絵本を読んでもらえば夢の中。寝室へと向かうみこりんの両手には、“ぽぽちゃん”(お人形)と“くまちゃん”(ぬいぐるみ)の姿があった。一緒に寝るつもりなのだろう。ほんとうならば、もう1体、ウサギのぬいぐるみがないといけないのだが、両手には余ると判断したのか。

 寝室に入ると、みこりんは枕の両脇にクッションを置いて、左側に“ぽぽちゃん”、右側に“くまちゃん”を配置。そしてうれしそうに真ん中に潜り込んだ。毛布を掛けてやったら、お人形たちがちょうどいい具合になるよう微調整して、満足げに絵本を待つみこりん。

 みこりんにとって、人形やぬいぐるみは、やはり他のオモチャとは別格なのだろう。ミニカーや風船と、一緒に寝てるのは見たことがない。その理由に、とても興味がある。形状だけのせいなのか、それとも、私の想像を遙かに超えたものがあるのか。確かめてみたい。


2000.3.22(Wed)

サイト自動更新ソフト

 去年あたりまでは、当サイトのファイル更新には“MirrorSite”を使っていたのだが、当初から、ローカルファイルの日付が勝手に最新日付に書き代わり、キャッシュ内容にかかわらず全ファイルを転送してしまうという不具合に悩まされていた。キャッシュを取り込み直しても、あいかわらずファイルの日付が変更されてしまい、全ファイル転送を始めた日には、イライラ度数も跳ね上がったものである。昨年夏あたりからこの現象があまりに頻発するのに加えて、バイナリファイルが転送後に壊れていることが多すぎて、MirrorSite の使用は中止した。登録料が無駄になってしまったが、毎回更新のたびにイライラするよりはマシである。代わりに NextFTP を使っていたが、これはサイト更新用ではなく純粋な FTPクライアントソフトなので、更新ファイルを1つ1つ手動で転送せねばならない不便さがあった。まぁそれでも日記ファイルの更新ならば、それほど苦にもならなかったので今日まで使ってきたわけだが、そろそろ大幅リニューアルを控えて、ちゃんとした自動更新ソフトが欲しいということになってきたのである。

 以前、既存の自動更新ソフトを調べていたところでは、どうも自分の思うような機能のものが見つけられなかったので、今回は自作でもするかなと半ば諦めて、ソフトウェア設計を始めて1時間ほど。基本設計が終わった段階で、やっぱりもう一度、最近の動向を見ておくのもいいだろうと、Vectorの登録ソフト一覧を探っていて出会ってしまったのが、この“AutoFTP”である。

 素晴らしい。設計のために書き出しておいた機能のほぼすべてを網羅しているほか、私が作ろうとイメージしたものとほとんど違和感がないまでに、いやそれ以上に完成されたインタフェース。もはや私が一から作るまでもない。有り難く利用させていただくことに決めた。ただ、転送の可否指定にディレクトリも含めることができればよかったのだが。この点が、今後も継続して使い続けるかどうかの分かれ目になりそうだ。


2000.3.23(Thr)

春の嵐

 激しい雨が窓を打つ。唸り声をあげて、湿った風が吹く。今日は、午後から“春の嵐”が荒れ狂っているのだ。
遠くで電線がぶつかり合う音が、不気味に聞こえるのをみこりんが気にしている。“妖怪”が近くに来てるからだと、教えておいた。はたしてみこりんはどんな“妖怪”を想像したのだろうか。“よーかぃ”が来ては大変と、いつになくおりこうさんなみこりんであった。

“謎の爆撃機”遊びやら、“ハイパー高い高い”遊び、でんぐり返り遊び、回転遊びなどを、みこりんと一緒に息が上がるまでやった。これだけ運動すれば、あっというまに寝てくれるだろうと思ったのだが、甘かった。みこりんは暗がりで聞こえてくる、嵐の音が気になってしょうがないらしいのだ。雨粒の音も、電線の鳴る音も、どれもこれも“よーかぃ”の仕業と思ってしまったのか。一生懸命、小さな瞳を閉じているのだが、ふっと気になるのか瞼を開いてしまうみこりん。そうやってまんじりともせず朝まで過ごすのでは、、、。

私も一緒にうとうとしていたようだ。はっと気が付き、枕元の時計を暗がりで見やれば、すでに一時間経過。みこりんは寝てくれただろうか?寝顔を注意深く観察する。瞼の奥で、瞳は動いていないようだ。ためしに、かさこそ音をたて、小声で「みーこりん」と囁いてみたが、微動だにせず。もう大丈夫だろう。起きあがり、寝室を出た。

 今宵は久しぶりに『スーパーロボット大戦F』でもやろう。『スパロボα』が出るまで、気分を盛り上げておかなくては。というわけで、セガ・サターンを起動してみれば、日付設定が初期化されていた。最近、サターン使ってなかったからなぁ。起動が遅い…。つい、『スパロボ64』と比較してしまう。
気分一新で、主人公の設定から始めることにした。と、ここで蚊の泣くようなもの悲しげな声が・・・。みこりんだ。みこりんが泣いている!。寝室と、リビングには、ワイヤレスの音声モニタ装置を装備してあり、そのスピーカーから漏れてくる音によって、みこりんの動向を察知することができるのである。

みこりんは、布団に埋もれるようにして泣いていた。それはそれは寂しげな声である。真っ暗闇の森の奥深くに、独り取り残されたことに気づいたような、そんな泣き方だった。嵐はいまだおさまらず、その音に怯えて起きてしまったのだろう。今度もなかなか寝付いてくれない。寝たかなと思って、そろっと立ち上がると、ぱちっと目を開けて、こちらを見るのだ。しかも、無言で。もはやこのまま朝まで寝てしまおうか、と思ったとき、Licが代わりに来てくれた。おぉぉ、助かった。みこりんには「お茶を飲んでくるから、ねんねしててね」と言い残して、スパロボの続きにとりかかるのだった。

 さて、今回のスパロボは、女性キャラ中心で攻略するとしよう。やることいっぱいある時に限って、次々やりたいことが出てくるのも困ったものだが。


2000.3.24(Fri)

嵐が去って

 平日だというのに、今朝はみこりんが一番早起きだった。目覚ましをセットしてある午前7時30分には、もう、活動していたのだ。そして、鳴り響く目覚ましをモノともせず寝入る私を、起こしてくれたのである。
昨夜は嵐の音を気にしてなかなか寝てくれなかったが、みこりんの表情からは“よーかぃ”の恐怖など微塵も感じ取れないほど、颯爽と輝いている感じ。空模様は、ダークな雲がゆったり流れていたりしてまだ怪しげだが、嵐のことはすっかり過去の出来事なのであろう。

眠たい私が(スパロボやってて結局寝たのは午前3時)起こされてもなお、まどろんでいると、みこりんがとうとう布団に潜り込んできた。夢うつつに、たくさんおしゃべりしてくれたのをかすかに覚えているが、今朝のことだというのにはや記憶は曖昧だ。何かみこりんが重大な発見をしたような気がするのだけれど、どうしても思い出せない。「あっ、そうだ!」と、みこりんが言ってたはずなのだが。そのあと、なんて言葉が続いたんだっけ…。

 いつもより、少し早起きできたので、庭の花壇を眺める余裕があった。大好きな黄色のラッパ水仙が、一輪開ききっている。あとに続くものも、たっぷりの蕾がいまにもほころびそうだ。青いサクラソウが、ぐぐっと花茎を伸ばし、今にも咲きそうな気配。去年の日記(1999年3月25日“春ららら”)によれば、去年の今頃にはすでにコブシの花が満開になっていたらしい。今年のコブシの花は、まだ一つも咲きそうにないのが少し気になる。蕾はあるのだけれど、先日、中身がかさかさに枯れているのを見つけてしまったのだ。無事、咲いてくれるといいのだが。花桃の蕾は、すこーしだけ桃色の花びらが覗くようになった。まだ開花には4〜5日かかりそうな気配。今年の冬は暖冬…、だったはずなんだが。この分だと、桜の開花も遅れるのかもしれないな。

マウスの形

 会社で使っているマウスが、ボタン部分の接触不良を起こすようになったので、新しいのを注文していたのだが、なんとか今期中に間に合ったようで昨日到着した。今度のはホイール機能の他に、任意の機能が割り当て可能な3つのボタンが追加されているタイプである。つまり全部で5つのボタンが備わっているのだ。“Enter”“ESC”“ウインドウを閉じる”を割り当ててみたが、“Enter”は無意味と判明したので、別の機能と入れ替える予定。

ところで今回のマウスは、若干サイズが大きめだった。そのため底面の接地面積が増えてしまったことが、思わぬイライラの原因となってしまったのだ。作業用の椅子と机の高さバランスが悪いため、どうしてもマウスを持つ手の肘の位置が、机よりも低くなってしまうので、しゃくっているうちにボールが離れてしまうことが多くなってしまったのである。マウスが手の中にすっぽりおさまるサイズならば、手とマウスの間に“遊び”が存在するので、さして支障はなかったのだが、今度のはぴったりフィットである。前後左右に手を動かして、水平面を維持し続けるなんて芸当は、なかなかに難しい。マウス本体の長さにして、わずか1cmの差だが、あまりに大きな違いであった。

 ここでふと思ったのだが、マウスのボールはどうしてあんなにちょこっとしか顔を覗かしていないのだろう。あれがせめて半分くらい出ていれば、つまり、回転部分と底面との間にもっと余裕があったならば、前後左右の傾きにも相当柔軟に対応できるのではなかろうか。そう、球形のマウスってやつだ。
現在一般的なマウスは、底面全体で傾かないように支えている。子供の自転車でいうならば、補助輪付きのようなものだ。あれは低速時にはラクいが、ちょっと過激な機動をすれば、たちまち横転の危険が待っている。補助輪をとっぱらえば、かなりアグレッシブな運動にも対応できる…。マウスにも、こんなタイプが登場すれば面白いのに。

さすがに一輪車状態では、操作性に難ありかもしれないが、球状のタイヤを3つか4つ装着し、各部にはもちろんサスペンション装備とする。これによって少々の傾きも苦にならないはず。
まずは試しに一輪車状態のやつを、作ってみようかな・・・などと思ったのだが、メーカーがこんなことを考えないはずはないので、きっとどこかに重大な落とし穴があるに違いあるまい。うーん、何だろう。やっぱり実験してみないとわからない、かな。


2000.3.25(Sat)

セントポーリアの治療

 妙に静かなので目を覚ますと、すでにお昼前だった。Licとみこりんの姿が見えない。保育園にでも行ったのだろうか。庭に出て、静かな空気を堪能してみる。空は晴れ。でも、ときおり小雨がぱらつき、突風が吹く。一時も落ち着かない天気のようである。太陽が射し込んでいる間に、花壇の花々を激写しておこう。
 たまった洗濯ものを干したり、セントポーリアに水などやっていると、二人が戻ってきた。みこりんが何だか機嫌がよい。昨日の夜、Licが約束していた“ぽぽちゃんのおんぶひも”が完成したのである。さっそく“ぽぽちゃん”をおんぶして、かいがいしく世話をしているようす。

 さて今日は何をして過ごそうかな、などと考えつつ水やりをするうち、気になることを見つけてしまった。ワーディアンケースに並んだセントポーリアのうち、いくつかの株で中心部の若芽が消滅しているのだ。外葉が枯れるのは老化現象だが、生命力溢れる中心部となると、これは見過ごすわけにもいくまい。原種にはそれほど被害は出ていないが、園芸品種のほうがまずいことになっている。調査ついでに株の整理をしよう。

 サンルームを作業エリアにして、植え替えセットを並べていると、みこりんが当然のように寄ってくる。こういう細々としたアイテムや“土”の類を、みこりんが放っておくはずがない。しきりと何をするのか、これは何かと、聞いてくるので、手伝ってもらうことにする。花への興味を倍増させる、よい機会だ。
 みこりんが見つめる中、私は問題の株を手に座り込み、検分を始めた。中心部の葉っぱが、きれいさっぱり枯れて萎縮していた。しかも普通の枯れ方ではない。何か悪い菌にでも侵された感じだ。黴びるように、すかすかに小さく縮んでいる。先週はこんな状況ではなかったはず。最近、気温が上がってきたので、一気に雑菌の活動も盛んになったということか。

 とにかくこのままでは患部は全体に広がってしまう。切除するしかあるまい。ナイフでかなり深くえぐって、取り除いていると、奥の方に新芽を確認。脇芽ではなさそうだ。自ら患部を避けて、新しい部位に中心部を移動させたかのような感じ。その芽を傷つけないようにして、枯れた部分を取り去った。傷口に、ハイフレッシュをまぶしておく。根の様子も確認すると、こちらはほとんど痛んでいなかった。この分なら早晩、復活してくれることだろう。根にもハイフレッシュをまぶし、ミリオンAを敷き直して、土を少々入れ替える。みこりんも、小さなスプーンで一緒に土をかけてくれた。1つ終了。

 おぉ、忘れるところだった。ミリオンAが豊富なうちに、ストレプトカーパスを植え替えしておこう。鉢が大きいので、みこりんにも手伝ってもらいやすいし。
 鉢の形に垂れ下がった姿が固定しつつあったので、大きな鉢への移動は枝を折りそうで冷や冷やものだったが、なんとか植え替え成功。根が浮き上がりそうなので支柱を立てておく。ここでLicがみこりんを呼びに来た。お買い物に行くという。最初みこりんはお手伝いしてると言ってたのだが、2度目にLicが声をかけたときには、ころっと“お買い物”に転んでしまった。しょうがない、あとは独りでやろう。

 病気株、2鉢目。じっと中心部を観察する。持つ手が一瞬こわばった。何かが蠢いていたのだ。中心部で、にゅるっと何かが…。透明な線虫のようなヤツだった。長さにして1cmほど。太さは、0.5mm程度だろうか。枯れて縮んだ部分を、食ってる感じだ。そこまでを記憶したあとは、ばっさり患部ごと虫を取り除いた。切り口にハイフレッシュ。これも根は健康そうだ。同様の処置をしておく。

 原種の方にも、よーく見るとやばそうなのがあったので、早めに対処。あとで殺菌剤と殺虫剤を噴霧しておかねば。
 原種“コンフューサ”が、開花していた。去年の夏、創生園で通販で購入したものだ。花びらの裏側との色の対比が面白い。表面は濃い紫なのだが、裏側が白っぽい淡い色で、なおかつ少し反り返っているので、2色咲きのようにも見えるのだ。我が家の他の原種達の花とは、かなり趣が違う。花がまだ未熟だからかもしれないが、残りの蕾が開花するのが楽しみである。

おもちゃ箱

 夕方、今日こそはみこりんの部屋を片づけることにした。みこりんが生まれてまだ2年と半分。持ち物といっても、ほとんどがオモチャなのだが、本格的なやつよりも、雑多な、どっちかといえばガラクタに近いようなものが大量に散らばっている。何の生物だかわからないような怪しげな人形とか、オマケの類、壊れたオモチャの一部、紙屑などなど。

 使用頻度を考慮しつつ箱に詰めていると、みこりんが乱入してきた。普段は目もくれないくせに、こうやって片づけ始めると急にソレで遊び始めるのは、あらゆる子供に共通の仕様なのか。捨てるわけにもいかず、かといってみこりんが全然アクセスできないような収納の仕方もまずい。やはり1つの箱になんでもかんでも放り込んでおくのが最善と思えた。古来より“おもちゃ箱”とは、そういうものなのだろう。

 か、片づいた。整理する必要がないってのは、片づけをものすごくラクにしてくれる特効薬だな。これで我が家に残された“未片づけ領域”は、残すところ寝室の一部のみとなったのである。

スパロボF続き

 午後は、急に雨足が強くなって、寒風が吹き荒れていたのだが、なんと夜半には粉雪まで舞ってきた。寒の戻りってやつだろうか。せっかく花壇が春仕様になってきたのに、被害を受けなければよいのだが。

 さて、今夜もスパロボFの続きである。ゲッターロボが、なぜか今回大活躍。OVA版『真!ゲッターロボ』を見たせいなのか。他の機体をさしおいて、装甲、運動性などMAX値まで改造済み。メインに使うのはゲッター2。
 アムロやジュドー、ダバなどのエース級はほとんど活躍させず、クリスやエマさん、アムにエル、ファといった面々が最前線だ。強力な機体がほとんど揃っていない段階なので、進捗率はかなり低い。5時間ぶっ通しでやっても、まだ第8話だ。はたしてαの発売日(春頃としか発表されてないけど)までに最終話にたどり着けるだろうか。


2000.3.26(Sun)

聞き分けの良い朝

 今朝もまた、洗濯物を干すことから始まる。カゴをかかえてサンルームへ向かうと、みこりんがちょこちょこついてきた。一緒に干したいのだろう。「これ、みこりん干すで、おいといてね」なんて言いながら、自分の靴下をカゴから取り出している。でも、タコハチハンガーには、どうやっても手が届かない。手にハンガーを持たせてやると、今度はうまく洗濯ばさみで掴めない。みこりん困った。ついにデッキの上に置いて作業を始めるかと思われたので、みこりんでも手が届く位置に、ハンガーを長いヒモで吊ってやることにした。これなら背伸びしなくても手が届くし、両手が使えるのでみこりん楽々。私も作業を邪魔されないので、大助かり。もっと早くにこうやってればよかったなぁ。

 洗濯物干しが終わると、昨日開花してたセントの撮影。みこりんが太陽の方角から覗き込んでいたので、「影になってるから、こっちおいで」といえば、今日は素直に聞いてくれるではないか。いつもは頑として動こうとしないのに。
続いてストレプトカーパスの撮影。みこりんが三輪車で遊び始めた。ところが背景に写り込んでしまう!今度も「入ってるから、こっちおいで」と言えば、あっさり移動してくれた。ど、どうしちゃったのだみこりん。しかも移動先でもまだ写り込むので、「撮り終えるまで三輪車をどけておこうね」と言ったら、これまた素直に待っててくれるし。恐いくらい『イイ子モード』なみこりんであった。

修理屋さん

 うっかり三輪車を庭に出したままだった。昨日は雨が降ったというのに、雪まで降ったというのに。Licに指摘されるまで忘れていたのだが、みこりんの三輪車は電子音とLED表示が可能な“ハイテク(ローテク)三輪車”だったのだ。むろん防水仕様なわけもなく、おそるおそる確かめてみたところ、沈黙をもって答えてくれた。まずい。ショートしたかも。

 みこりんも自分の三輪車がただごとではなくなったと察知してか、不安げな表情で見つめている。よろしい、治してあげよう。
『修理屋さん』の登場である。工具箱を持ってくると、みこりんに「治すからね」と宣言して、私は作業を開始した。穏やかなサンルームの日溜まりの中、ちゃくちゃくと分解は進む。みこりんが興味津々で手を出そうとしたが、「治るまで見ててね」と言うと、ちゃんと聞いてくれた。ほんとに今日はみこりん、聞き分けがよいなぁ。

 さて、分解を終えると、次は原因探求である。電子回路は、パッケージ化されていないLSIが1つ(コーティング材で覆われて、直接フラットケーブルに取り付けられている)と、トランジスタに電解コンデンサ、それに抵抗器が1つずつ。か、簡単すぎる。見た目異常はない。雨水でショートしてない限りは、スイッチ部の接点復活材による洗浄で大丈夫そうに思えた。
しゅぅぅっと洗浄。ばらした状態で接点を接続してみたところ、あっさり音が鳴った。おぉ、電子回路は無事であったか。残りの接点部分も洗浄して、組立直す。三輪車にそのモジュールを取り付けてみれば、わくわく顔のみこりんがスイッチを押して出来映えを…。「あれ?」。音は鳴らなかった。

 『OK!GO!』と、渋い野郎の音声が流れなければいけないところなのに!?ばらした状態では、確認できたのに。みこりんも不審そうである。「おぅけぃごぅ、いわんねぇ?」と、私の瞳を覗き込む。こ、このままでは『修理屋さん』の信頼にかかわる。私は、さきほどのモジュールを急いで取り外してみた。問題の箇所は、上下にレバーを倒すと、金属片の接点が片方に接触して回路が作動する部分である。ためしにラジオペンチでつまんで短絡させてみたところ、きちんと動作した。やはり接触不良か。接点復活材を、さらに念入りに塗布しておく。何度もスイッチを操作して作動するのを確認してから、再び三輪車に装着。みこりんに検査をお願いする。

 ところが今回も、やはり『OK!GO!』は聞けなかったのだ。おぉぉ、なんてこった。みこりんの目が、だんだん「どーでもいい」感じになりつつある。これはまずい。電光石火でモジュールをバラバラにして、接点部分を詳細に観察してみた。どうやらうっすらとサビが浮いて、うまく接触していないものと推測される。ヤスリが見あたらなかったので、ラジオペンチでがりがりやってから、動作確認。今度こそ大丈夫そうだ。
 このときみこりんは、Licに呼ばれてお料理の真っ最中。ホットケーキを作っているらしい。食い気が勝ってるときに、治ったとわかっても、あまり感動してもらえないだろう。私は今一度モジュールを三輪車に取り付け、スイッチを入れ音声が流れることを確認したのち、工具箱を片づけた。

 食後、みこりんに何気なく「OK!GO!言うと思うよ」と言ってみたところ、たたたっと確認に走ってくれた。サンルーム方面から、かすかに OK!GO! が聞こえてくる。何度も何度も。任務完了である。

本屋など

 午後、ホームセンターに殺菌剤を買いに出る。
 ついでに古本屋で物色。こんなものを買ってみた。

  • 『唯 登詩樹 作品集I』(作:唯 登詩樹)
    昔、いろいろ持っていたので、つい懐かしく…
  • 『トップをねらえ!NEXT GENERATION〜発掘戦艦アレクシオン編〜』(作:矢野健太郎)
    同じく、むかし小説版『トップをねらえ!NEXT GENERATION』を読んだことがあったが、あまり印象に残っていない。これはどんな感じになってるのか気になったので…

 次に、本屋へGO。ここでも2冊ほど買ってみた。

  • 『楽園物語1』(作:山口譲司)
    この人のは、無条件で買う。
  • 『園芸ガイド2000年4月号』
    これも無条件で買う。

2000.3.27(Mon)

ガレージ改造

 突然だが、明日からカーポートの設置工事が始まる。事前に開始日を教えてくれることになっていたのだが、今日の電話で、明日開始とは、年度末ゆえだろうか。
 工事にあたっては、ガレージから荷物をどかしておかねばならない。今夜が雨でなくて、ほんとうによかった。夕食後、ただちに撤去作業を開始する。

 まずはバイクを移動させねば。ガレージから直接庭へ乗り入れるのは不可能なため、人間と同じく門を通らねばならない。門扉は取り外せるが、問題は階段状の段差である。オフロードバイクならまだしも、オンロードでは少々まずい。何か板のようなものを、敷ければよいのだが。庭を物色していると、いいものを見つけた。簀の子である。お風呂用と押入用と、3枚もあった。庭へと乗り入れるルートを考えつつ、段差部分に並べてみる。なんとかいけそうな予感。

 エンジンをかけられないので、一気に勢いをつけて…。「うっ」曲がらない。予定したルートをトレースするには、幅が足りなかった。後輪が段差の途中に乗ったままなので、サイドスタンドを立てるわけにもいかず、立ち往生。男手がもう一人あれば、PHAZERの重量程度ならば“その場旋回”させることは可能だけれど、今は無理な相談である。仕方がないので、いったん後退。ルートを再検討することにした。
 左旋回がダメなら、右旋回はどうだろう。幸い、こちらのコーナー部分の奥は花壇となっており、最悪花壇に乗り上げても問題はない。簀の子を、新しいルートに設定した。

 Licがみこりんを抱っこして登場。みこりんがフェザーを指さし、歓声を上げる。みこりんはずっと気になってたのだ。ガレージで眠るバイクが、いつ目覚めるのかと。私は、フェザーを、ぐっと後方まで下げ、助走を始めた。一気に行かねば、簀の子もそろそろ限界のはず。
 左コーナーへの進入は、成功だった。だが、あと一歩で抜けるというときに、簀の子が断末魔の悲鳴を上げ、轟沈。がくんと、後輪が段差の下へとずり落ちる。もはや助走をつける余裕はない。全身の力をもって、引き上げなければ。腰を沈め、両脚をめいっぱい踏み込んで、腹筋、背筋、あらゆる筋肉を総動員する。視界が白くフラッシュしたような気がした。頭の隅の方で「出す時、大変そう・・・」という不吉な予感がよぎる。
 それでも、なんとか引き上げに成功したようである。出すときは出すときだ。行きと違って“下り”だし、なんとかなるだろう。不吉な予感を打ち消すように、自分を安心させておく。

 バイクさえ移動させれば、あとはどうでもいいようなモノばかり。ちゃっちゃと庭に運び込む。ネコの侵入防止用に、ガレージを囲うように張ったネットも外した。ここには新しくフェンスが付く。だが、なんにも囲いのない状態っていうのも、広々した感じでなかなかいいものだ。いずれ何十年後かに、再びここを改造するときの参考に、しっかり記憶に焼き付けておこう。


2000.3.28(Tue)

切り花

 花壇では、黄色いラッパ水仙が6輪ほど開花中だ。蕾のやつも入れたら30や40はありそうな感じ。植えっぱなしで6年間、7〜8倍への増殖である。
ここ数日、Licがこのラッパ水仙を狙っていた。みこりんに切り花として保育園に持って行かせようというのである。まだ開花が6つでは、切り花にしてしまうとなんだか寂しい。もうちょっと待ってと、ささやかに抵抗してたのだが、今朝、ついに切り花になってしまった。3本のラッパ水仙は、みこりんのちっちゃな手に握られて、保育園へと向かう。今日は、卒園式があるのだ。
 先生に渡すとき「おとーさんが育ててるお花だよ」と言うように念を押したのだが、みこりんはなぜか「おとーさんが切ってくれた」と言い張っている。うーむ、「切った」よりも「育ててる」ほうが、インパクトあるのに。今度はルッコラの花でも持たせようか。ゴマの香りの素朴な花は、派手ではないがありふれてないところがポイントだ(普通ルッコラは葉っぱを食すので、花は咲かせないようにするのだ)。一風変わった花を持ってくる女の子と、その父というのも悪くない。

 Licはこの春、国華園にたくさんの花の種を注文していた。Licの野望は、みこりんが抱えきれないほどの花束を持っていかせることらしい。ま、負けるものかぁ。

かみなり

 4月といえば、人事異動の季節である。うちの職場でも、やはり人の出入りがある。
 というわけで、今夜はささやかに歓送会が開かれた。出ていく人は、転属先が開発の最前線というので、かなり緊張している様子である。入社以来、ずっと研究職だったのだから、無理もない。

 宴が終わる頃、外は雷撃に包囲されていた。もの凄い稲光だ。音は聞こえてこない。ずっと遠くにあるのだろう。それなのに稲妻の明るさは、真昼のごとく周囲を照らす。
 雷の雨は、植物には不思議な効果をもたらすという。明日には、花壇の様子が一変しているかもしれない。

すぱろぼF

 みこりんを寝かしつけに行ったきり、Licが戻ってこない。またもやみこりんにつられて寝てしまったのでは…。起こさねば。Licが寝る前に準備していた、あとは干すだけの洗濯物が残ったままだ。
 ふすまを開けてみれば、案の定、二人とも気持ちよさそうに眠っている。起こそうとしたが、意味不明なうわごとを繰り返すので、そのまま寝かせておくことにする。洗濯物は、私が干しておこう。

 結局、今夜もスパロボFを始めたのは午前1時過ぎ。一時間でやめておこうと思ったのだが、いつのまにやら午前4時目前!!第10話、ネイのオージェを破壊すれば敵部隊が撤退してしまうのですべて撃破しようと欲張ってたら、なんのことはない、ターン制限で破壊しててもしてなくても、撤退してしまうのであった。セーブデータは、直前のターンのものに更新してしまってたので役に立たず。しばし放心。

 やり直し決定(もちろん明日の夜にリベンジだ)。自軍のMSやHMの武器を無改造でっていうのは、慣れるまでにコツがいりそう。


2000.3.29(Wed)

にょきにょき

 朝、いつものようにクルマに乗り込もうとして、一瞬視線が花壇に向いた時、小さな変化に気が付いた。花桃の足元に、なにかが芽吹いているのだ。しかも青い蕾が、はや顔を覗かせている。少なくとも、先日の日曜にはまだ影も形もなかったはずだ。わずか三日で、ここまで育つものなのか。

 その位置から芽吹くものといえば、去年の秋に植えた“チオノドクサ”に違いない。青い花シリーズとしては、本命のチリーアヤメが越冬に失敗して1本しか残っていない現在、チオノドクサの“青い花”は貴重である。この期に及んで、“雪”など降りませんように…。

リベンジすぱろぼF

 やっちまった。。。ターン終了するつもりが、間違ってセーブしてしまった。絶対やっちゃだめと思ってたのに、どうして勝手に指が動くかな。ネイが撤退しそうな予感がしたので、とりあえず次ターンの様子を見てから、今のターンをやり直そうと思ってたのに、これでは戻るに戻れないではないか。やばすぎる。すでに使徒が出現して2ターン目(?)くらい。たしか前回もこのあたりで撤退されてしまったような。

 味方ユニットはすべて動かしたあとなので、やむなくターンを終了してみる。おぉぉ、案の定、敵は撤退してしまった。ネイの眼前にゲッター1を持ってきて準備万端整っていたというのに、今度もまた獲り逃がしてしまった。く、悔しすぎる。だが、3度やり直すには時間がもったいないのも事実。やむなく、このまま継続することにした。

 使徒が逃げてしまって第12話へと続く。機械獣が、あまりに柔い。当時からリアル系より“装甲の薄い”スーパー系のマシンってなんかヘンと言われていたが、やっぱりこれはバランス的にも心情的にも、納得できないなぁ。


2000.3.30(Thr)

カーポート完成

 雨で一日遅れたが、無事カーポートが完成した。これで冬でもフロントガラスの霜に困ることはない。雪に埋もれたクルマを掘り出す必要もなくなった。それ以上に、バイクが雨に打たれる心配がなくなったことが、最大の収穫(一応バイクカバーはしてあるけれど)。

 思ったほどに圧迫感がないのは、ポリカーボネイト製の屋根材が、かなり透明度に優れるからだろう。あと気になっていたのは、庭の日当たりがどのように影響を受けるかだ。まぁ、たとえ影になったとしても、これだけの透明度があれば、ちょうどよい遮光ができたわけだから、直射の苦手な花を植えるにはもってこい。それほど心配することもあるまい。


2000.3.31(Fri)

怖い一瞬

 夢うつつに、みこりんが私を呼ぶ声に気づいて、粘つく瞼をこじあけた。

 「なんかついとるよ、おとーさん、あかいのが、ついとる」

 抑揚のない声で、みこりんは繰り返し繰り返し、話し掛けている。その手には、何かのプラスティックケースが乗せられていて、私に見せようとしていた。

 今、いったい何時だろう。薄明るいので、朝には違いないようだが…。昨夜もスパロボFで夜更かししてしまったため、なかなかしゃきっと目覚めることができない。みこりんの声の調子が、なんだかいつもと微妙に違うことに、少しだけ不安を感じていた。

 みこりんは私の枕元で、ただひたすら「あかいのが、ついとるよ、おとーさん、なにこれ?」と唱えている。ようやく私の目の焦点が定まってきた。至近距離のソレには、たしかに赤っぽいものが付いていた。最初、マジックかなにかでイタズラしたのかと思ったが、どうもおかしい。雰囲気的に、トマトケチャップを連想させるのだ。何か液体が付着したような感じ。

 なんだ?これ。。。みこりんに、どこで見つけてきたのか聞こうとして、私の眠気は瞬時に爆散した。みこりんの顔が、血まみれだったのだ。
 鮮血ではない。かなり赤黒く乾いている。顔全体に擦り付けたように、べったりと塗り広げられていた。突然の異常事態に、私は跳び起きる。

 みこりんの小さな顔を両手で包み込み、ぱっくり開いているであろう傷口を探した。どこだ、どこから出血している。みこりんは、きょとんとした顔で、私を見つめていた。おかしい、こんなに血が出ているのに、痛くないのか?私は、少しだけ冷静になってみようと思い始めた。

 やがて私は1つの結論に達した。なるほど、どうやらこれは鼻血らしい、と。
 みこりんの左側の鼻の穴には、まだ大量の血の塊が残っていたのだ。とりあえず、出血はもう止まっているらしい。Licが濡れタオルを持ってくる間、ティッシュで半乾きの部分を拭き取ってやりつつ、どこかに血だまりでもありはしないかと、部屋のすみずみに視線を飛ばす。掛け布団カバーに、手でこすったような血の痕が残っていることに気が付いた。それ以外には、特に異変はなさそうだった。

 やがてLicがタオルを手に戻ってきた。きれいに拭いてもらってるみこりん。自分がどうなったのか、よく把握できていないらしい。おそらく鼻をほじっていて、出血したのではないかと思う。最近、みこりんはアレルギーで咳、鼻水が多かったのだ。粘膜も弱くなっていたに違いない。朝起きて、一人で遊んでいるうちに、鼻血が出て、指についたたっぷりの血の意味がわからず、私を起こすことにしたのだろう。指が折れたり、鼻の穴が1つにつながったりしてなくて、ほんとうによかった。

 今朝のような激しい鼻血を出したのは、記憶にある限り、初めてである。鼻血に限らず、今回のようにかなり出血したのも初めてなので、よけいに驚いてしまった。3歳になり、4歳になりと、どんどん活発に動くようになれば、いずれ大怪我などもしよう。まぁ女の子なので、そんなに滅多やたらと生傷は作らないだろうが、子供の怪我は自分が痛い目にあうよりも怖いという、私がガキのころ親が言ってた言葉をしみじみ思い出した朝のひとこまであった。

長かった…

 記念すべき日である。7年ぶりの快挙だ。この日が来るのを、待ち焦がれていた。万感の思いをこめて、私は、一枚の書類にペンを走らせる。『繰越し有給休暇日数』の欄に、“0”以外の数値を記入できることが、こんなに爽快なものだったとは。

 遊びで有給休暇を消化しきっていたのなら、まったく悔いることはないのだろうが、私の場合はその大部分を病気休養で使い切ってしまっていたのだ。毎年、年度末には、有給休暇が足りなくて、振替休日の前借りまでしてしのいでいた日々。一日も休めない、後が無い状態というのは、じわじわと効いてくる嫌なストレスだった。
 今年は珍しく風邪で寝込んだ記憶がない。一日くらいは休んだような気もするが、例年のように高熱は出なかった。特にこれといった健康法を日々やってるけでもないのだが……。あ、今年は庭仕事をたくさんやったような。週末ごとの土いじりが、じつはすごい健康法だったりして。
 来年度もこの調子で、余裕の有給残高で過ごしたいものである。


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