2000.8.1(Tue)

『絶望の宴は今から始まる』

 『スーパーロボット大戦α』は、『第66話・絶望の宴は今から始まる』に到達。分岐から合流して以来、激励要員の数名を除き、MSはまったく出番がない。それというのも、出撃可能数が持ち駒に比べてあまりに少なすぎるから。一機も撃墜されずに終わるというのは、だんだん緊迫感を欠いてきたような…。できれば同じシナリオで数度に渡る部隊の入れ替えがあってもよかったかも。
 昨日の『愛・〜』では、かなりだれてしまったが、その後は面白さも戻ってきた感じでうれしいところ。とにかく今回はユーゼスが謎めいていてよい。できれば、もっともっと冷徹に凶悪に度肝を抜くような仕掛けを期待したいところだが、良い子もプレイする可能性があるのではそうもいかないか。どんな凶悪なシナリオがあったらよかったかといえば、たとえば仲間4人が捕らわれたあとの救出シーン……説得することもできず、破壊するか破壊されるか、ぎりぎりの緊張感の中、自らも捕らわれてしまうのである。未知の敵、未知の宙域、はるか地球を離れて連れ去られた場所で、絶望的な戦闘に駆り出される日々。とかいう風なのがあったら、個人的にかなりうれしかったと思う。

 それにしても4機合体のSRX、強すぎ。


2000.8.2(Wed)

初めての野菜

 今夜はシチュー。とろぉりとろけるクリームシチューの浅瀬に、なにやらぽっこりした塊が1つ。ジャガイモにしては色が少々ヘンだし、玉葱のようなスジもない。記憶にあるどんな食い物とも微妙に違うその姿に、ようやく思い至ったのが先日収穫したばかりのコールラビだった。
 コールラビの調理法を、Licも独自に調査したらしい。私の調べでは、酢の物、炒め物、煮物などに使えるとあった。Licも似たような結論だったようだ。今回のはゴルフボール大なので、皮を剥いただけで丸ごと投入ということになったのだろう。たしかにこのほうが下手に刻むよりも、食いではある。では、いただこうか。
 いかんせん生まれて初めて食べるモノだけに、一口目はおちょぼ口に囓ってみた。歯触りは適度に繊維質の歯ごたえが残って心地よい。やがて口いっぱいに広がる味覚は……「カブみたいだ」。みこりんにも食べさせてみる。こちらの反応もまずまずのよう。もともとみこりんは野菜好きなので、辛くなければたいていOKではあるけれど。
 次にLicも口に入れる。感想は「キャベツの芯みたい」とのことだった。そう言われてみれば、どことなく甘い感じはキャベツのそれに似てるかも。適度に歯ごたえの残るところが、芯を思わせる。いや、キャベツの芯よりは繊維質が細かいので、上品な味わいといえるかも。
 みこりんも二口、三口と、がつがついってる。私もなかなか好ましい味わいだと思う。今年はもう、あと3つほどしか大きくなっていないので、本格的に食卓を飾ることもないだろうが、来年はもっと豊富に栽培してみよう。ただ、面積当たりの収穫量はキャベツや大根なんかと比べると、かなり少ないのが難点といえるかも。まぁ小型のカブだと思えば似たようなものかもしれないけど。狭い庭だと、そこらへんも気になるところだ。


2000.8.3(Thr)

違い

 それにしても『米スペースシャトルにそっくりの形で…』と評されることの多い(ような気のする)HOPE-Xだが、それを言うならキャベツと白菜は双子になってしまうじゃないか。今一度、ここでおさらいしておこう。HOPE-Xとは、こういう宇宙機。で、スペースシャトルは、こんな姿。ちなみにHOPE-Xは最近、こんな姿に変わっている(想像図だけど)。以前はこうだった。
 あぁしかし、HOPE-Xに危機が。HOPEがなくなるまえから、HOPE-Xもかなりあやうい噂はあったが、とうとう凍結か。日本ほど宇宙開発にかける予算が少ない現状で、何もかも求めるのは確かに無理があるけど。ここは一つ、輸送系をずばっと諦め、月面探査などの無人探査機やら宇宙ロボット方面に突き進んでくれたりすると、面白いのではないかなぁ…。宇宙ロボットコンテストとか。微少重力下での二足歩行っていうのも見てみたいものだ。


2000.8.4(Fri)

本屋にて

 仕事のストレスから一刻解放される金曜の夜は、本屋を楽しむにはちょうどよい。みこりんを抱っこしたまま、しばらく棚から棚へと漂流する。平積みに『トライガン・マキシマム 4』を見つけたので、とりあえず確保。表紙をよく憶えていないので、すでに持ってるのかどうかあやふやだ。今月新刊が出るという情報を何かで見たような気もするので、たぶんこれがそうなのだろう。だけど表紙絵にはなんだか見覚えがある。やや不安。Licに確かめてもらおう。
 みこりんがそろそろ抱っこに飽きたらしくて、降ろしてやったらさっそくLicがいるであろう方面へと駆けてゆく。目的地は同じか。『母』のコーナーで熱心に雑誌に目を落とすLicをほどなく発見し、表紙絵を見せた。たぶん買ってないらしい。ではこのまま持っているとしよう。Licの記憶力は私よりもきめ細かい。
 がらがらの絵本コーナーにみこりが陣取ったのを見届けたあと、私は一人SFコーナーへと向かう。『ピニェルの振り子』野尻抱介著を買ってみようと思ったから。やはり平積みのところにあった。ぱらぱらとめくった印象は、“会話が多い”。でも文体に違和感がなかったので、そのまま確保する。さらに周辺をうろついてみると、『ブレードランナー3』を発見。たしか先月『2』を買ったばかりのような気がするが、もう『3』?と思って奥付を見ると、それほど新刊というわけでもない。『2』がずっと以前に出ていただけらしい。作者のK.W.ジーターは『ドクター・アダー』で高得点をマークしているので、買うことに不安はない。だが今は、懐具合が気になるところ。またの機会にしよう。

 帰宅後、さっそく『トライガン・マキシマム4』を読む。なんか絵がどんどん私の嗜好から大きく外れて行ってるのが気になってしょうがない。内容はともかくとして、私には“手抜き”としか思えない描写が多数目に付いた。このシリーズの新刊を買うのも、今日が最後になりそうだ。


2000.8.5(Sat)

花の形のズッキーニを食う

 良く晴れた土曜の午前中は、例によって庭の植物観察に明け暮れる。
 菜園2号では、あれほど盛大に葉を茂らせていたレモンキュウリとピックルキュウリが消滅の危機に瀕していた。9割5分はもはや枯れてしまってる。ここから復活することは、おそらくないだろう。長雨だけの影響とは思えない。何かの病気だろうか。そのキュウリ達の足元に植わっていた白ズッキーニも1株、同じようにして枯れ伏しているし…。
 ピックルキュウリはバックアップとしてハーブ方面にも植えてあった。こちらは無事だ。おそらく来週にはまた5〜6本の実が収穫できるだろう。でも、同じくバックアップで植えてあったレモンキュウリは、やはりこちらも消滅しつつあった。去年もたしかこの頃は葉っぱが茶色くなってくる現象があったように思うけれど、ここまでひどくはなかったはずだ。今年は種を残せそうにない。

 シシトウの伏見甘長は、突然生長期を迎えたようだ。てっぺんから分岐した枝々が、横に広がりを見せている。よくよく見れば、下の方には小さな実もついていた。これは順調。でも、その隣の黄金ピーマンは、相変わらずカメムシの大軍に取り憑かれたままだ。図体がでかいだけに、アブラムシよりもタチが悪いかもしれない。さらにその隣の赤ピーマン“カリフォルニアワンダー”に至っては、カメムシによって成長が他のピーマン類に比べて半分ほどで止まっている。カメムシをうかつに手で触っては今日一日“臭い”ことになってしまうので、捕殺は慎重に。でも、そろそろ天敵が登場したようである。巨大なカマキリが、じっとその群を見つめていた。しきりに口をもぐもぐさせているので、もしやと思ったらやはり両の鎌には獲物の残骸があった。カメムシの脚と思われるものの一部だった。ヒトが介入するまでもないかもしれない。

 みこりん待望の木イチゴの実が、ようやく熟れ頃を迎えたようだ。中にはすでに赤くなってしまったものもあり、収穫適期を逃したかもしれない。さっそくみこりんを呼んで、摘んでもらおう。
 摘んでも良いとわかるとみこりんは、いきなり房ごと千切り取ろうとした。なんて大胆な。デリケートな実なので1つ1つ丁寧に採るのだよと教え、みこりんは上手に3つ摘んでくれたのだった。さっそく洗おう。じつは私もこの時を待っていたのだ。
 付け合わせのアイスでもあればと冷凍庫をあさったが、あいにくバニラ&シャーベット系は食い尽くしたらしい。棒アイス以外で残っていたのは金時だったが、これに合わせるのも妙だなと思ったので、そのままワイルドに食べることとする。………な、懐かしい味だ。種のごりごり感もたまらない。今年はもうこれだけだけど、来年は鈴なり状態を期待したい。

 さて、白ズッキーニだ。花形の奇妙な実は、もっと大きくなるのを期待して待っていたら、いつの間にかぶよぶよになってしまってたのが先週のこと。今度こそ時期を逸しないようにせねば。『スーパーの新顔野菜をおいしく食べる本』によれば、ズッキーニは花のついた状態の若い実でも食べることができるらしい。この白ズッキーニは普通のとはかなり形態が違うけれども、若い実には違いあるまい。まだ花は萎れた直後のようだし。というわけで直径3〜4cmのものを4つほど収穫した。みこりんもさすがにコレが何なのかよくわかっていないようだ。訝しげにつまみ上げ、Licの元へと運んでいってくれた。
 基本的にカボチャと同じように調理すればよい。Licが選んだ調理法は、“炒める”だった。まず輪切りにし、種を取り、おもむろにフライパンで軽く炒め。実が小さいため、ほどなく火が通り、柔らかく。そこにツナ缶にマヨネーズを混ぜたものをトッピングすれば出来上がり。熱々を1つ味見させてもらったが、カボチャというよりは苦味のないゴーヤのような口当たりだった。味そのものは淡泊で、癖がないので食べやすい。この特性が、若い実だからなのか、この白ズッキーニの特長かはわからない。でも、ズッキーニというからには、一般的にそれほど遠い味とは思えない。来年は、もっと食いでのある大型種にも挑戦してみようかな。ただ、花形の小さな実をつける白ズッキーニでも、地表を1.5mほど覆うほどに成長する。場所の確保が問題になりそう。


2000.8.6(Sun)

そして、いなくなった。

 我が家に隣接する家の1つから、人の気配が消えてすでに3週間ほどになる。はじまりは、飼われていた犬2頭が姿を消したことだった。犬がいなくなったことにはすぐに気がついたので、飼いきれなくなって手放したのかと思っていた。日頃からあまり手入れされていない(ように見えた)犬達だったから、そういうのもアリかもしれない、と。やがて消えたのは犬だけではないらしい雰囲気に、私はただならぬものを感じていた。

 その家が新築されたのは、うちよりも後のことだった。といっても半年程度のずれなので、同時期に越してきたといってもいいだろう。そこでは週末ごとに家族や友人達が集まって、にぎやかにバーベキューパーティなどが催され、ずいぶん楽しげであった。ところが一年が過ぎたころから、状況は変わる。庭は閑散と荒れ、ただ、犬が所在なげにたたずむだけとなった。友人連中も所帯を持って、自由に行き来できなくなったのだろうか?。まぁオトナが大人しくなるぶんには別段構わないのだが、気になったのは子供の方だ。4年前くらいには1歳くらいの赤ん坊がいたはずなのに、ほとんど声を聞くこともなく、その後も庭で遊んでいるのを目撃したのは数えるほど。しかもつい最近、子供は二人いて、大きい子のほうはすでに7〜8歳だという恐るべき事実に気がつき、戦慄した。たしかに私は、周囲のことにはけっこう無頓着で、隣の家族構成などを積極的に知ろうとはしないのだが、私よりは社交的なLicでさえも、“上の子”登場は突然の出来事だったようだ。
 普段使われていなかった2階の部屋で、真夜中まで煌々と灯りがついていたのも、1ヶ月ほどまえのことだった。うちが夜更かしなので、そういう変化にはイヤでも気がつく。そして、家は無人となった…。

 Licは「旅行じゃないの?」と言うのだが、私はつい別の可能性を考えてしまう。その根拠の1つが、雨戸だ。そこの家では、留守のときには雨戸が閉まっていたので、すぐにわかった。それが今回、雨戸が全開のままになっている。さらに、もとから荒れていたとはいえ、庭の状態がいよいよ“廃屋”の気配濃厚である。朽ちたバケツは横倒しのまま、もう何年も人がそこで暮らした形跡がないほどに殺風景だ。

 もう戻って来ないのではないだろうか。私にはそう思えて仕方がないのである。


2000.8.7(Mon)

話しかけないで欲しいとき

 私の場合、仕事で開発中のソフトウェアをデバッグしているときが、もっともイライラの募る時期だ。専用の部屋なんてのがあるならまだしも、旧態依然とした詰め込み型大部屋に研究員がずらっと配置されたレイアウトでは、イヤでも耳に入ってくる多種多様な雑音達。おまけにクーラーは寒すぎる。

 制御用ソフトウェアなどでは、この時期はたいてい現場での作業になるものだが、今回は通信部分のテストだったので、現場作業にはなっていない。現場でのデバッグは、今以上に環境は悪くなる。大部屋も、現場も、ソフトウェア開発にはことごとく向いていないが、どっちを選べと言われたら、まだ大部屋のほうがマシだ。時には現場の方が快適な時もあるのだけれど、うちの事業部はソフトウェアにはまったく理解がないため、そういうのは極めてまれだ。なにしろ現場では、とてつもない騒音がひっきりなしに轟いている。入社したとき、全員に配られたアイテムの中には“耳栓”があった。それが当たり前な環境なのだ。しかし耳栓をしたらしたで、今度は頭がぼぉっとしてくる。なんだか変な催眠術にかかっていくような気配がして、耳栓はあれ以来使っていない。
 しかも作業用机など、たいていは用意されていない。コンピュータは機械に組み込まれ、もはやアクセスするには人間のほうが機械に埋もれなくてはならなくなる。ごくまれに、PCデスクが使われる場合もあったが、横幅がモニタサイズでは、仕様書やら参考書などを広げるスペースはどこにもなかった。ゆえに、床の上で作業することが圧倒的に多くなっていた。その床さえも、機械に奪われてなくなったときには、すべての作業を己の記憶力だけに頼らねばならなかった。要求仕様作成から設計、コーディングまですべて一人でやることの多いうちの会社のような場合、頼れるのは常に自分だけなのだった。
 それに比べれば、広い机と本棚があり、欲しいときには水も限りなく飲め、トイレにもすぐに行ける環境というのは天国なのかもしれない。でも、6時間目にしてついにバグの原因らしきものを追いつめ、ここぞと狙いをつけてデバッガでトレースしている真っ最中に、同僚から話しかけられたときには、正直ほの暗い殺意すら芽生えてしまうのであった。やめろ、話しかけないでくれ、いまはそんな場合じゃないんだ……と言える相手ならまだいいが、そういうのに無頓着な相手だと、こちらの対応もいきおいぶっきらぼうになってしまう。

 そういや数年前、ホワイトカラーの仕事の効率化とかなんとかいって、DIPS運動なるものを全社あげて採用していた時期があった。事務・営業職には適当だったかもしれないが、技術職には最初から向いていないのが明らかな運動だった。採用を決めたのが事務屋では、これもしょうがないのかもしれないが、専用の手帳やら用紙やら講習やらで、相当な額をつぎ込んだと聞く。予想どおり、1年もしないうちに廃れたが、あれの一環として『MAX2』というのがあった。連続2時間は電話や会議などで仕事を遮らないようにしようという主旨で、午前と午後に2回、急用以外電話禁止&会議禁止&私語禁止の時間帯が設けられていた。これも結局、上司(というか年寄り連中)が率先して守らなかったので、早晩廃れてしまった。私は唯一、このMAX2だけはそれなりに評価していたのだ。電話魔や、なんでもすぐに聞いてくる記憶力の弱い上司などに、辟易していたから。
 明日からデバッグ中は立て札でも立てとこうか。『デバッグ中。緊急以外、話しかけないで』と。


2000.8.8(Tue)

今朝の悪いことと良いこと

 寝苦しくて目を開けると、まだ窓の外は真っ暗闇。夜行塗料で浮かび上がる時計の針は、今が午前4時過ぎであることを告げていた。最近は、この時間になってから寝ることのほうが多かったが、昨夜はみこりんを寝かしつけるついでに、一緒に寝てしまったらしい。
 午前4時。微妙な時間だ。2度寝しても、まだ4時間は大丈夫。でも、寝てしまっては時間がもったいない。今夜が快適な夜ならば、たぶん寝ただろうが、じっとしてても汗があとからあとから湧いてくるのでは、起きていた方がましだ。無理に寝ようとすれば、よけいストレスが溜まるに違いない。

 夜明けを迎え、朝陽が高く登る頃、そろそろ今日の仕事向けに脳内を転換し始める。わりと気分も乗っていたので、ついお弁当&朝ご飯などを作ったりもし。で、起きてきたみこりんと「いただきます」したあたりから、なんだかおかしくなってきた。吐き気が断続的に寄せては返す波のよう〜…。うむむむ、なんじゃこりゃ。
 座椅子にへたり込みダウンしていると、みこりんが自分用の小さな毛布を手に、戻ってきた。ひよこ柄の黄色いやつだ。そしてそのまま、私の上に毛布を掛けはじめたのだった。
 みこりんを“ぎゅぅ”したのは言うまでもない。でもこの優しさもいずれみこりんの彼氏のものになってしまうかと思うと、じつに悔しい(それは心配のしすぎ)。

降臨

 夕方から始まった雷雨は、いよいよ激しさを増し、立て続けに付近で落雷の気配である。やがて部屋の灯りが一瞬暗くなったと思ったら、次の瞬間には家中の電気が消えていた。運悪く、ちょうどトイレに入っていたみこりんは、パニック寸前。私が懐中電灯を取りに行ってる間、恐怖はどんどん盛り上がり、いつしか声は絶叫に変わっていた。
 懐中電灯を手に戻ってきた私は、それでもつい顔の下側からライトを当ててみるというお約束をやってしまうのだが、案の定、みこりんはそれどころではなかった。あんまり怖がらせてもトラウマになってしまいそうだったので、早々に恐怖を取り除いてやるべく、ドアの上に懐中電灯をぶら下げて、トイレに灯りを満たしてやった。ようやく落ち着いてきたみこりんである。
 停電はほどなく終わった。でも今夜は、いつになく落雷が続き、その後も数回に渡って停電があった。暗がりで響く雷鳴に、すっかり弱気になってしまったみこりん。いつもは雷は恐くないと強がりを言う余裕があるのに、このときは「こわい…」の連続だった。電気が消えるたびに、手近な私やLicにくっついてくる。それが現れたのは、そんな時であった。突然、部屋の壁に出現した巨大な影!まっ黒な巨人が、そこにたたずんでいるかのよう。こ、これは……。
 「雷さんだ!」私は指さしていた。神鳴り様が、ついに降臨したのだ。引きつるみこりん。稲光や音だけならまだしも、ついに本物が部屋の中に現れたとあっては、もはや逃れる術はない。みこりんはじっと固まって、その“雷様”を見つめていた。
 真相は懐中電灯がたまたま何かのボトルの後ろにあったので、その影が大きく壁に投影されただけなのだが、あまりのタイミングの良さに必然性を思わず感じてしまうほどだった。今夜みこりんは寝るまでずっと“いい子”だった。こそっと「雷さんはまだ家の中にいるよ」と耳打ちすれば、いつものいたずらっ子もしおしおである。布団に入り、絵本を読んで聞かせて消灯したあとも、みこりんはなかなか寝付けなかったらしい。まだ時々、窓の外からは雷鳴が聞こえてくるので、思い出してしまうのであろう。私にべたっと貼り付いて、ようやく安心したのか寝入ってくれた。
 たぶんこうやって昔から、“妖怪”とか未知のモノは語り継がれてきたのだろうな。


2000.8.9(Wed)

中古

 久しぶりに『BOOK・OFF』で古本のチェック。100円均一コーナーがやけに充実していたので眺めていると、『ヤマタイカ』(星野之宣)の2巻3巻4巻を発見、ついふらふらっと買ってしまった。100円均一なので、これだけ買っても300円か。安すぎる。
 学生時代、友人に星野之宣のディープなファンがいて、途中までは読ませてもらったことはあるものの、やはり1巻がないのは落ち着かない。それにこの作品をまったく知らないLicには1巻は必須だ。というわけで帰宅後、さっそく古書検索のスーパー源氏でさくっと検索。ほぅ、6巻セットで4800円か。バラでも1冊600円というのが相場らしい。求める第1巻も、やはり600円だった。送料も込みだと1000円近くになってしまうが、とにかくこれがないことには2巻以降へ進めないので注文した。5巻6巻は、ばら売りがなかったので後日ということで。そのうちまた100円コーナーに並んでるかもしれないし。
 本と同じように中古CDの値段も、BOOK・OFFの評価基準は謎なところがあり、意外なものが100円になってたりするので見逃せない。本にしても、音楽にしても、内容こそが問われるべきなのに、新品だと大部分が一律の横並びっていう現状を相当に胡散臭く思っていたが、こうして中古になって激しい価格差の付いてる様を見ると、なにやら痛快である。


2000.8.10(Thr)

怖いモノ

 風呂から上がって、みこりん共々パジャマを装着し終えたその時である。蒸し暑い夏の夜に、少々季節外れなチャルメラの音。
 夏場はわらび餅屋に変身してたはずだが?と、窓の外を見やる私に、みこりんが敏感に反応してしまった。突然、哀しげな声で泣き出してしまったのである。どうやらチャルメラが怖いモノに思えたらしい。
 ここ最近は“お客さん”と称する外から聞こえてくる正体不明の音には、だいぶ慣れたと思っていたけれど、まだまだ怖がりなみこりんであった。一度チャルメラの正体を見せてやったほうがいいかもしれない。このままチャルメラがトラウマとなり、大きくなってもアツアツの屋台ラーメンが食べられなくなってしまってはもったいない…。なんて妄想を膨らませていたら、Licにチャルメラが“ちゅっちゅるぅ”であると教えてもらったみこりんは、もうすっかり立ち直っていたのであった。“ちゅっちゅるぅ”とは、みこりん流の“麺類”の総称だ。食い物に関しては、まったく心配無用のみこりんらしい。


2000.8.11(Fri)

早起きの日

 明け方は、しっとりと肌寒く、空気も落ち着いた雰囲気を漂わせる。気が付けばもう明日からお盆休み。はや秋の気配だ。
 たまには朝顔が元気な内に見ておいてやるかと、庭に出る。宵っ張りな我が家では、気が付いたときには朝顔はすっかりへなっていることが多いのだが、今朝は丑三つ時からずっと起き続けているので、まだ太陽も昇ったばかり。咲き乱れる朝顔ってのは、いかにも夏らしくてよいものだ。小学生時分の夏休みなんかを、ふと思い出してしまったりして…。通りを今、子供が歩いていった。こんな朝早くに?いやいや首から下げてたカードには、私も覚えがある。いまも早朝のラジオ体操は健在なのか。

 白ズッキーニの雌花が咲いていた。いつもいつも気が付けば萎んでしまっていたので、これが雌花の初めての観察になる。花の中央に“ぎゅっ”と硬くからまったような雌しべがあった。どことなくノウサンゴを思わせる。ノウサンゴとは、脳味噌のような形状の珊瑚のことだ。この雌しべも、脳味噌のように皺があった。
 ちょうど雄花も咲いてるやつがあったので、さっそく花粉を塗り塗りしておいた。花の形の実は、この時点ですでにかなり大きくなっている。このあと、順調に大きくなるか、腐ってしまうかの分岐点になるのがこの受粉なのだと、今更ながらに思い至る。この雌花のやつは、種採り用にしよう。来年は、これをフェンスにでも這わしてみようと思う。


2000.8.12(Sat)

蜂の巣

収穫した野菜達 台風接近というので、今日は早めに庭仕事をやってしまおう。予報では午後から雨だと言ってるし。
 “ゴッホのヒマワリ”がすっかり頭を垂れてしまって、はや晩夏の風情だけれど、夏野菜達はこれからが本番だ。発芽で出遅れた分を、今、思う存分取り戻しつつある感じ。エネルギー充填120%な野菜達を収穫するのは、いつもながらぞくぞくするほど刺激的だ。こいつを食ったらさぞやうまかろうと、脳内ではさっそく旺盛な食欲がうなりをあげる。伏見甘長、イエローペア、赤オクラ、カゴメ77…。おお、母なる大地よありがとう。

 プラムの実がまたしても落下していた。よりによって一番でかいやつが。しかも熟して食べ頃。拾い上げると、すでに蟻たちに先を越されたあとであった。仕方あるまい。早い者勝ちが、我が家の掟だ。そっと地面に戻しておいた。これで残るは2つだけ。1つはまだまだ青さが残るが、もう1つはかなり熟して来つつある。最高に熟れるにはまだ足りないが、台風などが来てしまえば落下の運命だ。…食おう、いま。
 家族3人で、大玉のプラムを回し食い。来年こそは、たらふく食えますように。
 さらに今年最後の木イチゴ収穫。ちょうど3つなので、一人1個ずつ。ごりごりと歯でかみ砕く感触がたまらない。来年こそは、たらふく食えますように。
 ふと見れば、枝垂れ桜の下枝に蜂が巣を構えつつあった。フタモンアシナガバチだ。まだ居住スペースは6つか8つほど。作業しているのも1匹だけらしい。巣を撤去するなら今がチャンスにはちがいない。この位置だと、みこりんが何かの拍子に触れる可能性はゼロではないし。…だが、この蜂は肉食、青虫などをたくさん食べてくれるだろう。これがフタモンアシナガバチではなく、スズメバチだったら問答無用で撤去だけれど。
 お盆も近いことだし、無益な殺生はしないでおこう。だいたい子供は1度や2度は、蜂に刺されるものだ(え?)。この巣を撤去したところで、刺される可能性には数パーセントの変動しかないであろう(ほんまかいな)。
 なんて言ってるうちに、巣が大皿クラスになってしまって後悔しそうな予感もちらり。ま、そのときはそのときだ…。

『α』最終話後編

 結局、台風は逸れていった模様。静かな夜だ。
 スーパーロボット大戦α、最終話後編を始めるには絶好の夜である。
 出撃メンバーはやはり、ほとんどがスーパー系になってしまった。リアル系からはクワトロさんのサザビーと、アムロのνガンダムだけが最前線に投入となった。最後はやはり彼等を出しておかねばすっきりしなかったから。あとはみんな激励・脱力要員だ。
 初期配置にユーゼスがいないことから、増援に備えて精神コマンドを極力使わずにラオデキヤを屠りにかかる。HP全回復が延々繰り返されるので、もしやと思い、SRX4機合体の最終兵器を使った。一撃で68000の破壊力、ラオデキヤは滅したのだった。復活はしなかった。こんなことなら最初からこうしておけば……。
 そしてユーゼスが現れる。イングラムも敵側に。なんとなく説得できるのではないかと思ったが、増援で現れたやつらを全て倒してしまうには、少しエネルギーが足りない。“かく乱”も3度しか使えないとあっては、早々に親玉をやるに限る。
 おそらくHP全回復するだろうから、やはりここでもSRXを使った。一撃必殺ならば、復活しようにもできないだろう。これが最後と、戦闘画面ONの指にも力が入る。一連の会話イベントのあと、ついに発射。…ところが今回は2000ほど残ってしまった。最初に、誰かで削っておかねばならないようだ。ならば反撃を受けないマップ兵器を使うに限る。温存していたサイバスターを移動、熱血最大改造サイフラッシュをぶちかます。そして、SRX。
 ユーゼスを倒した。他の面々も爆散する。ただ、イングラムだけは爆破しなかったようだ。そしてエンディングへ。

 結局、イングラムはどうなったのだろう。会話の中では死んだことになってるけれど、なんとなくそうは思えない。『α』の続編への伏線か。
 淡々としたラストだった。たぶんいろんな終わり方が用意されているのだろう。しばらく経って、もう一度プレイする気力が高まったなら、別の未来を覗いてみたい。


2000.8.13(Sun)

繊細な花

 蕾だった花が、大きく開いていた。フローレンスラウンドの花だ。茄子とは思えない美しい色彩と形に、感嘆する。葉っぱがもっと小さければ、観賞用にも十分だ。
 枯れてしまったピックルキュウリとレモンキュウリを撤去した。空いたスペースに、いままで鉢植えで堪え忍んでいたカラーピーマンと茄子を移植。来年は、キュウリ類の植え場所を変えてみよう。もっと雨の当たらない場所に。

茄子“フローレンスラウンド”の花

おっちゃん

 今夜は弟が来ている。みこりんにとっては、「おっちゃん」だ。まだ20代だが、今「おにいちゃん」にしてしまうと、途中で「おっちゃん」に切り替えるのが困難を極めそうなので最初から「おっちゃん」と呼ばせることにした。男兄弟ならば、これでもさして問題はないのだが、Licのほうには妹が2人いる。はたして彼女らを、いつまで「おねえちゃん」と呼ばせるのか、興味深い。
 「おっちゃん」は、はるばる500キロの道のりをバイクでやってきたので、みこりんもなんだか異様によくなついている。みこりんはバイク好きなのだ。1歳ごろ、私がバイク通勤してたのを、今でも記憶のどこかで覚えているのだろうか。
 弟のバイクも、すでに製造中止のヨーロピアンオンロードだった。400のくせに、図体だけは900クラスという馬鹿でかさ。FZ250と並べてみると、さらに大きく見えてしまう。

 この夜、みこりんはなかなか寝ようとしなかった。ハイテンションで、はしゃいでる。時計の針は、すでに明日になってしまったというのに、「おっちゃん」のそばを離れなかった。一緒に寝るというので、布団を並べてやったら、ようやく目がとろん。人見知りなみこりんは、もうすっかりいなくなったらしい。
 それしても、弟はすでに20代後半なのだが、私にとってみれば歳が離れているので小学生のころのイメージが今でも色濃く残っている。お互い大学入学と共に家を離れたので、なおさらだ。でも今夜、弟は丸刈りだった。散髪屋のオヤジの“スポーツ刈り”像と、弟のそれとの乖離が招いた不幸な結果だったが、私にとっては小さい頃の弟のイメージとぴったり合ってしまって妙な気分だった。で、真夜中、ハムスターに餌をやるのをそばで見ていた弟の姿はすっかり昔のままで、あぁ変わらないのだなぁと、へんに安心してしまったのだった。


2000.8.14(Mon)

 「おっちゃん」が高回転型エンジンを“いい声”させて帰っていったあとは、みこりんのテンションもやや下がり気味だ。そこで、懸案だった“整地”に取りかかったのだった。庭の花壇以外のスペースは、みこりんの三輪車/コンビカーの爆走スペースになってるのだけれど、そこが長らく未整備のままになっていて、みこりんの脚力ではちょっとした凹凸が乗り越えられずに、よく癇癪を起こしていたのだ。ここを平らにしてやれば、みこりんも愛車で思う存分走り回れることだろう。
 庭仕事用の幅広タイプのクワを手に、がーりがりと固い大地を削ってならしてゆく。ついでに雑草も処理できて、一石二鳥かもしれない。作業の終わった先から、みこりんが愛車をこぎこぎ、出来映えを確認してくれたので、戻り作業もほとんど発生せず、順調に“整地”は終了した。ちょこっと坂道になったような気もするが、凸凹よりはマシに違いない。

 ところが夜になって、手に豆ができているのに気が付いた。うっかり軍手をせずにクワをふるってしまったのが悪かった。しかも潰れてしまっている。みこりんを風呂に入れているとかなりしみた。目ざとくそれを見つけたみこりんが、「これなぁに?」と聞くので、「豆である」と教えておく。おそらくみこりんが手に豆をつくることは、一生のうちにそう何度もあるとは思えないが、何かの役には立つだろう。潰れて痛いのだと言ったら、お風呂上がりに、みこりんは看護婦さんになっていた。何かの付録についてたのだろうシールセットに、たまたまカットバンのがあって、それを豆に貼ってくれたのだ。豆は2箇所あったけれど、シールは1枚しかなかったので、わざわざ半分にちぎってくれるという芸の細やかさ。こういうときには、ちゃんと本物を使ってくれてよかったのに、たぶんみこりんにシールと本物の区別はついてないんだろうな。


2000.8.15(Tue)

夏休みの終わりに

 ついに今日、あの声を聞いた。姿も見た。アブラゼミの大合唱に混じって、ひときわ声高く響くあのフレーズを。
 つくつくほうし。子供の頃、この声を聞けば、条件反射的に「夏休みがもうじき終わる…」という漠然とした虚無感に襲われたものだ。季節は夏から秋へと移り変わり、天はますます高く透明になってゆく。もの悲しいったらありゃしない。でも、そんなところがツクツクボウシの可愛いところでもある。

 みこりんが緑に輝く伏見甘長の実を見つけて、はしゃいでる。採るというので、ハサミをもたせてやったら、器用にちょきちょきやってくれた。普通に紙を切るときには、まだまだぎこちないというのに…、今のはえらく慣れた手つきに見えた。そうやってどんどん収穫してくれたので、あっというまにカゴはいっぱいに。片手にカゴを持ったままでは切りにくいというので、Licがみこりんの腰に収穫カゴを結わえ付けてやっていた。妙に似合うみこりんであった。


2000.8.16(Wed)

犯人は誰だ

 朝までプログラミングなぞやってしまったので、とてつもなく眠い。徹夜ができない体になってしまって久しいが、これほど猛烈な睡魔に襲われるのも珍しい。なのでそろそろ寝ようかと思った矢先、二階方面から湿った足音が……。

 ぽてっ…  ぽてっ… ぽっぽてっ…

 落ちやしないかといつも心配してしまうのだが、みこりんはこれまで階段から脚を踏み外したことは1度だけ。今朝も上手に降りてきたようだ。
 ご飯はいらないというので、先に花壇の水やりをやっておく。いつ寝てしまってもいいように、特に鉢植えを念入りに。残暑厳しい折、鉢植えの水やりを忘れるとひとたまりもない。
 そんな中、私は玄関先で黒山の蟻だかりを発見していた。大きな黒っぽい虫が仰向けに転がっていて、そこに小さな蟻たちが群がっているのだ。いったい何の虫が餌食になってるのかとよくよく見れば、それはなんとカブトムシらしい。脚をつまんでひっくり返してみると、角がなかった。メスだ。触角やら口の刷毛状の舌(?)なんかも鮮やかなので、この仏さんはできたばかりのようにも思える。死因は……頭部及び胸部の陥没のようだ。カブトムシほど頑丈な甲虫に、これほどの致命傷を与えられるようなのは同じ虫族にはいないだろう。この傷は、まるで何か巨大なモノに踏まれたようにも見える。すると、やったのは人間か?

 夜、我が家の庭でいったい何が起きたのだろう。妖しげな想像を膨らませながら、さらに水やりを続けていると、今度は南側の白ズッキーニ方面で別の死体を発見。黒山の蟻だかりの中心に横たわるのは、コミカルな動作で人気のカナヘビ君だ。なぜに庭の真ん中で…。病気とかなら、ひっそり人目を忍んで息を引き取るだろうから、やはりこれも事故と思われる。外傷はなさそうだが、土に軽くめり込むように傾く頭部が気になる。なんとなく踏まれたっぽい印象だ。
 さきほどのカブトムシといい、このカナヘビ君といい、昨夜から今朝にかけての我が家の庭に、“何者”かが侵入していたことは、これでほぼ疑いようはあるまい。しかもそいつは、俊敏なカナヘビ君をも踏みつけにできるやつなのだ。……キケンだ。危険すぎる。今日は一日、みこりんを一人庭で遊ばせるのはやめておこう。ヤツはまだ、近くに潜んでいるやもしれぬ。

 午後、Licに庭の死体のことを話したところ、こんな推理を聞かせてくれた。犯人は猫なのではないかというのだ。Licには心当たりがあるらしい。子供の頃、飼ってたカブトムシが、猫に噛まれて死亡したのだという。猫は、カブトムシをいたぶるのだとLicは言った。
 なるほど、たしかに最近うちの隣の空き地では、猫が子育ての真っ最中だ。いたずら盛りの仔猫が3匹、ときどきうちの勝手口から中を覗き込んでいることもある。猫ならばカナヘビ君を襲うことも難なくやってのけるだろう。しかしこの推測が正しいならば、困ったことだ。庭には両手で数え切れないほどカナヘビ君やらトカゲ類がいるが、夜毎猫たちのなぶりものになってしまっては、たまらない。猫避けに、レモングラスでも植えてみるかな。


2000.8.17(Thr)

名古屋港水族館へGO

 今年の夏も、水族館には出かけたい。というわけで、今日は名古屋港水族館へと出撃である。夏の間は夜の8時まで開いているので、お昼過ぎに出かけても大丈夫なところが魅力的。みこりんも最近TVでイルカの特集を見てからというもの、水族館に行きたそうに言っていたので今朝は機嫌はすこぶる良い。
 行きは一宮まで高速を使い、1時間40分ほどで到着。去年のように迷子にならずに済んだので、2時間を切ることができた。岐阜方面からは62号63号を下るのが手っ取り早いようだ。ちなみに帰りはひたすら下を走って1時間半。やはり夜間は空いている。で、今回も運転手はLicであった。

 展示内容のコメントは『お魚日記』に譲るとして、去年に引き続き利用した館内のレストラン『アリバダ』について書いておこう。店内に設置された5mクラスの淡水水槽は、相変わらずラミーノーズとかコンゴーテトラとかソードテールとか、ありきたりな小型種が飼われていてコンセプトがよくわからないままだった。水槽を店内に置こうという発想をした人物と、それを実行した人物との間に、解釈の相違というか著しい隔たりがあるような気がしてならないのだが、これほどのタンクがありながらそれを活かせないとは、なんとももったいないことだ。しかも高さ1m以上はあるこの水槽では、小型のテトラの仲間では水圧に負けてしまうのでは……、おぉ、なんか内容がどんどん『お魚日記』風になってしまいそうなので、ここらでやめておこう。
 それよりも興味深いのは、今回も客はうちの家族のほかには1組だけだったことだ。テーブルは20ほどあるので、閑散としてて貸し切り状態に近い。去年もたしか同じようなものだったと記憶しているが、これは時間帯が遅いからか(午後6時半)、繁盛してないからか、どっちなのだろう。ひどく“まずい”というわけでもないのだが。去年も今年も、ド平日だったからかな?
 まぁそんなわけで、静かな店内でたらふく食って帰ってきたというのに、なぜか今夜は腹の虫が騒ぐ。昨日収穫したばかりの赤オクラを刻んで、茶漬けにトッピング。それをみこりんが見ていて、「みこりんいっぱいたべてきたで、いらん〜」などと言う。そう言いつつも、私のどんぶりを覗き込み、いそいそとみこりん用スプーンなどを取って来るのであった。食うつもりなんだろう。あぁやはり食っちまった。楽しいなぁみこりん。


2000.8.18(Fri)

ダン、明け方に死す

 明け方、遅めの餌やりのためにチュー達のケージを並べていたときのこと。元気に回し車で遊んでいる“あかねちゃん”とは対照的に、やけにシンとした“ダン”のケージに、私はついにこのときが来たのだと悟ったのだった。
 ダンは、巣の中で少し体を伸ばし気味にしたまま、息を引き取っていた。2匹分用意してきたキュウリとニンジンを手のひらに乗っけたまま、ダンを抱き上げ(というか、すくいあげ)、まだ死後硬直が進んでいない体をなでてやった。左前脚の付け根付近に、大豆より少し大きなサイズの腫瘍があった。ここ数ヶ月というもの、ずっとダンに取り憑いていたヤツだ。ドワーフハムスター“ロボロフスキー”種の小さな小さなダンにとっては、それでも十分に大きな肉塊である。悪性の腫瘍ならば、手術で切除という選択肢も最近ではあるらしい。実際、あのヒゲの獣医さんがジャンガリアンの腫瘍を切除しているのもテレビで見た。その一方で、高齢のドワーフハムスターに手術が与える負荷はかなりのものになるという話もあり、私の中ではいまだ結論が出ていない。

 ダンが大好きだった餌と一緒にティッシュでくるみ、庭に出る。明け方の空気はほどよく涼しく心地よい。埋める場所は、前回のチャッピーの場所にほど近い、トラノオの根元にした。歴代ハムスターの墓のあたり、3本のゴールドクレストが植わったところは、植物が茂りすぎて近寄れず…。
 異様に硬い地面だった。小さなスコップでは歯が立たず、大きなシャベルを持ち出して掘り始めたのだが、そうするとなんだか本格的な墓穴を掘ってるようで、ぞくりとする。土の色も黄土色で乾燥しきっているし、ますます“死”のイメージにぴったりだ。なのにトラノオは青々と葉を茂らせ、穂状に蕾がふくらみ加減で“命”に溢れていた。墓穴は、結局浅いままに終わった。どでかい岩が埋まっていたのだ。小さな小さなダンを岩の上に置き、土をかける。滅びた肉体は土に還り、木々の命となれ。ことさら念じるまでもなく、太古から自然の摂理はそうに違いあるまい。
 さようなら、ダン。


2000.8.19(Sat)

秋の虫

 なんとはなしに聞こえていたのが、鈴虫の奏でる羽音だと気づいたとき、感傷的になるよりも先に、驚きの感情があった。秋の虫に代表される鈴虫でも、子供時代、鈴虫は買ってこなくては手に入れられない虫だったから。
 中途半端に田舎にあった実家だが、クツワムシ、ウマオイ、キリギリス、オカメコオロギ、エンマコオロギなどなど、図鑑に載っていたほとんどの秋の虫が、庭や周囲の草地に棲息していた。そういう環境だったからこそ、小学4年の読書感想文に『昆虫図鑑』を選ぶくらい虫に興味を持てたのだろう。だから鈴虫だけがいないことがとても理不尽に思えて、何度となく地面を這いつくばり、湿気った草どもをかき分けかき分け探したものだ。でも、結局、鈴虫に出会うことはなかった。

 去年も鈴虫は鳴いていただろうか。どうにも記憶が曖昧だ。やかましいくらいに虫達の合唱はあったが、鈴虫のソロがこれほどはっきりと聞こえたのは今回が初めてのような気がする。裏手の空き地が舞台になってるようなので、野生のものであることは間違いなさそうだけれど(飼われてたのが逃げ出した可能性はあるかもしれない)。
 ぜひとも鈴虫を我が家の庭へ招待したい。枯れ草を積み上げ、雑草をほどよく残し、準備は万端のはずなのだが。そろそろみこりんと一緒に、庭の昆虫マップでも作ってみようかと思う今日この頃である。


2000.8.20(Sun)

働く自動車

 目覚めればすでに午後3時過ぎ。9時間も眠ってしまった。しかも貴重な太陽の出ている間に…。日中も、夜も、やりたいことが多すぎる。あぁしかもしかも今日で夏休み第2段はおしまいだ。なかなか思うように事は進まないものよのぅ。

 夕方、みこりん達が里帰りから戻ってきた。なんと今日でみこりんは3歳になったのだ。長いようで短い子育ての日々である。
 みこりんはパンダを見てきたという。日本には、上野以外にも生きたパンダがいる動物園がある。私が見たのは上野だが、あのときはまだパンダが珍しく、長蛇の列で流されていき、立ち止まり禁止でほんの一瞬しか見えなかったのだが、みこりんもやっぱり立ち止まり禁止だったらしい。でも、後ろの方はそういう制限もないので、ポイントさえ良ければじっくり見ることも可能らしい。
 ところで今回もみこりんは動物園で、ばぁばにあるものを買って貰ったという。去年もそれを買っていた。動物園には不似合いなもの、働く自動車シリーズのおもちゃである。わざわざ動物園で買わなくてもいいと思うのだが、目に付いたらそこがどこであるかに関係なく欲しくなるのが子供心の妙なんだろう。去年はミキサー車だった。今年はクレーン車だ。どうせなら、このシリーズ、すべて制覇してもらいたいものである。案外どこかで TOYOTOYS の働く自動車にはまった人のサイトがあるかもしれないな。


2000.8.21(Mon)

ガーデニングとは

 『日本的ガーデニングのすすめ〜農のある庭』(農山漁村文化協会 発行:現代農業 2000年8月増刊)という雑誌を先日買ってきてからと言うもの、トイレの友として読み進めていた。全部で260ページという厚さながら、カラーページが冒頭36ページしかないという文章主体な雑誌で、いかにも地味なのだが、サブタイトルにある“農のある庭”というのにまず惹かれた。ぱらぱらっとめくってみて、BISES編集長の八木波奈子氏による「基本を忘れた花飾り現象?」の一節に目が留まり、購入を決めたのである。
 BISESといえば、おしゃれ系ガーデニングの火付け役とも言える雑誌として、世間一般にも広く認知されていることと思う。その編集長をして「花飾り現象?」と言わしめるのだから、他の記事にも興味深いものが目白押しに違いあるまい。この予感は、幸いなことにほぼ当たっていた。読み終えた今、我が意を得たりという満足感に、今夜寝るまで浸ってしまった。

 まぁ中にはつい「工業を馬鹿にしていかんよ」と、映画『王立宇宙軍』の台詞を思い出してしまうような記事もあったのだが、全般的に日本オリジナルな自然との関わりを再確認させてくれたものが多くて楽しめた。雑多な植物が混在する庭というのが、昔から私の理想であったことも影響しているだろう。植物だけではなく、蝶やトンボなどの昆虫やら、水生動物を呼び寄せる庭についての記事には、おおいに参考になるところがあったし。イトトンボを呼べる庭というのは、いずれ我が家の庭でも実践したいものだ。
 さらに、私には植物と昆虫との関わりで、最近ちょっと悩んでいたことがあった。カマキリやカナヘビ君などの捕食生物がいるとはいえ、草食性の昆虫の威力はすさまじく、ほうっておいたら丸坊主にされてしまうほどなので、やむなく捕殺してしまうのだが、これがどうにもしっくりこないのである。明らかに痛そうな“毛虫”とかだったらたぶん心も揺れないにちがいないのだが、ナス系の葉っぱをうまそうに囓ってるニジュウヤホシテントウムシなどの、見た目普通の昆虫を捕殺するのは、心が痛む。カメムシにしてもそうだ。子供の頃は、カメムシの独特のボディラインが好きだったので、今、ピーマン類に無数についてる彼らを捕殺するのは、古くからの友人を谷底に突き落としてるような気がしてしまうのである。かといって放置していては植物が枯れる…、ジレンマだった。でも最近は『踏んづけ〜る』もかなり平気にできてしまうようになっていて、自分は変わってしまったのではなかろうか…と不安な気持ちもちらほらとあった。
 そんな気分を一掃してくれる文章に出会うことができたのも、大きな収穫といえる。『バタフライガーデンで「自然」「いのち」を考える』と題して海野和男氏が書かれた文章がそれだ。以下に引用させていただく。

 だいたい虫は小さいから、地面にたくさん落ちて死んでいても、興味がなければ目に入らない。けれどぼくは、殺虫剤をまいた後の場所で虫たちが苦しみもがいているのを見るのはとても辛い。売るための花を栽培しているのならともかく、プライベートガーデンでは、植物が大切で憎たらしい虫を殺すなら、せめて自分で取り去ったり踏みつぶしてほしいなと思うのである。それは大変にフェアなことであると思うし、殺すことを実感することで、いのちとは何かという大きな命題に対しても、自然に自分なりの考え方がつくられてくるに違いない。

『バタフライガーデンで「自然」「いのち」を考える』p.234 下段中央より

 必要ならば捕殺もやむなし。でもそれは、殺戮であってはならない。
 そういうことなのだと、今ようやく自分の中で答えが見つかった気がする。
 来年からは、虫用にも余分に植物を植えておこう。そうすればもっとうまく共存できるはずだから。


2000.8.22(Tue)

ここここーひー

 いつものネコ砂が売り切れだったので、たまたま目に付いた製品を買ってきて使ってみたところ、これがじつに具合がよい。どう“具合がよい”かというと、匂いが“いい”ことがまず挙げられる。買ったときには気づかなかったのだが、このネコ砂は、コーヒー豆殻に、特殊な加工を施した後、パルプコーティングしてあるのだった。つまり、ほんのり(もう少し強いかな?)コーヒーの香りがするのである。
 パルプを使ったネコ砂(砂じゃないけど)は、ネコが用を足すと濡れた紙独特の異臭がどうしても発生してしまうので、これまで主体的に使っては来なかったのだけど、今回のコーヒー豆のやつはこの異臭がまったくといっていいほど発生しない。かわりにコーヒー豆の匂いが心地よいのだった。とてつもない脱臭力といえよう。
 この素晴らしいネコ砂の名前は『お花畑“たんぽぽ”』という。ペットライン株式会社の商品である。“お花畑”というのは、この会社のトイレ用品を意味する識別コードのようで、他にも“コスモス”とか“ひなげし”なんてのもある。ちなみに“コスモス”には“パンシル(柿渋から抽出した天然の消臭成分)”、“ひなげし”には“たんぽぽ”同様コーヒー豆殻が消臭成分として使われているようだ。コーヒー豆と柿か…、どちらがうまそうな匂いがするのか比較してみたいような誘惑もちらり。
 ただ、私もLicも紅茶を好み、コーヒーはほとんど飲まないというライフスタイルなので、コーヒーの匂いに弱いLicの今後が気になるところだ。私は“匂い”ならばコーヒーでも問題ないのだが。いやむしろ“匂い”ならコーヒーのほうが好きかも知れない。だから部屋の芳香剤として小林製薬株式会社の『おいしい香り“ブルーマウンテン/コーヒー”』なんていうのも買ってしまった。じつにコーヒーの香りが芳しくて、食欲が刺激される…、あぁなんかまたお腹が空いてきたな…。『おいしい香り“焼き立てのパン”』も一緒に買っておくと、なお良いかも。
 ディープな小林製薬のファンサイトを見つけた。ここここここあたり。


2000.8.23(Wed)

ひたひたと…

 廊下の向こうから、機嫌の良いみこりんの声が聞こえてきた。お風呂から上がるらしい。体を拭いてやるのは風呂に入っていない誰かということになるので、今夜は私が指名されていた。みこりんはLicとお風呂にいるので、三人家族の我が家では、あとは他に誰がいるわけでもないのだが…。
 なぜかこのとき私は、必要以上に足音を立てないように風呂場へと近付いていった。笑い声が、だんだんはっきりと聞こえてくる。いよいよみこりんが上がってくる雰囲気だ。そっと洗面所の入り口から右目を覗かせてみると、Licがみこりんの体を拭いてやってるところだった。私の到着が少し遅れたせいだ。登場のタイミングを逸してしまったので、いましばらく様子を見ることにする。

 いつもはなかなかじっとしていないみこりんなのだが、このときは異様におりこうさんだったようだ。あっというまに拭き終わり、着替えを取ろうと洗濯機のほうにやってきた。まずい!私の正面だ。
 いったい何がまずいのかもはや思い出せないのだが、このときの私はとにかく隠れなければという意識だけに突き動かされ、咄嗟にその身を伏せていた。猫が獲物を前にして忍ぶかのごとき体勢であったろう。軽く両手を前に出し、背を丸めて縮こまったままで、気配を殺す。みこりんは気づいていないようだ。そろぉっと顔を上げ、上目遣いに見やると、こちらに背を向けたままでパジャマに着替えるみこりんの姿が…。
 まったく無防備なみこりんの後ろ姿にむかって私は、顔を伏せ這いつくばったままで1歩、また一歩とにじり寄ってみた。わずか50cmほどの距離だ、空気の動きは隠しようがない。はっと振り返ったらしいみこりんの気配!

 私もにゃんちくんが廊下を二足歩行してきたら怖い。あるいは、Licが逆立ちして階段を降りてきても怖い。魚が宙を飛ぶのもたまげるし、チューちゃんが仰向けになって這いずってきても恐ろしい。普段とは違う様相で迫ってこられると、人は原始的な“怯え”に取り憑かれるのだろうと思う。恐怖映画を見ていても、そういう演出はけっこうあるような気がするし(首があり得ない回転をしたり、オトナが這ってきたり…)。

 あぁ今夜のことが、妙なトラウマになったりしませんように。でも、つい怖がらせたくなってしまうのだなぁ。


2000.8.24(Thr)

食い気

 今夜のメニューは親子丼。久しぶりの親子丼。Licとみこりんはすでに食事を済ませている。なので私だけに丼が用意されているのだが、なぜかみこりんがすぐそばで待機してた。いただきますして、はふはふと箸で食らっていると、みこりんの視線が次々に刺さってくる。腹が減っていたので、とりあえず人心地着くまで丼を放さなかったのだが、その間みこりんの放出する食い気はなおも上昇中。もはやこれ以上放って置いては“危険”だ。そう思わせるに十分な迫力だった。

 私は箸に少々飯粒を乗せ、みこりんの口元へ持っていってやった。熱そうなジェスチャーをするので、ふぅふぅしてやったらようやく食べてくれた。みこりんは猫舌なのだ。なんてお上品な…。でもそのうち丼が熱々ではなくなったころ、本性がむくっと鎌首をもたげたらしい。みこりん用のお椀を持ってきて、私の丼からあらかたさらっていってしまったのだった。晩ご飯はすでに食べているはずなのに、恐るべき食欲魔人……。
 日頃、なかなか集中してご飯を食べてくれないみこりんなのだが、まれにこうして“お菓子”並に執着するときがある。何がみこりんの嗜好にぴたりと当てはまるかわからない。以前ならばカレーはとりあえず食いつきはよかった。でも最近はそうでもない。今夜は親子丼な気分だったのか。明日になればこれもまた変わってしまうのだろう。移り気なみこりんだ。


2000.8.25(Fri)

GUI+アルゴリズム

 仕事で少々データベースを作成する必要があったので、2時間ほどでさささっと作ったのだが、データ入力はやはり外注に出した方がいいということになり、今日さっそく業者が見積もりにやってきた。一通り説明したあと、業者がこのソフトは何で開発したのかと聞くので、C++Builderだと答えた。そのあとだ、業者は VisualBasic ならもっと簡単にできる云々と、うちの上司に話しはじめたのだった。いやまったく、どうなっておるのか。
 VisualBasic の文法は、もはやポインタ操作(できなくはないが)とビット操作のできないC言語みたいなもんだというのに。いまだ Basic のほうが簡単だという認識がまかり通っているのかな。素人ならばいざしらず…。もっと頭を抱えるのは、一緒に頷いてる上司の存在だけれども。
 C++Builderを使ったことがない人が多すぎるせいだなこれは。VisualBasicが得意とされていたGUI開発は、C++BuilderがVersion3になったころから、もはや VisualBasicの独壇場ではなくなったというのに。GUIまわりの開発が同じく容易ならば、オブジェクト指向ではない Basic などは、わざわざ使う必要はない。慣れたC++で十分だ。もともとうちの職場はC/C++言語系が主流なのだから。

 Windows用ソフトウェアというと、すぐに VisualBasic という人は、いまだに画面回りが簡単に作成できるとソフトウェアも同じく簡単に作成できると勘違いしてるのかもしれない。まぁたしかに画面に凝ってれば、なんとなくすごそうに見える場合は多いからなぁ。その昔、Windows3.1がようやく日本でも定着しはじめたころのソフトウェアコンテストで、画面“だけ”しかできていない未完成のソフトウェアがノミネートされてたのを思い出した。あのときは唖然としたが。しかも何か受賞してたような。
 見栄えとアルゴリズムは、きちんと分けて考えないとね。


2000.8.26(Sat)

意外な発見

 まだまだ残暑厳しい昼下がり、みこりんの遊びにつきあっている間にも微睡みはじわじわとやってきて……。はっと気がついたときには、みこりんが瞬間移動したがごとく、一寸前の映像とはズレていた。もう限界だ。昼寝しよう。
 保育園ではこの時間帯はお昼寝タイムのはずなのだが、みこりんは目が冴えてしょうがないらしく、布団の上でも元気に活動を継続中。このままじゃお互い不幸になってしまう。何かいい手はないか。考え考えしているうちに、ふっとひらめいた素晴らしいこと。そうだ、お散歩しようじゃないか。さっそくみこりんに提案してみたところ、すっかり乗り気で支度を始めたのだった。

 行き先は、春にショウジョウバカマを発見した団地の向こうに広がる山裾にした。歩いてもほどよい距離で、散歩には最適だ。みこりんは途中で昼寝してもらう魂胆なので、ベビーカーに乗せた。三歳を過ぎてベビーカーは、さすがにちょっとサイズが合わなかったのだが、まぁこのさい目をつぶろう。こうして我々は、暑い歩道を下っていったのだった。

 みこりんは“ねこじゃらし”に異様なくらい興味を示していた。あれでにゃんちくんをじゃらすのだと意気込んでいる。そういえばみこりんがまだ随分小さかった頃、ねこじゃらしでにゃんちをじゃらしたことがあった。あの頃のことを憶えているのだろうか。帰り道に取って帰ろうと約束して、先を急いだ。もうじき団地を出る。
 二車線の車道を渡れば目的地はすぐそこだ。道ばたの草花が見えるように、ゆっくりとベビーカーを押して歩いた。いよいよ山裾の小道に入る。ショウジョウバカマがどうなったのか気になるところだ。とその時、背後にLicがいた。買い物に出ていたLicが、タイミングよく戻ってくる途中で私たちを見つけたらしい。私が着ていたTシャツがオリジナルの背中にでっかく“ペパーミントエンゼル”をあしらったものだったので、遠くからで判別可能だったのが幸いしたのだろう(ペパーミントエンゼル:南太平洋クック島付近の水深150mあたりに棲息する美麗な小型の海水魚。鮮やかな白と赤の縞模様を持ち、いつかは飼ってみたい魚の筆頭である)。

 山際に咲く小さな花で、天狗の鼻ごっこをしてしばし遊んだ。この植物(正式名は忘れた)はツボ型の花を咲かせるので、子供時代によくこうして花びらを少し舐めておいて、ぺたっと鼻頭にくっつけて遊んだものだ。みこりんにも教えておいてやらねばもったいない。みんなで天狗になったあと、Licは先回りしてクルマを停めるために姿を消し、私は再びみこりんと二人だけで散策を続けた。
 山は、圧倒的な緑の量だった。すさまじい。土砂降りのような蝉時雨。珍しくミンミンゼミも混じっている。
 ショウジョウバカマがあった場所は、ただ穴が開いているだけだった。掘り取られていったのかもしれない。たしかにあの株は、ここら一帯では飛び抜けて美しい花を咲かせていたからなぁ。…気を取り直して先へと進む。
 アザミやらクリのイガやらどんぐりの帽子やらトンボ達、なにもかもが懐かしい情景だ。みこりんは中でもクリのイガがお気に入りらしい。行程も残り1/3というあたりでLicが再び合流した。先ほどから黒いトンボが行く先々へと現れる。河原によくいるヤツだった。川が近い。蛍を見た川だ。ではそろそろ山から川へと移ろう。

 この川は、ここ数年、蛍が大発生するので一躍この地域では名が知られるようになっていたのだが、さらに今年、鮎が遡上することが確認されたと広報に載っていた。小川に毛が生えた程度の川なのに、意外な実力を秘めているらしい。
 小さな橋の上から、みこりんと並んで覗き込んでみた。ここは少し流れがゆるやかになっていて、水深も50cmほどはありそうだった。動くものはないかと目を凝らしていると、ときおりきらっと光るものを見つけた。黒い影にも気がついた。魚影だ。腹が太陽を反射しているらしい。なんとなくフナのような体型に思える。ゆらぁとやや大きめの個体が近付いてきたのでそこに視線を集中させていると、突然そいつが水上の葉っぱで羽根を休めていた黒いトンボに襲いかかった。な、ななななんと?そいつもフナだとばかり思っていたが、どうも違うようだ。尻尾に至るラインが太い感じ、しかも緑色っぽい。もしやこれはブラックバスなのでは…。体側の模様が確認できればよかったのだが、見失ってしまった。近くの池にはブラックバスが大量にいるらしいので、釣り人がこちらの川にも持ち込んだ可能性はある。こいつは由々しき事態……かもしれん。オイカワ達、小魚の群は大丈夫だろうか。池のような閉鎖環境ではないものの、こんな小さな川では影響は無視できないだろう。橋から下流に下ってみよう。

 橋の向こうは浅く流れがあった。見れば橋の真下で水がだいぶ堰き止められている。ブラックバスがそこにいても、こちらには容易に来られそうにない。まぁ雨が降ったらおしまいだけど。などと思いつつ川面を見ると、いるいる、小魚の群だ。ここには川辺に階段があって、水面付近まで降りることができたので、そばまで寄って確認することができた。小魚の群は、オイカワのようだ。鮮やかな虹色の模様が入りつつあった。しかもメダカサイズの稚魚達も豊富に岸辺を泳いでいる。こいつはいい。まだ健在だ。ますますさっきのあれがブラックバスなのかどうなのかが気になってきた。試しに釣り上げてみようか、なんて思ってしまう。
 さらにずっと川を下ってみた。護岸工事がされているものの、両岸には大量の土が堆積していて植物がうっそうと茂っているため、まるで手つかずの野生の川のようにも見える。それが鮎の遡上するようになった理由なのかもしれない。この植物達による浄化作用はかなりのものだろう。どこまでいっても小魚の群は絶えなかった。素晴らしい。川遊びには絶好の場所だ。今まで近すぎて見過ごしてしまっていたが、これはかなりポイント高い。難点は川面にアプローチするのが、やや困難なことか。生い茂る植物と、高いコンクリート壁に阻まれて、子供が単独で遊ぶのはおそらく不可能。オトナでも、それなりの装備が必要だろう。ますます面白そうだ。


2000.8.27(Sun)

焼き焼き

 過ぎゆく夏を儚み、庭で炭火焼きをすることにした。夕暮れの迫る晩夏の午後は、どこか蝉の声も寂しげだ。今期2度目の登場となる snow peak の焚き火台をセットし、小枝で炭に着火を試みる。先月はこれでいとも簡単に炭火が起きたが、今回もあっけないほど簡単に炭は赤々と燃え始めたのだった。
 前回よりもうまくいきすぎた。買い出しに出かけたLic達が戻るまで、まだ30分はあるだろう。それまで炭を燃やす尽くさないように気を付けて……。ちらちらと燃える炎を見ていると、やはりアルコールを欲してしまう。ワインを炭酸で割ってグラスに注ぎ、浜田省吾の『Club Surfbound』を流せば、準備OK。焚き火ほど素晴らしいものはあるまいと思えてくるのだった。

 そろそろ炭の残りが気になってきた頃、Licとみこりんが戻ってきた。炭を追加し、炭火焼きの始まりだ。
 今日はどでかいイカと、サザエが登場した。Lサイズの焚き火台をもってしても、これだけで一杯になってしまうほどだ。3人家族ならばこれでもいいが、4人5人、しかも子供が食べ盛りなんて年頃になると、間に合わないかも。

 焼き上がったイカは、やはり美味であった。味付け不要な天然の味が格別だ。空いたスペースに肉やら野菜やらを並べつつ、サザエが沸騰しているのを確認。そろそろこいつもいいだろう。しばらく火から下ろして冷めるのを待つ。ほどよく熱が逃げたところで、竹串を使ってほじくりほじくり。せっかくだからみこりんにもサザエの姿を見せてやろう。ぐるんぐるん巻いた内臓が、ちょっぴりグロい。みこりんが食べたそうにしていたので、一口囓らせてみた。美味い??
 やはりサザエはオトナの味であった。みこりんは顔中をつかって“苦さ”を表現してくれた。貝類の好きな私でも、こいつはかなり苦いと思ったのだから、みこりんにしてみればとてつもない苦さであったろう。これに懲りてサザエを嫌いになっては困るんだけど、次回の炭火焼きではもう少しソフトな牡蠣を用意してやろうかな。

 そうしてたらふく食い、飲み、焼き、空はどんどん暗くなり、夜風が涼しい頃合いとなった。星がほとんど見えないのが残念だが、満ち足りたおだやかな空気が心地よい。網から落ちてくすぶっている肉の香ばしい匂いも、また風情あり。
 来週は、庭でカレーでも作ってみようかと思う。


2000.8.28(Mon)

饅頭

 毎年、勤務先の創立記念日には紅白饅頭がふるまわれるのが常であった。しかし、今年からはそれもなくなる。
 一向に回復しない業績と、明るい兆しも見えないことから、今回の措置になったらしい。1万セットを越える饅頭とはいえ単価などたかがしれているはずなので、ようするにこれは切迫した危機感を浸透させたいというところなのだろう。饅頭さえ危ないのかと思えば、真相はなんであれ、やはり多少はドキリとする。いや、ほんとうに饅頭代も用意できないくらいヤバかったりしたら……、これはなかなか怖い。そんなことあるかいなと思いつつも、いやもしかしてひょっとしたらほんとうにそこまでいっちゃってるのかと思わせてしまう何かが、社内の誰にも1つや2つは思い当たる節があったりする(と思われ)ので、じわじわっと響いてくる。
 それにしても、こんなケチくさいことするより、業績に多大な貢献をした個人に特別ボーナスを“どどん”と支給するぞと発表するほうが効果的なんじゃなかろうか。もちろん優れた能力・知識を社内全般に広めたヤツにもボーナス加算だ。こうしとかないと自身のスキルアップばかりに専念してしまうという弊害が出るだろう。逆に怠慢なやつ、期待される能力が不足してる人物には、ボーナス大幅カットの合わせ技。なかなかスリリングな毎日になりそう…。とりあえず事あるごとに、なんとかのひとつ覚えの“IT”云々いう連中は降格ってことで。


2000.8.29(Tue)

桃の利用法

 花桃の実が順調に大きくなってきている。毎年、満開の花に相応しいだけの実をつけていたのだけれど、今年は例年になく豊作の気配。桃の脇にあるガレージにクルマを止め、ドアを開けた瞬間、甘いとろけそうななんともいえず良い香りに包まれるのだ。惜しむらくは、これが花桃だということで、実を食べるのが主目的ではないため、実そのものはそれほどおいしそうではない。見た目はまだ青い梅といった感じだった。
 触ってみてもまだまだ固く、美味しそうな香りとのギャップに苦悶してしまう。もしもこれが全部おいしい桃になったとしたら、それこそ毎日10個ずつ食ったって、かるく1ヶ月はもちそうなくらいの量だ。じつに悩ましいではないか。おそらく食用の桃のようには熟さないはずなので、生で食べるには少々無理がある。かといって放って置いたら落下するばかりでもったいない。道路に落ちたヤツを毎日拾って掃除しないといけないし。何かいい手はないだろうか。

 Licは「桃のお酒にしてはどうだろう」と言う。見た目、梅そっくりだし、果実酒になら少々生で食べられなくても使えるだろうし。私もその意見には深く深く同意するのだが、果実表面に浮き上がっている黒い点々がLicには気になるらしい。虫が食ったのでもなく、激しい病気というわけでもない(と思う)。少し痛んでいるんだろう。なにしろ桃の表面はとてもデリケートなのだから。
 そんなわけで来年に期待だ。ちゃんと袋をかぶせておけば、綺麗なお肌が保たれるはず……。そんな根気があればの話だけど(来年に備えて、今年プロトタイプを作製してみるのもいいかな)。


2000.8.30(Wed)

初秋

 いつのまにやら道路沿いの休耕田では秋桜が咲き始めている。あぜ道には小さな百合が群生していたりして、そこだけ景色が秋色だった。空もじきに模様替えするのだろう。夏の終わりもあっという間だ。


2000.8.31(Thr)

カメラに触れて

 カメラをいじってたみこりんが、「でんちがないでんちがない」と繰り返し訴え始めたので見てみると、いつのまにかフィルムカバー(?)が全開になってしまってた。大慌てで奪い取り元に戻したが、すでに手遅れだろう。みこりんのプール参観の記録は永遠に消滅した。
 さすがに取り返しのつかないことをしたと察知したのか、みこりんの反応はいつになくうろたえていた。私もつい、もうカメラに触ってはダメだと言ってしまったが、真夜中、一人で考え事などしていると、そのことがどうにも気になってしまうのだった。カメラについての失敗は、私にも覚えがある。自分用のちゃっちいカメラじゃなくて、家にあったいわゆる普通のカメラ(でも一眼とか二眼ではない)をようやく使わせてもらえるようになった小学高学年の頃のこと。
 私は初めての本格的なカメラマン役に、少々浮かれていた。家族やら飼ってた犬やら、身近な被写体を次々にカメラに収め、36枚のフィルムはあっというまに撮り終えてしまっていた。ここからが問題だった。撮影の手順などは親のやってるのを見ていたのでなんとかなったが、フィルムを取り出す方法はあやふやだった。それでもなんとかカメラ左側上部にあるクランクを回転させればよいのだと思い出し、実行した。ロックも外さずに。それでどうなったかといえば、カメラ内部でみしみしというイヤな音がして、フィルム巻き上げが異様に重くなってしまって、ついには動かなくなったのだ。ロックを解除してないのだからこうなっても当然なのだが、大失態だった。
 でもそうやって失敗すれば、次からは慎重になれる。学習するし、興味もさらに倍加する。

 みこりんもすでに3歳だ。カメラの構造を教えてやってもいいだろう。なにしろ3歳あたりから、ヒトは急速に成長する。なんでもやりたがる年頃だ。みこりんがカメラに興味を示すならば、それを伸ばしてやっても面白い。ファインダーを覗き、シャッターを押すという動作はすでに理解しているようなので、もっと細かな使い方を教えてやろう。はたしてどんな写真を撮ってきてくれるだろうか。興味深いことである。


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