2002.3.1(Fri)
『ザ・セル』
珍しくLicが真夜中のTV画面に引き込まれていた。怖がりなのに、目が離せなくなってしまっているらしい。放映されているのは、映画『ザ・セル』。
犯罪者(に限らず)の脳内世界に入ってしまえるというテクノロジーに、なんとなく“サイコダイバー・シリーズ”(by 夢枕獏)を思い出しつつ、私もちらちらと意識を画面のほうに向けている。
脳内世界のビジュアル表現は、なんだか音楽系PVのような雰囲気が強くあり、少し非現実的すぎるかなというのが第一印象。私個人の嗜好としては、リアルな中にこっそりと混じり込む狂気(不条理さ)というのがツボなんだけれど、映像は美しいので、真夜中のBGVとしては上等かもしれない。
ところで肝心のストーリーはというと、つまみ食い的にしか意識を向けていなかったのであまり把握できていない。運良く次回チャンスがあれば、最初から観てみようかな、という気にはなっているのだが、激しく後悔しそうな予感もかなりあって、悩ましいところだ。なにしろ真夜中に読むべき、あるいは観るべき作品がありすぎて、有限な時間をいかに有効に配分するかが継続的かつ重要課題のままだから。おそらく多くの人が似たり寄ったりの悩みを抱いておられるだろう。死ぬまでに、読もう(あるいは観よう)と思った作品を、どれだけ読み切る(観きる)ことができるのか、と。
夢の中で時たま起きる(あるいは現実世界でも希に発生するようだが)、時間感覚の消失現象を、意識的に発現することができたら、さぞや便利に違いあるまい。お腹いっぱいになるまでたらふく本を読み、映像を観、ふと気が付けばほんの数分しか経ってなかったなんてことがあったら素晴らしいのだが、果たしてこのようなテクノロジーが実現するのは何年後のことだろう。願わくば、寿命が尽きるまでに実現しますように。でも、恒星間宇宙船の実現との二者択一なら、宇宙船の方を優先してください(って誰にお願いしてるのやら)。
2002.3.2(Sat)
躍動する土
思わず縁側で猫のように伸びをしたくなるほど、ぽかぽかと心地よい土曜の朝。さっそく庭に出て土いぢりでも、とサンダルに履き替えていたところ、ヒヨドリのけたたましい鳴き声にかき消されつつも耳に届く囀りを聞いた。
鶯だ。まだ上手とは言い難い囀りだったけれど、その軽やかなリズムに乗って春がやってきたかのように、庭の木々にも目立った変化が感じられた。
きゅっと固く絞ったようだったプラムの蕾が、内なるパワーを押しとどめられず、ふっくらと丸みを帯びてきているのがわかる。その隣の菜園1号では、ニラの新芽がにょきにょきと頭をもたげつつあった。秋口に種まきしておいたニンジン達が、はやくも半ば雑草に覆い尽くされようとしている。まるで大地からゆらゆらと陽炎のようにオーラが発せられているかのようだ。
今日を逃したら、すべてが後手に回りそうな予感がしたので、花壇と菜園の空いてる部分を耕しておくことにする。石灰まいて、堆肥を入れて、ついでに新たなる培養土も投入して、さくさくさくっと。二カ所に分散していたニラ達を、一カ所にまとめ直して、場所開けて、さらに耕すこと十数分。
土の表面を手で撫でて整えていると、うねうね動いてるヤツを発見した。1匹だけかと思ったら、そこにもここにもあそこにも、手の届かないあたりまで、1cmほどのやや白っぽく透明な“足のない生物”が転げ回っているのだった。「な、なんじゃぁこりゃぁ」思わず手を引っ込めそうになった。……が、思い直してよくよく観察してみれば、どうもミミズの赤ちゃんっぽい。体節が見えるような気がするのだ。少なくとも線虫とかウジ虫系な、ぬっぺりとした艶々感は感じられない。
うねうねしててもミミズならば大丈夫。
ところでこうやって平らな土の表面を見つめていると、だんだんピントがぼやけてくる。注視したい対象物があっても(この場合はミミズの赤ちゃんだが)、そんなことにおかまいなく、両眼のピントはどんどんずれていってしまうのだ。自動焦点カメラが故障したときのような感じに…
小さい頃からそうだった。砂場で遊んでいると、だんだん目の前がぼんやりと輪郭が溶けていってしまって、足元がぐらつくような錯覚に陥ったモノだ。そんなとき慌てて立ち上がると、立ち眩みに襲われて、本当に頭がくらっとしてしまう。だからいったん目をつぶり、ピント合わせをリセットしてから、ゆっくりと瞼を開くといい。さぁ直った。ここで再び地面を見つめたら堂々巡りになってしまうので、視線を合わせぬように慎重に立ち上がるべし。
なんとも不便なものである。
*
拡がったジャーマンアイリスの球根からも、新芽が無数に上がって来つつある。毎年増え続ける球根は、今では隣に植えたバラをも圧迫するほどになっていた。いまのうちに半分を移植しよう。葉っぱが茂ってしまってからでは手遅れになる。
ぱきぽきと、レンコンみたいな感じに絡み合ってる球根を折り取ってみたところ、想像以上に量が多い。日当たりが良く、しかも水はけの良いところ。そんな好条件を満たす場所は、我が家の庭でもそうそうない。第一、そんないい場所はすでに他の植物が植わっている。これからさらに両手一杯のジャーマンアイリスを割り込ませる余裕など、どこにもないような気がしたが、ニッチはどこにでも存在するものなのか、ついに居場所が見つかった。
あとで増えても困らないように、手前側じゃなくて横へと球根が伸びていくように向きを調節しながら移植してやった。移植とはいっても、土に乗っけただけのようなさっぱりしたものだが、ジャーマンアイリスにはこのほうがいいらしい。特に水をやるでもなく、そのまま放置する。無事に咲きますように。
*
お昼を回った頃、徐々に日が陰ってきた。鶯の囀りは、もう耳に届かなくなっていた。
2002.3.3(Sun)
縄跳びのコツ
夕刻まで小一時間。みこりんが縄跳びしようと言うので、外に出る。
歩道の上で、ばた、ぴょん、ばた、ぴょん。みこりんは何故だかどんどん前に進んでいってしまう。ばた、ぴょん、ばた、ぴょん、どんどんどんどん行ってしまう。
まだ縄の動きと足の動きがうまく連動していないので、いったん縄を足元まで回してから、地べたに蛇のように貼り付いたそれを飛び越えるので、結果、前進していってしまうようである。そのことを指摘するとみこりんは、「じゃぁ、うしろまわり〜」と、逆回転していくのだった。でも、やっぱり縄と足が連動していない。縄跳びというよりは、縄跨ぎである。
どうやったら縄跳びが出来るようになるだろう。自分が昔子供のころ、どんな風に教わったのか思い出そうとしたが、さっぱり記憶は戻ってこない。仕方がないので、思いつくままに、まず縄なしでその場跳びをやらせてみる。ぴょーん、ぴょーんと、わりとタイミングよく跳ぶみこりん。そうそう、そこで腕をこう回して…。
「おぉ!?」
成功だ。縄は地べたに貼り付くことなく、ぐるっと一回転していた。
でもみこりんは何が起こったのか把握できていないようす。続けて2回目3回目を狙ったが、二度と奇跡は起きなかったのであった。
道程は遠し。
*
夜、サンルームの気温は6度。鉢植えを急いで取り込む。まだまだ油断禁物の3月序盤。
2002.3.4(Mon)
まぎらわしい症状
鼻洗浄スプレーですっきりさわやかに復活するLicと、まったく効果なしだった私。同じ花粉症のはずなのに両極端なこの違いに、どこか釈然としないものを感じていた。体質の差、なのかもしれないと思いつつ、なんとなくイヤな予感もあり…
今朝になって、ようやく私にもはっきりわかった。一日でティッシュ2箱3箱と空にしてしまうこの症状が、ただの花粉症だけではないことに。
花粉症でも多少は頭痛も伴うこともあるし、背中の筋肉やら節々が痛むことはあるらしいのだが、今のこれは少々度が過ぎているようだ。おまけになんだか熱っぽい。とうとう風邪菌にやられてしまったのだろう。
一日ゆっくりしてれば治るかなと、このときは軽く考えていたのだが、状況はそれほど甘くはなかったのだった。じつは…
(明日へとつづく)
2002.3.5(Tue)
忘れた頃に…
いまにもぽつりと雨粒が落ちてきそうな火曜日の午前中のこと。私は一人病院にいた。みこりんは今頃、遠足で楽しんでいるころだろうか。「しょうちゅうがっこう」に行くのだと言っていたが、いったいそれってどこだ?と、ぼんやりする頭でとりとめもなく考えている。待合室は、ほどほどに混んでいた。
老人が多い。1メートル進むのに、たっぷり10秒かかってしまうほどの“老い”というのを目の当たりにして、漠然とした“不安”みたいなのを感じてしまう自分に驚いてしまう。な、なんてこった。まだ指折り数えても、たっぷり三十年以上は先の話しだというのに、どうしてこれほどリアルに感じてしまうのだ。
かちかちと無意識のうちに歯がかち合っていた。寒い。寒すぎる。
やっと名前を呼ばれて立ち上がる。約1.5秒/メートルで診察室までたどり着き、30秒後には診察を終えて戻ってきていた。事前に問診1分があったとはいえ、いつになく早かったような……。以前は尿検査やら血液検査やらしてくれてたような記憶があるのだが、方針が変わったのか。あるいはよほど特徴的な症状を発していたのかもしれんが。
で、結局、診断結果はインフルエンザだった。今年は予防接種をうっかり忘れていたのが運の尽き。それにしても流行もすっかり下火になったころに罹ってしまうとはアンラッキー。どうかみこりんにうつりませんように。
2002.3.6(Wed)
野生のチューリップ、ではなく
ひとしきり眠ったあとも、まだ体の節々がきしきしと痛んだ。熱もさほど下がってはいないらしい。一歩踏み出すだけで、息が上がってしまう。
気分転換に庭へと降りる。まるで2月のような寒々とした空だ。花壇の土にも、あまり変化はないようだ……、とここで一点に目が留まった。
にょきっと鋭く地面を突き破って生えてきているのは、どうやらチューリップのようだ。この季節、チューリップが芽を出すのは別に構わないのだが、問題はその場所だった。まるっきり記憶にないのだ。
や、野生のチューリップ…だったら面白いが、それはたぶんない。去年チューリップを植えていたテラコッタの土を、おそらくここに捨てたのだろう。球根はあらかた救出したつもりだったが、小さいのが残っていたらしい。ひょろっとした葉っぱにも、その面影が感じられた。
こういう場合は花を咲かせず、球根を太らせるのがよい。のだが、どんな花が咲くのだろうという好奇心も抑えがたい。オレンジ色の“バレリーナ”ならば予想どおりだけれど、思いもよらないのが咲くと、いよいよ謎は深まるというものだ。
蕾の具合で決めるとしよう。
2002.3.7(Thr)
突然の…
みこりんと肩まで湯につかって、ぬくぬくと。久しぶりの風呂に、皮膚の深い部分もちくちくと反応しているかのよう。
とそのとき、突然みこりんの口から思わぬ言葉が溢れ出す。
「うれしくて うれしくて…」
私は思いっきり意表をつかれていた。
いったいみこりんは何を言っているのか。その言葉の意味するところを把握するのに、たっぷり5秒、いや、10秒はかかったかもしれない。それきりなにやら考えあぐねているみこりんに代って、私が続きを“歌って”やった。果たして推測は正しかっただろうか。
「言葉にできない?」
みこりんの顔を覗き込む。恥ずかしげに、こくりとうなずくみこりん。どうやら当たりらしい。
プロミス、アイフル、等々、みこりんの鼻歌に登場するCMはわりと多いが、いきなりオフコースが来るとは意外だった。一度フルコーラスで聞かせてみようかと思う。
2002.3.8(Fri)
保育園ルート
最近みこりんはよく「にいがきちゃんがかわいい」と言う。にいがきちゃんというと、あの新垣ちゃんであろうか。
しかしながら「それってミニモニ?」との問いに、「うん」という返事だったので、激しく誰かと勘違いしている可能性は濃厚である。だいたいうちではそういう系統のTVはあまり見ないため、みこりんの入手してくる情報は大抵が保育園ルートになる。おそらく伝聞のみでやりとりされているうちに、誰が誰だかすっかり混乱してるんじゃなかろうか。
保育園ルートといえば、『忍風戦隊ハリケンジャー』もかなり評判がよいらしい。私がCSでカクレンジャーを見ていても、CMでゴレンジャーが出てきても、赤いのを指さして「あ、ガオレッド!」と教えてくれるのである。……み、みこりん、ガオレッドはちょっと違うと思う。
2002.3.9(Sat)
豆と種まき
先週みこりんと二人でポットに種まきしておいたエンドウ豆から、ひょろりんと緑の“芽”が出ていた。みこりんも拍手して喜んでくれたが、なんだか妙だ。普通、豆が発芽すると、あの分厚くでっかい双葉が開くのではなかったか。なのにこれはいきなり本葉がにょきっと生えてきているような…
真相を確かめるべく土をちょびっと掘ってみると、すぐに指先に「かつっ」と当たる感触があった。豆だ。薬剤処理されて薄いピンクに染まった皮が、半分ほどめくれた状態で豆を覆っていた。中から白っぽい“双葉”が窮屈そうに覗いている。他のもたぶん全部こうなってるに違いない。
はや本葉が開こうかという段階で、未成熟な双葉を救出してどうなるものかわからないが、とりあえず皮を慎重に剥がしておいた。
みこりんが裏庭から発掘してきた小さなプラ鉢に、種をまくのだと言っている。いったい何の種かと覗いてみると、小さな小さなぱさぱさの“穂”のようなものが見えた。すでに種は落ちてしまっているように思えたが、みこりんはやる気満々のようである。土を所望したので、花壇の土を特別に使うことを許可してやる。まだ何も植わっていない花壇の土だが、何か雑草の種が混じっているはず。からっからに乾燥させてしまっても、何かしら発芽してくるにちがいあるまい。
*
午後、冬の間、座敷に取り込んでいた鉢植えを外に出してやった。今年は桜前線も早いらしい。もう雪が降ることもあるまい。
隠れんぼ
いつのまにか“隠れんぼ”をすることになった。みこりんの隠れる場所は、いつも決まって大きな箱の中。発見されるスリルを味わってもらおうと、わざと至近距離まで接近しておきながら座布団の下とか別のものに気をとられているように装ってみたのだが、焦れてきたみこりんに「はやく」と急かされてしまうのだった。どうやらみこりんは見つけてもらうのがうれしいらしい。
替わってみこりんが鬼になる。私は足音を忍ばせて廊下を上がり、普段使ってない部屋へと滑り込んだ。みこりんのカウントする声を確認すると、押入の上の段へとジャンプする。まるで誰かが用意してくれていたかのように、手頃な毛布が見つかった。思わず口元が“にやり”のポーズ。
カウントし終えたみこりんが、あちこちのドアを開けている音がする。そしてついに階段を上がってくるらしい。私は毛布の下で、息を殺して気配を断つ。
端っこの部屋から探し始めたみこりんだったが、ついに私の隠れる部屋のドアは開かれなかった。別に部屋が無数にあるような大豪邸ではないのだが、なぜに調べないみこりん。
とうとうみこりんは降りていってしまった。リビングでLicに私が見つからなかった旨、報告しているらしい。次いで、おっきな声でお昼ご飯ができたと叫んでいる。
私は毛布から這い出し、急いで階段を駆け下りた。食いっぱぐれてはかなわない。
あとでみこりんに聞いてみたところ、すぐに見つかるところに居て欲しかったらしい。探すことよりも、見つけることのほうが楽しいみこりんであった。
2002.3.10(Sun)
初舞台
おそらく三千人は軽く収容できると思われる、田舎にしてはできすぎの多目的ホールが、みこりんの初舞台であった。秋から始めた音楽教室の、合同発表会が今日この場所で行われるのである。
この日みこりんは白のブラウスに黒のスカート、レース模様の入った白い靴下に黒のローファーと、思いっきり決めていた。でかいホールというプレッシャーも、さほど感じられない。それどころかこの雰囲気を楽しんでいるような気さえする。じつは意外に肝が太いのかもしれん。
最前列の生徒席にLicと並んで座るみこりんの様子を、ず〜っと離れた遥か上の方の席に陣取った私は、ビデオカメラのズームを最大にして見つめるのだった。
みこりん達のクラスは、まだ特定の楽器をやるわけではないので、音楽会というよりは“お遊戯”の発表といった感じになる。しかも保護者同伴だ。3歳児クラスなので、まぁ致し方あるまい(みこりんは4歳だけど)。
やがてみこりん達の順番が巡ってきた。ファインダーと裸眼と、半々くらいの割合でみこりんを観る。時々手拍子のタイミングが3テンポくらい外れていたが、そんなことでへこたれるみこりんではなかった。元気があってよし。Licも含めて舞台に上がっているお母さん達が、みな自分の子供の方に視線を集中させて踊っているのが、なにやら微笑ましい。
演技を終えたみこりんは、生徒席から私のいる場所まで移動してきていた。ハイテンションが持続しているのか、なかなか落ち着いて座っている事のできないみこりん。そんなみこりんが、はたと瞳を奪われたのは、受け持ちの先生によるエレクトーンのソロ演奏のときだった。
ねずみーランド……もとい、ディズニーランドのとあるパレードの曲を弾いてくれていたのだが、これぞエレクトーンの真骨頂とばかりにのりのりに音符を重ね、多彩な音色でじつに軽やかに楽しげに、腕が、脚が、頭が、両肩がうねる。きゅっと引き結ばれた口元に、なんだか小悪魔的な微笑を感じた。や、やるなぁ先生(当たり前か、先生なんだから)。
すっかりみこりんは先生の虜であった。先生の演奏がいかに素晴らしかったかを、知っている単語をほぼすべて駆使して私に教えてくれるのである。たしかにその興奮は私にもよく伝わってきた。私も先生の演奏にすっかりやられてしまったらしい。はるか昔、中学生の頃、それまでピアノを弾くそぶりも見せなかった女の子が、いきなり伴奏で登場して流れるような演奏を披露してくれた時の記憶がオーバーラップする。
最後にミュージカルクラスの演技。女神様の「よろしい。たいへんよろしい」という台詞の言い回しが、妙にツボにはまる。中性的な雰囲気がよかったらしい。遠距離からではあまりわからなかったが、演技を終えてエントランスで仲間達と戯れていた彼女達の舞台化粧はすさまじく気合の入ったものだった。まさに晴れ舞台だったんだろうなぁと、何故か懐かしい気分に浸りつつ、会場を去る私であった。
2002.3.11(Mon)
じわじわっと効いてくる
バタフライ・モヒカン。ちょこっとやってみたい気が……する。仕事中に、煮詰まってきたら、人知れず「ぱた、ぱた」と。そのうちその羽音は伝染して、そこここで「ぱた、ぱた、ぱた、ぱた…」と羽ばたくモヒカンの嵐、という職場もなかなか怖くて気色良いかも……しれん。
2002.3.12(Tue)
目の上の肉
夜行性ということもあり、ジャンガリアン・ハムスターの“ことりさん”と触れあう機会というのはそれほど多くはないのだが、右目の瞼の上という目立つ位置に何かがくっついていれば、まず見逃すことはなかった。
最初のうちはチップの屑でも付いているのかと思っていた。色といい、カタチといい、あまりにそれは似すぎていた。しかしながら、こうも毎日同じ位置にチップが付着したままというのは、不自然である。いったい“ことりさん”の瞼には何が乗っかっているのだろうか。餌入れに体ごとはまりこんでむさぼり食っている隙に、上からそぉっと観察してみたところ……
なんとそれは肉片らしいことがわかったのだ。肉片といっても生肉が乗っかっているのではない。小さな“しこり”のような肉芽が、ことりさんの瞼の上あたりに発生していたのだった。
長さにして約2〜3ミリ、幅約1ミリといったところ。場所が場所だけに、なんとなく見ていて痒くなりそうだが、ことりさんは特に気にしている様子もなく、掻いたりこすったりという仕草は見られない。……ひょっとすると肉芽ではなく、ただ単に毛が固まってるだけかもしれないが、一度獣医さんに診てもらったほうがいいのかも。
見つめるうちにも忙しそうにケージ内をちょこまかと動き回ることりさん。小瓶に挿した大根の葉っぱに気が付くと、目の色を変えてむしゃぶりついてくるのが愛らしい。これほど大根の葉っぱに執着するとは意外だったが、最近は野菜といえばキュウリとニンジンしか与えてなかったので、その反動かもしれない。いずれ大根の葉っぱにも飽きる日が来るのだろうが、その頃には菜園にも野菜が溢れていることだろう。ことりさんの食事メニューも安泰に違いあるまい。
2002.3.13(Wed)
開花目前
サンルームを開け放ち、庭へと降りる。出しっぱなしのサンダルには、もはや夜露の名残はない。朝陽は素晴らしく暖かだった。
目の端に、昨日とは違う色彩変化を捉えていた。クロッカスだ。ふっくらと大きく膨らんだ濃紺の蕾。いまにもしゅるるっとほどけてしまいそうなほどに、はち切れそうだ。しかもクロッカスにしては、えらくでかい。まるでサフランのそれを思わせるほどのボリュームだ。
ちょうどいい具合にウッドデッキまで日なたぼっこに出てきていたみこりんを呼んでやる。
静かな住宅街に、みこりんの歓声が木霊する。予想通りの反応だ。しかし、それきりだった。手で触れるとか、しげしげと見つめるとかしてくれるかなと思っていたのだが、みこりんの興味の対象はあっという間に次へと移ったらしい。他に咲きそうな花はないかと、みこりんは私に問いかけるのだった。
あと1週間もすれば咲きそう、というのは結構あるのだが、クロッカス同様に開花目前となるとなかなか見あたらない。みこりんの反応もいまひとつ盛り上がりに欠けていた。どうやらみこりん、蕾にはあまり興味がなさそうである。
2002.3.14(Thr)
突破もの
午後、ウイルスウォールを突破してきたワームありとの報告が駆けめぐる。どうやら新種(というか変種か)らしい。メールサーバは安全のために停止させられているが、感染経路がメールのみということで、Nimda騒動の時のようにネットワークが切断されるようなことはなかったのは幸いであった。
やがてワームの正体が判明する。WORM_FBOUND.Cだ(途中、名称が変更されたりもしたが)。メールの添付ファイルとして自身を拡散させるが、添付ファイルを実行しない限り活動しない。Internet Explorer のセキュリティホールをついてメールをプレビューしただけで感染する NimdaやWORM_BADTRANS.Bとは違って、いたっておとなしいタイプである。これならば恐るるに足らず。…のはずなのに、社内では次々に感染が拡大しているとか情報が流れる。な、なんでやねん。
添付ファイルは闇雲に実行しないこと。と、昨年のNimda騒動以来、何度も何度も何度も何度も社内では告知されているというのに、それでもまだ迂闊にも実行してしまうヤツがいるとは。
件名だけでなく、本文のほうにもいかにもそれらしい日本語による文章が書かれていたっていうのならまだわからなくもないが(たぶんこういうワームもいずれ近いうちに登場するにちがいないのだが)、件名だけの見るからに怪しさ満点なメールの添付ファイルを実行してはいかん。怪しくなくても心当たりのない添付ファイルは実行しちゃいかん。差出人が知り合いからであろうとも、だ。
この日、メールサーバは終日、止まったままであった。
社内のメールアカウント取得に際しては、ある程度の試験を実施すべきではないのかと思う今日この頃である。
2002.3.15(Fri)
春の風
あの“血湧き肉躍る”春の匂いを届けてくれる春の風…、今宵その兆しを感じた。遺憾ながら花粉症で鼻の奥がさっぱり機能していないので、本当にそれが春の風なのかどうか定かではないのだけれど、皮膚に残った暖かな懐かしい雰囲気からして、可能性は高い。
宵闇に“ぽぅ”と輝くように咲いた黄色いラッパ水仙が一輪、微動だにせず凛と美しく。
春、か。
2002.3.17(Sun)
堆肥化計画
春の風もやってきたことだし、そろそろ雑草堆肥化計画をスタートさせてもよいころだ。抜いた雑草はただ枯れるにまかせて放置したのではただのゴミだが、しかるべき処理を施し堆肥にでもすれば、わざわざ“堆肥”を買ってくる必要もなくなる。
堆肥化にあたっては、ホームセンターなどで売ってるような巨大バケツもどきを使うという手もあるが、我が家の雑草やら剪定屑すべてまかなうには、相当に大きなものを買わねばならず、出費が痛い。やはりここは器具などを必要としない、自然任せでやってみようと思う。
問題はその“しかるべき処理”を施すのに必要な場所だった。少なくとも1辺1メートル以上の領域がいる。しかもあまり目立つ場所にあっては見苦しい。となれば……、やはり鬼門に位置する場所しかあるまい。その部分は現在、花壇にも菜園にも利用されていないし、みこりんもほとんど遊びには使っていない。好都合である。ただ1つ、そこに野生のグミの木が生えているということ以外は。
グミの実は、そこそこ美味だが、たくさん食べられるほどには美味くない。だからといって伐採というのも心が痛むが、敷地の有効活用のためにはいたしかたあるまい。シャベルを突き刺し、ほどよく太った根っこを掘り起こしにかかる。
ついでに瓦礫なども撤去しつつ、1メートル×1.5メートルほどの面積を、地下15cmほど掘り下げて平らにならし終えたのが、お昼前のことだった。
まずは去年から積み込んでおいた雑草のなれの果てを、ぺたぺたとその場所に並べていった。下の方はすでに“土”と化しつつある。いい具合だ。この土も一緒に盛ろう。雑草よ、土となれ。野太いミミズも混ぜ込んで、と。
予想通り、まだまだ余裕だった。みこりんの背よりも高く積み上げてあった雑草をすべて投入しても、地上高わずか5cmほどに収まってくれた。この領域を二分割してローテーションすれば、今シーズンの雑草すべてを堆肥化することも可能だろう。
ところでせっかく堆肥置き場を作ったのだから、何かソレとわかるような目印が欲しい。花壇や菜園に縁取りがあるのに、堆肥置き場に何にもないのでは、不公平というものだろう。ちょうどガレージには昨年伐採しておいた白花ハリエンジュやら山桜の、ほどよく太い木材がある。あれを使って柵を作ろう。
支柱を打ち込み、囲いをくくりつければ完成だ。材料が少々不足していたので、本格的とは言い難い出来だったが、みこりんが喜んでくれれば何も問題なし。みこりんはこのように“区切られた場所”というのが大好きなのだ。きっと雑草抜きも率先してお手伝いしてくれることだろう。
雑草堆肥置き場が完成したので、生ゴミ堆肥のほうもなんとかせねばなるまい。今はたまたま掘ってあった穴を転用しているのだが、すでにキャパシティオーバー気味で、おまけに穴は1つきりだからローテーションも効かない。これでは不便すぎる。
というわけで、軒下の雨のあたらない勝手口付近に、コンクリートブロックを3つ、さくさくっと並べればおしまい。出来た2つのスペースでローテーションすればOKだ。雑草堆肥置き場に比べるとじつにあっさりとしたものだが、量も(雑草よりは)しれているので、きっと大丈夫、のはず。
蕾の危機
お昼頃にはまだ蕾だったチオノドクサ(ピンク)が、夕方には開花していた。桜も咲こうかというほどの陽気である。無理もあるまい。
ところで近頃気がかりなことが1つある。コブシの花のことだ。昨年のように一面まばゆいほどに開花することを祈願しているのだが、その願いも風前の灯火である。蕾が日に日に囓られて、消滅していっているのだ。
去年は開花した花びらを、ちょびっとだけ囓られただけで済んでいた。ところが今年はいきなり蕾を丸囓りである。大胆不敵。おそらく敵の正体はツグミであろうと目星はついているが、決定的瞬間はいまだ目撃していない。どうもヒヨドリは庭の東側、ツグミは西側と、テリトリーが出来上がっているようなのだ。昨年はヒヨドリに完熟プラムを根こそぎやられたが、今年はツグミにコブシの花を根こそぎにされそうである。いずれ実るであろう花桃の実も食われてしまいそうな……。ヒヨドリが真夏にいたということは、ツグミが居座っていても不思議ではない。
蕾を守るにはそれよりも美味いものを近くに置いてやればよさそうな気もするが、それがかえって仇となる可能性も捨てきれず、じつに悩ましい今日この頃である。
値札
さんざん探していた内田美奈子のとあるコミックを、Yahoo!オークションで見つけたのが数日前のこと。もちろん入札していたのだが、無事に落とすことに成功。現物が今日、届けられてきた。か、感無量である。
ふと裏を見ると、値札が貼ってあった。“ブックオフ”の値札だ。しかも『100円』。……これを100円で売るのかブックオフ。し、信じられん。ブックオフで安く買って、普通の古本屋で高額に売るという話は聞いたことがあったが、たしかにこいつはお手軽な小遣い稼ぎにはもってこいだ。
もしもブックオフが本格的に全店舗ネットワークのオンラインショッピングを始めた日には……、古本市場がとんでもないことになりそうな…。
2002.3.18(Mon)
小鳥の訪問
庭の枝垂染井吉野は、まだまだ咲きそうにないが、この辺りでも桜が開花したらしい。なにやら春の訪れも早まっているようだ。
その証拠にプラムの蕾は、もはや開花目前である。枝という枝に、びっしりと白く膨らんだ花芽が鈴なり状態。やがて実るであろう果実のほうも期待できそうだ。
とそこへ、俊敏な動作で小鳥がプラムの枝に舞い降りてきた。一羽、そしてちょっと遅れてもう一羽。ペアペアらしい。
瞬間、目と目が通じ合う。メジロではなかった。もちろんがさつなヒヨドリでもない。スズメよりも小型でほっそりとしている。サイズ的にはメジロに近いが、それよりももっと細い印象だ。嘴も、頭も、脚も、なにもかもが、ほそっこい。
特徴的なのは、頭頂部に入った白いラインだ。おそらく野生のを見たのはこれが初めてだと思う。“エナガ”という名称が、連想記憶により脳内に浮かび上がっていた。
しばらく見つめ合ったあと、私はそぉっと部屋に戻り、リンゴを輪切りにして戻ってきた。すでに小鳥の姿はなかったが、いずれまたやってきてくれるに違いない。
-
この春、我が家に訪れてくれた小鳥達
- メジロ
- ジョウビタキ
- エナガ
- スズメ
- ヒヨドリ
- ツグミ
2002.3.19(Tue)
Simple DirectMedia Layer
以前からちょいと気になっていたSDL(Simple DirectMedia Layer)を、C++Builderで使ってみることにした。
SDLというのは、本家の紹介ページにあるとおり、OS非依存のマルチメディア開発用APIである。面白いところではPlayStation2用Linuxにも移植されていたりする。
SDLを高機能化するライブラリ群もほどよく揃っているので、楽しそうである。グラフィック系に限らず、タイマーやらスレッドやらのOS非依存というのは、普通にアプリケーションを組む上でも結構有難味がありそう。
というわけで、以下、C++Builderで SDL を使うための手順を書いてみる(参考:C Magazine 2002.2月号 『特集1 SDL』)。
ライブラリのダウンロード
SDL 1.2のダウンロードページには、ソースコードを始め、各種OS用のライブラリが揃っているので、必要なものをダウンロードすればよい。今回は C++builderで使うので、Development Librariesから、Win32用のSDL-devel-1.2.3-VC6.zipを落とす。
で、適当な解凍ツールで適当な場所に展開しておく。インクルードファイルのコピー
SDL-1.2.3\include\ 以下のヘッダファイルを、C++Builderで使いやすいディレクトリにコピーする。私は Borland\CBuilder5\include\SDL というディレクトリを作って、そこにコピーした。インポートライブラリの作成とコピー
ダウンロードしてきたライブラリは VisualC++用なので、C++Builderで使うには変換する必要がある。SDL-1.2.3\lib内にある SDL.dllから、C++Builder用のインポートライブラリを作成する手順は次のとおり。implib -a -c SDL.lib SDL.dll
出来上がった SDL.lib を、C++Builderで使いやすいディレクトリにコピーする。私はBorland\CBuilder5\lib\SDL というディレクトリを作って、そこにコピーした。
SDL.dllのコピー
SDL-1.2.3\lib にある SDL.dll を、どこかパスの通った場所にコピーする。私は c:\windows\system にコピーした。以上で準備完了である。
C++Builderで開発時の注意点
- プロジェクトに SDL.lib を加える。
- インクルードパスに、さっきコピーしたインクルードファイルの在処を加える。(私の場合だと $(BCB5)\include\SDL)
- ライブラリパスに、さっきコピーしたインポートライブラリの在処を加える。(私の場合だと $(BCB5)\lib\SDL)
- #include "SDL.h" を忘れない。
以上で、普通にSDLを使ってプログラム可能である。
(SDL_main.objを作らなくても大丈夫だった)
2002.3.20(Wed)
おくちのようなお月さま
朝からの偏頭痛は、バファリンをモノともせず、右側頭葉に居座り続けた。結果的にそれが原因で今夜は早めに帰宅する気になったのだが、まさにそれは偶然の幸運だったのだ。
建物を出てふと見上げた夜空に、ぽっかり浮かんだ三日月さん。その暗い影の部分の境界線上に、きらりと光る星1つ。はて?と悩み始める寸前に思い出していた。今日が土星食の日だということに。
午後7時20分あたり。まさに月の裏側へと土星が消えゆくところなのだ。そのせいか土星の割には光量が少ない。もしかするとすでに半分ほど隠されているのかも。
しかしながら肉眼でそれを確認することは叶わず、想像するしかない。望遠鏡がこの場にあったなら!
迎えに来てくれていたLicとみこりんにも教えてやろう。「お月様わかる?」とみこりんを抱き上げて、頭上を仰ぎ見る。みこりんもつられて上を一生懸命見つめていたが、やがて自信なさそうな小さな声でこう言った。
「あの、おくちみたいなのがそう?」
そう、そのとおりだよみこりん。あれが月だ。そして、その上にあるちっちゃなのがデザルグ…じゃなくて、土星だ。
みこりんには土星もわかったらしい。光はいよいよ弱まって、肉眼でも明らかに遮蔽されつつあるのが見て取れる。…あぁ、この場に望遠鏡があったなら。みこりんは覚えていてくれるだろうか。そしていつか本物の土星の姿を望遠鏡で見せてやろう。ついでに木星も火星も金星も。そして燃えたぎる太陽表面に浮かぶ黒点も。そしていずれは月から地球を見上げて欲しい。そういう時代になるように、まずはこういうところから始めよう、というのは“あり”だと思う。たとえ世界で明日をも知れぬ人たちが何万人いようとも、だ(等価に比較できる事象ではありえないから)。
2002.3.21(Thr)
新型二足歩行ロボット
やはりROBODEX2002にぶつけてきたか。SONYのSDR-4Xの完成度の高さには、驚かされる。転んでも起きあがるならば、たぶん次回のROBODEXでは駆け足してることだろう。
視差を利用したステレオビジョンの小型化というのも、なかなか興味深いが、どの程度の精度と高速性があるのかが気になるところだ。屋外高速走行時でも可なんてのがサクっと出てきた日には、二足歩行の技術以上に素晴らしいのだが。
それにしても気になるのが臍のあたりに光ってる青いのだ。パワーLEDなんだろうか。ただの飾りとも思えないが…。じつはあそこから先行者顔負けの“びーむ”が発射されたりは……しないだろうなぁ。
SONYが新型を発表したからには、当然HONDAもやってくれるに違いないと踏んでいるのだが、まだじらす気なのか。それともまさかSONYが転んでも起きあがるのをやってしまったので、困っているのか?そうではないと思いたいが、走るASIMOくらいのパフォーマンスを見せてくれないと、インパクトは弱いかも…しれん。
今年のROBODEXにはこういう二足歩行ロボットも来るようだし、参加したいのは山々なのだが………。名古屋でも開催してくれないかな。
2002.3.22(Fri)
ツクシの季節
ツクシの季節到来である。いや、到来というよりは、すでに盛りを過ぎつつあるというべきか。夕餉の皿に盛られた“ツクシの卵とじ”には、胞子の詰まった部分はないようだった。昨日、みこりんとLicが摘んできたツクシだ。特にそういうのばかりを選んで摘んできたわけではないという。つまり、胞子はすべて飛び去ったあとだったということになる。
一昨年のツクシ採りは4月8日、昨年は4月7日にすでに胞子は飛び去っていた。それが今年はいきなり3月、しかも20日前後。早い。早すぎる。
その昔、私がまだ小学生高学年か中学生だったかの頃、春の遠足の時に“ツクシ採り競争”なるものがあった。道々に生えているツクシを、いかにたくさん摘めるかというのを競うものだったのだが、あのときは前日に近所の土手で摘みまくったものを袋詰めして、遠足時のルート沿いに隠しておいた記憶がある。季節にして4月も中盤あたりのはずだ。背丈が20cmもあるほどに育ちきったやつが大半だったが、まだ深緑に胞子の詰まったのもあった。袋の中が胞子の色で染まっていたくらいだから。
季節感がどうも狂ってしまう今日この頃。庭のプラムがついに開花していた。
2002.3.23(Sat)
青天の霹靂とはちょっと違うが
本格的に春爛漫といった気配むんむんな朝のこと。咲き誇るプラムの下で、見慣れない葉っぱを見つけた。落ち葉の隙間から、にゅっと開いた割と幅広な葉っぱである。いったい何が生えてこようとしているのだろう。雰囲気的にカトレアなどの蘭っぽい印象だが、濃緑の葉の表面には、黒っぽい絣模様が入っている。
思い出そうとしたのだが、そんな場所に“何か”を植えた記憶がどうしてもなかった。葉っぱの色カタチからして、なんとなく“カタクリ”っぽいのだが、カタクリの球根を植えたのは、隣のプラムの根元のはず。それがどうして2本のプラムの中間地点に出現するのか…
長年植えっぱなしの球根だったらまだ理解できなくもないが、去年の秋に真新しいのを植えたばかりだ。…地中を球根が移動したとしか思えない(そんな馬鹿な)。
その謎の新芽のそばには、さらに別の植物のものと思われる2つの発芽が確認できた。明るい黄緑色した、切れ込みの深い葉っぱだ。こちらはどうやら木イチゴっぽい。本体から2mばかり東へ移動しているのが少々気になるところだが、こっちは植えてからすでに6年が経過しているので、理解できなくはなかった。問題があるとすれば、這わすべきフェンスまで距離があるということくらいか(これはこれで悩ましい問題ではある)。
さて、今年も盛大に咲きそうな花桃の足元では、満開のチオノドクサ(ピンク)に隣接するように、ようやく青花チオノドクサもすくっと新芽を伸ばし始めていた。しかもいきなり蕾付きである。まず葉っぱがある程度生長してから蕾が伸びてきたような気がするのだが、何かが違っているようないないような。気の早い春の訪れで、土の中も大混乱しているのかも。
ところがどっこい春の陽気は長続きしなかったのであった。午後から急速に気温は低下し、みるみる景色が寒々と冬の時代へと逆戻り。西の空はすっかり暗雲立ち込め、やがて、ばらばらと大粒の雨が落ちてくる。氷のような雨だった。やけに粒がでかい。推定気温、おそらく3度。まるで2月のよう。吹き荒れる荒々しい強風に、傘の骨も折れんばかりにひん曲がる。
みこりんとツクシ採りに行く約束だったが、あまりの寒さに延期である。それでもいちおう下見には行った。団地下の用水路脇に、群生しているのを発見したので安心だ。ここならば犬の散歩コースからも外れているし、除草剤使用の形跡も感じられない。明日晴れてくれますように。
とあるプラモデル屋にて
みこりんとLicが音楽教室を楽しんでいる間、私は、近場で時間をつぶしていた。より具体的に言うなら、プラモデル屋にいたのである。店内はかなり広い。これまで私が入ったことのあるどんなプラモ屋よりも、広かった。6コース完備の50mプールよりも広いかもしれない。
入ってすぐのところから、いきなりいかにも古そうな箱が、天井までぎっしりと積まれていたので、その周辺から1つ1つチェックを開始。
ボトムズ系が目に付いた。しかも“復刻版”というありがちな文字が、ない。もしかするとオリジナルが残っているのではなかろうか。なにしろその近くにはこれまた古そうなゲッター2とかが500円の値札を貼られて隙間に詰められているのだ。
胸の奥底で、カチリとスイッチが入ったような気がした。このプラモ屋は、ただものではない。そんな予感があった。
回り込んで別の棚を丹念に調べていった。こちらは洋モノ中心らしい。輸入品らしきパッケージが、これまた枯れた色彩でぎっしりと並んでいた。ミレニアム・ファルコン、スター・デストロイヤー、X-Wing,A-Wing,Y-Wing,B-Wing等々に紛れるように、こそりと隠れていたのがALIENに出てきた脱出艇。思わず買ってしまいそうになったが、2600円という値段にかろうじて理性が踏みとどまっていた。スタートレック・シリーズも当然のようにあり、もちろんサンダーバードは言うに及ばずスペース1999なんかもある。これでギャラクティカでも揃っていれば言うこと無しだったのだが、こちらは残念ながら影も形も確認できず。
飛行機モノもまさに圧巻であった。おそらく無い機体が無いんじゃないかと思うくらいの品揃えである。いったいいつからここに並んでいたのかと思うほどに古めかしいものも多い。丹念に探せば、恐るべき掘り出し物が潜んでいそうだが、とても全部見て回る時間はなさそうだ。
みこりんとLicが店内へと入ってきた。さっきメールしておいたのだ。
私がサンダーバード2号の大きな箱を抱えているのを目ざとく見つけたみこりんは、「これ?」と別の棚から別のパッケージのサンダーバード2号を探し当ててきていた。なかなか筋がよい。でも今日買うのはこれじゃない。ハセガワのマクロス・シリーズが“すべて”揃っていたので、そちらでもよかったのだが、ここはあえてクルマを選ぼうと思う。
“TOYOTA2000GT”、やはりこれだろう。スケールは1/24なので、手を入れるのはなかなか苦労しそうだが、置き場所のことを考えるとあまりでっかいのも無理がある。ここらで手を打っておいた方がよい。
Licが店の奥のほうで YAMAHA の PHAZER250 を発見していた。しかも2つ。じつは私はすでにこのプラモデルは持っている。LicがYahoo!オークションで落として、私にプレゼントしてくれていたのだが、こんなものまでが現役で商品棚に並んでいるとは…
ここでふと、ある考えがよぎっていった。さっきのスターデストロイヤーにしろ、ミレニアムファルコンにしろ、“JEDIマーク”が入ってなかった。じつはかなりな“お宝”なんじゃなかろうか。もしやこの店の掘り出し物をうまく転がせば、いい小遣い稼ぎになったりは………
そんな不埒な考えは、家に戻ってから見事に粉砕されたのだった。Yahoo!オークションのプラモデルのところを調べてみたが、ほとんどが入札なしだ。よっぽどプレミアが付いているらしきものは例外として、ごくまれに入札されている結果を見ても、定価よりもはるかに低い値段設定である。需要と供給のバランスがこうも崩れていると、なんだか恐いような気もするが、世の中そんなに甘くはないらしい(古本はブックオフという存在があるので例外なのかも)。
2002.3.24(Sun)
花壇新設
どうやら寒気が居座ってしまったようである。今日も朝から冷え込んでいた。でも太陽がしっかり顔を覗かせてくれているので、お日様の下にいれば安全だ。
おそらく今日を逃すと手遅れになるであろうと思われる事項の1つ、新たなる花壇作りにとりかかろうと思う。我が家の庭で、もっとも日当たりがよく、もっとも水はけの良さそうな場所が、なぜかこれまで睡蓮鉢を置いただけで地面が有効活用されていなかったのだ。ランナーで増えたイチゴ達が、勢力を拡大しつつはあったのだが、彼等だけに解放しておくには、あまりにもったいなさすぎる。
さっそくシャベルで適度な深さまで掘り返し始めた。花壇のカタチはあらかじめ大まかに決めてあった。その領域内をすべて掘るのだ。
例によってたちまち瓦礫がどかどかと出現する。みこりんと共に、瓦礫を撤去しつつ、さらに掘った。根菜を育てるわけじゃないので、それほど深く耕す必要はない。できればお昼前には片付けてしまいたいところだ。
ある程度土が軟らかくなったら、花壇の縁取りをする。使う素材は、庭から発掘された大きな石(というか岩のようなのもある)だ。これだと費用がまったく発生しない上に、石の処分に頭を悩ます必要もなくなるので一石二鳥。みこりんも運びたそうだったので、手頃なのを1つ運んでもらいつつ、私はみこりんよりも重い岩を転がし始めるのだった。
「ずしん」。まさにそんな擬音がぴったりな地響きがしているような感じだ。庭の端っこから新設花壇まで転がすのに、たっぷり2分ほどかかってしまった。狭い庭だというのに、岩のもてあます質量を位置エネルギーに変換するのはなかなか骨の折れる作業であった。いや、実際指とかうっかり挟んだら、本当に骨が折れてしまいそうだが。
結局、そんな岩を含めて大小8つほどの石塊で、花壇を縁取っていったのだった。
石塊の利点を生かして高さのある花壇にしてもよかったのだが、新設花壇の場所がウッドデッキに隣接することから、床下の風通りを悪くしてもまずかろうと、5cmほど高くするだけにとどめておいた。つまり、石の大半は埋めねばならない。これまた重労働であった。大きさと質量があるので、バランスを取って、きっちりと収めないと、乗っただけでぐらっときてしまうのだ。みこりんが乗っかって怪我でもしたら大変である。スコップ片手に大地に穴を穿ち、石塊の型を取るように慎重に作業を進めた。指を挟まないように、指を挟まないように……と気を付けていたにも関わらず、やっぱり思いっきり挟んでしまった。めちゃくちゃ痛い。
それでもどうにかカタチになってきた。いずれこの石表面に苔でも蒸したらいい具合になりそうである。
あとはもう石灰と堆肥をほどよく混ぜてしまえば当面の作業はおしまいだ。みこりんも手順はすっかり覚えているので、話は早い。白と茶色の文様が、赤土の上に描かれてゆく。この程度の混入では焼け石に水状態の感は否めないが、あと何年かすれば、土の方もいい具合にこなれてくるにちがいない。
と、ここで、突然空模様が暗転する。吹きすさぶ寒風、遮られる日光、そしてとどめの雨。寒い。寒すぎる。みこりんもとっとと部屋の中へと避難していった。残りの作業を急いで終えてしまわねばなるまい。凍える指先で、シャベルを掴んだ。
最後の仕上げは、堀りあげておいたイチゴの株を、石の縁取りに沿うように、植え込んでゆくこと。当面はこのイチゴが花壇の主役だ。夏になって、花苗が育ってくれば、主役交代。
Licの熱望する花束を一抱えできるほどの花壇のできあがりだ。
ツクシ摘み
遅めの昼食を済ませていると、あれほど暗かった空から、神々しいばかりの陽光が射してきているのが窓越しに見えた。嵐は去ったのだ。なんと変わり身の早い。
だが油断は禁物。セーターを着込み、上着を完備して、いざ行かん、ツクシ採りへ。
予定通り、団地下の用水路脇に家族揃ってクルマで向かった。再び風が強くなってきていた。持参したビニール袋が大きく膨らみ張り裂けそうなほどに。
用水路脇の土手には、面白いほどツクシがにょきにょきと生えていた。よく見れば胞子をたっぷりと含んだものもある。うんうん、こいつは美味そうだ。指先でぷちっと小気味よく折れる感触が心地よい。
みこりんもさっそく摘んでいる。用水路に落ちないように手を引いてやりながら、しかも袋が風で飛んでいかないように気を付けつつ。みこりんはやっぱりツクシの先っちょのほうだけを摘んでくれようとするので、何度か「根元からだよ」と声をかけねばならなかった。どうも分厚く枯れた下草が邪魔になっているらしい。顔を覗かせている部分だけを摘むと、みこりんのような具合になるようだ。
一面の枯れ草と、吹き付ける寒風とが、春の使者“土筆(つくし)”と妙にミスマッチである。
みこりんが言った。「つくしは、どうしてつくしなの?」
久々の答えに窮する質問であった。みこりんの「どうして攻撃」は、まだそれほど強烈ではないのだが、つくしがつくしである理由か……、こいつは難しい。「土から出てくるからかなぁ」などという府抜けた回答ではぜんぜん満足してくれていなかったようなので、宿題と相成った。
ところでみこりんは、飽きっぽいところもある。ツクシを摘む手は、いつのまにやら“ねこじゃらし”を探し始めていた。でもこの強風のこと。せっかくねこじゃらしを見つけて握っていても、気が付けば空っぽになってしまうのだった。そのたびに「あれっ?」と真剣に驚いているみこりんが、そこはかとなく可愛らしい。
風は一向に弱まる気配がなさそうなので、今日のところはおしまいに。まさか雪が降ったりはしないとは思うが、いったいどうしたことやら。
おにゅぅのマウス
近頃マウスの玉がぐらついて仕方がなかったので、ついに新しいのを買うことにした。思い通りの位置に、すぱっと移動してしゃきっと止まるのが精神衛生上も大変よろしい。そういうマウスを求めて、売り場を巡る。
デモ用のマウス1つ1つに手を乗せていくと、まるでしつらえたかのように手のひらにきゅぅっと吸い付いて来るようなヤツを発見した。ボタンの具合も軽くてよい。これだ。こういうのを探していたのだ。ところがLicにはまた別の出会いがあったらしい。いずれを買って帰るべきか。我々はおおいに迷った。ホイールの具合は、Licの選んだメーカーの方が良さそうだが、手になじむということからすれば、私の選んだやつも捨てがたい。何度も何度も何度も何度もマウスに手を乗せ、目を閉じる。
ところが、突然手のひらに違和感が走った。さっきまでの密着感がどこにもない。いったい何が起きたのか。マウスの豹変、いや、私の手の具合が変わってしまったのだろうか。分からない。分からないが、もはやこのマウスでは満足することは出来ないだろう。一度あったことは二度、いや三度でも四度でも起こりうる。
結局、Licの選んだマウスに決めた。オプティカルマウスのUSBタイプだ。無線式は、きっと無くしてしまいそうなので。
ついでにみこりん用のマウスも買ってやることにした。手の小さなみこりんには、我々のマウスは大きすぎる。最近では子供用のマウスも随分と選択肢が増えているので、これまた選ぶのが大変だ。
小さいもの好きなみこりんにとって、ベビーサイズの異様に小さなやつにとても興味を惹かれているらしい。でも、それはあまりに小さすぎる、ような気がする。なにしろみこりんは、日に日に大きくなっているのだ。さすがに赤ちゃん用マウスではじきに間に合わなくなってしまうだろう。“子供用”にしなさい。ほら、このピンクのとかどう?そういう私に、みこりんがびしっと指差したのは、黄緑色も鮮やかな、ちょっとサイケなマウスだった。
みこりんの美的感覚は、時として我々の想像を遙かに超えることがある。なぜにその奇妙な緑色のマウスにするのか。もっと可愛らしいのがいくらでもあるというのに。そう説得する私の声には耳も貸さず、頑として「これがいー」と主張を変えないみこりん。
私は待つことにした。みこりんは飽きっぽくもあるのだ。
約10分経過。みこりんに問う。「あっちのピンクのマウスはどう?」
「それがいー」即答だった。ピンクじゃなくて、黄色いのとかオレンジ色の方が可愛かったのだが、みこりんはピンクと譲らなかった。迂闊だった。オレンジ色のを勧めていれば…。後悔先に立たず。
しかもみこりんの選んだピンクのは、ボール式だった。できればオプティカルマウスが良かったのだが、仕方あるまい。これで手を打つことにする。
いずれもUSBタイプのマウスなので、USBハブも買っていくことにする。これならば抜き差しもラクになるはず。マウスを繋ぐだけなので、USB2.0対応でなくともいいやと型落ちワゴンセールになってるやつを選んだ。1980円也。
帰宅後、みこりんにマウス具合を確認してもらう。“ももんがクラブ”で軽快にマウスを操作している様子。いつになく手つきが軽やかだ。みこりんの感想も「つかいやすい」とのことで、問題なし。やはり子供には子供用マウスが似合う。
我々のマウスは……、評価はまた後日(じつはまだ試していないのだ)。
2002.3.25(Mon)
おにゅぅのマウスその2
マウスを握るLicの右手が、猫の手になっていたのでくるっと裏返してみると、昨夜接続したみこりん用マウスがくっついていた。我々用に買ってきた新型マウスは、まだ接続されていなかったのだ。いつもならこういうのは率先してセットアップしてしまうLicなのに、今回はどうしたことだろう。案外、みこりん用のこの小さなピンク色のマウスが気に入ってしまってたりは……
さっそく我らがマウスをUSBハブに接続してみる。みこりん用のは一応抜いて、と。セットアップCDを求められたので、通常の手順通りにドライバをインストール。特に変わったところはない(当たり前か)。
あとは専用のユーティリティで側面の3つのボタンに、それぞれ機能を割り当て直せばOKだ。幸いにも仕事で使ってるマウスも同じように側面に3つのボタンが、同じような位置に同じような配置になっている。こういうのは体が覚えてしまう部分なので、仕事場で使ってるのと同じ割り当てにしておくのが吉。一番下を“ウインドウの最小化”、一番上を“ウインドウを閉じる”、真ん中は……。仕事ではNotesも利用させられているので“ESCキー”に割り当ててあるが、家のPCにそんな配慮は無用の長物。もっと有意義な利用方法がきっとある。当面ブランクにしておこうと思う。
さて、ではマウスをゆるりと動かしてみようか。オプティカルマウスらしく、無音で動く。あの古ぼけたボールマウスの“ごろごろ”いう不安定な響きがまったくないということが、これほど心地よいものだったとは。
マウスカーソルも、こちらの意図どおりにきびきび動いた。やはりこうでなくてはいかん。
Licがふとマウスを持ち上げ、底面の一点から照射される赤いレーザー光を、興味深そうに周囲に映していた。さすがに覗き込むことはしなかったが、みこりんにもそれを期待するのは無理というもの。いずれはこのマウスの秘密に気付く時が来るだろう。アイ・セーフになってる(はず)とはいえ、少々心配だ。かといって、あらかじめ教えてやるのもかえってやぶ蛇になったりはしないかという不安もあり、悩ましい。「かいじゅうでんとう〜」と懐中電灯を点灯させて玩ぶのが大好きなみこりん。鮮烈な赤い光に惹かれないはずがない。「うつっとる」と、わざわざこっちに向けてレーザー照射する様が目に浮かぶ……
マウス本体にレーザーのON/OFFスイッチを希望。
2002.3.26(Tue)
現れた“影”、それは…
夜もいい具合に更けてきた。リビングに満ちているのは、水槽から発せられる水音と、壁を伝って届いてくるくぐもったモーター音。そしてLicがキーボードを叩く音。
傍らで寝息をたてているみこりんも、ようやく落ち着いたように“ぴたっ”と静止して、本格的に眠りの世界へと旅立っていったらしい。私は隣に座って、水槽を見つめていた。薄暗い部屋の中を、ぼんやりと漂う海の魚達。彼等もまた、眠りに落ちているのだろう。
絵に描いたように、穏やかな夜だった。
ゆっくりと時が流れる部屋の中に、突然けたたましい叫び声が轟いていた。みこりんだ。弾かれたように布団から起きあがると、泣き叫びつつ、なぜか隣のテーブルの下へと歩いていこうとする。どうも前がよく見えていないらしい。引き戻すのが遅れて、テーブルの端っこで額を打ってしまっていた。
落ち着かせようとするも、みこりんは激しく暴れた。最初はどこか痛いのかと思ったが、どうやらそうではないらしいことがわかった。みこりんは何かに怯えているらしい。尋常ではない怯え方だ。抱え込んでいないと、またさっきのテーブルの方へと行ってしまいそうだった。逃げようとしているのだろうか?
やがてみこりんの発する言葉が、徐々に意味をなしてくる。「痛い」と言っているらしいことがわかり、私の不安は増大した。どこかに異常が起きたのだろうか。
どこが痛いのかと、みこりんに問いかける。みこりんのパニックぶりにしては、こちらの言ってることはよく聞こえ理解できているようで、すぐに反応があった。左手らしい。左手をさするようにして、何度も痛むのだと訴えている。
どうして痛むのか。その問いかけに、みこりんは突然私の手をとり、ある一点に向くように捧げ持つのだった。私の腕が指し示しているのは、あのテーブルの下だった。
「あそこをみてごらん」と、みこりんは震え泣きしながら言った。「あそこに“いぬ”がおるでしょう?ほら?みてごらん」妙に丁寧な言葉遣いをしているのが気になった。もちろんみこりんの言う場所に、“犬”はいなかった。あったのは、私の出張用鞄だけだ。「父さんのカバンがあるね」と言う私を、みこりんは不安そうな瞳で見上げていた。
みこりんの証言によれば、テーブルの下には犬(らしき生物か?)がいて、そいつに左手を噛まれたらしい。しかもその犬は、まだそこにいるらしい。
カバンの影を“犬”と見間違えたのだろうか。夢見心地で見るリアル風景と、心象風景とがだぶると、夢に何らかの影響を与えることは、私にも経験がある。あれはそう、小学校1年だったか2年だったかのころ。
夢の中で、じっとこちらを窺う黒い小さな人影があった。逃げようとしても逃げられない。相手はとても小さな影なのに、圧倒的な威圧感を持って私を追いつめようとしていた。悪夢だった。逃げなきゃダメだと、何十回目かに思った時、突然自分が目を開いていることに気付いていた。目が異様に乾いていた。瞬きをするのにも勇気がいりそうなほどに。そしてその向こうに見えたのが、例の人影だった。
私が現実世界で見ていたのは置物の人形だった。みこりんの“犬”も、何かを見間違えた可能性は高い。あるいはたまたまその場所だと思いこんでいるだけで、夢の世界にのみ犬が存在していたのかもしれないが…
みこりんを膝の上に抱えるようにして布団をかけてやった。そこにあるのはカバンだけだと言い含めながら。噛まれたという左手をさすってやりつつ、私はテーブルの下に油断なく視線を走らせていたが、見誤る可能性のある“影”を特定することはできなかった。
やがてみこりんは再び眠りの世界へと入っていった。その後、みこりんが“犬”を見たかどうかは定かではない。真夜中、「んふふふ」と寝言で笑っていたりしたのを聞いたので、おそらく大丈夫だったのではないかと思う。
2002.3.27(Wed)
桃の花
朝は蕾。昼間はほどほどに寒かったが日当たりは良かった。そして夜、我が家へとたどり着いた私を迎えてくれたのは、柔らかく開いた花桃の花。まだ1つ2つしか全開になっていないが、たっぷりと層をなした八重の花びらは、和菓子としてそのまま使えそうなほどに美味そうである。
ほうき性花桃“照手桃”。満開まで、あと……7日(予想)。
2002.3.28(Thr)
ROBODEX2002にて
Licのただならぬ気配に目覚めてみると、時刻はすでに6時20分を過ぎていた。予定では、6時54分の電車に乗ることになっていたが、我が家から最寄りの駅まではどんなに急いでも15分はかかる。急がねば!
階段と廊下をエイトマン走法で駆け抜け、超高速で荷物をまとめる。いつもならみこりんは自力でお着替えなのだが、今朝はそんな悠長なことは言っていられなかった。ばばばっと手際よく着せ替えると、家族揃ってクルマに乗り込む。タイムアップまであと15分。きわどい、じつにきわどいタイミングだ。
出勤ラッシュに巻き込まれなかったのが幸いした。駅まで、あと100メートル。時刻は午前六時五十………四分!今、滑るように電車が入ってくるのが見える。間に合わないのか。
駅まであと10メートル。電車はやはり無音で走り出していってしまった。
駅到着。無人駅は、ひっそりと静まりかえっていた。
都会ならば電車の1本や2本逃してもすぐに次のがやってくるだろう。だが、ここは地方のベッドタウン。しかも無人駅。次の電車は30分後だった。
待つしかなかった。
ようやく電車に乗り込めた我々だったが、すでに指定をとった新幹線には間に合わないことがわかっていたので、これも変更しなければならなかった。平日だというのにやけに混んでいて、次の新幹線までさらに1時間の待ち。事前に設定しておいたバッファでは足りず、少々はみ出してしまうことになるが、致命傷ではない。みこりんが 生ASIMO とファーストコンタクトするチャンスは、まだ残っていた。
そう、我々が向かっているのはパシフィコ横浜。勿論“ROBODEX2002”が目的である。
最後まで迷っていたのだが、やはり行くことに決めたのは、みこりんに生ASIMOを体感してもらいたかったからに尽きる。次のROBODEXがいつになるかは未定だが、2年後としてもみこりんはすでに6歳になってしまっている。4歳という今が、生の人型二足歩行機械に触れる絶好の機会ではなかろうか。
会場に入ってすぐのところに、HRP-2プロトタイプがたたずんでいた。上半身に比べて下半身がやたらとスマートなので、いまひとつ不格好な印象だった。オリジナルのデザイン画のようになれば、かなりイイ線いくと思うのだが、おそらくこうなってしまった原因が重量軽減と二足歩行時の干渉を極力排除するためだと予想できるので、理想は遠いかもしれない。ハッタリでもいいから、脚の片側と腰の部分にボリューム感を持たせればまだなんとかなったかも…
メインストリートでデモがあるというので並ぶ。前回と違って600席の客席が用意されていたため、人垣で前が見えないという状況は発生しにくい。が、収容人数が増えた分、ロボットからの距離がどんどん離れていくのは避けられず、特にAIBOとかSDR-4Xとかの小型ロボットにはきつい状況だ。ロボットを生で堪能するには、うなるモーター音やらきしむ床やらの感触を、手に取るように感じ取れるまでに接近しなくては。ROBODEX2000で間近に見たP-3の二足歩行デモ……、あのリアルさは背筋にびりびりときたものだ(床に座って見ていたので、ちょうど見上げるような位置関係になったのもプラスに働いていると思う)。
HRP-1Sのデモ(HRP-1Sがフォークリフトを運転するもの)に至っては、メインストリートよりも遠い場所だったので、ますます状況は悪化していた。滑らかなマスタースレーブ動作のすごさが、観客にほとんど伝わっていないような気がする。せめてマスター側の操縦席を、メインストリート中央に持ってくるとかすればよいのに。操縦者が奥まったところに籠もっていたのでは、“操縦”しているというイメージが湧きにくいことこの上ない。
さらに言うならば、せっかくのデモなのだから、もっと派手な動きを見せた方が良かったのでは。フォークリフトの運転だけでは、こじんまりとまとまりすぎていて、ロボットが何かをしているという印象が薄い(なんとなくラジコンでフォークリフトを動かしてるような感じだった)。たとえばマスタースレーブの特性を生かして、ロボットに似顔絵を描いてみせれば、もう少しインパクトはあったかも。もちろんホワイトボードのところまで二足歩行していくのは言うまでもない。
それにしても今回は女性スタッフの衣装が今ひとつな気がする。たしかに前回よりもスカートの丈は短くなったが、そのせいでありきたりな印象が強くなった。露出すりゃいいってもんじゃないだろうに。これは残念なポイントだ。
みこりんはHRP-1Sを見て「あしも?」と言っていた。HRP-1SはHONDAのP-3をベースにしたロボットなので雰囲気は似ている。「ASIMOの兄弟だよ」と教えてやったが、もちろん従兄弟といった方がよい。でもみこりんには従兄弟が何であるか、さらに教えてやる必要があったので、細かいところはパス。みこりんには“兄弟”で理解してくれた様子だった。
では、そろそろ生ASIMOを見に行くとしよう。HONDAのブースはすでに超満員。人垣で前が見えず。だが前回のSONYブース同様、HONDAブースでは最前列にお子様専用ゾーンが用意されていたのだ。みこりんに一人でも大丈夫か?と問うと、弱々しいながらも肯定してくれたので、案内のお姉さんに託すことにした。我々は、みこりんが見えるステージ袖側に陣取る。みこりんはちょっぴり不安そうだ。顔を伏せたり、後ろを見たり、落ち着きがない。本当に大丈夫なのか。我々の心配をよそに、いよいよASIMO登場である。
みこりんはなんとなく喜んでいるような表情も見せてくれたが、やっぱりそわそわと落ち着かない様子。ASIMOが何かステージ上でパフォーマンスを決めた瞬間に、別の方向を見てたりして、私を不安にさせた。私とLicのいる位置からは、ほとんどASIMOは肉眼で確認できなかったのだが、ビデオカメラを運動会モードに高くさし上げ、液晶ビューで大抵の動きはフォローできた。PS2みたいなコントローラーでASIMOを操縦しているらしい。これがOKならザブングルのハンドルとペダルで二足歩行というのもアリだなぁ…と、ぼんやりと思う。
やがてASIMOが観客に深々とおじきをしてカーテンの向こうに消えていった。みこりんが我々の元に戻ってくる。さっきまでの不安気な表情は完全に消え、みこりんは喜色満面、瞳をきらきらと輝かせていた。ASIMOをたっぷりと堪能できたらしい。その後みこりんは、ことある毎に「あしも」のことを話題にしていたので、私の第一の目標は達成できたようである。
Licは、ASIMOが予想外に小さかったと印象を語ってくれた。たしかに120cmは小さい。小学生サイズだ。小さいロボットもいいが、2mサイズの人型二足歩行機械も造ってくれないだろうか。たぶん小型ロボットとはまた違ったブレークスルーが必要な気がするので、小型と同時にとはいかないだろうけど、大型専門をやるところが出てきてもいい時代じゃなかろうか。
*
さてASIMOを堪能し終えたみこりんは、BANDAIブースにはまっていた。そこには“わがままカプリロ BN-1”が、わらわらと群れていたのだ。玩具に属するタイプなので、お子様たちが展示台にずらっと取り付き、手に手に撫でさすったりして遊んでいる。みこりんもさっそく空いている一台(一匹?)に手を伸ばす……が、あと少しというところで届かない。BN-1は明後日の方向へと移動していってしまうのだった。無念げなみこりん。だがここで、隣でBN-1を抱いていたみこりんよりもちょっとお姉さんな女の子が、「取ってあげる」と捕まえてくれたのである。素晴らしい。
ご機嫌に撫で回すみこりんと、それに反応してじたばたと短い手足をばたつかせるBN-1。たしかに愛らしい、かも。電光アイも、表情豊かだ。
なかなかBANDAIブースを離れてくれなかったみこりんだったが、今度はTOMYのブースに引き寄せられるように吸い込まれていってしまった。待ちかまえていたのは“ポケットホース”だった。尻尾を触れると動き出す、とブースのお姉さんに説明を受けたみこりんは、さっそく馬の尻尾をちょこんと突っつく。背中のモニタにカウントダウンが表示され、いざ出発!……と、思ったら、いきなり止まった。不審げなみこりん。お姉さんが言った。「あ、トイレ…」背中のモニタに、でかでかと表示されていたのは、ウン○であった。
やはりロボットは動いてなんぼ。だが、オモチャ系のブース以外では、ほとんどが静態展示。デモの間隔も1時間以上なところが多く、ざっと回っている間に動いているところと遭遇できるチャンスは滅多にない。ちゃんとしたデモじゃなくていいから、常時何かしら動いてるという展示形態はとれないものだろうか。停止した状態だと、ただのハリボテなんだよなぁ………
特にmorphには、動いていて欲しかったのだが、デモもなく(ワンダーテクノロジー2100での動画等はこちら)。
そろそろ飽きてきたらしいみこりんだったが、ASIMOの塗り絵に瞳を爛々と輝かせてお絵描きお絵描き。最後にASIMOと記念撮影で、ROBODEX2002会場を後にしたのだった(今回は外でT-5が待ちかまえていることはなかった)。
動く歩道にカルチャーショックを受けているみこりんと共に、我々は次の目的地へと向かう。この続きは、“お魚日記”に記そうと思う。
2002.3.29(Fri)
こ、これが…
「これが、若さというものか…」と呟いたのが誰だったか、すでに忘却の彼方の今日この頃。みこりんは、はちきれんばかりの若さエナジーで、ばぁばに休む暇を与えず圧倒していたという。今宵はるばる南方より来訪した、みこりんの父方の祖母(つまり私の母か)は、たらふく生みこりんを堪能し尽くせたことだろう。
今回みこりんは、ばぁばの布団で寝入ってしまうことができた。進歩である。去年は「やっぱりとーさんがいい」と起きてきてしまったものだが……。来週はもう電柱組…もとい、年中組さんのみこりんであった。
2002.3.30(Sat)
足りない花束
終園式、という単語があるのかないのか定かではないが、今日がみこりんの年少組さん最後の日である。例によって庭に咲くラッパ水仙を切り花にして、転勤&退職される先生方にみこりんが手渡してきたのだという。今年の春は、ラッパ水仙の出来が今ひとつで、花壇を見渡してみても、ラッパ水仙は残り5〜6本といったところ。ピンク水仙の“スプリング・プライド”まで導入せねばならなかったらしい。
満開の花桃の下で、水仙の緑の葉っぱが青々と拡がっている。あっというまに過ぎ去りしラッパ水仙の日々、だ。
戻ってきたみこりんが、驚くべき報告をしてくれた。ちゃんと人数分の花束を持っていったはずが、なぜか一人分足りなかったのだという。き、奇怪な。
一人一人名前を読み上げながら、指折り確認。「あ先生、い先生、う先生、え先生、お先生、あ先生…?……」あれ?循環してるような?……どうしても一人思い出せない気がした。みこりんも眉間に縦皺を寄せて悩んでいる。渡せなかった先生の名前ははっきりしていたのだが、いったい誰に渡してきたのかが謎だった。だが、今はそんな詮索をしている場合ではないようだ。はや、お昼を30分も過ぎてしまった。先生達も帰ってしまうかもしれない。急がねば。
みこりんに急かされて、残るラッパ水仙3本を束ね、花束にした。ところが残っていたラッパ水仙はどれもこぢんまりとしたタイプばかりだったので、いまひとつ迫力に欠ける。揺れるラッパ水仙の向こうに、さわさわと重そうに枝を風にそよがせている花桃の姿があった。……これだ。
もっとも豪華になった花束を手に、再び保育園にとって返した私とみこりん。車中、みこりんは何故か私に車で待つように念を押していた。自分一人で渡してきたいらしい。みこりんにもいろいろ思うところがあるのだろう。私は静かに正門の前で待つことにした。
先生はまだ居てくれただろうか。私のそんな心配をよそに、ぽかぽかと穏やかな日差しはあまりにも心地よすぎた。昨日の土砂降りが嘘のようだ。
やがてみこりんが戻ってくる。「先生おった?」という私に、みこりんはどことなくぶっきらぼうに、こくりと頷いたのだった。どうも様子がおかしい。どの先生に渡したのかと聞いてみたところ、件の先生は今日はおやすみしていたのだという。だから別の先生に託してきたらしい。
春爛漫。
(後日、花束を受け取ったとの電話が、先生からあった)
長命な桜の樹
淡墨桜を見に、1車線の県道を4人を乗せたクルマは進む。予定では、満開は3〜5日後。もしかすると、ほとんど枯れ枝状態かもしれない。なにしろ山の中だ。まだまだ寒い。
ちょうど三時のおやつの時刻、我々は到着した。
駐車場から桜の場所まで、延々と出店が並んでいた。10年ほど前に一度友人と来たことがあるが、こんな派手だった記憶はないのだが……。桜にちなんだ饅頭やら食べ物系がずらりと居並ぶ姿は、なかなか壮観。花より団子状態である。
さて、桜は咲いているだろうか。やがて視界が開け、だだっぴろい広場へと入っていった。中央に、“ずん”と立つ巨大な老木。淡墨桜だ。枝という枝に、支柱が立てられ補強がなされている。樹齢1500年。途方もない時間を生きてきた樹木。
やはり一分咲きか二分咲きといったところだった。まだまだ枝が色彩に染まるには時間が必要らしい。おまけにやたらと肌寒かった。まったく油断禁物だ。
そんな中、みこりんの手を引いて売店方面へと消えていったばぁばだったが、戻ってきたその手には、“アイス”の袋詰めが握られていたのだった。桜アイスである。みこりんはでっかいソフトクリームを握りしめている。おぉぉ、寒そう〜。でもちょっと惹かれる桜アイス。皆で体を丸めつつ、やがて完食。だが、みこりんは……ギブアップらしい。そら無理もあるまい。
桜アイスは、たしかにほんのりと桜の味がした。桜茶の風味に近いかもしれない。
なぜかこういう場所には必ずあるような気がするアスレチック。みこりんは順番に1つ1つ制覇しては、満足げな顔をこちらに向けた。
そろそろ帰ろうという声を、3回ほど先延ばししてみこりんは遊びに熱中していた。その甲斐あってか、我々が駐車場に戻る頃には、桜は三分咲き程度に開花数を増やしていたのだ。桜は夜、開く、のだろうか。
淡墨桜、いずれ満開の時に訪れてみたいものである。枯れないうちに…
2002.3.31(Sun)
鵜と鯉の関係
最寄りの駅の近くには、わりと大きな池があった。龍神様が祀られているくらいなので、縁の民話が1つや2つは残っていそうだが、よくは知らない。毎年この季節になると、池の周囲は満開の桜で縁取られ、じつに華やいだ景色となる。
陽気に誘われるまま、池の畔へと辿り着いた我々だったが、電車が来るまでに残された時間は、じつに儚いものだった。
さっそくみこりんは鯉の餌をLicに買ってもらっていた。丸い小さな団子のような“麩”が、袋にぎっしりと詰まっている。鯉達も心得たもので、餌場と化した龍神様の祠周辺では、鯉密度が異様に高まっていた。水が3で、鯉が7、といってもいいぐらいの割合だ。
みこりんが小さな手で、これまた小さな麩を1つ2つ摘んで振りかけると、巨体をうねらせた鯉達が、いっせいに分厚い唇を開閉させる。可愛らしいというより、どこか不気味な感じもするが、みこりんにはこのインタラクティブ性がツボにはまるらしい。周囲の美しい花々には目もくれず、ひたすら麩を振りまくのに余念がなかった。ばぁばもそんなみこりんから目が離せず、やはり桜にはいまひとつ意識が向いていない感じだ。代わりに私がしっかりと桜を堪能しておこう。
はたはたと風にたなびく無数の龍神の昇り旗。焼き団子の香ばしい匂いが腹に染みる。
このまま時間を忘れて惚けていたいところだが……、残念ながら時間切れだ。まだ半分以上“麩”を残したみこりんだったが、それは次の機会にしてもらおう。
駐車場まで戻る途中で、池に鵜が浮いているのに気が付いた。野良鵜だろうか。人の姿を見ても怖れることなく、平然としたものだ。やがて“ちゃっぽん”と水面下へと消えた。Licがその見えない軌跡を追うかのように、水面を見つめている。
5秒、10秒、…そして15秒。鵜は、30メートルほど離れた場所に浮上してきた。なんとなくモグラ叩きのようで面白い。
やがて何度目かの潜水を終えた鵜が、水面から顔を覗かせた。その嘴に何かをくわえているのは、すぐにわかった。しかもそれは目にも鮮やかな朱色だった。いけない、それを食べては…。なぜかそんな思いが脳裏をよぎる。
しかしそれも一瞬で、鵜はあっというまに獲物を飲み下してしまったのであった。龍神の使いは、こうして適度に間引かれているらしい。
駅で、ばぁばをお見送り。みこりんは、昨日まで一緒に行くと言っていたはずなのだが、いざお別れとなると、じつにあっさりと見送る側に回ったのだった。