2002.6.1(Sat)
初夏の果実
咲き誇る木イチゴの花、そして次にポピーの柔らかい花びらの様子を激写すべく、デジカメを構える。距離は10cm。ピントを合わすべく、体の方を微妙に前後にずらし、やがて「ここしかない」という位置を探り当て、じわっと指の腹でシャッターボタンを押………そうとした瞬間、液晶ビューから被写体が消えた。
風だ。そよ風というには少々荒々しく、竹籤のようにか細いポピーの花茎を、もてあそぶ。しばらくおさまるのを待ってみたが、止む気配がなかったのでいったんカメラの構えを解いた。すると風も止まった。それではと構えなおせば、再び風は吹き荒れるのだった。こうして花の接写をやってる時に限って風が吹くという現象は、以前から気にはなっていたのだが、どうやら本当にどこかに風の“目”でもあるようだ。そうでなければこうまで正確にはいかないだろう。
風に不意打ちを食らわせて、どうにかこうにか撮影に成功。この花も、明日にははらはらと散ってしまうことだろう。なんと儚いものよ。
みこりんはしきりと“木イチゴの花に蜜はあるのか”ということを気にしていた。蜜よりも実の方がおいしいのではと指摘したのだが、まだ緑色した固く小さな実よりも、美味そうに咲いている花の方が、今はいいらしい。花をぶちっとやりたくてうずうずしている様子がありありと感じられたので、みこりんの興味を逸らすべく、昨年植えた黄色い木イチゴがどうなったかを見に行くことにした。
プラムと枝垂れ桜の枝が何層にも陽光を遮った空間に、ひっそりとそれは育っていた。思惑通りフェンスに這い登っているのが見えたが、同様に蔦も緑のカーテンのごとく無数に立ち上っていて、劣勢である。あとで整理しておかねば。
さてさて、花のほうはどうだろうか。そろそろ咲いていてもいい頃だけど……と思ったら、なにやら緑色した小さな塊が見える。なんとすでに“実”になっていたのだった。熟れ頃にはまだまだとはいえ、この様子だと先週にはもう花が咲いていたはず。まったく気が付かなかったとは、不覚をとった。
みこりんは緑のトンネルをくぐって黄色い木イチゴの前まで辿り着くと、しげしげと小さな実を見つめ、そっと指先で触れていた。なるほど、花がないとこういう反応になるのか。
枝垂れ桜の実が1つ、鮮やかな朱に染まっているのが目に留まった。みこりんに教えてやると、さっそく千切り取っている。あ、でも確かこの実は熟すと黒くなったような。朱色ってことは、未熟果だ。と思ったときにはすでに遅し。枝垂れ桜の未熟サクランボは、みこりんの口中へと消えていた。
「おいしい?」
「…………すっぱい」
枝垂れ桜の実なので、たとえ熟していても、かなり野性味溢れる苦みがあるのだが、去年はそれをみこりんは「おいしい」と言っていた。そのみこりんをして「すっぱい」と言わしめたとあれば、ものすごく酸っぱかったに違いあるまい。
春頃には無数に緑色した実がついていたというのに、朱色に染まった実はさっきの1つきりのようだ。いったい残りはどこに消えたのか。
結局、プラムも全部落ちてしまったし、花桃もユスラウメも、なんだか実の残りが悪い。どうも今年は実モノの育ちがあまりよくない、ような気がする。
PHAZER
じつに久しぶりにバイクを洗うことにした。ばさっとバイクカバーを外し、ガレージの真ん中へんに移動させていると、みこりんがやってきて大きな声でこう言った。
「すごいばいくやねぇ!」
今日がはじめてというわけでもないのだが、いたく感心されてしまったのでなんだかこそばゆい。このバイクが故障して、幾歳月。当時2歳の記憶は、今ではほとんど残っていないのかもしれない。
じゃぶじゃぶと洗剤をつけてスポンジで洗っていると、遊びに来ていたみこりんのお友達(女の子)も、興味津々で見ているのに気が付いた。こそっと小さい声で「のってみたいなー」とか呟いている。みこりんもまったく同感という風に、うんうんと頷いているので、洗いが一段落したら乗せてあげることにする。
まだ半乾きのシートに代わる代わるまたがっては、降り、またがっては、降り。前席、後席を、入れ替わり立ち替わり。どうも自転車の延長上のような感じに楽しんでいるらしい。あとから遊びに来た男の子など、もうぺったりとバイクに貼りつき、短い腕をせいいっぱい伸ばしてハンドルを握り、風を切るイメージを楽しんでいたりする。この辺りは公共交通機関が未発達なので、自分の“脚”がなければとても不便なところである。子供達も、早くから自転車を乗り回しているので、バイクのような二輪車には親近感を覚えるのかもしれない。…あるいは、ただ単に100円乗り物のノリで乗っかっているのかもしれんが。
子供達が去ったあと、ボディに残ったなんだか得体の知れない汚れを、もう一度拭き取り、ガレージの奥へと戻しておく。修理費にいったいいくら掛かるかが気になるところだが、夏までには復活させたいものである。
予約
題 名:歩兵型戦闘車両OO(ダブルオー)
著 者:坂本 康宏
金 額:1,800円(消費税抜き)
発 行:徳間書店
発売日:2002年6月15日
備 考:第3回SF新人賞 佳作受賞作品
後輩の本がついに本屋に並ぶ。というわけで、予約すべく本屋へと向かった。5000部となれば、こんな田舎では入手するのはかなり困難が予想される。予約せねばなるまい。
SFな人も、そうでない人も、もし幸運にも書店でみかけたならば、一度手に取り、あとがきを読んでみてほしい。ぜひ。
2002.6.2(Sun)
プールにて
“魚掴み”があるのだという。すでに開始時刻を20分ほど過ぎていたが、終了時間まで1時間半は残っていたので、しっかりと腹ごしらえして出掛けることにした。なにしろ会場は小学校のプールである。芋洗い状態になることは必至、体力勝負で遅れをとってはならない。
みこりん用に熱帯魚用の小さい網を1つ。私用に海水魚用の大型の網を1つ。Lic用に、みこりんのタモ網を1つ用意して、バケツ持参でいざ出発。小学校までは、クルマでほんの数分の道程だ。ほどなく会場が見えてくる。
何か、妙だった。
閑散としたプール。にぎわっているはずの人混みは、どこにもなかった。だだっ広いコンクリートの上で、ホースの水を撒いている人がいた。その姿がヤケに目立っていて、本当に“魚掴み”が行われているのかと不安にさせる。じつは時間を間違えているのでは…。
クルマを停め、とりあえず大小2つの網とバケツだけ持って、プールに向かう。タモ網は、まさかの時のために置いておく。
近づけば近づくほど、“魚掴み”の気配はなく、我々の不安は上昇した。みこりんもただならぬ気配を察知したのか、終始無言であった。
プール着。どう見ても、“終わっている”雰囲気濃厚。でっかいビニール袋に、獲物を詰め込んでいる少年達。Licが関係者らしき人物に確認する。…やはり、魚掴みは終了していた。始まって早々に、すべての魚が掴まれてしまったのだという。
遅かったのだ。がっくりと肩をしぼませるみこりんの背後から、少年の声が掛かる。彼はプラケ一杯にフナ金やら鯉やらを泳がせて、帰り支度をしているところだった。そのプラケから1匹、好きなのを取っていってもいいよと申し出てくれていた。
素晴らしい。立派な心遣いだ。我々は、彼の申し出を有り難く受けることにする。
しゃがみこんで網をふるうみこりん。真ん中へんに漂っていた、見るからにへろへろなフナ金を1匹、捕獲することに成功した。やはりプールの中ではすさまじい争奪戦が繰り広げられたのだろう。尾ビレも1/3ほどが擦り切れていた。体長約6cm。このサイズならば水槽でも同居できる。
少年に礼を述べ、プールをあとにした。
こうして1匹をゲットできたものの、私の網が一度も使われずじまいなのがもったいなかったので、帰りに、ちょいと寄り道してゆくことにしたのだった。
そこは……
川底にいたのは
…そこは、川だった。団地の麓を流れる小さな川だ。去年オイカワが大量に群れていた深みは、護岸改修工事を終えた現在、水深も浅くなり、川底もなんだか赤茶けたような感じで、石ころもまんべんなく敷き詰められており、あまり変化に富んではいない。それとは対照的に、いじくられていない区画は石の配置も面白く、淀みや流れがいい具合に渾然一体となっていて、見るからに遊び甲斐がありそうだった。
さっそくバケツと網を手に、川岸へと降りてゆく。もちろん、後者の区画へと。
Licがいきなりアメリカザリガニを発見していた。獰猛なまでに赤黒いそいつは、タモ網が触れるか触れないかのタイミングで、高速に後ずさり。後ずさりというよりは、エビ類独得な腰折り泳法で、水中を疾走していた。土嚢の陰へと入り込み、油断なくこちらの様子を窺っている。糸と煮干しでもあったら別だが、網だけで捕獲するには、なかなか骨が折れそうだった。
アメザリに執着しているLicとは別に、私とみこりんはじゃぶじゃぶと川の流れに逆らい歩き、あるいは流れに身を任せ、たっぷりと水をたくわえた淀みのほうまで探検に出たり。その間、終始足下を、オイカワの幼魚やら成魚やらがよぎっていく。たまに別の種類と見られるずんぐりした魚やら、明らかにブラックバスと思しき模様をつけたやつが、これまた俊敏に泳ぎ去ってゆくのが見えた。
川の周辺は田畑が拡がっているためか、局所的に水中には大根やら白菜やらが落ちていた。深みに沈む十数本の大根は、びっしりと苔に覆われ、なんとなく生物の死体が沈んでいるような感じでちょっと不気味だったが、みこりんは白菜の方をたいそう怖がっていた。白菜は、半ば腐敗しつつ奇妙に生白い姿で石に一枚二枚とひっかかっており、それがどうも“なにか得体の知れない気持ちの悪いもの”に見えてしまったらしい。
野菜が沈んでいることを除けば、魚も豊富で川底の砂もいい具合だ。
きらきらと陽光を反射する水面を透かして、何かいい獲物はいないかと探りを入れていたときのことだ。石にしては妙に整ったものが川底にあるのが見えた。親指ほどの大きさで、色は砂とそっくり。いったい何だろうと目を凝らしてみれば、それは“顔”であることがわかった。角張った顔に1対の目玉。馬面だ。この顔には見覚えがあった。
タモ網を、体が埋まっていると思われる部分まで慎重に動かしていき、そぉっと川上から手で追った。砂がはらはらと滑り落ち、やがて全貌が明らかとなる。全長7cmほどの、カマツカだった。特にヒトを怖れるふうもなく、悠然と網の中に入ってきてくれた。みこりんに見せてやるべく、フナ金の入っているバケツにいったん収容。魅力的な魚だったが、このサイズの底モノを飼育可能な水槽は我が家にはないので、帰りには逃がしてやろうと思う。
川での初獲物に、みこりんはバケツの中に隠れ家となる石を配置して歓迎してくれていた。
こうした底モノはそこそこに網でも捕獲可能だったが、オイカワ達の動きはあまりに素早すぎて太刀打ちできない。みこりんは「いっぱいとりたい」と意気込んでいるものの、網で捕獲するには少々魚が大きくなりすぎているようだ。じっくり腰を据えてかかれば、なんとか勝機を見いだせそうな気もするけれど、そろそろお昼、腹も減った。引き際だ。
結局、Licはアメザリの捕獲に成功していた。いったいどうやって土嚢の隙間から追い出したのやら。こいつは空いてるプラケで十分飼育可能だったが、この場所に奇妙になじんでいたので、放してやることにした。来年、この子孫達がわらわらになっていたら、その時は1匹連れて帰ってもいいかなと思いつつ。
タマネギ達
午後、市民農園へと向かう。トランクにはトマト苗第二弾とキュウリ苗を積んでいる。これらを植えつつ、畝に雑草対策のマルチを敷くのが今日の予定だ。
畑にさしかかると、うちの区画に自然と目がいっている。雑草の生え具合が、もっとも気になるところだった。…が、1つ重大なことを忘れていた。タマネギの収穫時期が来ていたのである。
倒れ伏しているタマネギの葉っぱ。約100個分のタマネギが、その下に埋まっている。今日を逃せば、また来週。それでは手遅れになりそうだ。収穫用のカゴを忘れてきたのが痛いが、幸い代わりとなりそうなビニール袋がある。これでピストン輸送すれば、なんとかクルマには積み込めるだろう。
みこりんが一番乗りで畑へと駆け出して行き、さっそくタマネギを収穫し始めてくれている。何を為すべきか、言わなくてもわかっているところに感心しつつ、道具を両手に抱えて私も続く。
タマネギは、びっくりするほど大きくはなかったが、庭で作っていたころよりは平均してサイズがよい。5月頃にはまだピンポン玉サイズのが多数目について、どうなることやらと心配したのがウソのようだ。
タマネギの収穫をLicとみこりんに任せつつ、私は黒のマルチを畝にかけていた。こういう日に限って風が強い。ばたばたと、ビニールが激しくはためく音がどこからか響いていた。
ちょっとでも油断すると、すぐに風に巻き上げられて飛んでいこうとするマルチ。おまけに畝幅と買ってきたマルチの幅があってない。手間は倍以上に増えていた。
今日中にすべての畝をマルチで覆う予定だったが、半分ほどで力尽きる。持参してきたトマト苗を植え終えた時、もはや残りのキュウリ苗をどうにかしようという気力は、意識の奥底に深く深く沈んでしまっていたのだった。ちょうどその頃、みこりんもやっぱり好奇心の糸が途切れたように、一人クルマへと戻ろうとしていた。飽きてしまったのだろう。敷物を持ってこなかったのも失敗だった。敷物があれば、みこりんもピクニック気分を持続できたかもしれないのだが。
タマネギをビニール袋に詰めて運ぶ。およそ5往復する必要があった。トランクルームにはぎっしりとタマネギが並び、ドアを閉めたらなんだか香ばしいような甘ったるいようなぴりっときそうな、形容しがたい香りに包まれていた。ハッチバックなので筒抜けだ。
タマネギは、およそ2〜3日、そのまま干し、葉っぱが乾燥してきたところで数珠繋ぎにして軒下にぶら下げるのが正しいやり方と教わった。これまでは収穫したら即数珠繋ぎにしていたのだが、風の強い日などはよくタマネギが落下していた。夜中に突然、「ごとん」とか響いてくるのはちょっと不気味でもあった。これは葉っぱの乾燥が足りなかったのが原因らしい。
そこでウッドデッキにひと並べ。重ならないように並べると、葉っぱがついていることもあって、かなりの面積を占めるのがわかる。この分なら秋頃まで保ちそうな予感。みこりんはこのタマネギ、カレーにして食べるのだと意気込んでいる。保育園でもやっぱりタマネギ、ニンジン、ジャガイモを育てていて、毎年、年長組さんがカレーを作って振る舞ってくれているらしい。そのイメージが強いのだろう。
その夜、タマネギの香りは部屋の中にもしばらく染み入ってきていた。
2002.6.3(Mon)
跳ねるミミズ
芝生代わりでちょうどいいやと思っていたら、庭のクローバー達は昨今の気候の良さにおそるべき増殖を遂げていた。地上高20cm、まさに花壇へと一気になだれ込もうとするかのごとく、縁石を乗り越えようとしている。
サンダルで踏み込むと、なにか“じめっ”とした感触が肌に触れてスリリング。もしもムカデなぞが潜んでいたら、私はともかくみこりんには少々危険だ。実際、ここのクローバーに触っていてムカデに噛まれたことがあるので、油断できない。
抜こう。ここまで育ったクローバーには気の毒だが、放っておけば手遅れになる。
軍手をしっかりはめて、ぶちぶちとひたすらに抜く。緑の絨毯を取り払ってゆくと、その下から“ちゅぽんっ”と飛び出してくるやつがいる。ミミズだ。小指くらいの太さで、なかなかに逞しい。いきなり直射に曝されて、かなり焦っているようだ。びちびちとのたくったあと、突然ぴたりと方角を定めて匍匐前進。しかし、剥き出しの荒野はあまりに広い。たどり着くまでにミミズは干からびてしまうだろう。
見つけ次第、ミミズは花壇の土へと避難させてやった。でも、ナメクジはそのまま放置。10cmサイズのムカデは発見次第捕殺。1cmサイズならば、見逃すこと多し。この辺の基準はかなりいい加減だ。
結局、クローバーに覆われていた地表の、およそ半分ほどを取り戻していた。この程度にしておこう。あまり急激に環境変化を与えると、さっきみたいにミミズやら何やらが大混乱に陥ってしまう。
真夏のような太陽は、容赦なく大地を炙り、水分を奪ってゆく。小一時間ほどして戻ってみると、逃げ遅れたミミズが数匹、かちかちに固まって土の上にあった。水をかければ復活……したりはしないが、土のものは土へと還すべく、花壇へと埋めてやった。
腐葉土と虫達
このまま永遠にその場所に置いておこうと思っていたわけではないのだが、ガレージの奥には様々ながらくたが積まれていた。長いものでかれこれ7年。不燃物がほとんどなので、経過時間ほどには崩れていない。でも、土は…。
腐葉土を買ってきたまま、すっかり忘れ去っていたのが一袋。プランタで使用後に、殺菌と称して黒いビニール袋に詰め込んだままになっていたのが2袋くらい。封を開けるのにはなかなか勇気がいったが、さかさかと這い出してきた虫達は、いずれもよく見知った姿だったので安堵する。ゲジゲジとハサミムシが異様に多かった。
袋の中を覗き込むと、もはや原形を残したものがないほどに微細な粒子に変化しているのが見える。もともとは安物の腐葉土で、枯葉の茶色いままのやつがそこここに溢れていたというに、今やものすごい“いい腐葉土”に出来上がっているのだ。微生物よありがとう。
目に見えない怖いものがいそうな予感もあったが、あんまりいい具合に分解されていたので、つい手で触ってしまったり。ま、まるで上質の“漉し餡”のような感触…。
このまま花壇に撒くよりも、微生物達にさらに食料を用意してやろうと思う。雑草多肥置き場へとさきほどの袋を運んできて、一気に、どざざ。さぁ、食べて。小山になってる雑草全部。
ガレージに残っていた剪定屑、落ち葉、そして虫の死骸やなんかもいっしょくたに堆肥置き場へと直行させた。残った不燃物を袋に詰めてやれば、あれほど雑然としていたガレージが、見違えるように整然となった。さっきまで右往左往していた無数のゲジゲジやらハサミムシやらダンゴムシやらカマドウマ達は、いったいどこに行ってしまったのやらまるっきり姿が消えた。住処がなくなり、いくあてもなく彷徨っているのだろうか。…いや、たぶん彼等は匂いをたどっているのかもしれない。あの雑草堆肥置き場の腐葉土のもとへと。
さむいお話
自分で借りてきておきながら、みこりんはその絵本を「こわい〜」と言ってなかなか読ませてくれなかった。寝る前の絵本の時間でのことだ。
『お化け』が出てくるのがダメらしいのだが、それなら借りてこなければよかったのに…、と思いつつ、怖いモノみたさっていうのかなと考えてみたり。
仕方がないので別の絵本を読んでやった。「おーしまい」と読み終え、消灯しようとしたとき、みこりんは今度は突然、怖い怖いと怖がっていた絵本を読むと言い始めた。私が読みたがっていたので、そうした方がいいと思い直したのかも知れない。
『お化け』は、正直、ちょっと怖かった。お化けが卵から生まれるという設定が、妙に生々しくて…。読み終えたあと、みこりんも私も、奇妙に押し黙ってしまっていた。蛍光灯から伸びている紐を、ぶちっと引き、常夜灯に。暗がりで、みこりんの瞳がこちらをじっと窺っているのがわかる。なでなでしてやろうとした時、みこりんは突然口をひらいた。囁くような声だった。
「さむいおはなし、して」
さ、さむい、おはなし…???
虚を突かれていた。さむいお話とは、寒いお話のことだろうか、それともギャグのすべったさむ〜ぃお話のことだろうか。
ちょこっと悩んだ末に、久しぶりに私は創作お話を即興で語っていた。もちろん寒くてちょびっと怖いお話を。みこりんは果たしてそれで満足したのかどうか、それはわからなかったが、「めでたしめでたし」で、静かに目を閉じ、夢の世界へと旅だっていったところを見ると、そう外したものでもなかったのかもしれない。願わくば、今宵みこりんが夜泣きしませんように。
2002.6.4(Tue)
CATV網
毎月配布されてくる市の広報を、暇に任せてめくっていたときのことだ。なかほどのページに、『CATV網整備計画』なるものが開始されるとあった。あまりにさり気なく書いてあるので、うっかり見逃してしまうところだったが、こいつは重要な計画だ。いきなりこんな田舎に市全域にわたって公共のCATV網が完備されるとは、予想だにしていなかった。山1つ崩す代わりに、こっちの予算が通ったんだろうか。まぁいずれにしても、我が家にとっては朗報だ。
地上波、CS、BSなどのTVが中継されるというのには、特に興味はない。地上波はそれほど見ないし、CSもBSもすでにパラボラアンテナがベランダから空を睨んでいる。それよりも“高速インターネット接続可”という部分だ。
ADSLは局から遠いうえなかなか整備される気配もなく、光にいたっては蜃気楼のように霞んでいる。無線もどうなることやら。PHSも通じない。民間のCATV業者がこんな田舎町で開業するなんてこともなく、“高速回線”は半ば諦めかけていたところであった。
今年度末には開通とある。す、素晴らしすぎる。まるで夢のようだ。話がうますぎて、もしかすると騙されているのかもしれん。確認のために、今一度、記事を詳細に読み直す。読み直す………。む!開通予定エリアが2つに分かれているな。こっちのオレンジ色の領域が今年度末、で、この黄色で示された広大なエリアは、来年度以降“順次”開通予定か。やはり単年度で全域は無理だったらしい。そして我が家はどっちのエリアかというと……、黄色い方だった。
数年先か。気長に待つしかあるまい。その間に陳腐化しなければよいのだが。
2002.6.5(Wed)
飴玉の行方
座敷の畳の上に、飴玉が1つ、落ちていたのだという。しかも食べさし。みこりんにコメントを求めると、「なんでやろうねぇ」なんて言ってるらしいのだが、座敷童でも出たのでなければ、この飴玉の主は一人しかいなかった。
2歳、3歳の頃には、それほどお菓子に執着していなかったみこりんだが、最近は違う。4歳になり、チョコレートの味がわかるようになってからというもの、甘いモノに対する興味は強くなっているようにみえる。とはいえ、みこりんの場合、お菓子をたくさん“所有”することの方に生き甲斐を感じているふしもあり、お菓子用引き出しの中には、かれこれ数ヶ月は保存されているものが多数あった。その中から、悩みに悩んで選び出し、ちょびっとだけ食べるのがたまらないらしい。
特に飴玉は、みこりんのお気に入りの1つである。3時のおやつの時間以外でも、「みんとってよー」と言いつつ、こっそりとつまみ食いしている姿を、何度か目撃している。みこりんもそれがイケナイことだとわかっているので、妙に静かに口に含んでいた。そんな時に、Licに呼ばれたりすると、ついつい証拠隠滅を図りたくなるのだろう。実際、みこりんの部屋からはオモチャの陰からべったべたになった多数の飴玉が発見されていた。
あとで食べるつもりならば、もっといい場所に隠すような気もするので今のところ安心だが、畳の上というのはひょっとして回収を目論んでいたかもしれず、その辺が気になるところである(みこりんはまだ、目に見えないバイ菌やら微細なホコリ等については、あんまり気にかけてないようだから)。
2002.6.6(Thr)
猫は室内で飼うべし
『ネコは室内で飼うように』という、環境省による動物愛護法に基づくペット飼育基準の改正が発表されておよそ4ヶ月。じつに妥当な改正だと思うが、反対意見もちらほらと見かける(あらかじめ書いておくが、私も猫を飼っている。猫嫌いではない)。
人それぞれ意見はあろう。ただ、それら反対意見の中には、明らかな誤解あるいは認識不足に基づくものもある。その中でもっとも重要かつ根本的と思われる問題が、これである(もちろんこれだけではないが、多すぎるので1つに絞る)。
「糞害というが、猫はトイレの始末を丁寧にするので不潔ではない」
どうやら猫の糞害を、散歩中の犬の糞が放置されていることと同様のシチュエーションで捉えているふしがある。犬はただ糞を放置してしまうので不衛生だが、猫はきちんと土に埋めるので美観も損なわず衛生的だという比較が、根底にあるのだろう。これが大きな誤解なのだ。猫の糞害の問題点は、そんなところにあるのではない。
猫の糞害がもっとも顕著となる場面は、およそ2つ。1つは他人の庭、特に花壇や菜園等に対するもの。もう1つが、公園の砂場である。
まず花壇や菜園。毎朝、花壇や菜園に猫の糞があるという状況を想像してもらいたい。猫は決まった場所をトイレにするため、一度狙われると悲惨である。毎朝毎朝毎朝毎朝、猫の糞の始末をせねばならないのだ。丁寧に土に埋められているかどうかなど、まったく関係ない。いや、土に埋まっているだけによけい厄介でさへある。発酵分解されていない糞は、植物を枯らす。おまけに穴を掘られて、植えたばかりの苗が根こそぎ倒されダメになる。
というか猫の糞が何度も何度も埋まっていた土を、触れるだろうか?猫の糞が埋まっていた土で育った野菜を、食べられるだろうか?おまけに臭い。猫はたしかに糞を土に埋めることは多いが、犬のようにそのまま放置する猫もいる。特にトイレと化した場所では、埋める場所がなくなって糞が分厚く堆積することもあった(実話)。
公園の砂場も厄介である。空き地が少なくなった分、猫に集中的に狙われ、糞だらけと化す。たまーに1つ、とかいうレベルではない。そんな砂場で子供を遊ばせられるだろうか。砂場は特に滑り台と連結していることが多いが、砂場をやられると、滑り台も同時に使えなくなってしまうのである。ことは砂場だけの問題だけではない。臭い匂いが公園を覆い、もはやそれは公園ではなくただの糞場となってしまう。そうならないために定期的に糞を撤去し、消毒する必要が出てくるのだが、もちろんタダではない。糞が土に埋まっているかどうかなど、ここでもまったく関係がない。ただ糞が存在することのみが問題なのである。
そして最後にこう締めくくろう。
明らかに他人の資産に損害を与えていて、その人から迷惑だからやめてくれと言われているのに、迷惑をかけている当人が「いいやそんなのは迷惑にはならない」と主張するのは、とても奇怪である。迷惑かそうでないかは、迷惑をかけられた人が判定することであって、迷惑をかけている人の基準で好き勝手やられてはたまらない。
ペット飼育基準を改正せねばならないほどに、猫の糞害等で迷惑を被っている人が増えたということでもある。自分に“直接”苦情がこないからといって、それを「自分は迷惑をかけてはいない」と勝手に判断するのはやめておくのが賢明。
猫の自由を声高に主張するのであれば、どこか広大な土地に移住し、他人に迷惑をかけず思いっきり猫を放し飼いにすればよい。それができないのであれば、他人との共存を無視してはならないだろう。
2002.6.7(Fri)
80年代
寝苦しい夜というわけでもないのに、なぜか目が冴えて眠れないでいる。電光表示の時計が示す数字は、遅々として朝へと辿り着かない。長い夜だった。
音を絞って付けっぱなしにしていたTVから、なんだか懐かしいメロディが流れてくる。“翼の折れたエンジェル”か。画面に目をやった。映し出されているのは80年代当時の日本の情景。十数年足らずの過去が、ひどく古めかしく感じられた。しかし音楽は、少しも輝きを失うことなくそこにあった。
高校生当時、やっぱりこんな風に暗がりの部屋で、カーテンの隙間から入ってくる夜の光を見つめながら、早く“自由”になりたいと闇雲に思っていたことを思い出す。そんな時によく聴いていたのは、佐野元春の“Down Town Boy”。夜が似合う曲だった。
自由といっても特に目標があったわけでなく、ただ単にこんな夜に誰にも邪魔されず思いっきり“出歩きたい”という、そんなささやかな願望が根底にあったような気がする。中途半端に田舎な町でのことだ。歌詞に登場するような夜の世界とは、およそ縁遠い現実があった。
そんなとりとめのない昔のことを、ぼんやりと記憶に漂わせつつ、寝返りを打つ。結局、80年代の音楽特集は、外が白々とし始める頃まで続いていた。
2002.6.8(Sat)
みこりんの謎
かねてよりみこりんは、私がいつもどこで仕事しているのかを知りたがっていた。だから、今日の“工場祭”は絶好の好機と、そう思ったのも無理はあるまい。しかも大好きな乗り物の1つである“飛行機”を間近で見ることができるとわかって、みこりんはご機嫌だった。
“工場祭”とは、会社敷地内を社員の家族に公開するイベントである。もちろん公開されない場所もある。というか、大部分は非公開だ。それでも一般受けしそうな“飛行機”が見学コースの目玉であるため、参加者は納得するのだろう。
朝から容赦なく照りつける太陽が、ぢりぢりと暑い。見学コースに沿って各建屋を1つ1つ見て回る。建物の中にまで太陽光の直射は届いてこないが、密閉されない施設だけにクーラーの効きも悪く、蒸し暑かった。
私の仕事場がどこなのか?というみこりんの疑問は、残念ながら晴れることはなかった。見学コースには入っていなかったのだ。技術部門のオフィスは、その建物を遠方から存在を確認できるだけで、いったい中がどうなっているのかは杳として知れず。みこりんには口で説明してやったのだが、どうも納得してはいないように見える。ただ普通に机があって椅子があって、コンピュータがあって、というのでは、家のリビングと大差ないからだろう。皆が並んで座っているという説明には、どうやら保育園のおイスに園児達が揃って着席している状況をイメージしているようだったし。
そこでみこりんは質問の矛先を変えてきた。いったい私が何を造っているのかと、そう聞いてきたのだ。みこりんは問う。「ひこーき?」うーん、飛行機ではなくて、その中に載ってるもの、かな。「…じゃぁ、ひこーきのおいす?」みこりんはどうもイスに執着があるらしい。具体的なカタチをもたないモノ、というか情報というか、それをどう説明したもんだか悩んでいるうちに、とうとう終着点に到着。
どでかい飛行機の格納庫。みこりんは高い天井に恐怖していた。
コンピュータとプログラムの関係を、いずれみこりんにも教えてやらねばならないだろう。コンピュータの中がどうなっているのかについては、すでにみこりんにも実物を見せてやっている。作動原理はともかく、壊れたHDDなどは今もみこりんのオモチャ箱に仕舞われているようだし、どんなものかはわかってくれているにちがいない。アプリケーション・プログラムについても、日々“ももんがクラブ”で遊んでいるので、イメージは容易だろう。CD-ROMを入れたら遊ぶことができるので、おそらくビデオ(とTV)と、ビデオテープとの関係のように思っているかもしれない。あとはその“ビデオテープ”に記録されている情報に相当する部分を、自分でも作ることができるのだと示すことが出来れば…。
今、一台のコンピュータが玄関に放置されたままになっている。それをみこりん専用マシンにすべく極秘のプロジェクトが進行中なのは、ここだけの話だ。
焼き焼き
今年初めてのバーベキューを、庭にて行う。例によって逆四角錐の焚き火台に、焚き付け用の木ぎれを敷いて、炭を乗せ、着火。2年前の剪定屑は、怖いくらいに乾燥しており、着火マンだけであっというまに燃え広がった。しかし、炭を燃え上がらせるには、少々力不足らしい。中空タイプの枯れ枝だったのも災いしているようだ。火が消えないように、どんどん枯れ枝を追加せねば。
傍で見学していたみこりんも、見よう見まねでぽいぽいと枯れ枝の投入を手伝ってくれている。まだ火が怖いので、1.5mほど離れているため、ほとんどが途中で落下していたけれども…。
やがて炭火は安定してきた。煙もほとんど出なくなる。だめ押しに、団扇でばたばたと新鮮な空気を送り込み、真っ赤に燃やしに燃やす。みこりんもやっぱりマネして、ぱさぱさとやってくれている。なぜこの動作が必要なのか、一通り説明してやったが、たぶんまだ理解の範疇にはない。いずれ「あぁそういえば」と思い出してくれればめっけもの。
風の強い午後だった。火は激しく燃え上がり、少しの油断が黒焦げの惨事を招いた。Licがしきりと水槽で飼っている川魚のことを気にしている。たしかにあれは食用になるが…、ダメだって食べちゃ。それよりもあと一ヶ月もすれば、菜園でピーマンやらシシトウやらがいい頃合いだ。その頃に再度“焼き焼き”しようではないか。
虫到来
夜、うっかり閉め忘れていた『完璧な防壁』の扉から侵入してきた猫を追い、汗だくになって戻ってみると、みこりんが私に話があるのだという。改まって何事かと思えば、「“かぶとむし”かってもいい?」というものだった。なんだか唐突だなと思いつつ、「いいよ」と答える私。どんなカブトムシがいいかな。アトラスオオカブトにしようか、普通の日本のやつにしようか。…ところが、話を聞くうち、どうも違うらしいことがわかってきた。
カブトムシではなく、クワガタムシだった。しかも、すでに捕獲済みなのだという。我が家で捕獲できるクワガタといえば、コクワガタのメスかオスと相場は決まっているが、やはり今回もコクワのメス。私が外でどたばたやってる間、ウッドデッキのところにいたのを見つけたらしい。
もちろん飼ってよし。ただし、ちゃんと餌をやるように。たしか虫ゼリーが冷蔵庫に残っていたはず。みこりんは、こくりと頷いた。でも、今回もおそらく私が最後まで面倒見ることになりそうな予感。
2002.6.9(Sun)
洗車
修理に出す前に、せめて美しく磨いておいてやろうと、バイクに念入りにワックスをかけていると、Licがじぃ〜っとその様子を背後から見つめているのに気がついた(むろんワックスがけの前には、細かなキズをコンパウンドで修復済なのは言うまでもない)。買いそろえてきた補修用具、ワックスにクロスの数々。それらをちらりと見やり、ぽつりと言った。「いっぱい買ってきたんやね」…その心は、どうやらクルマも洗ってピカピカにワックスかけて欲しいらしい。
じつは現在のクルマを買ってからこのかた、私は洗車をしたことがない。およそ5年ほどの間、洗車はもっぱらLicがやってくれていた。しかし屋根に手が届かないのが原因なのか、ここ2年は洗車している姿を見ていないような気がする。それでもどうにかこうにかクルマの美観が保たれているのは、定期点検時にディーラーで拭き掃除をやってくれたり、大雨で汚れが一掃されたりといったことによるだろう。
ただ最近は、なかなか雨に恵まれず、風も強いし、砂塵も多い。いつのまにやらクルマのボディは、驚くほどに汚れていたのだ。
そろそろ洗車の季節、か。前回クルマを洗ったのは、かれこれ8年ほど昔。月日の流れが急加速しているように思える昨今である。
ニンニクの元
午前中から昼食時間を除き、みこりんはずぅぅっと近所のお友達と遊んでいる。双方の家を行ったり来たり。何をして遊んでいるのかは謎なところが多いのだが、女の子同士、すでにいろいろと独自の世界が構築されているらしい。
その様子を意識の端に留めつつ、庭いじり。去年の秋に植えたニンニクが、そろそろ収穫時期ではないかと、まだ青々とした地上部を握り、ずぼっと引き抜く。花芽が出来る直前のようだった。
はたしてニンニクの球根はできていた。…が、「ち、小さい…」
地上部の立派な葉茎に比べて、なんだか“ちまっ”とした印象だった。妙にアンバランスで、まだ生長途上なのではと心配になりながらも、球根部を切り取り、Licに見せに台所へと向かう。ところが手に乗せてみると、案外「普通」なんじゃないかと思えてきた。小振りなタマネギといった感じで、スーパーなどで売ってるサイズでも、このくらいのはあるような。Licからも、特に大きさについてのコメントはなかったので、じつはこれでいいのかもしれない。
地上部が大きすぎて、相対的に小さく見えていただけではなかろうか。そんなことを考えていた時に、ふと私は思い出していた。このニンニクの種球は、ジャンボサイズだったような…。そう、ジャンボニンニクと称して売られている、片手で足りないほどの巨大球になるやつだ。
ぜんぜん足りない…。不安がよぎった。
その夜、届いていた園芸カタログをめくっていた時のこと。ニンニクの収穫時期についてのコメントがあった。“地上部が枯れてきたら収穫します”!?
し、失敗したかも。
2002.6.10(Mon)
墨の香りのハーブ
“2002年 夏秋の園芸カタログ”が、今年も各社から送られてきているが、やはり国華園のが一番意外性があって面白い。植物総合、球根、野菜タネ、そして用品グッズ類と、それぞれが冊子に分かれているのも見やすくて良い。ただ、B4サイズと少々でかいため、保管場所に困るのが難点か。
秋といえば球根モノ。というわけで、球根カタログに見つけた興味深い花“テコフィラエア”。『真の青花』と書かれているとおり、写真によれば“シアノクロークス”という品種は、まさに“青”。紫や紺や水色とかではなく、生粋の青、に見える。これが某通販系のカタログだったら、例のピンク咲きチューリップの前歴から即、画像処理を疑ってしまうところだが、これは国華園のカタログである。そんなあざといマネはすまい。
カタログ説明によれば“球根がほとんど分球せず、開花サイズの球根になるには4〜5年もかかることから、原産地チリでも絶滅寸前となった幻の花。”とある。先の“シアノクロークス”は限定300球。1球が3600円だ。
ところで絶滅寸前だった花を、いったいどうやって販売可能なまでに増やすことが出来たのだろう。ここには書かれていないが、メリクロン(無菌培養)で増殖したのだろうか。あるいは原産地で手厚い保護のもと、勢力を盛り返したのか。霜除けが必要とあるのでちょっと手が出ないが、一度は生で咲いているところを見てみたいものである。
同じく球根モノの最後の方に、ユリがこれでもかっというくらいに並んでいたのだが、その中でひときわ異彩を放っていたのが“フライングサーカス”という品種だ。謳い文句は『日本初上陸!完全八重咲き!』、そう、八重咲きのユリなのだった。
純白に幾重にも重ねられた花びらは、ユリというよりまるで別種の花に見える。中心にやや淡いグリーンのぼかしが入り、いかにも6月の花嫁に似合いそうな花だ。清楚で、かつゴージャス、相反する魅力を絶妙のバランスで兼ね備えた花。2球で1800円か、……しばらく悩んでみようと思う。
さて総合カタログからは、あいかわらず変わり種の果樹が冒頭から満載だったが、今回はハーブのところに一風変わったものを見つけた。“松茸の香り”がするらしい、その名も“松茸ハーブ”。正式名称が気になるところだ。2株で700円。そしてもう1つ、“墨の香り”がするらしい、“パチョリ”。なんだかパセリが訛ったような名前だが、墨というのもなんだかすごい。墨の香りの入浴剤に利用できるとか。目を閉じれば墨汁につかってるイメージが湧いてきそう。いいのだろうか。ちょっとよくわからないが、2株1200円、微妙な値段だ。
2002.6.11(Tue)
空梅雨
じつに久しぶりに雨が降った。恵みの雨だ。地植えの植物にも、そろそろホースで水まきが必要かと思っていた矢先のことだった。触れればぼろぼろと崩れてしまうほどに乾燥しきった花壇の土も、これで一息つくことだろう。
それにしても、“梅雨”はいったいどこにいったのか。また雨だらけの夏、なんてことにならなければよいのだが。
2002.6.12(Wed)
黄色い木イチゴ
いつのまにか実っていた黄色い木イチゴ“ワインダーイエロー”は、月曜日、みこりんにほぼ食い尽くされてしまったと聞いたのだが、今朝は食卓に2粒が盛られていた。どうしたのかと問うより先に、みこりんが言った。この2つは、私とLic用に自分が朝、摘んできたものだと。自分一人で食べてしまったのを気にしていたのだろうか。
ありがたく頂戴することにした。初めて食べる黄色い木イチゴの味は、どんなだろう。実は、わりと小粒で直径1cmあるかないか。1粒だけでは味わうというより、試食のよう。
慎重に口中へと投じ、じわりと噛んだ。柔らかい果肉の感触と共に、果汁が弾ける。わりと甘い。と同時に、清涼感たっぷりの芳香が駆けめぐった。
ミント系の香りに近いような気がした。酸味はほとんど感じられず、ほのかな甘みと清涼感も、どちらかというとハーブのそれに近いように思う。不思議な味だ。
1個だけではあっという間に消えてしまい、なにやら物足りない。来年はこれが鈴なりに…、なることを希望。
2002.6.13(Thr)
ゴミの中から生えてきたもの
時として、生命の神秘に背筋の寒くなることがある。恐るべき生命力に、DNAに秘められた深い業を感じずにはいられない瞬間がある。
この一見なんの変哲もないジャガイモが、じつはゴミの中から生まれてきたとは容易には想像できないと思う。台所の片隅で、忘れ去られた芋が芽を出していた、というのはよくあるパターンだが、このジャガイモの場合、すでに食べてしまったあとに芽が出たのである。といっても腹の中でではない。芽は、芋の皮から発生したのだった。
この春から庭の片隅で生ゴミ堆肥を造っている場所では、日々の生ゴミは土に埋めて分解させている。ジャガイモの皮も、そこで跡形もなく分解されるはずだった。ところがある日のこと、被せた土からにょきにょきと無数の芽が伸びてきているのに気が付いた。なんとなく見覚えのある葉っぱの色形に、半信半疑ながらも“ずぼっ”と1本を引き抜いてみたところ…、その根っこの部分には薄っぺらい“皮”がくっついていたのだった。厚さ2ミリにも満たない皮の断片。芽は、まぎれもなくその断片より発生していた。
総数にして約20はあったろうか。わずかな破片から無数に増殖してゆく宇宙アメーバのごとき生命力。このままでは堆肥置き場がジャガイモに埋め尽くされてしまう。そこで厳選した芽を、菜園2号に移住させたのだ。Licも独自に選んだ芽を3本ほど、別の鉢に移し替えていた。それから1ヶ月以上が経過して、小さな苗だったジャガイモは、ここまでに育ったのである。ちなみにジャガイモを覆い隠さんばかりに茂っている大きな葉っぱは、こぼれ種で増殖したゴボウだ。こちらも庭のあちらこちらで発芽していて、その恐るべき生命力に唖然としている。
この秋、ゴミの中から逞しく芽生えたジャガイモを、無事収穫することができたならば、その芋を食してみようと思う。そしてまた、皮を土に帰そう。来年、再びジャガイモと出会うために。
2002.6.14(Fri)
こっそりと応援したい場合
サッカーがたいそう人気らしい。みこりんもTVでサポーターの姿を見つけるたび、「おりんぴっく!」と指差すほどに。ワールドカップだよと指摘しても、なかなか修正がきかないほどに、みこりんの思いこみも激しいようだ。
学校の授業をつぶして試合を見せようとか、仕事を休みにしようとか、たいそうな力の入れようだ。日頃“強制はよくない”とか言っている人たちも、ワールドカップ礼賛一色に見える。…まぁ、それはそれとしてだ。サッカーに寛容なのと同じくらい、H2Aロケットの打ち上げ中継などにもおおらかであってほしい。授業中、あるいは仕事中、H2Aロケットの打ち上げをこっそり携帯TVで応援してても、見逃してくれ。たのむよ。
2002.6.15(Sat)
未確認飛行生物
いい天気だねぇと空を見上げつつ、みこりんと連れだって庭へと降りる。まばゆい太陽に目をしばたかせていると、遠くから口笛のような美しい鳴き声が届いてきた。鳥のさえずりだ。最近この辺りでよく耳にするようになったが、その鳴き声は記憶にないものだった。いったいどんな鳥がいるのだろう。
姿を求めて、みこりんと二人してきょろきょろ。鳴き声は、移動していた。東から西へと。飛びながら鳴いているらしい。ドップラー効果が確認できるんじゃないかと思ってしまうほどきっちりと、左→正面→右へと音は抜けていく。
また姿を見ることが出来なかった。
しばらく待ってみたが音沙汰がない。諦めて部屋に戻ろうとしたときだ。突然、鳴き声が急速に近づいてきた。かなりのスピードのようだ。はっと頭上を振り仰ぐ。みこりんもつられて上を見る。戻ってきたのだ。
空高く、ちょうど視界の中央を右から左へと、黒い影がよぎっていった。脳内で勝手に映像がストップモーション処理されていく。ほんの一瞬だった。
そのシルエットは、たしかに鳥の姿に見えた。尻尾がやや長い。しかし、そのスピードと逆光で詳細は不明。みこりんは鳥の姿を捉えること叶わず。いずれその正体を突き止めてみたいものだ。
帽子選び
去年買ったはずの麦わら帽子が行方不明になってしまったので、新たなる帽子を買おうと帽子売り場にやって来ている。今回は麦わら帽子じゃなくて、布地のやつにしてみよう。まずはハットから。
この夏の新作が大量に並ぶ中で、これはと思うものを被ってみるのだが、どうもいかん。鏡に映った姿は、じつに怪しい。どう見ても不審者である。こんな格好で畑にいたら、西瓜泥棒に間違われてしまうだろう。
Licもいろいろと帽子を選んでは被せてくれるのだが、ことごとく外れた。こ、これほどまでに帽子が似合わないとは思わなんだ…
それでもキャップの方は、まだ救いがあった。この形態の帽子は仕事でも被っているので慣れているのだろう(体が)。しかし紫外線を効果的に防ぐには、やはりハットのほうが…。今度こそ、と手に取り被る。…そぉっと鏡を覗いてみると、妙なヤツがこっちを見ている。
自分だった。打ちのめされた。
その間、みこりんが嬉しげに何度も何度も帽子をかぶっては見せに来てくれた。あぁ、みこりんは何を被っても似合うなぁ(親馬鹿)。いいなぁみこりんは。うらやましいぞ。
結局、帽子は買わなかった(買えなかった)。おとなしく麦わら帽子にしたほうがいいのかもしれん。
本を買う
昨夜、本屋から入荷の連絡を受けていたので、満を持して買いに行った。
平積みコーナーをまず偵察にいっていたLicとみこりんが、なんだか興奮して戻ってきた。なんと3冊も平積みになっているらしい。我が目で確認してみた。たしかに3冊ある。こんな田舎の本屋で3冊。いったいどうなっているのか。SFの取り揃えがそれほど充実しているとは言い難い本屋なのだが、新刊は別なのか(新刊勝負なのかもしれん)。
その隣には、同じく第3回SF新人賞つながりで、こちらは新人賞受賞の『マーブル騒動記』があった。平積み残り1冊だ。おそらく入荷冊数は同数か、それ以上と考えるのが妥当。とすれば、早くも売れているらしい。
平積みコーナーに並べられた本は、その大部分がメリハリのくっきりとした表紙だったため、淡い色調の『歩兵型戦闘車両00(ダブルオー)』は、目立っていないように思われた。『マーブル騒動記』はすぐに見つけたのだが、『歩兵型戦闘車両00(ダブルオー)』はすぐ隣にあったにも関わらず、なかなか発見できなかった。これはLicも同意見だった。単体で見るとさほど感じないのだが、こうして多くの本に混じると、存在が希薄になったように見えてしまう。まぁ逆に言えば、それが特長になるかもしれない。最初は目立たなくても、そのうちに気になり始める可能性はある。
一冊を手に取り、あとがきを読んだ。…ふ、ふふ。たしかにそうした記憶は私にも少しあるなぁ、となんだか懐かしい記憶をくすぐられ。
1冊購入。山が1つ減った。
2002.6.16(Sun)
クルマ磨き
前回のバイクに引き続き、今朝はクルマを洗うことにする。洗車道具一式をバケツにつっこみ、いざガレージへ。みこりんも貴重な洗車要員として参加してくれることになった。じつに頼もしい。
ホースでまんべんなく水をかけ、泡立てたスポンジで洗う。洗う。洗う。
背中、脇、腰から巡ってお顔と、順繰りに。何年にも渡る汚れが、分解され、塗装皮膜より浮き上がってくるのが見える。黒い泡だ。いったん浮かした汚れが再度定着しないように、一度、水で汚れを流してみよう。
おぉ、まぶしいっ。見違えるようだ。照りつける陽光を反射したボディは、じつに艶めかしい光沢を放っていた。が、しかし、よぉく目を近づけてみると、まだ汚れの層が、うっすらと部分的に残っているのに気が付いた。やはり、一度ではすべてを洗い落とすことはできなかったようだ。それに近頃では陽気もいいので、夜ともなれば虫がたくさん飛ぶようになってきた。彼等の残骸が、ぺったりとナンバープレートに貼り付いている。こちらもなかなか落としきることが出来ない。
私はもう一度全身をくまなくスポンジで洗い、みこりんにはもっとも重要なナンバープレートを再度担当してもらった。一心不乱に磨き続けるみこりん。与えられた使命は重大だ。
お昼前、ようやくボディ洗いは一段落を迎えた。ナンバープレートは、みこりんの奮闘により、虫の残骸は70%ほどに減っていた。あとは付け置き洗いをしたいところだが、モノがナンバープレートだけにやめておく。
乾くまで小休止。
さて、すっかりボディも乾いた午後1時。私は念入りにワックスを塗り込んでいた。じつはこのクルマ、これまで一度もワックスをかけてもらったことがない。Licによれば、ワックスをかけなければならない、ということを知らなかったのだという。うっかりしていた。
ワックスのノリがいまひとつなのは、いたしかたないところか。だんだんワックス用スポンジを握る手から、力が抜けてゆく。何度かスポンジを取り落としてしまった。落ちるたびにワックスの付着した面が下になるのは、お約束。手のひらまでワックスまみれだ。
仕上げ。専用のクロスを使う。硬化しつつあるワックスは、かなり手強い。腕をぐるんぐるん回して磨き上げる。日々の不摂生が如実に姿を現す瞬間だ。あぁ、腕が棒になったかのよう。
クルマは、やがてどこへ出しても恥ずかしくないほどに、ぴかぴかと輝き、ガレージに収まっていた。
麦藁と雷様
午後3時、市民農園へとやって来ている。
ナスが早くも重そうに黒光りする実をつけていた。さっそくみこりんが収穫してくれたが、まだまだ花は咲いている。来週も期待できそうだ。
ふと姿の見えなくなっていたLicが、麦藁をかかえて戻ってきた。近くの麦畑で、麦藁をもらえるのだという。そういえば前回来たときに、Licがそんなことを言っていたのを思い出した。麦藁を敷いておけば雨水が跳ねて葉っぱ等につくのを防いでくれるし、雑草対策にもなる。特にスイカの辺りには念入りに敷いておくのが吉。
最初は「これっておこめ?」と、ちょびっと残った麦の穂を指差していたみこりんだったが、初めて見る麦藁にたいそう興味を惹かれたようす。さっそく一人で取りにいってくれている。およそ100メートルくらい離れた麦畑で、ひとつかみふたつかみ。そのころ、西の空では急速に黒雲が広がり始めていた。何やら怪しげな気配……
大粒の雨が、どすっと黒マルチに落下してきたかと思うと、山の向こうから雷鳴がどろどろと轟き始める。はっと顔を上げるみこりん。大急ぎで駆け戻ってくるのが見えた。でもなんだか走り方がおかしい。両手を体の前にくっつけているからだ。おへそを隠しているのだと気が付いたのは、しばらく経ってからのことだった。
稲光からの経過時間をはかる。まだ3キロ以上も先にあることがわかったが、こうして何にもないだだっぴろい場所で遭遇する雷というのは、意外に迫力があることを知る。遮蔽物のない状況というのが、無意識のうちに警戒レベルを引き上げてしまうのだろうか。
幸い、雨はそれ以上ひどくなることなくおさまった。雨雲は去ったのだ。しかし、“クルマを洗うと雨が降る”という伝説を、今回も再認識させられたことに、驚きを禁じ得ない。
2002.6.17(Mon)
宇宙バッタ
チリーアヤメが、今季2回目の開花を迎えた朝、庭土の上に、なんだかゴマ粒みたいな物体が点々と散らばっているのに気が付いた。こういうパターンでは、たいてい落ちているのは“生物”であることが多い。今回もそうだろうか。慎重に顔を近づけてゆく。
色は、黒っぽいメタリック系。まるで装甲で固められたかのような姿をしていた。そう、やはりこれは生物だった。おそらくバッタの仲間だろう。形状はトノサマバッタの幼体を、ぎゅっと縮めて5ミリほどに小さくしたみたいな雰囲気だが、こんな硬質な鎧を纏ったバッタというと、すぐには思い浮かばない。角張っているならヒシバッタかもしれないが、こいつはまるで宇宙バッタのように流線型をしていた。
宇宙バッタは、あちらこちらにいた。およそ10cm間隔のメッシュ状に庭に散布されているかのようだ。まさに足の踏み場もない。うっかり歩き出せば、間違いなく踏みつぶしてしまうだろう。そっと指先で触れても逃げ出さない。何かを待っているかのように。
仕方がないので、しばらくウッドデッキを通路にして庭を横断することにした。彼等の分布密度が濃いのは、以前クローバーが茂っていた庭の中央あたりだ。そこを過ぎれば(たぶん)大丈夫。
大きくなったらどんなバッタになるのか、気になるところだ。
蜂との交流
花壇に植わっているナンテンの木は、今ではすっかり私の背を追い越し、いい具合に隣家との目隠しになっている。その枝の1つが、折れて枯れ始めていたのが気になったので、取り除こうと剪定バサミを入れていると、突然眼前を横切ってゆくやつが…。
フタモンアシナガバチだった。私の手元を掠めるように、ナンテンの枝に止まった。いや、正確に言えば、彼女の巣に舞い降りたのだ。部屋数にして10個ほどのまだ小さな巣が、私の右手上方10cmほどの位置にぶら下がっていたのだった。
巣の上で、彼女はじっとこちらを見つめていた。無言のコミュニケーション。蜂の言わんとすることは、私にも想像がついた。そっと枝を持つ手を離した。
じつはここに蜂の巣があることには、数日前から気付いていた。しかし、なんだかさびれたふうだったので、すっかり放棄されたものだとばかり思っていたのだ。じつは生きていたとは。今見ると、部屋の入り口には真新しい白いドアが形成されていて、命の存在を感じ取ることが出来た。
去年はスズメバチの襲撃を受けて、2つあったフタモンアシナガバチの巣は崩壊してしまったが、今年は無事にこの場所で大きくなりますように。
コクワガタの新居
みこりんが飼っているコクワガタのメスを、大きなプラケに移してやることにした。去年、バッタを飼ってたプラケだ。そこに昆虫マットを敷き詰め、木ぎれを1本加えると、新居は完成する。もう少し複雑な木組みにしてやりたいところだが、今日はこんなところで勘弁してもらうとして…。コクワガタを移してやると、恐るべき高速で土の中に潜っていった。元気そうでなによりだ。
やがて夕方となり、みこりんが戻ってくると、その手に握られたケースの中には、黒光りする虫が1匹。コクワガタのオスだった。お友達からもらったのだという。こいつは好都合だ。さっそく昼間セッティングしたプラケに入れてやった。土に潜るかと思ったが、そうはしなかった。しばらくしてその理由が判明する。彼は空腹だったのだ。昆虫ゼリーにつっぷして、むさぼるように舐めていた。なんだか2本の角が邪魔そうに見える。ゼリーをプッチンプリンのように皿に出してやったら食べやすそうだが、どんなものだろうか。腹這いの生物には、かえって食べにくいかも?
その夜、丑三つ時を過ぎても、彼はゼリーにくっついていたのだった。
2002.6.18(Tue)
握りしめる寿司
みこりんに食べたいものを聞くと、「おすし!」という答えが返ってくることが多い。ここでいう“お寿司”とは、回転寿司でくるくると回っている握り寿司のことを指す。“回転している”ことがポイントらしい。回転していないお寿司屋さんに誘っても、ことごとく却下されてきたからだ。
だからてっきりみこりんは、基本的に握り寿司そのものはそれほど好きではないのだろうと思っていた。
ところが今夜は、みこりん自ら握るのだと意気込んでいる。“我が家で手巻き”が今宵のメニューなのだが、みこりんは海苔で巻くよりも、握ることを選んだ。ちょっと前までなら、巻き巻きするのが大好きだったはずなのに。
握る、とはいっても、これまで一度も握ったことなどないみこりん。ぺたっと手のひらで押しつぶしたりして、なんだか途方に暮れているような気配。そこで私も手巻きを一時中断して、握ってみることにした。軽く手のひらを包み込むようにして飯を乗せ、大まかに形を整えたらネタを乗っけて、できあがり。なんだか不格好だが、みこりんの参考にはなったらしい。その後のみこりんの握りは、それなりに形になっているようないないような微妙なところだが、最初の五平餅みたいなのよりはずっとよくなっていた。
自分で握るからいいのか、握り寿司だからいいのか、その辺がとても気になるところである。
2002.6.19(Wed)
キウイの丸かじり
カゴに盛られたキウイを1つ手に取り、水洗い。皮に有効成分が多く含まれているとかで、最近よくキウイを丸かじりしているのだ。
洗い終わったキウイを、そのまま口にもっていこうとして、重大なことにようやく気付いていた。なんてこった。このキウイは毛深い!
水洗いだけで丸かじりできるのは、黄色い果肉のゴールデン・キウイ。緑の果肉のオーソドックスなタイプは、このけばけばの毛をなんとかせねば丸かじりはかなり勇気がいる。
カゴの中には、緑と黄色が混在していたらしい。
やられた。仕方がないので、そのまま輪切りにしてお上品にスプーンで果肉だけすくって食べたのであった。
2002.6.20(Thr)
雨に降られる猫
夜もすっかり更けた仕事帰り、正門のところで猫が1匹、じっとたたずんでいるのに気が付いた。わりと大きな白猫だった。
今夜は雨。霧のような柔らかな雨が、際限なく降りしきっている。猫は、その大きな目を、半開きにした状態で、丸く丸くうずくまっているのだった。湿気を含んだ体毛が、いかにも寒そうで、つい手を差し伸べたくなってしまうが、ここは我慢だ。
Licの迎えを待つ間に、猫はどこかにいなくなっていた。正門の中には入れてもらえないと悟ったのか。
ところで最近、我が家の近くで「にぃ にぃ」という鳴き声を、耳にするようになった。嵐の夜や、雷の晩に、その声は小さく小さく聞こえてきた。みこりんはその声の主に“にぃにぃ”と名前をつけて、なにかと気にするようになった。でも、「いっしょにあそびたい」と言ってたかと思えば、「にぃにぃこわい」と、まったく正反対の反応を示すので、どうもよくわからない。一度も姿を見ていないのが影響しているだろうか。去年は黒い仔猫にたいそうびびっていたみこりんだけに、複雑な心境なのかもしれない。またあの黒仔猫だったらどうしよう、とか。
野良仔猫の生存率は、かなり低いらしい。にぃにぃも、いずれどこかに消えてしまうのだろう。
2002.6.21(Fri)
選択の呪文
たとえば3種類の果物が目の前にあるとする。いずれも甲乙付けがたい異彩を放っていて魅力的だ。でも選べるのはただ1つ。こんなとき、あなたはおもむろに人差し指を前に出し、こう呪文を唱え始めるのではないだろうか。「どちらにしようかな…」と。
みこりんは近頃、この呪文をよく使うようになった。その全文を書き表すと、こんな具合になる。
「どちらにしようかな
てんのかみさまの いうとおり
てっぽううって どんどんどん」
おそらく保育園で習得してきたのだろう。少なくとも私はまだ伝授していない。私の呪文は、みこりんのとはちょっと違う。同じく全文を書き表すと、こうなる。
「どちらにしようかな
うらのおいべっさんの いうとおり
てっぽううって ばんばんばん」
天の神様ではなく、裏の“おいべっさん”とやらに聞くのが大きな違いである。“おいべっさん”とは何者か、じつは私も知らない。ただそういう風に伝えられていたのだ。呪文には、まだ続きがあったような気もするが、残念ながらすっかり忘却の彼方である。
これがLicの呪文だと、こんな感じになる。
「どちらにしようかな
うらのごんべさんに きいたらよくわかります
ぷりぷりぷりぷりぷり かきのたね」
裏の権平さんに聞くらしい。しかも“ぷりぷりぷりぷりぷり”ときて、なぜか柿の種だ。状況によっては、最後の部分は繰り返されることもあるらしい。
みんな生まれ育った地域が違うので、三者三様。もしかするとみこりんのは今後ハイブリッド型になってしまうかもしれない。今でもすでに「てんのかみさま」が「うらのかみさま」になってる時もあるし。
こうして呪文は融合離散を繰り返し、語り継がれてゆくのだろう。
2002.6.22(Sat)
猫のいる空間
廊下を歩くときには、にゃんちくんのケージのところで名前を呼んでやるのが常だった。にゃんちくんのご機嫌レベルに応じた返事が返ってくるのが当たり前となって、幾年月。それはもはや条件反射といってもいいくらい、“日常”だった。それ故に、しんと静まりかえったケージの中は、違和感の塊だった。
にゃんちくんのいない空間が、これほど心に穴を穿つとは、少々意外だった。いや、別ににゃんちくんが死んでしまったわけではない。ちょっと動物病院に3日ほど入院しただけなのに。それにもかかわらず、なんというか恐るべき喪失感に満ちていた。
ふと、このまま戻ってこないのではないかという妄想に取り憑かれそうになり、頭をぶるんと振って追い出してやった。3日の辛抱だ。長くはない。あっという間だ。そうすればにゃんちくんは戻ってくる。
でもこの日は寝るまで、ケージの前でついつい名前を呼んでしまうのを止めることが出来なかった。
“高い高い”の無限循環
保育園までみこりんを迎えに行くと、「ぽーんするのして」と言うみこりんとそのお友達数人に取り囲まれてしまった。“ぽーんする”という謎の言葉が気になったが、“高い高い”のことではないかという予感がしたので、「こういうの?」と、まずみこりんを高い高いしてやったところ、どうやら正解だったらしい。たちまちお友達数人が、一斉に我も我もと押し寄せてくる。
「はい順番!」と私が宣言するや否や、さっきまでの混乱状態が嘘のようにびしっと整列してしまうすごさ。日々よく訓練されているようだ。そんなところに感心しつつ、順番に“高い高い”をしてやっていると……
なんだか列が長くなってきているような?ひぃふぅみぃよぉ…、指差し数えるまでもなく、3巡目くらいで子供の数は1.5倍ほどに増えていた。こ、このままでは今にクラス中の子供達が並びかねない。しかもそれが循環するのだ。“高い高い”の未知の領域が、眼前にがばっと開いたような気がして、腕も震える。おぉっといかん、取り落としては一大事。放り上げる高さも下降の一途をたどってゆく。
と、その時であった。「はい、ここでおーしまい」という先生の声が降り注ぐ。無限循環の鎖は切れ、“高い高い”を終えた子供らは、いずこかへと去っていく。
やがて、みこりんだけが残った。さぁ、帰ろう。土曜日、お昼前の保育園は徐々に静けさに包まれてゆく。
2002.6.23(Sun)
地中の攻防
みこりんの誕生記念に植えたハリエンジュ(桃花ニセアカシア)は、根っこというよりは地下茎を張り巡らして増殖する。過去に一度だけ、地下茎を元から絶とうと切断したこともあったが、すでに別の地下茎が伸びていたらしく、玄関脇に出現していた個体は枯れることなく生き残った。今では2階部分に余裕で届くまでに生長し、枝葉を広げている。これがうまい具合に玄関前の目隠しになってくれることが判明したので、切らずに残しているというわけである。
ところが地下茎はさらにこの個体からも伸び続け、玄関前に敷いたコンクリートブロックをも持ち上げるほどに太く逞しくなり、先頃、この先5mの地点から新たな個体の出現を確認。ついに、この地下茎の切断を決意することとなった。
およそ直径10cmはあろうか。半ば地上にその姿を現している地下茎を切断するには、まず周囲の土をどかさねばならない。切断に使用する得物は、例によって金ノコである。我が家にはノコギリはこれしかないので、木材といえども金ノコを使用する。
地下茎の切断予定箇所をすべて剥き出しにして、一気に刃を入れた。思ったよりも柔らかく、両断するのにさほど時間はかからなかった。切断面から水が噴き出してくるのではないかと思うほど瑞々しい地下茎の樹皮に、なんだか罪悪感のようなものを感じてしまう。
とりあえず、これで地下茎の脅威は去った(はず)。ほっと脱力していた時のことだ。風が来た。さほど強くない、そよ風だった。ぎぎぎぎぎぃ…、という軋みが聞こえたかと思うと、木が、ぐらりと動いた。
地下茎で増殖したこの木には、どうやら自根がほとんど存在していないらしい。これまで逆T字でバランスを保っていたところに、片方の支えを失ったため、ぐらついているのだ。おまけに残存する反対側の地下茎部分の土が、昨日までの雨で柔らかくなっていることもあり、明らかに浮き上がりつつあった。このままではいずれ倒れてしまうだろう。なんとかせねば…
対策案をつらつらと考えてみたが、杭で支える以上のものが思い浮かばなかったので、さっそくホームセンターへと出撃する。
杭はないか。園芸用品売り場を巡ってみたが、そのものずばりのブツがない。境界線明示用のちっちゃいヤツ(約50cm)ならあったのだが、どうみても長さが足りない。この倍は欲しい。……でも、ないものはしょうがない。小さいのを1つ買った。木槌も忘れずに。荒野で大きく振りかぶるのが似合いそうなでっかい木槌にもかなり惹かれたが、値段の前に沈黙する。一回り小さなサイズの木槌で妥協だ。
帰宅してみると、木はさらに傾いているように思えた。…いや、実際傾いているようだ。屋根との距離がぐんと開いている。いよいよ危ない。杭を取り出し、根元に押し当て、木槌を構え、打った。途中までは難なく入った。ところが、一線を越えたあたりから、まるで鋼鉄の壁でも存在しているかのように杭の侵入は拒まれた。手に響く衝撃も、半端ではなくなってくる。しかしここで止めては元の木阿弥。杭が木ごと倒れてしまわないように、せめて2/3は打ち込まなければ。
がんがんと打ち込んだ。ちょうど玄関部が空間的に空洞となり、反響音が発生、鼓膜を襲う。
これ以上やっては木槌の打撃面に修復不能な傷が付く。そう思えるところまで打ち込んで、杭打ちは終了した。あとはそれに沿って木を立て直し、シュロ縄できつく縛り上げればOKだ。ちゃんとした杭を探し出すまでは、もってくれるだろう。
Licの強い要望もあり、切断した方の地下茎を掘り起こすことにする。そのためには、まず敷いてあるコンクリートブロックを撤去せねばならない。シャベルを差し込み、ぐぐっとやったら、あっけないほど簡単にコンクリートブロックは持ち上がった。一応コンクリートで各ブロックは固められていたのだが、経年劣化か、それとも地下茎の威力か、ほとんど役には立っていなかった。
じつに7年ぶりに露わとなった土の上には、立派なダンゴムシやらナメゴンやらが点在していた。コンクリートの下は隙間だらけだったらしい。みこりんが「これみこりんのすきなもの〜」と拍子を付けつつ、ダンゴムシで遊び始める。
地下茎は、左方向へと2本に分かれて伸びている。その先には門の前のコンクリートで覆われた部分があり、それを越えたさらに向こうに、今回新たに出現した木の芽がある。シャベルで掘り返して行けるのは、門の前まで。引っ張ってみたが、まったく歯が立たず。地下茎は、まるで先端に“目”でもついているかのように、コンクリート部を避けるようにしてかなり手前から深く潜り込んでいるのだった。
それでも引っ張って引っ張って、地下茎の表皮がずるっと剥けてしまうほど引っ張った。みこりんが『大きなカブ』ごっこをやりたがるほどに。まるで何か別の生物が、地中に潜んでいるかのような錯覚をおぼえてしまう。湿った土の匂いと、地下茎から染み出してくる樹液(?)の青臭い匂いとが混ざり合い、ここが深い森の中であるかのような印象だ。
結局、土の底で地下茎を切断した。引き出された地下茎が、なんとなく肌色に見えて、ちょっと不気味。剥がしたコンクリートブロックを、とりあえず元に戻しておく。いずれここは別の石に置き換えようと思う。みこりんの好きな“飛び石”にするもの悪くない。
その夜、雨は静かに降り続いた。
芋を掘り起こしたモノ
市民農園にて。去年使ったキュウリネットは、結局もつれをほぐすことができず(悪戦苦闘すること1時間)に、新しいネットを買うはめになってしまった。今回買ってきたネットはかなり具合がいいようだ。なにしろ張るときに、こんがらがることなく、一回でぴしっといけた。これならまた来年以降も使い続けることができるだろう。
今年はカボチャ類を作っていないこともあり、地面には比較的余裕がある。そのせいかスイカのツルも、なんだか伸び伸びとして見えた。3本伸ばしたツルには、それぞれ1個の実がくっついている。まだビー玉サイズなので油断ならない。こういう小さいものを放っておけないみこりんが、さっそく触れ合っている。そうそう、それがおっきなスイカになるのだよ、とか言ってるうちに、1つが「ぽろっ」ともげ落ちてしまった。……凝固するみこりん。あぁ、1個1000円クラスのスイカになる予定だったのに、とこれは私の内心のつぶやき。まぁ、季節も早いし次の花が咲けば再度結実するだろうから、傷は浅い。大丈夫大丈夫。
みこりんの立ち直りは早かった。もげたスイカの赤ちゃんを、ハサミでまっぷたつにして内部を観察したりしている。断面は、ちょっと堅めのスポンジのようだ。中心まで鮮やかな黄緑色で、なんだかお菓子のような感じ。みこりん的には、小さくても赤く色づいたのを期待していたのかもしれないけれど。
さて、先週は芋を植えた。去年収穫したあの巨大紅芋は、じつはまだ部分的にしか食していなくて、本体は健在なのだ。そこからにょきにょきと芽が数本出ていたのを切って、苗にしたという次第。そしてもう1種類。台所の片隅で、いつのまにやら発芽していた里芋だ。うまく根付いてくれただろうか。
む?この足元に転がっているのは……。拾い上げると、それは芋だった。里芋だ。埋めた場所からはおよそ2mほど離れている。芋が自力で這い出してきたのでなければ、何ものかに掘り出されたに違いあるまい。イタチか、キツネか、ウサギかネズミか…あるいはカラスか、はたまたアライグマやもしれぬ。アライグマがありならタヌキという線もあるだろう。しかし、掘り出すだけで食した形跡がないのは奇妙といえば奇妙。
みこりんが敷物の上で、遅めのオヤツを楽しんでいるのが見えた。先週一緒に植えてくれてたはずだから、まさかみこりんが掘り出したとも思えないが…。Licも同様。芋を植えてくれたのはLicとみこりんだ。すると……残ったのは、私か?奇怪な。
この辺にも謎な生物がいろいろと潜んでいるようだ。
2002.6.24(Mon)
浮き上がる杭
降り続く霧雨が、枝葉に取り憑き重くする。昨日ハリエンジュの根元に打ち込んだ杭は、もはや杭としての機能を失っているかのように見える。土ごと浮き上がり、ハリエンジュと共に傾いているのだ。試しに手で掴んでゆすってみると、ぎーしぎしと大きく傾いだ。
これで突風でも来た日には、危険極まりないところだが、幸い雨だけで風はほとんどない。だが、明日もそうだという保証はなにもなく、家の基礎部に潜り込んでいる(と思われる)地下茎が、家を道連れにしないだろうかと不安がよぎる。質量が違いすぎるのでそれはなかろうと思いつつも、しっかりした杭を打ち直すまでは、この心配の種が完全に消え去ることはなさそうだ。
2002.6.25(Tue)
にゃんち帰還
Licよりケータイにメールが入る。にゃんちくんを動物病院から受け取ってきたとあった。しかも「ふーふー」言ってるらしい。よっぽどしんどいのかと思ったら、怒って「ふーふーしゃーっ」とやってたそうな。にゃんちくんは人見知りが激しい。それがたとえ動物病院の先生であっても。
家に戻ってからは、ようやく落ち着いたのかおとなしくなったという。
帰宅して、にゃんちくんの無事な顔を確認する。な、なんか痩せたような?目玉がぎょろりとヤケに目立つ。こんな顔だったか、にゃんちくん?ケージから出してやったら、いよいよその痩せ具合が目に付いた。猫というより、どっちかというとイタチ…。肉付きが、というより、毛が思いっきり夏毛に変わってしまったかのようだ。たぶん今なら5cmの隙間でも余裕ですり抜けるのではないか。そう思わずにいられないほど、スリムである。
いつもは椅子に座った私の膝には上ってこないにゃんちくんだったが、今夜はとてもとても甘えたい気分だったらしい。両膝の間から、ぬっと顔を突き出すと、そのままジャンプして膝にくる。しばらく四肢で立ったまま尻尾でぱたぱたやっていたが、やがて落ち着いたのかうずくまり、寝た。あ、暑い、が、いましばらくはこうしていよう。にゃんちくんの寝息を聞きつつ、夜はさらに更けてゆくのであった。
2002.6.26(Wed)
菓子まき
この地方では、結婚にあたり新婦側の家では菓子まきを行うという風習がある(らしい)。私はネイティブな地元民ではないので特に実感はないのだが、数年前に一度、菓子まきで余ったという菓子袋を職場でもらったことはある。なかなか豪勢な袋詰めであった。菓子まきだけで100万円あるいはそれ以上の資金を投入するなんていう話もあり、意気込みのほども凄まじい。
みこりんは、その菓子まきを狙っている。担任の先生が結婚するのに関連して、菓子まきの話をどこからか入手してきたらしいのだ。結婚式当日、菓子まきに行きたいと訴えるみこりんだったが、肝心の先生の家がわからない。こりゃ困ったねぇなどと言っていたら、みこりんに閃きがあったようだ。地図を書いてもらえばいいのではないかと、みこりんは興奮気味に教えてくれた。
この地方には、菓子まきや餅まき等の情報を独自のネットワークでやりとりし、まかれる品をゲットすることを趣味にしている人たちが存在するらしい。それを思えば、みこりんが担任の先生の家で行われる菓子まきに参加するのは、多少なりとも関係があるということで、ぜんぜんOKにちがいあるまい。でも……、先生の家はちょっと遠い(らしい)。近くなら、どんなものか一度見に行くのも悪くないんだが…
2002.6.27(Thr)
デジカメ
なぜか我が家にはデジカメが4台ある。うち2台が無料でゲットしたもの。残りはみこりん用にと買った安いやつ。みこりんのカメラに対する興味は、いまだ薄れていない。でも、みこりん用のデジカメには液晶ビューがついていないので、ちょっと不満があるらしい。
私のデジカメにも不満なところはある。その1つがシャッターを押してから、実際に映像が撮れるまでの時間が長いこと。そのせいで、どれほどベストショットを逃してきたことか(腕はともかく)。風に揺れる庭の花や、水中を舞う魚等には、そのワンテンポの遅れが致命的となった。いくらフィルムを気にせず撮り直しが可能とはいえ、撮影に要する時間まで巻き戻すことはできない。特にマクロ撮影では、ピント合わせや露光には、かなり時間がかかる。被写体の前に陣取って、ひたすら粘ること数十分なんてこともよくあった。
こういう状況を改善してくれそうなのが、これ。『QV-R4』だ。シャッターを押してから撮影開始まで、わずか0.01秒。それでも10ミリ秒もかかるのは何故だと思わなくもないが、まぁ努力は認めよう。これで連写にも対応してれば理想的(ベストショットを逃すもう1つの大きな原因が『一度撮影してから、次の撮影が可能になるまでの時間が長い』ことにあるのは、言うまでもない)。
とはいえ、今すぐ買い替えられるわけもなく、しばらくは忍耐の日々が続くのであった。そのうち中古でAE-1のマクロレンズでも入手できた日には、デジカメで苦労する必要もなくなるかもしれないし(高級機を買うだけの余裕もなし)。
2002.6.28(Fri)
冒険したい気分
夕方、友達の家(徒歩3分)に行くといって、みこりんが玄関を出てから約1時間後のことだったという。外でクルマの止まる音がして、みこりんが戻ってきた。どうやらクルマで送ってもらったらしいのだが、その時すでにクルマは立ち去ったあとだった…
みこりんの説明によるとこうだ。友達は友達でも、保育園の近くにある友達の家に向かった(徒歩40分)。が、途中で知らないおばさんに危ないから送っていってあげると言われ、そのままクルマに乗せてもらって帰ってきた。
団地を出て、山沿いの道を歩いている途中だったらしい。距離にして、およそ3キロくらいはあるだろうか。いつも保育園の行き帰りに、クルマで送っている道だが、徒歩ではこれまで一度くらいしか通ったことはないはず。そんなほとんど未知の領域と言える場所へ、よく踏み込もうと思ったものである。でもたしかに危ない。いくら田舎とはいえ、クルマの往来もそこそこあるし、変質者もいるかもしれない。表通りには出ちゃいけないと何度も言ってあったが、まさか寂しい山道経由の保育園方面に向かうとは。
冒険したい気分だったのだろうか。機嫌の良いときは、かなり独立心旺盛なみこりんだけに、今後も油断禁物だ。とはいえ、一人で遊びに行くのを禁止するわけにもいかないので、GPSケータイ等の位置情報システムを携帯させたい気分だ。迷子対策にもなるし、普通のケータイを持たせてやるのもいいかもしれない。ケータイをみこりんでも発着信できることは、実験済みだし。あぁ、それがいい。そうしようそうしよう。
2002.6.29(Sat)
おにゅぅのキーボード
以前から、我が家のメインで使っているPCのキーボードには不満があった。キーストロークが深すぎるとか、キータッチが妙に重いとか、キーがでかいとか、キーボードもでかいとか、いろいろだ。
そこで買い替えのチャンスを狙っていたのだが、地元周辺ではなかなか思うような品に巡り会えず、今日に至る(触ってなんぼの品は、通販向きではないし)。東京出張を利用しては秋葉原方面に探りを入れてみたりもしていたけれど、いつも時間切れで終わっていた。ところが昨日たまたま名古屋方面への出張の際、とあるPCショップでかなり理想に近いキーボードを発見することができた。自分のタイピングの癖によく合致していたことに加えて、100キー・タイプでかなりコンパクトな上、値段も約3000円とお手頃なのもうれしい。理想を言えばテンキーはないほうがよかったのだが、これを逃すと次の運命の出会いまでまたしても数年を要してしまうかもしれず、購入を決断したのであった。
カバンに詰めて連れ帰ってきた新しいキーボードは、箱から出してみるといよいよその小ささが際だって見えた。これまで使っていたのと比べてみると、まるで幼児用かと思ってしまうほどだ。こりゃぁいい。みこりんが使うにも具合がよさそう。
さっそく古いキーボードを取り外し、新しいのを接続する。なんだかPCデスクの上も、広々とした感じだ。
では実際に打ってみようか。おもむろに指を構えて、書きかけ(打ちかけ)の文書を、打つ打つ打つ。
な、なんと滑らかな指心地だ。最小の労力で目的のキーを叩くことが出来る。これまではキーボードに無理矢理手の動きを合わさなければならなかったが、それとまったく逆の状態だ。キーボードのために指が無理をする必要がない(INSキー,DELキーの配置には慣れなければならなかったが)。やはりキーボードは選ばねばならんなぁ……、と思いを新たにしたところで、ふと気付く。この新しいキーボード、私には手に吸い付くようになじんだが、Licにはどうだろう。このPCはLicも使っている。感想を聞いておかねばなるまい。
2002.6.30(Sun)
みこりんのペット
朝露の残る庭で、みこりんが新たな発見をしていた。森の妖精を象った人形を乗っけている受け皿に水がたまっていて、小さなうねうね虫が、無数に泳いでいたのだ。ボウフラである。
みこりんは一目でそのコミカルな動きに魅了されたらしい。じっとしゃがみこんだまま見入っている。やがてみこりんが、これは何かと聞いてきた。ボウフラという名前と、それが蚊の赤ちゃんであることを教えてやった。みこりんは即座に「かいたい!」と宣言し、(いつのまにかみこりんのものになった)熱帯魚用の網を取りにウッドデッキへと消えていった。本気で飼うつもりのようだ。
やがてみこりんは網とプリンケースを手に、戻ってきた。プリンケースに水を入れ、金魚すくいの要領でボウフラすくいを始めるみこりん。くぃっくぃっと腰をくねらせ逃げるボウフラ。それを追うみこりんの動きは、まさに真剣そのもの。
結局、3つのプリンケースにボウフラ達は分けて入れられることとなった。透明な水中を舞うボウフラ達。きれいな水だと、ボウフラといってもなかなかさまになっている。みこりんはクローバーを千切って浮かべ、「ぼうふらのごはん」と言っている。最近みこりんは虫等の餌には、まずクローバーの葉っぱを与えてみることにしているようだ。ところでボウフラって何を食べるんだろう。ボウフラは飼ったことがないので、私にも謎だ。あとで調べておこう。
こうしてみこりんのペットとなったボウフラ達は、ウッドデッキのママごとセット置き場付近に落ち着くこととなったのである。数にしておよそ30はいるだろうか。採取元の受け皿の中にはさらにその数倍の規模で泳いでいる。道理で庭に蚊が多いわけだ。しかし、みこりんが気に入ってしまったので、しばらくは水をぽぃするのは止めておくとしよう。
みこりんの新しいペットは、Licにも紹介された。さらに新たな情報を得たみこりん。ボウフラはメダカの餌になるという情報だ。すかさずプリンケースから1匹をすくいとり、睡蓮鉢でさささっと泳いでいるメダカに向かって「ぽちゃん」。でも、睡蓮鉢の水は藻で濁っているため、ボウフラはあっというまに見えなくなってしまった。何事が思案していたみこりんだったが、やがてその小さくも可愛らしい口を開いてこう言った。「すいそうのきんぎょさんにあげてもいい?」
ひぃぃぃ、それは勘弁してくれ。ボウフラだけならともかく、目に見えない得体の知れないモノも入っちゃうから、ダメ。じつに残念そうなみこりんであった。
棒杭を打つ
玄関脇のハリエンジュは、幸いなことにそれ以上傾くのを止め、ぎりぎりのところで踏みとどまっているように見えた。いまのうちに新しい杭を打つに限る。昨日、別のホームセンターで理想的な棒杭を3本買っておいたのだ。長さ1m20cmほどの、ドラキュラでも滅ぼせそうな白っぽい杭だった。
3本の棒杭を、どうやって組み合わせるか。悩んだ末、三脚のように立ててやることにした。
傾いた木にシュロ縄をかけ、それをLicに引っ張ってもらいつつ、木槌をふるう。前回にもまして、打ち込むのは骨だった。なにしろ太い。それに長さも倍以上ある。打っても打っても遅々としてめり込んでいかない。しかし、断面が太いので打ち込みやすいのが救いだ。
手のひらがいい感じに熱くなり、衝撃に筋肉も麻痺し始める。3本だ。これを打ち終わらないと夏が来ない。そう思って打ち込み続けた。
やがて、みこりんがぶら下がってもびくともしないくらいになった。これでいい。これならばきっとハリエンジュを支えてくれるだろう。棒杭で囲むようにして、上からシュロ縄で縛り上げる。ぎしぎしとぎゅうぎゅうと。2箇所で固定した。先週打った杭は、もはや完全に浮いていた。が、抜こうとすると、不思議と抜けない。どうやら新たに打ち込んだ棒杭で、木と杭とを離れがたい関係にしてしまったらしい。不覚。抜くなら、棒杭打つ前にしておけばよかった。
仕方がないので杭はそのままに。いずれ自然に弛むのを待とう。
梢をざわざわと揺らす風にも、ハリエンジュはびくともしない。棒杭の効果は圧倒的だった。