2003.2.28(Fri)
はるか彼方へ
2日前のことになるが、パイオニア10号からの信号が途絶えたという記事を見た(参考:“パイオニア10号から最後の信号が届いた”)。じつに懐かしい名前に、記憶は一気に少年時代へと巻き戻る。当時はヴォイジャーやらパイオニアやら、外惑星探査機が次々と木星の衛星やら土星の衛星やらを発見していて、図鑑の情報があっというまに色褪せて行くような状況だった(参考:“惑星科学のための宇宙探査機”)。パイオニア10号に搭載されたプレートのことも、科学雑誌で読み、なぜだかこれを悪い宇宙人が解読してしまって攻めてくるなんて想像をしたことを憶えている。
地球からはるか120億キロの彼方を、いまも飛び続けるパイオニア10号のことは、もはやイメージするのも困難なほどに遠くなった。遠すぎて、想像の範疇を越えてしまっている。その電子の“目”がいったいどんな宇宙の姿を捉えていたのかという興味は尽きないが、それよりもよくも今日まで生き続けたものだという思いの方が強い。なんという耐久性、おそるべき根性。
いつか超光速航行が可能な宇宙船が開発された暁には、パイオニア10号の消息を確かめてもらいたいものである。その時、人類がパイオニア10号内部で、あやしげな未知のテクノロジーで改造された電子回路を目にしたりすると、さらに面白いのだが、こればかりは私の存命中には無理っぽい。たぶんみこりんの時代でも難しいだろう。その子の子の子くらいなら、もしかして…。できればパイオニア10号がはるか宇宙の彼方で、知的生命体のコロニーを直撃したりしませんように。まぁそんな確率は限りなくゼロに近いだろうけど。なんとなく“縁”を感じざるを得ないのである。
2003.2.1(Sat)
コロンビア帰還せず
夜の臨時ニュースを知らせる、あのビビッビビッという警報音はじつに心臓に悪い。今回もまた、よくない知らせだった。“スペースシャトル帰還途中、無線交信途絶える”…、とっさに爆発のイメージが脳裏をよぎった。17年前の『チャレンジャー』爆発の映像が、じわりと記憶の底から甦る。今回は帰還途中だ。大気圏再突入の失敗だろうか…。
さっそく情報収集にとりかかった。
こういう場合にまず見に行くべきは、SAC掲示板か、野尻ボードである(まっさきにNASAのサイトを見に行ったが、さすがに手が回ってはいなかったようで…)。やがて徐々に関連サイトへのリンクが示され始め、画像をCNNで見る事ができた。まさに四散である。複数の部分に別れて落下してゆく様が、捉えられていた。これが本当にスペースシャトルであれば、機体はまともに残ってはいまい。脱出装置が作動したのかどうかが気にかかるが、高度6万3千メートル、マッハ6という状況下では………。
やがて地上波でも特集が流れ始めた。きらきらといくつかの光点に分離しながら落ちてゆく映像に、腹の奥底に冷たいモノが生じたような気がした。あぁ『コロンビア』が、壊れてゆく…。初めてスペースシャトルが打ち上げられた22年前のあの夜、私がまだ中学生の頃だ。TVの中継を食い入るように見つめていた。いわゆるロケットの形状をしていない宇宙船ということで、私はとても興奮していたのを今でもぼんやりと思い出せる。時は流れ、みこりんがすやすやと眠るその向こうのTV画面で、あの機体が今、多くの宇宙飛行士と共に、光の中に消えていった。
原因究明に、またどのくらいの歳月を要するのだろうか。いずれにしても、宇宙ステーション計画に遅れが出ることは必至だろう。独自の輸送手段(宇宙ステーションへの運搬と、人員輸送)を持たない日本は、こういう時にじつに弱い。このまま“きぼう”がお蔵入りなんてことになったりした日には、悔しすぎて遠吠えするにちがいない。私の初仕事であるところの“ソフトウェア部品”は、絶対に宇宙に行ってもらわなければ困るのだ。その打ち上げを現地で見る、というのが私の秘かな野望でもある。これを機会に日本でも有人宇宙機なり大型輸送機なりを開発するだけの甲斐性があればと思うが、事なかれ主義の官僚支配の現状ではなんともなるまい。あぁぁ、なんとしてくれよう…
2002.11.18(Mon)
流星群
今夜が土曜日であったなら、と思わずにはいられない。獅子座流星群の日本における見頃は翌朝明け方付近。しかもこんなときに限って帰りが遅くなってしまうという不運。明日の朝まで寝ずの番か、今から速攻で眠り4時ごろ目覚めるか、いずれも実行にはかなりの体力を要するだろう。
冷蔵庫の中より寒い外に出て夜空をしばらく見上げてみたが、慢性的に霞のかかったような視界の悪さと月の明るさで、星座の形すら見分けるのが困難だった。しなしなと萎え始める気力。今年はパスするか、去年は流星雨を堪能できたことだし…、などと思い始めている。
次の機会は30年以上先の未来のこと。そんな先の話しはわからないが、もしも運良く存命ならば、再び夜空を見上げてみようと思う。
2002.9.10(Tue)
打ち上げ
H-IIAロケット3号機の打ち上げを、NASDAのサイトで見守っている。会社からの社外Webサイトのアクセスは監視下にあるので、ストリーミング映像を確認することはできない。それがじつにもどかしい。
午後5時20分。リフトオフ。その後の情報更新がしばらく途絶える。はたして成功したのか。じりじりと時間だけが過ぎてゆく。
各ニュースサイトで“打ち上げ成功”の文字が登場するようになった。ちょっとしたミスでも“成功”とは言わないマスコミのことなので、おそらく文句なしに打ち上げは成功したのに違いあるまい。
夜、ようやくニュースで打ち上げの映像を見る。あぁこれを肉眼で見ることができたなら…。
祝!H-IIAロケット3号機打ち上げ成功。
----------------
宇宙関係の情報ならば、『宇宙作家クラブ ニュース掲示板』も要チェック。
2002.5.14(Tue)
5惑星集合
見頃と言われていた昨日もやはり、日没後の空は、なんだか分厚い磨りガラスに覆われたかのような状況だった。かろうじて木星らしき姿が確認できたが、地形の悪さもあり、残りの4惑星は結局、視界に捉えることはできなかった。もっと開けた場所まで出ないとダメだ。でもそれ以前にこの透明度の悪さをなんとかせねば……。天候のうらめしい今日この頃である。
ちなみに“つるちゃんがお届けする天文シミュレーション。”から、内惑星の位置で5惑星の位置を確認することができる。
次回の5惑星集合は2040年9月。微妙な時期だが、もし存命ならば再び空に惑星の集っている様を捜そうと思う。
2002.5.11(Sat)
宇宙へ…
というキャンペーンが、日本惑星協会と文部科学省宇宙科学研究所共同で5月10日より展開中だ。
何をするものかというと、小惑星のサンプルを持ち帰るサンプルリターン・ミッションのために打ち上げられる探査機MUSES-Cに、名前を刻み込んだプレートを一緒に持っていってもらって、小惑星に投下してきてもらおうというもの。目指せ100万人ということで、ミリオンキャンペーンらしい。ちなみに締め切りは7月6日。七夕一歩前。
もちろん今回も応募した(1998年にも、火星に名前を刻んだプレートを送ろうというキャンペーンがあったのだ)。連名で登録できるので、家族3人ばらばらになることもない。
いずれは“名”だけではなく、“身”のほうも宇宙に行きたいものだが、有り余る財力もなく、なかなか現実は厳しいようである。みこりんの世代になっても、ひょいと簡単に宇宙旅行とは、ならないだろうなぁ……
2002.4.4(Thr)
モノリス…だったら面白かったが
『日本近辺の静止軌道上の巨大(約50m)システム』日本スペースガード協会
きっとこんな形をしてるんだろう。
“Military Signals Intelligence Satellites”
「…高々度を制する者が世界の覇権を握る……それが近代戦のセオリーだ。」
MOONLIGHT MILE(作 太田垣康男) p.69
“ロストマン”ことジャック・F・ウッドブリッジ大尉の台詞より
というわけで、たぶんもっと強面のブツが浮かんでるような気がしてならないのである。今建造途上にある国際宇宙ステーションよりも、もっと巨大な何かが。
2002.3.20(Wed)
おくちのようなお月さま
朝からの偏頭痛は、バファリンをモノともせず、右側頭葉に居座り続けた。結果的にそれが原因で今夜は早めに帰宅する気になったのだが、まさにそれは偶然の幸運だったのだ。
建物を出てふと見上げた夜空に、ぽっかり浮かんだ三日月さん。その暗い影の部分の境界線上に、きらりと光る星1つ。はて?と悩み始める寸前に思い出していた。今日が土星食の日だということに。
午後7時20分あたり。まさに月の裏側へと土星が消えゆくところなのだ。そのせいか土星の割には光量が少ない。もしかするとすでに半分ほど隠されているのかも。
しかしながら肉眼でそれを確認することは叶わず、想像するしかない。望遠鏡がこの場にあったなら!
迎えに来てくれていたLicとみこりんにも教えてやろう。「お月様わかる?」とみこりんを抱き上げて、頭上を仰ぎ見る。みこりんもつられて上を一生懸命見つめていたが、やがて自信なさそうな小さな声でこう言った。
「あの、おくちみたいなのがそう?」
そう、そのとおりだよみこりん。あれが月だ。そして、その上にあるちっちゃなのがデザルグ…じゃなくて、土星だ。
みこりんには土星もわかったらしい。光はいよいよ弱まって、肉眼でも明らかに遮蔽されつつあるのが見て取れる。…あぁ、この場に望遠鏡があったなら。みこりんは覚えていてくれるだろうか。そしていつか本物の土星の姿を望遠鏡で見せてやろう。ついでに木星も火星も金星も。そして燃えたぎる太陽表面に浮かぶ黒点も。そしていずれは月から地球を見上げて欲しい。そういう時代になるように、まずはこういうところから始めよう、というのは“あり”だと思う。たとえ世界で明日をも知れぬ人たちが何万人いようとも、だ(等価に比較できる事象ではありえないから)。
2002.2.20(Wed)
隣の部屋からぱたぱたと
寝床にLicの姿がないのを、みこりんが気にしていた。絵本を読み終わり、照明をすべて落とした後も、なんだか落ち着きのない雰囲気である。もぞもぞと布団の中で何度も身体の向きを変えているみこりん。
やがて、隣の部屋で「ぱたん」という音がする。そして“ぱさぱさ”と歩き回るスリッパらしき気配が響いてきた。
みこりんが暗闇できらりんと瞳を輝かせたらしい。こちらに向き直り、「かあさんだ」と弾んだ声で言った。だが、ここで油断してはいけない。罠かもしれないのだ。そう、みこりんに教えてやる。「ヤツが来たのかもしれん」
この夜、寝る前に、何かの拍子で“宇宙人”の話題になっていたのである。“宇宙人”は宇宙にいるから会えないねとみこりんが言うので、いやいや庭に降りてくる時もあるんだよと、そういうことにしてあったのである。だからみこりんもすぐに私の言わんとしたことが理解できたらしい。でもにわかには信じられないのか「ちがう、あれはかあさん」なんて強がりを言ってみたりするみこりんであった。でも、その手は私の腕をしっかと握っている。本当にあの音が“かあさん”のものなのか、みこりんも不安になってきたのだ。
二人して、じっと気配を断ち、聞き耳を立てる。足音は、何度か向きを変え、遠ざかったり、近づいたりを繰り返していた。
とその時、突然、襖が「がらっ」と開いた。みこりんが「びくっ」と腕に力をこめる。逆光の中、顔をにゅぅっと覗かせたのは……Licだった。
まるで申し合わせたかのような出現の仕方だ。なんて心臓に悪い。みこりんがLicの姿を認めて、けたけたと笑っていた。
これでやっと落ち着いて眠ることができる。
2002.2.18(Mon)
ロケットを見に行こう!
『宇宙へのパスポート―ロケット打ち上げ取材日記1999‐2001』(笹本祐一 著)
一度は月に行ってみたい!と心のどこかで熱き思いを抱いている人ならば、すでに購入済みであろう。私も当然のごとく買ってきているのだが、まとまった時間がとれずに部分的にしか読破できていない。が、それでも「いざ行かん、種子島」な気持ちを新たにしているのである。こいつはいい。……表紙はちょっと私の趣味からはかなり外れているのだが、贅沢は言うまい。
平成14年度のH-IIAロケット打ち上げは3回。やはり夏場が狙い目か。みこりんにもぜひ生でロケット打ち上げを見て欲しいし、何より私が見てみたい、いや、“見る”などという生やさしいものじゃなくて“体感”したい。むさぼるようにロケットを堪能したいものである。
2002.2.4(Mon)
H-IIA打ち上げ
祝!H-IIAロケット試験機2号機、打ち上げ成功。
2機搭載の衛星のうちの1つ、DASHの分離ができなかったようだけれど、まぁこれも試験のうちだ。原因を解明して、次回に生かしてほしいと思う。
-----------------
2002.2.10 追記:より正確に言えばH-IIA2号機搭載のペイロードは3つである。民生部品・コンポーネント実証衛星 MDS-1、高速再突入実験機 DASH、性能確認用ペイロード VEP-3だ。今回分離に失敗したDASHは、主ペイロードではなく、ピギーバック・ペイロードである
-----------------
ところで“リレー”を知らない新聞記者がいるのか。中学では技術の時間に、もはやリレーを教えていないのか?というかリレー知らないのによくロケット打ち上げの取材に来れるな。とはいえ、これに似たような光景は仕事場でもたまーにあったりはするけれど………
まずそういうとこから地道に改善していかないとダメだ。
2001.11.19(Mon)
緑の光
時刻は日曜日から月曜日へと移り変わり、気温はますます低下の一途をたどっている。腰にくる寒さだ。
午前1時過ぎ、庭に出る。星がいつになくよく見える。南にオリオン、東にひときわ明るい惑星が1つ。木星だろう。
じっと見上げていると、天頂付近に緑の光が、一瞬走った。しばらく光跡が残るほどのやつだった。ぼちぼち始まっているようだ。だがこの姿勢は首がつかれる。ほぼ真上を向いてないといけないのが辛い…。
ウッドデッキにデッキチェアを広げ、そこに寝そべり夜空を見上げてみる。おぉ、これはいい。ずいぶんとラクだ。毛布にくるまり、もこもこになって星を見るなんてのは、十数年ぶり。ひどく懐かしい感じ。
そうやってる間にも、散発的に光は流れ、消えてゆく。1つ2つ3つ…途中で数えるのを止める。これは、けっこうすごいことになるかもしれない。
一端撤退。ピークは午前3時過ぎ。それまで外にいたら凍えてしまう。
午前3時前。再び庭へ。毛布の隙間ができないように、慎重に椅子に寝そべり、姿勢を楽に。だが剥き出しの顔面が痛い。凍てつく夜空だ。なんという寒さ、なんという暗さよ。すぐそばの街灯の光が、かえって闇を強調しているかのようだ。
3時ちょうど。Lic参戦。狭いデッキチェアに二人して毛布に丸まって夜空を見上げる。
オリオンは西に傾き始め、木星は南中をやや過ぎたあたり。獅子座が東上方に昇ってくる。出現の中心がだんだんとはっきりし始める。
線香花火の“枝垂れ柳”が、夜空いっぱいに広がったような感じだ。たまに光球と呼んでもいいくらいのヤツが、連続して空を横切ったりしてくれるのが心憎い。
冷え込みと、眠気が重なって、一瞬意識がなくなっていたようだ。起きろ、寝ちゃダメだ。寝たら死ぬぞ。でもなんて心地いいんだろう。この毛布一枚通した寒暖の差が、たまらなく気持ちよい……
今年の獅子座流星群は、どうやら当たり年だったようだ。
2001.9.25(Tue)
『MOONLIGHT MILE - THE END OF THE EARTH -』
SFを筆頭に宇宙開発モノはデフォルトで“買い”なのだが、昨日買ってきた『MOONLIGHT MILE - THE END OF THE EARTH - 1巻』(太田垣康男)は久しぶりに脳天がしびれた。
国際宇宙ステーション完成後の近未来、月面開発がまさに始まろうとしている時代のお話である。
宇宙開発が、研究段階から応用段階へとシフトしてゆくとき、それまでのいわゆる“ライトスタッフ”である宇宙飛行士に加えて、“土木系”などの技術者が必要になってくる。現在でもミッションスペシャリストとしての宇宙飛行士は存在するけれど、この作品世界に登場してくる“ビルディング・スペシャリスト”はさらに技術者(あるいは職人)サイドに寄ったものとして描かれてゆくことになるのだろう。
物語冒頭で、なぜ“彼等”が宇宙に行こうと思ったのかを“語る”重要なシーンがある。“彼等”が地上でもっとも高い“地べた”−エベレスト山頂−に立ち、もはや地球上にはここより高いものなど何もないのだと思い知る。でも、そこから見上げた天空には、国際宇宙ステーションの姿がおぼろげに現れてくるのである。
そうだ、宇宙へ行こう。その思いを、つい共有してしまうほどに臨場感ある情景だった。
“土木系”+“宇宙”といえば、谷甲州。というのがお約束だが、この作品は谷甲州の泥臭さにプラスして、夢枕獏風味の人間模様が加わっているように思える。ちょろっとしか登場しない人物でも、その背後には膨大なサブストーリーが展開してそうな厚みを感じるのである。おそらくこのあたりに私の想像力が刺激されているように感じる。だから面白いのだ。
続巻が楽しみである。
2001.7.9(Mon)
NASDAより
宇宙開発事業団から封筒が届いていた。開封してみると、一枚の紙と、……H-IIロケットの携帯ストラップが入っていた。以前、H-IIAロケットの愛称募集に応募していたのだが、ついにその返事が来たようだ。見事私の名付けた愛称が当選したことだろうと手紙を読んでいくと…
H-IIAの愛称&シンボルマークは“無し”
ということになってしまったらしい。H-IIを立て続けに失敗し、開発体制に問題ありということがようやく皆の知るところとなり、愛称だのシンボルマークだのと浮かれるのは時期尚早、と、まぁだいたいこのようなことがそこには書かれてあった。たしかに“はしゃぐ”ような状況じゃないのはわかるけど。……、でも個人的には愛称やシンボルマークを実験機段階で用いるのに特に違和感はない。H-IIAは純粋な実験機ってわけでもないけれど、あんまりそう悲愴な雰囲気を漂わせてると、成功するものも成功しないんじゃないかと、つい心配になってしまう。
Licも応募してたので、我が家にはH-IIケータイストラップが2個やってきたことになる。これってNASDAの売店で普通に売ってるものなんだろうか。今使ってるのと付け替えようかと一瞬だけ迷ったけれど、打ち上げの日まで未開封にしとこうと思う。無事、打ち上がりますように。
ところでH-IIAロケット愛称募集の前の、宇宙ステーションの日本モジュールの愛称募集のときに送られてきたのは、毛利宇宙飛行士のブロマイドだった。これは今でも我が家の冷蔵庫に磁石で大事に留められている。みこりんがこれを毎日見て、自分も宇宙飛行士になりたいって言ってくれたら、なんていう野望も、ちょびっとはあったりするのだった。
2001.6.5(Tue)
プロジェクトX
第55回「激闘 男たちのH-IIロケット」〜純国産・屈辱からの復活戦〜 前編、を見た。
体力のある企業はいいなぁ……という思いが強く残ったお話であった。
資金もそうだし、豊富な人材と、分厚い組織と。そういうところで信念を貫く気力のあるリーダーがいれば、恐いものなし。右往左往と焦点の定まらぬまま、なんとかなるさとやってるとことは大違い、だ……。はぁ。
2001.5.25(Fri)
広がる広がる
“惑星間インターネット”か……語呂はそれほど悪くない。でも、その前に“地球圏どこでもインターネット”が実現して欲しい気もするが。
2001.3.1(Thr)
ぜひ中継してほしい映像
ところで今ミールはどこらへんを飛んでるんだろう…と思ったときに開くと幸せになれるページがここ。“Mir Location”
ミールが落下するときのグラフィックがどうなるのかちょっと興味あり。
でも希望としては、落下の一部始終を映像で中継して欲しいかな。軌道上と、大気圏内の両方から。ずずずっと真っ赤に燃えながら急速落下してくる宇宙ステーションの図とか、かなり迫力ありそう。ペイパービューでもしも見られるとして、そうねぇ、5000円くらいなら出してもいいけどなぁ。
2001.2.14(Wed)
星の図
Near Earth Asteroid Rendezvous--->NEAR というわけで、NASAの探査機(Shoemaker)が小惑星433 エロス(Eros)から送信してきた画像をつらつらと眺めてみる。
荒涼とした大地… 寒々とした風景だ。
やっぱり月の上にもカメラ置いて欲しいなぁと思う今日この頃…
2000.12.14(Thr)
ISS(International Space Station)
ここ数ヶ月というもの、ほとんど一般的なニュースの類は見ていない。だからほんとうにそうなのかは知らないのだが、たしかに周囲でもまったく話題になってないところを見ると、どうやら本当に“報道”されていないのではないかと思いたくもなる。何のことかといえば、ISS−国際宇宙ステーション−に、ようやくP6トラスが取り付けられ、全長約73mの太陽電池パドルが展開したこと。さらに、最近までシャトルとプログレスの2機の宇宙機がISSに結合/分離をしていたこと。しかもそれらは、肉眼でも地上からその輝点を見ることが出来るということだ。
最近のように都会でなくても夜空が薄汚れたところの多い現在では、人工衛星が地上から見えるという事実すら一般常識ではなくなっているのかもしれないなぁ……。まぁずっと前からミールがぐるぐる回ってたわけだから、突然ISSだけ話題にするのも悪い気はするんだけれど。ちょうど日本のロケット開発が一番苦しい時期を迎えている時期だけに、いちおうは建造の進んでいるISSをもっとアッピールしてもいいんじゃないかな。
2000.10.23(Mon)
The TAKO
衛星設計コンテストの最終審査発表があった(『第8回衛星設計コンテスト受賞作品ミッション概要一覧表』参照)。
その中で私の視線を釘付けにしたものは、やはりこれ。The TAKO(Target Collaborativize)−Flyer。アイデア大賞を受賞した中西洋喜氏(東北大学 工学部)の作品だ。
名前がまず素晴らしい。Target Collaborativize を、無理矢理 The TAKO と略すその姿勢に、すがすがしさを覚える。説明文も心地よいものだ。特に「…そこで故障衛星にソフトに抱きついてその姿勢を安定させ、ロボット衛星により回収が可能となるような機能を提供する…」の下り。思わず脳裏に、ゆらゆらとしなやかに八本の足を絡ませながら、ETS-VII を抱き絞めにかかっている The TAKO の姿を妄想してしまった。ぜひともコレの模型を見てみたいものである(一次審査を通過した時点で、模型を作らねばならないので、あるはず)。
2000.9.14(Thr)
ずっと見る
世界最大のB2B地球画像サイト 地表の画像計12テラバイト提供
なぜか連想してしまったこと。地表面の特定ポイントを定期的に(できればリアルタイムが望ましい)観測できればよいなぁ。もちろん特定ポイントとは、UMAが出現しやすい場所である。もっとも、別に宇宙から見てなくても気球とか飛行船とか、そういうのでもいいのだけれど。
気球/飛行船というのなら、すでに誰かがやってそうな気もするな…。できれば年単位で観測したいところ。でもそんなデータがあったとして、今度はそれを漏らさずチェックするのが大変そう…。あんまり意味ないかもしれん。
2000.8.3(Thr)
違い
それにしても『米スペースシャトルにそっくりの形で…』と評されることの多い(ような気のする)HOPE-Xだが、それを言うならキャベツと白菜は双子になってしまうじゃないか。今一度、ここでおさらいしておこう。HOPE-Xとは、こういう宇宙機。で、スペースシャトルは、こんな姿。ちなみにHOPE-Xは最近、こんな姿に変わっている(想像図だけど)。以前はこうだった。
あぁしかし、HOPE-Xに危機が。HOPEがなくなるまえから、HOPE-Xもかなりあやうい噂はあったが、とうとう凍結か。日本ほど宇宙開発にかける予算が少ない現状で、何もかも求めるのは確かに無理があるけど。ここは一つ、輸送系をずばっと諦め、月面探査などの無人探査機やら宇宙ロボット方面に突き進んでくれたりすると、面白いのではないかなぁ…。宇宙ロボットコンテストとか。微少重力下での二足歩行っていうのも見てみたいものだ。
2000.7.16(Sun)
畏怖
今夜は皆既月食。食後、ちょうど時刻は午後8時45分。ウッドデッキにチェアを広げて月見といこう。
月明かりにゴッホのひまわりが映える。夜でも情熱的だ。湿気を含んだ夜風が、夏の記憶を強烈に呼び覚まして、腹の奥がじわじわとたぎる。
欠け始めた月。じっと見つめていると、みこりんがやってきた。まだ下の方しか欠けていないので、みこりんには“月食”が何なのかわからない。
やがて…、赤銅色に月が染まった。みこりんに赤い月を見せようとしたが、一瞥しただけで部屋の中へと消えていった。その後、2〜3回、こちらを窺うようにしていたみこりんだが、結局、赤い月を見上げることはしなかった。
何か、尋常ならざる気配を察知していたのだろうか。私には、みこりんが畏れているように感じた。でも、お風呂の中で「今日の一番面白かったこと」を聞いてみると、「おつきさま」なのだった。はて…。
2000.7.12(Wed)
フロンティア
“ズヴェズダー(Zvezda)”が、やっと宇宙に上がったか。ロシアを引き入れたことの後悔は、みんなとうに済ませているとはいえ、ISS(International Space Station)の組立が終わるまで、いや、運用中もずっと、こうしたイライラが継続しそうな予感。もっとも、日本の場合はスケジュールが遅れて救われたところは多い……。2001年、木星に HAL9000 が到達するような世界は、まだまだ当分やってきそうにない。明らかに稼げる目処でも立たないと、そりゃ資金も人も流れるはずはないものなぁ。やはりここはひとつフロンティアへの冒険を前面に押し出して、月面ラリーだの、地下の氷探索一攫千金だの、そっち方面に展開したほうがいいんじゃないかな。少々危険でも、いや、かなり危険だからこそ燃えるヤツってのはけっこういそうな気がするけど。砲弾に入って飛んでくわけでもなく、自動車の死亡事故発生確率程度の安全性があればそれほど無謀でもあるまい。
ところで新聞がまた、やってもうたね。情報源をまったく明らかにせず、断定口調ってところがいやらしい。怪文書と同じレベルじゃのぅ。
2000.4.18(Tue)
省いてはいけないもの
昨年末に着陸失敗したMPL(Mars Polar Lander)は、結局、着地していないのに接地センサがはるか上空で誤作動してしまったのが原因らしい。この発表があった今月始めからずっと、接地センサの誤作動の原因は何だったのか気になっていた。そのあたりの事情が、宇宙作家クラブ ニュース掲示板 - SPACE SERVER Next Generation -の No.52,No.53 に情報が掲載されていたので、さっそく読んでみたところ…。
当たり前の試験をちゃんと実施していれば、容易に発覚するレベルの不具合だったことがわかる。着陸脚を展開したとき、約60%の確率で接地センサが誤作動してしまうなんていうのは、着陸シーケンスを通しで行うまでもなく、脚単独の機能試験で発覚してなければおかしな話だ。これはソフトウェアの不具合というよりも、ハードウェアの不具合というべきものである。
もちろん、接地を認識する条件が、この接地センサだけの情報によるとはとうてい思えないので(宇宙用に限らず、このようなクリティカルレベルの高い部分では、少なくとも2系統の情報を使用するはずだから)、ソフトウェアのほうにも状態遷移における条件設定に不具合があったのだろう。しかし、ソフトウェア設計者が、着陸脚の接地センサが約60%の確率で誤作動するという情報を知らなかったとすれば、この条件は本来組み込まなくても正常に作動するところなので、ハードウェアの機能試験が不十分であったことに、すべての原因があると考えてよいだろう。
ただ、約60%の誤作動というのが既知の仕様だったとすれば、ソフトウェアの不具合ということになるけれど、そんなあやふやなセンサならばあってもなくても一緒なので装備している意味がない。そこまでNASAの開発陣が抜けているとも思えないが…。
いずれにしても、ソフトとハードを結合したのち、きちんと統合試験をやってさえいれば、その時点でも不具合に気づくことはできた。試験を軽視してはいけないのだ。部分部分は正常に作動しても、このように合わせ技一本となってしまうことは、よくある話だ。
以前、某宇宙モノのソフトウェア開発をやっていたとき、スケジュールを勝手にシステム担当が決めてしまっていて、ソフトウェアとハードウェアの結合試験がざっくりカットされていたことがあった。結合試験もなしに納入するなど、常識外れもいいところだが、システム担当の言い分は、「ソフトとハードそれぞれを単独に試験して100%OKならば、組み合わせても100%になるはず。だから問題ないだろう?」だった。同じような試験を、さらに行う必要がどこにあるのか?と、まったく迷惑そうな顔をされた。現場を知らないと、こういう理想論を信じてしまうらしい。
スイッチ類のチャタリング、外部装置の応答速度の微妙な誤差など、ハード単独の試験ではわからない部分は山とあるのに。もちろん組込みソフトの常套手段として、ある程度ソフトウェアでそれら機器の特性をカバーするアルゴリズムはあらかじめ組み込んであるが、実際に試験してみないとカバーしきれているかどうかは、確認できない。予想外の事象というのは、どこにでも潜んでいるのだ。結局、なんとかスケジュールを組み直させて結合試験を行ってみたところ、たくさんの仕様外の事象が発覚して、そのたびにソフトウェアで対策せねばならなかった。その間中、システム担当は現場にはほとんど顔を出さなかったので、今でもソフト/ハード結合試験の意義を理解していない可能性はある。
効率化のために、本来必要なモノを省いて事故っていては、本末転倒。ようやくNASAが正常に戻りそうで、来世紀には期待が持てるかも。
2000.2.10(Thr)
失敗
今日は一日、研究室の“離れ”でひたすら確認試験をやっていたので、このニュースを知ったのはすでに夕方。『MVロケット4号機打ち上げ失敗』。。。脱力感というよりも、漠然とした怖さを感じた。気が付いたら背後が断崖絶壁で、二度と這い上がれない深い闇が迫っていた、という感覚の恐怖である。(宇宙作家クラブ ニュース掲示板“M-V/ASTRO-E打ち上げ情報”に詳細情報あり。)
昨日、地上追跡局でケアレスミス(コネクタの外れ)が発射一分前に見つかり、打ち上げが延期されたというのを聞いたときから、なにやら違和感があった。昨年、H−IIロケット8号機の打ち上げに失敗したNASDAならば、コネクタが外れていても不思議ではないが(いや、ほんとはいけないんだけど…)、宇宙科学研究所がらみでそんなことが起きたという事実は、にわかには信じられなかったのである。故意に誰かが破壊工作を…?なんて勘ぐってしまったほどだ。
今回の失敗の原因が、技術的な問題なのかどうかはまだわからない。回避不能な潜在的不具合だったのかもしれない。でも、「何か変」だ。ツキに見放されていると言ってしまえれば気も楽だが、もっと根本的なところでおかしくなってきているのではないかという思いが強い。おおざっぱに言ってしまえば『プロ意識』が希薄になりつつあるのでは?という危機感でもある。“コネクタを足にひっかけたかもしれない”と思えない連中が、増えてきているのではあるまいか。
衛星の軌道投入に失敗したとはいえ、第一段の不具合のあと、ロケットはじつに絶妙なリカバリーを行っていたようで、そういう点では「さすがである」と思うものの、それがあるからこそ、前日のケアレスミスがよけい不似合いに思えてくるのだ。
日本の科学技術の失墜などという一面的な問題ではなく、“しつけ”の不足や“モラル”の低下という普遍的な問題に行き当たるかもしれない。ここ数年の事件・事故・出来事・社会現象などを思い出してみると、なんだか符号するような気もしてくる…。自分勝手な親達とか、みょーな悪平等から進歩しない学校とか。こういうときこそ、外から新しい“血”を入れるべきなんだろうな。
2000.2.4(Fri)
宇宙航空事業部の行方
ほぼ石川島播磨重工業で決まりのようだ。新聞にリークされた時点で、すでに決定事項だったのだろう。だいたい川崎重工は名乗りを上げた段階で、新規の民間航空機を同時に2機種製造するために動いていた。どちらもたいへんリスキーな仕事である。日産の宇宙航空事業部は、かろうじて黒字とはいえ併合するにはそれなりにエネルギーを使う。余力はなかったともいえる。真相は永遠にわからないのだろうけれど。
2000.2.3(Thr)
宇宙航空事業部、どちらが買うか
出勤してからいつものように、ニュース系のサイトをチェックしていると、『日産、航空宇宙部門売却へ』(産経新聞 2000.2.3 ニュースフラッシュより)の記事に目が止まった。
日産自動車が宇宙航空事業部を売りに出したのは去年の秋。石川島播磨重工業と川崎重工の2社が名乗りを上げて交渉していたはずだが、形勢は石川島播磨重工に有利に傾いているらしい。固体ロケットブースターのラインが手に入れば、石播的には航空部門のジェットエンジンに加えて、宇宙部門でもエンジン関連に食い込めるようになる。そりゃ、欲しいに違いない。あぶれた川重は、業界3番手以下は必定。もはや宇宙関連では生き残れない可能性もある。フェアリングだけでは、どうにもなるまい。HOPE-Xにしても、三菱の独占を牽制する目的だけで、参加させてもらえている現状は、あまりに寒い。
逆に、一発逆転で川重が買収に成功したらどうなるか。宇宙部門で盤石な製品をラインナップできる魅力は大きいに違いない。石播と異なり、川重は機体メーカーでもある。既存/新規の航空機や宇宙機などに、うまく応用させることができれば他メーカーとの差別化がいっそう進むことになるだろう。得意の大型機関連でいえば、空中母機と、それに搭載する小型打ち上げロケットなどだ。今後の発展形を考えれば、石播よりも面白いことになるかもしれない。石播では、エンジン単体以上のものにはならないような気がする。
勝負の行方は如何に。
2000.1.27(Thr)
科技庁って
人材不足なんだろうか。『被害後も外部アクセス可能に 甘い危機管理意識--科技庁』(Mainichi INTERACTIVE インターネット事件) によれば、サーバのディレクトリが丸見え状態になってたことがわかる。まさかそれはせんやろぉと思ってたことを、ほんとうにやってたようである。ファイアウォールの外に置くんだったら、もっと設定をちゃんとしとかないとあかんやろ。技術に明るいハズ(明るくなければならないハズ)の科技庁が、この有様ではなぁ…。
技術音痴の官僚といえば、私にも苦い思い出がある。某宇宙関連の開発のさなか、システムの詳細設計が完了したので、監督官庁の役人達が審査のためにやってきたのだ。ソフトウェア関連の専門家と称する役人も数人いた。自分で「私はソフトウェアの専門家なので」と言っていたが、それがとんでもない妄想であることがわかったのは、審査会が彼の指摘で紛糾してからだ。
ソフトウェア詳細設計書に対する彼の指摘は、こうだ。「“コンストラクタ”や“ディストラクタ”と言う関数が、あちこちに見受けられる。同じ名前の関数は、1つにまとめてくれ。どうしてこんなに同じ名前の関数があるんだ?」こんなものは評価に値しないと言わんばかりの、にがりきった口調だった。
彼は事前に私が用いた開発手法である“オブジェクト指向開発”について、「私はよく知っています」と大口叩いていたはずだが、どうも“オブジェクト指向開発”をまったく知らない(あるいは中途半端に聞きかじっただけという)可能性が出てきたのだ。何度、オブジェクト指向開発のイロハを説明したところで、彼の頭にあるらしい「自分流オブジェクト指向開発」を譲ろうとはしなかったのである。このままでは審査が終了せず、開発スケジュールに重大な遅れが生じてしまう。どうやったらこの石頭を溶かすことができるか、私と上司は脳味噌を雑巾のように絞り尽くしたものだ。
結局、メソッド呼び出しの形態が、“オブジェクト名+メソッド名”となるので、同じ名称の関数ではないのだということで、納得してもらった。とてもソフトウェア技術者どうしの会話とは思えない。自分で言ってて、情けなかった。こんな下らない説明で納得するなよ、とも思った。だが、審査を終了させるのが、すべてにおいて優先するのだ。我慢であった。
審査が終了して、上司がさりげなく彼の経歴を確認してみたところ、実務経験は一切ないことが判明した。大学時代に簡単なプログラムを少し書いたことはあるが、それ以外に仕事で何かソフトウェアを開発したことはないのだという。我々の基準では、そういうのは「ソフトウェアの専門家」とは呼ばない。「アマチュア」というにも、微妙に違う。「専門外」というのが、もっとも妥当なところか。だがそんな経歴であっても、当の監督官庁ではれっきとした「専門家」で通ってしまうのである。
私がたまたまハズレに当たっただけだろうか。そうであることを願いたいが、どうも現実は恐ろしいことになっていたりするのではあるまいか。