1999.9.1(Wed)
朝
昨夜は熱帯夜で寝苦しかった。眠れたのは、結局明け方の4時過ぎになってから。そんなだから、朝の起床は眠気との闘いである。
布団から体をひっぺがして、ようやく起きたのが午前9時12分。みこりんとLicは、まだ眠そう。窓の外から、爽やかな太陽光線が入ってきてる。眠い。眠いが、サンルームの日除けを出しておかねば、セントポーリア達が焼け死んでしまう。ふらつく足取りで階段を降りる。太陽がなければ、起きれたかどうか自信がない。
午前9時25分。みこりんを起こしに行く。階段の途中まで、みこりんはすでに降りてきていた。「あ、おとーさん!」と言うみこりん。今朝はちょっと機嫌がいいみたいだ。そのまま抱っこして降りる。うーん一日ぶりにみこりんを抱っこできた。
今日から9月である。冬のボーナスまであと3ヶ月!待ち遠しぃぃ〜。
雨
天気予報では、今日は雨。西の空、低い部分に怪しげな雲が少しだけ顔を覗かせているが、それほど悪い天気じゃない。はたして雨は降るだろうか。
午前中は、すっかり雨が降るなんて忘れていた。午後に入り、なにやら仕事場の蛍光灯がちらついた気がして、ようやく雨がざんざん降りになっていることに気づく。
一瞬、蛍光灯が消えた。私の周囲で、「あー」とも「おー」ともつかない叫びが上がる。電源が瞬断した影響で、パソコンが再起動してしまったらしい。ここ数時間の成果がパーとなれば、そりゃそんな声の1つや2つは出よう。
幸い、私のメインで使っているパソコンはノート型であった。バッテリーバックアップで、瞬断の影響はない。同時に起動して使っているもう1台のパソコンは、デスクトップだったが、瞬断に耐えた。別にバッテリーバックアップがついてるわけじゃない。ただ“工業用PC”と言われるパソコンだったので、ばかでかい電源がついてるのが幸いしたのだろう。
…と、ここまで書いて、妙な違和感を覚えた。こんな内容の文章を、以前書いたような記憶がある。この“ひみつ日記”の記録にはないようだ。うーん、するといったいどこで…。思い出せない。寝不足のせい、かな。
1999.9.2(Thr)
手作りパン
お昼ご飯のお弁当を買いに、社内の売店へと急ぐ。歩いて5分ほどの距離なので、息抜きにもちょうどよい。歩いていると、途中、自転車に乗った女性社員に多数追い抜かれた。どうやら目指す方向は同じらしい。はて?と思いつつ、売店にたどりつき、中に入る。…そこにはバーゲンセールさながらの女の群があった。
そうだった、今日は木曜日なのだ。
先月から、売店では木曜日に『手作りパン』を売り始めたのである。地元のパン屋さんと提携しての新しいサービスだった。しかも値段は、通常価格よりも安いとあって、女性社員の評判はとてもいいらしい。
だが、男性社員が手作りパンを買ってる姿は、これまで見たことがない。たしかにこの女ばかりの群れに入り込むのは、かなり勇気がいるだろう。でもパン好きの男が皆無とも思えないので、きっと同僚の女性に買ってきてもらっているにちがいない。それが証拠に彼女達が買ってゆくパンの数は、どうみても3〜4人分はあるように見える。
私はどちらかというと、米の飯のほうが好きだ。ついで麺類、その次にパン、という具合。なので、お昼ご飯は予定どおり、幕の内弁当を買ったのだが…、これが大失敗であった。ご飯が固かったのである。まるで昨日炊いたのではないか?と思うくらい、ごわごわで、ぱさぱさだった。いつもはそんなことないので、なんだか不安になる。もしや昨日の売れ残りでは…、とか。そのせいで、夕方までお腹が気持ち悪かったが、午後7時現在、ようやく落ち着いてきた。焼きたてパンでも食べて、口直ししたい気分である。
本屋さん
会社帰りに、本屋に寄ってみた。オープンしたのは数日前、もとはディスカウント・スーパーのあった場所だ。敷地面積は、この付近でも有数の広さを誇る。
入ってみると、まるで図書館かと思うようなレイアウトである。ワンフロアぶち抜きで、天井の高さは2階分ある。店内の2/3が本で、残りがレンタルビデオ&CDという配置。まずは本棚チェック。新書の新刊付近から見てゆくことにする。
平積みがあまりない。かわりに本棚部分に、表紙が見えるように横置きされている。お、『ヴァンパイア・ハンターD』の新刊が出てたのか、買わねばなるまい。ふとその横を見ると、麻城ゆうの新刊があった。これはさっそくLicに報告せねば。今日は手持ちが心もとないので、『D』は次回にまわす。
みこりんは、やたらハイテンションだった。目新しい場所なので、興奮しているのかも。奥の展示場に、なぜか木馬が置いてあったので、さっそく乗り込んで遊んでいるようす。Licによれば、子ども向けの特殊本(音楽がなったりするやつ)の見本がなかったそうである。これはややマイナスポイント。
次に月刊誌をチェックしていたら、突如鳴り始めた“蛍の光”。慌てて時計を確認すると、まだ8時ちょっとまえ。なに!?こんな早く閉店??とりあえず麻城ゆうの新刊を買って店を出たが、ドアに書いてあった営業時間は確かに午後8時までであった。うーん、早すぎる。これでは平日の夜は使えないなぁ。それにしても、なんで午後8時なんだろう。周囲の店はもっと遅くまでやってるのに。夜用のバイトが雇えなかったのかな…。
ところで、店内のあちこちに小さな鉢植えが置いてあったのだが、どんぐりの苗木っぽい。どんぐりの木を育てる会のパンフを置いてあったので、そのデモンストレーションかな?でも蛍光燈照明の店内では、どんぐり育たないような気がする。大丈夫なんだろうか?
1999.9.3(Fri)
謎の音楽
昨夜もなかなか寝付けずに、トイレにこもって『11人いる!』を読んだりしていたのだが、どこからともなく闇にまぎれるように音楽が聞こえてくるのがわかった。はっきりとは聞こえないが、最新ヒットチャートっぽい雰囲気である。時計は午前2時を少し回ったところ。こんな遅くにいったい誰が??
風に流されるのか、どの方向からその音楽が聞こえてきているのか特定できない。聞きようによっては、まるで壁の中から響いてくるようにも思える。学生街の下宿屋が並んでいるような場所なら、真夜中こんなことがあっても驚かないが、ここは町外れの新興住宅地、普段から夜は死んだように静かなところだ。なにやら不穏な想像がよぎる。
庭に出て、音源を突き止めようと思った。廊下に出て、玄関へ…。あれ?
音楽の指向性が、急にはっきりしてきた。浴室方面から、その音楽は流れてきているのがわかった。んんん??
風呂場の手前まで来て、ようやく事態が把握できた気がした。もはや音楽は、風呂場から聞こえているのに疑いの余地はない。そして犯人は…
暗がりの風呂場の窓辺に、そいつがいた。先月買ってきた防滴ラジオ。AMの深夜放送を、誰に聞かすでもなく流し続けている。そういや、一昨日お風呂に入ったとき、ラジオのスイッチを入れた記憶がある。でも、受信感度が悪く、風呂から上がるときにはすでに聞こえなくなっていたので、電源スイッチを切るのを忘れたのだ。うーん、するとこのラジオは、水曜の夜からずっと鳴ってたことになる。今まで誰も気づかなかったってのがちょっとだけひっかかるけど、ま、そういう夜もあるだろうさ。なにしろ、もう夏は終わったのだから。
似ている
最近、みこりんをクルマに乗せてるときは、BGMとしていつものZIP−FMではなく、音楽テープをかけている。中身はもちろん、みこりんの大好きな『お母さんといっしょ』の音楽集。あの茂森あゆみお姉さんが歌ってるやつだ。
あゆみお姉さんの歌声を聞いてると、ついつい思い出してしまうのが“飯島真理”。声質、跳ねるような歌い方、ちょっとキュートでコケティッシュな風味まで、じつによく似ている。特に『スプーンおばさん』のオープニング・エンディングを歌ってた頃に、そっくりだ。
飯島真理が、“ぱんだ こあら♪”なんて歌ってるように思えるこのテープ、けっこう利用価値があるかもしれない。
どっちかな?
どこかのウェブ日記を読んでて気になったのだが…。
IBMの e-Business のTVCM。あの、若手社員が、荒野の真ん中でモバイル片手に立ってて、そこにクルマで登場する重役と社長。最初に「何を考えてるんだ!」と叱責するほうが、重役。社長のほうは「インターネットか」と、若手の言わんとすることを理解して、意味ありげに微笑む。重役は社長がそう言うので、自分ではわかってないけど、若手社員に「すすめたまえ」と手の平返したように言う。…とまぁ、こう解釈するのになんの疑問も持たなかったんだが。
その日記では、この重役と社長の役割が、まったく反対であるように解釈していたのである。そういう見方もあるのかなぁと、逆の配役ということで何度も頭の中で再現してみたけれど、やっぱりどうもしっくりこない。みなさんは、どちらと解釈しただろうか?
1999.9.4(Sat)
庭仕事
月曜に買ってきてた花を、庭に植えた。やはり和風な雰囲気のこれらは、枝垂れ桜のあたりが似合う。
蚊蓮草2株は、Licがプランタへ植え込んでいた。残りのハーブ類も、鉢植えになったようだ。玄関から庭へのエントランスを、Licが煉瓦を敷き詰めて造ったのだが、これがなかなか雰囲気よくできあがっている。その煉瓦の上には、やはり鉢植えのハーブというのが、予定調和であろう。
今週は、雨が多かったので雑草の再生力がものすごい。大きくなってしまうまえに、殲滅殲滅である。抜いた雑草が、山のようになってしまった。今のところ、これらはすべてゴミに出しているが、いずれコンポストを導入して肥料としてリサイクルしたいと思っている。
巨大シシトウ“ユニコーン”の実だが、現在15cmほどに成長した。この姿を見て、それがシシトウとわかる人は、おそらくいまい。大きなピーマンにしか見えないが、まぎれもなくこれはシシトウである。売り文句の30cmに育つのも時間の問題だろう。これで味もよければ、来年から我が家の庭の常連メンバーはほぼ決定だ。はやく味を確かめてみたいものである。
『ウルトラマン ガイア』最終回
他の地域より1週間遅れで、ついに東海地方でもガイア最終回となった。
エネルギーを奪われたアグルとガイアを復活させるために、地球の怪獣が放つ“太陽の光”を、反射衛星砲のように各ファイターで中継する。無条件に感動する場面である。子供たちも、ここでぐぐっと拳を握りしめたことだろう。
復活したガイアとアグルによる、破滅天使への総攻撃、まさに光線技のオンパレードである。歴代ウルトラマンを圧倒するレパートリーの豊富さだ。おそらく通常の戦闘では、その1つでも最後のキメで通用するほどの破壊力があったはずの技を、これでもかといわんばかりに繰り出してもなお、倒すことができないあたりに、最終回にふさわしい強敵であることが示されている。しかもバカでかい。敵が強大であればあるほど、倒したあとの明るい光が輝いて見える。
そしてラストシーン、気分爽快南風である。もともとガイアもアグルも地球の光を根元とするため、昭和のウルトラマンの最終回にはつきものだった“別れ”の要素は、まったく絡まない。こいつはいい。“地球に優しく”と、100回授業で教えるより、何百倍も効果的に地球を積極的に意識するようになるだろう。
ひさびさにイイものを見せてもらった。
上手!
みこりんが、「おとーさん、じょうずにできたよ!」と報告に来た。なにが上手にできたのか?と思う間もなく、「じょうずだよ」と手をひっぱられて、連れていかれる。
行き着いた先は、トイレであった。洋式便座の前には、みこりん用のオマルがある。木曜日、Licが買ってきたものだ。それまで、みこりんには補助便座を試していたのだが、どうも両脚が宙に浮くので、いまいちだったらしい。
みこりんが「じょうず!」と指さす先には、オマルの中で、ほくほくと湯気を立てるウン○があった!一本モノである。太さはとても幼児のものとは思えないほど、立派。まるで大人サイズ。みこりんは勝ち誇ったように、にぱっと笑った。
初めて一人でトイレを済ませることができたのだ。私とLicは、みこりんの快挙を口々に褒め称え、頭をなで回しておいた。なんだか照れくさそうなみこりん。オムツを卒業するのも、もうじきかもしれない。
1999.9.5(Sun)
発見
午後、いつものようにお出かけである。今日は、各務原市で福祉フェスティバルをやっているので、ちょっと見てゆくことにする。
去年来たときは、愛鱗会(岐阜の錦鯉愛好会)が“コイすくい”をやっていた。今年もあるだろうか?会場に着いたら、まっさきにソレを探したが、どこにもそれらしき姿はない。他の展示でも、撤収準備をしているところがちらほらと。遅かったかも。
ある介護グループの展示で、AIBOが動いているのを発見!生で動作しているのを見たのは、もちろん初めて。造りはメタリックなのに、この滑らかな動きはどうだ。しかも可動部は驚異的なまでにコンパクトである。ニュース映像などで見るのとは、ぜんぜん違ったインパクトだ。
こうしたペットロボットは、下手に犬や猫のぬいぐるみを着せるよりも、私はAIBOのように金属剥き出しのボディのほうが合っていると思う。ぬいぐるみを着せたとたんに、安っぽいガラクタに見えてしまうのだ。本物の犬や猫に、無理して合わせる必要はどこにもない。ロボットには、ロボットの良さがあるのだから。よく“ロボットのペットなどを可愛がるのは虚しい”という意見を見かける。だが、私にはそういう人が、なぜ虚しく思うのかが理解できない。機械だから?プログラムで動作が制限されているから?命がないから?どれも説得力には乏しい。さらに一番理不尽なのは、そういう意見を言う人の大半が、ロボットを可愛がるという行為を、見下しているという点だ。
対象が何であれ、何かを可愛がる気持ちに正しいとか間違っているとか、レッテルを貼ることはできない。河原で見つけた美しい石を可愛がるのと、半身不随の薄汚れた野良犬を可愛がるのと、どちらが素晴らしいとか優劣を付けられるだろうか?
“ホンモノ”ではないから、“感情がない”から、ダメという。では、お人形を可愛がるのも、やはりダメってことになるが、そんなことを言う人は、聞いたことがない。お人形はよくて、ロボットはダメ?ナンセンスである。それにAIBOに限っては、あれは“犬ロボット”ではない。メーカーが、「犬ロボットではありません」というのに、マスコミが勝手に“犬ロボット”と書いているだけだ。犬の代わりではなく、まったく新しいペットの提案なのである。
どうして“可愛い”と思う人の心を、「そんなの虚しくない?」などと平気で言えるのか。「自分はこんなに“高尚”な趣味があるのよ、おーっほっほっほ」という、他人を見下した傲慢さの裏返しであることに気づかない鈍感さ。まさに喜劇としかいいようがない。
発見2
苧ヶ瀬街道を岐阜方面へ。ふと目に留まった看板がある。『ガーデンスペース ブルー☆ブルー』。なになに次の信号右折とな?誘われるようにハンドルを切っていた。
一面が畑というロケーションの中、その建物があった。喫茶店も併設されているらしい。一瞬、以前ハーブティを飲みに行った『ローズマリーの丘』を思い出した。
広い駐車スペースにクルマを止めて、それぞれに物色を始める、私とLic、それにみこりん。サルビア開花株の品揃えが凄い。今年種から育てた3種のうち、2種類がここにはあった。それに千日紅のストロベリーフィールド、黄色いペチュニア、チューリップ・ポピー。私が今年種から育てている植物が、これほど揃っている園芸屋さんも珍しい。もしや嗜好が似ているのかも?
開花株はもちろんだが、ここの花苗はどれも手入れが素晴らしい。よくホームセンターなどで見られるような、ひょろひょろのとか、痛んだやつが皆無である。その分、若干単価は高いが、これだけ手入れしてあれば頷ける金額だ。
みこりんは、七色唐辛子が面白くてしょうがないらしい。実をとりたくてとりたくて、うずうずしているのがわかる。Licが「1つ買ってあげて」というので、一番実のついてる株を買うことにした。カゴに入れるや否や、みこりんが飛んでくる。ぷちっ。実を摘んでも怒られないとわかると、あとはもう急流を流れ落ちる木の葉のごとく、止めることは不可能であった。ぷちぷちぷちぷちっ。全部摘み終えて、満足げなみこりん。しばらく大事そうに唐辛子の実を持っていたのだが、両手がふさがっていると、遊びに支障が出ることがわかったらしく、「はい」と渡してくれたのだった。
“ねこのひげ”は、ここにも置いてあった。説明書きによれば、亜熱帯の植物のようで、冬は室内で栽培となっている。そうだったのか、これは勉強になった。うちのはすでに地植えしてあるから、掘りあげるのを忘れないようにしないと。
ハーブのコーナーでは、いつもホームセンターで見てる分には食指が動かなかったのだが、これほど立派な株だと、ついつい欲しくなってしまい、定番の“スペアミント”と“ペパーミント”をゲット。以前、ハーブ畑を整備してたときは、いろいろミント類も揃えていたのだが、爆発的繁殖力をもった実用にあまり適さないミントの1種によって殲滅させられて以来、新たにミントを植えていなかったのである。今年は、ハーブ畑を野菜畑に変更して、ハーブも大胆に整理したので、そろそろ実用ミントを再開してもイイ頃合いだ。
Licは、自分で造り上げた玄関脇の煉瓦のエントランスの隙間に植えるとかで、“ペニーロイヤルミント”を買っていた。うん、“龍の髭”よりそっちのほうがいいぞ。
あとは木イチゴを、ついに買った。ようやく満足できるポット苗に出会えたのだ。これはウッドデッキのラティスに絡ませよう。
みこりんは、さっきから裸足で走り回っていた。野生児みこりんである。あぁそれにしても、ここは蚊が多い。左脚だけでも5ヶ所はすでに血を吸われてしまった。痒すぎる。防虫スプレーが常備されていることに気づいたのは、レジを済まそうと屋内に入ろうとしてからだ。気が付くのが遅すぎた。
『ブルー☆ブルー』なかなか良い店のようだ。また秋が本格化してきたら、来てみようかな。
進歩!
夜、座敷でみこりんと遊ぶ。滑り台を堪能したあと、みこりんが「こっちきてすわって」と、神棚を置いてある床の間へ座ろうとするので、「神様がいるところだから、座ったらだめなんだよ」とダメもとで言ってみた。じっと考えるような表情になったみこりんだが、自分なりに理解したようだ。「みこりんもいるよ」と、神棚に飾ってある丸い鏡を指さして言った。そこには、小さくみこりんの姿が反射しているのだった。
何かがそこに居るというのは、納得したらしい。雛人形を飾ったときも思ったが、あのいたずら好きのみこりんが、なぜか神棚にも手出しをしない。安易に手を触れてはいけないという雰囲気を、感じ取っているのだろうか。
滑り台の次は、三輪車にまたがるみこりん。をを、両脚が左右のペダルに届いている。しかも、それをこいで進んでいる!進むとはいっても、ペダル1回転しかできないんだけど、たいへんな進歩である。来年には、自転車が必要になっているのかもしれないなぁ。
1999.9.6(Mon)
ミニカー
みこりんと、サーキットの狼仕様のミニカー6台で遊ぶ。やはり遊ぶからには、こわごわと扱っていては面白くない。壊れるのを承知で、激しくぶちかます。それにしても、このミニカーの塗装は、昔よりも頑丈になったような気がする。昔もってたやつは、すぐに傷がついたり、ぱりっと剥げたりしたような記憶があるのだが。
ミニカーの遊びといえば、今でも思い出すあの装置。私が小学生のころだ。親父の実家に、それはあった。従兄弟の兄ちゃんが持っていたのだが、ミニカーでレースのできる大型のオモチャである。今で言うところの、ミニ4駆のミニサーキットみたいなもんだ。ただ、走らすクルマはミニカーであり、車体に動力がないため、外部から加速度を与えるようにできていた。その駆動装置は、サーキットの直線部分に取り付けられていて、短いトンネルのような感じだった。ミニカーがその中を通過するとき、両側から高速で回転するゴムローラーに触れるようになっていて、その回転力によってミニカーはコースを回るエネルギーを得ていたのだ。
自分のお気に入りのミニカーでレースができる。しかも、手を触れることなく何周でもコースを回る。当時の私にとっては、画期的なオモチャであった。お盆休みや、お正月くらいしか、親父の実家には遊びに行けなかったので、まさに“特別な遊び”だったのだ。もちろん出走するお気に入りのマシンは、ハンカチで磨いてぴかぴかにしておいたものだ。
そのミニサーキットだが、ゴムローラーの回転部分が、よく壊れてたような気がする。いつのまにかそのオモチャで遊ばなくなったのは、ミニカーに飽きたからというより、壊れてしまったからじゃなかったかな?あの系統のオモチャは、今でも売っているのだろうか。探してみよう。
サーキットの狼
SkyPerfecTV! の ChannelNeco で、『サーキットの狼』をやっていたので録画しておいた。スーパーカーブームまっただ中の、小学生時代に映画化されたやつかと思ったが、どうも違うらしい。製作は1992年になっている。どんな感じかな?と、さっそく見ることにした。
吹雪の愛車がロータス・ヨーロッパではなく、ケーターハム・スーパー7になっているのを筆頭に、オリジナルの設定で残っているのは人間関係くらいという様変わりようだった。だが、これはこれで違和感がない。『サーキットの狼』にはまりまくってた小学生時代にこれを見たら、「ロータスはどこいったーー!!」と怒ってるかもしれないが。
例の赤線に黒い星マークのロータスも、ちょこっとだけサービスカットで登場したし、そこらへんは制作者もよくわかっててこういうストーリーにしたんだと思われる。ディアブロじゃなくて、カウンタックが出てたのも、大きく頷ける場面だ。公道サーキットの出走車に、なぜかポルシェが多いというのも、舞台裏の苦しい事情が見えてくるようでさえあったなぁ。
ところでミキ役って、あれやっぱり飯島直子かな?なんか今とは、全然雰囲気が違うんでびっくり。act 2 も、録画しておこう。
丸かじり
昨日収穫しておいた赤オクラを、ウッドデッキに出しっぱなしにしていたのを思い出す。忘れないうちに食べないと、また繊維質が固くなってしまう。
赤オクラは、次々に実をつけるのだが、ついつい収穫するのを忘れてしまって、庭では長さ20cmオーバーに育ったオクラの実が、にょきにょき天を突いている。オクラの実がこんなにでかくなるとは、今年、初めて育ててみてわかったことだ。スーパーで売ってるサイズのうちに収穫しなければ、と思ってはみるものの、気が付けばすでにどいつもこいつも巨大化してた…、というわけだ。
今回無事小さいうちに収穫できたのは、わずかに2本。さっそくみこりんが「ちょうだい!」とやって来た。手渡してやると、いきなり食べようとする。「あ、そのまま食べたらおいしくないよ」と言ってから気づく。オクラは生食野菜だった。日頃、スライスした姿を食べているので、丸かじりはどーしても違和感がある。でも生で食べるのに違いはない、丸かじりでも問題ないはずだ。
みこりんは、ばりばりうまそうに食っていた。オクラ独特のねばねばが、口当たりをよくしているらしい。半分ほど囓ったところで、私にも「はい」と食べるように手渡されてしまった。囓ってみる。…まぎれもなくオクラであった。やや苦みがあるが、これは普段スライスして食べているので気づかないだけかもしれない。本来の味のように思えた。
みこりんは、結局、残りの半分もきれいに平らげてしまった。来年も、赤オクラは我が家の庭で育っていることだろう。
1999.9.7(Tue)
起床!
だんだん明け方の空気が、ひんやりするようになってきた。布団から起きあがるのが、辛い季節の始まりである。ぬくぬくのお布団の心地よさよ。
でも、なぜかみこりんとLicは、掛け布団をかけてない。私が足の先まで、すっぽりくるまってるのとは、まったく対照的である。寒くないのかな?そういや去年の冬は、みこりん掛け布団を嫌って、どんどん上に逃げてたなぁ。気が付いたら、冷え冷え状態になっててびっくりしたものだ。寒さに強い、みこりんとLic。みこりんは溢れる若さパワーで、Licは…、もちろん若さ若さ、若さの他になにがあるというのか、いや、ない。ふぅ〜…。
ところで、今朝はとんでもない始まりだった。そろそろ起きなくちゃと、うとうとしてたら、いきなり襲った“こむらがえり”。晴天の霹靂!思わず「痛い!!」とか、叫んでしまったじゃないか。ほんとうに痛いときは、声など出ないと言うが、いやいや、痛い時は痛いなりに、声が出る。それにしてもこの痛みは尋常ではない。ふくらはぎの筋肉が、見えない腕で千切り取られるかのごとき、猛烈な痛さ。身動き一つできずに、ただ耐えるしかない。こんなときに泥棒とか強盗に襲われたらどうしよう!?大地震がきたら逃げられない!!そんなことばかりが頭をよぎる。
幸い天変地異もなく、泥棒も強盗もやってこなかった。痛みが徐々に薄れてきて、ほっとする。は〜、でもこれが心臓麻痺とかそういう命に関わる類の発作だったら、どうなっていたことか。妻と娘がすやすやと心地よい寝息をたててるすぐそばで、ひっそり悶絶死するなんてのは、あまりにデキすぎの悲劇じゃないか。ということを、あとでLicに話してみたら、みこりんの上に倒れるようにと言われた。みこりんが泣いて起きれば、たぶん自分も気づくから、という理由らしい。なんか違うような気もしたが、それ以外に実用的な異常通知の方法を思いつかなかったので、次回何かあったときは、忘れずみこりんの上に倒れ込むとしよう。
ぶーん
今夜もみこりんとミニカーで遊ぶ。ふと気づいたが、この6種類のミニカーのタイヤ&ホイール、すべて同じモノだった。私の記憶が確かならば、昔のミニカーのタイヤ&ホイールは、同じメーカーであっても、クルマごとに違っていたはずだ。合理化のため、統一されたのかな?それともサーキットの狼仕様だから、一緒になったとか?できれば足回りも、それぞれ個性的なホイールを再現してほしかった気もする。
ミニカーに飽きたあとは、みこりんジャングルジムで「ぶーらんこーする」という。どうやるのかな?と思ってたら、最上部に両手をかけて、“ぶらさがり懸垂”を披露してくれた。先月までのみこりんには、できなかった技だ。さらに驚いたことに、上体をジャングルジムにかけると、両脚を水平近くにまで持ち上げ、「ひこーき!」、両手を左右に広げている。すごい!こんな高等技、いつのまにできるようになってたんだ。
帰宅してから寝るまでの間、自由時間にすることはたくさんある。時にはみこりんが「あそぼ」とやってきても、つい「あとでね」って言うこともあった。だが、それはとてももったいないことをしていたのかもしれない。みこりんが一緒に遊びたがるのは、たかだか数年間のことだ。過ぎ去ったあとで後悔しても、二度と時間は遡れないのだから。
雑感
無期懲役の人殺しが、仮出獄したという。彼の民族の間では、英雄扱いらしい。自分のおかれた境遇を、何かのせいにするのは簡単だ。だが、いい大人がいつまでも言い訳ばかりってのは、見ていて滑稽である。だいたいそれで人殺しを正当化できるはずもない。
大人のそういう滑稽さを、若い世代は気づいてる。インタビューされた彼の国の若い女性は、「どういう理由でも人殺しはよくない。そういう人を英雄視するのはおかしい」と、しごくまっとうな答えをしてた。時代遅れの老人達には、静かにご退場願おう。
1999.9.8(Wed)
耳の病気
日曜から、左耳が痛かった。自然治癒を期待していたのだが、このままだと長期戦になりそうな予感がしたので、ついに病院で診てもらうことにした。
耳の病気で病院に行くのは、覚えている限り、小学生低学年の頃以来である。どんな治療を受けたのかも、思い出せないくらい昔のことだ。耳の中を、どうやって治療するのか想像力がかき立てられる。
治療のために選んだ病院は、耳鼻咽喉科専門の個人病院である。午前中のピークも過ぎたころだったためか、受付を済ますと、ほどなく診察室に呼ばれた。
診察室は、まるで歯医者のような印象を受けた。歯医者には極度に弱い私である。一瞬、びくりとしたものの、すぐに相違点を発見して心の平静を保つことに成功した。そう、椅子や照明器具は歯医者に酷似するが、あの凶悪な電動ドリルの類が一切ないのだ。
これからどんな治療が始まるのか、やや緊張しながら椅子に座った。耳の中に、何かが差し込まれた。モニターに、映像が映っている。どうやら超小型CCDカメラらしい。そっちに気をとられている隙に、あっというまに診察は終わっていたのであった。時間にしてわずか1〜2分の出来事である。え?もう終わり?
あとは看護婦さんに、点耳薬を入れてもらって終了。外耳炎の治療なんて、あっけないもんだったのだ。こんなことなら、もっと早く診てもらってれば…。
雑感
だからさ、よそのうちに日の丸飾ってあるからって、そいつをどかそうとするなよ。いったいあんたら何様ぢゃっちゅうねん。
1999.9.9(Thr)
次期スパロボ
『スーパーロボット大戦α』が、この冬、登場するようだ。前作の『スパロボF』の“F”って、“Final”っていう意味だったんじゃ…、まぁいい、このスパロボ・シリーズは大好きなゲームなので、どんどん続けてくれたまえ、だ。
なになに、『超時空要塞マクロス』が初参加とな!?以前から“参加させて欲しいロボットは?”のアンケートに、地道に「マクロス」と書いてきた甲斐があったというもの。でも、マクロス本体はわかるとして、ヴァルキリー単体では戦力不足にならんかな?あれの搭載兵器で、マイクロミサイルより強力なモノって…、ロングレンジミサイルか?うーん、それ以外だと、まさか反応弾は出さないだろうし(出るとしても、MAP兵器だろうし)。他のロボットと、どう戦力バランスを取ってるのか気になるなぁ。
ヴァルキリー以外にぜひとも出して欲しいのは、やはりデストロイド・モンスターを筆頭に、各種デストロイド達。ディフェンダーとか、スパルタンとかで出撃できたら、面白いと思うんだが。いや、モンスターはともかく、他のデストロイドではぜんぜん戦闘力不足というのは百も承知だけれど、本編でもあまり活躍しなかった彼ら脇役で、とことん遊んでみたい気もする。
あと意外だったのは、OVA版ジャイアント・ロボの登場かな。なんとなく、こいつの絡みの善し悪しで、今回のゲームの評価が分かれそうな…。勇者ライディーン、復活おめでとう。超者なんたらいう絡みで、“F”に出てこなかった時は、もう二度と戻ってこないのかと哀しんだけれど、きっと抗議殺到だったんだろうなぁ。Gガンが出ないのは、私にとってはうれしい限り。SRXとエヴァは、不要だった気がするけど、ほんとにそいつら人気あるのかな?
最終決戦のBGMには、もちろん飯島真理の『愛・おぼえていますか』が流れることを期待しつつ、発売まで楽しみに待つとしよう。
ルナプロスペクター
8月3日の日記“恐怖の大王”で、「ルナ・プロスペクターが月の極にペネトレータを打ち込んだ」などと書いてしまったが、メールで間違いを教えてもらっていたのだった。正しくは「ルナ・プロスペクターを月の極に落下させた」なので、遅れ馳せながら訂正しておこう。
ここ最近は、NIFTYにアクセスしてなかったので、NIFの方のメールに気づいてなかったという…。
秋は園芸の季節
京成ローズから、今年のバラのカタログが届いていた。このカタログは、装丁も美しく、フルカラーの写真が満載というもので、まさに保存版の価値がある。本来ならば有料の(もしくは会員になる必要がある)このカタログが、なぜ無料で送付されてきたのだろう?じつは昨年度、私はこのカタログを送ってもらったことがある。そのときは、年度末目前だったので、めぼしい苗を注文するには至らなかったのだ。いわば有効期限ぎりぎりのカタログを購入したわけで、それが今回、無料で新しいカタログが届いた理由かもしれない。なかなか粋なはからいではないか(じつは一度でもカタログを申し込んだ人には、毎年送ってくるのかもしれないが。)
まず今年の新作をチェック。“宇宙に行ったバラ”という見出しに、目が止まる。説明書きには、向井千秋さんが、スペースシャトルで実験するために持ち込んだバラの品種とあった。なるほど、宇宙メダカ、宇宙鯉のようなものか。
とてもやわらかな、ピンクの色彩を持ったミニバラである。しかも、“試験販売”と書いてある。こういう限定品にはめっぽう弱い。買ってみようかな?名前も実に素晴らしい。そのバラは“オーバーナイトセンセーション”と名づけられていた。
1999.9.10(Fri)
『真ゲッターロボ』
会社帰りに、レンタルビデオ屋に寄る。『がんばっていきまっしょい』、ようやく借りることができた。新作は単体で借りると、一泊二日だが、もう1本一緒に借りたら二泊三日だ。というわけで、以前から借りよう借りようと思っていた『真ゲッターロボ Vol.1』をついに借りることにした。
お風呂にお湯をはってる待ち時間の間に、『真ゲッター』を再生する。おぉぉ、線が太い、凶悪そうな顔だ〜。軟弱さのかけらもないキャラは、さすが永井&石川作品。
30分が、あっというまだ。恐いくらい迫力たっぷり。ゲッターのデザイン、うまくリファインしてあるなぁ。本屋でちらと見かけた新作でも、たいがい凄さを感じたが、重量感あふれる動きは、また格別。スーパーロボット系とかリアルロボット系とか,そういう区分がもはや無意味にすら思えてくる仕上がりだ。いいね〜、明日にも続きを借りてこようかな。
ごろごろごろ〜
昨夜から、にゃんきちくんがなぜか異様に甘えてくる。ケージから出してやると、これまでならお愛想程度に甘えたあとは、さっさと家の中を探検に出かけていたのに。
足元に寝転がって、すりすりすり〜。頭をぐいぐい押し付けて、手足できっくきっく。その仕草があまりに可愛いので、こちらもいつになく相手をしてしまう。
ふと、今朝がた見た夢のことを思い出した。にゃんきちくんが、ひどい怪我をしてる夢だ。逆夢だったのかもしれないな。
1999.9.11(Sat)
庭整備強化月間
“雑草殲滅”を合い言葉に、みこりんと二人で庭の雑草を抜く。みこりんのピンセットのごとき細い指だと、生えてきたばかりの小さな雑草の芽も一網打尽だ。
西瓜を育てているプランタの付近も、ぷちぷちぷち。を、西瓜の実がなっている!
ゴルフボール大の赤ちゃん西瓜が、3つほどぶら下がっていた。こんなに同時に実をつけていては、栄養が分散してしまう。1つ、間引くことにした。ぶちっ。みこりんに手渡してやる。
「あ、すいかや!!すいかがなっとる」。そう言いながら、みこりんは、うれしそうに西瓜の赤ちゃんを手に、いずこかへ去っていってしまった。残された私は、再び雑草抜きに没頭する。
今日は、ある重大な決意があった。考えただけで、身震いする。サンダルをハイカットのトレッキングシューズに代え、入念に虫除けスプレーを全身に振り、軍手を装着して臨んだそこは、禁断の東側、魔のサルガッソーである。
ウッドデッキを設置したため、ウズラを飼ってたケージやら壊れた90cm水槽やらを東側の庭に仮置きしていたのだが、人が立ち入れないのをいいことに、今や雑草が人の背丈ほどに伸び放題、荒れ放題になっているのだ。こいつをなんとかしなければ、雑草殲滅にはほど遠い。まず、入り口でバリケードのように立ちふさがる水槽とケージを撤去する。たっぷり溜まった雨水が、煮出しすぎた麦茶のようだ。見るからに、あやしい生物が棲んでいそう。意を決して、水槽をがばと傾けた。巨大なムカデが走り出る。うーん、スリリング。だが、ここでひるんでいてはいけない。マシーンとなって、ちゃっちゃと水槽を運び出し、続いてケージもガレージに移動させる。さぁ、ここからが勝負である。
1時間後、さわやかに風が抜けてゆく東側の庭があった。それまで塞がれていた風の通路が復活したのだ。なんて心地よい瞬間だろう。これで我が家の雑草は、その姿をほとんど消したことになる。長かった。実に長かった雑草との闘いの日々であろうか。毎年毎年、雑草勢力に負け続けてきたが、ようやくそれに勝利できたのである。もはや、この庭が雑草で埋まることは2度とないだろう。なぜなら、私にはみこりんという頼もしい助っ人ができたのだから(って、みこりん戻ってこないなぁ…)。
これなーんだ?
さて、この写真を見ていただきたい。ご存じのとおり、野菜である。これが何の野菜なのかズバリ言い当てることができたなら、あなたはそうとうな野菜通である。ちなみに、みこりんに聞いてみたところ、「これは、ぴーまんでちゅね」との回答が得られている。はたしてピーマンなのであろうか!?
参考のために、この野菜のスペックを紹介しておく。長さ約20cm、重量は推定250グラム(砂ネズミよりは軽い)、色は見たとおり健康そうな緑色、花は白で、通常は夏に収穫する。
もうおわかりだろう、この野菜の名前は…、何の変哲もないピーマンなのであるわけがなく、“シシトウ”が正解だ。その名も“巨大シシトウ ユニコーン”!!
え!?そんなんわかっとるわぃって??…あ、9月4日の日記でバラしとるがな、ありゃりゃ。
大片づけ
庭をさっぱり綺麗にしたあとは、家の中の番である。Licが勝手口周辺を、念入りに片づけている。流し台も、雑然と並んでいた小ビン類が撤去され、思わず蕎麦でも打ちたくなる広さとなった。長年の汚れのため、表面のステンレスはぼんやりと曇っているが、Licがほくそ笑みながら秘密兵器を取り出した。まるで固形ワックスのようなそれは、万能クリーナーであった。よく深夜TVの通販番組などでやっている、アレに近い。
スポンジにつけて、かしかしかしかし。おぉぉぉ、見る見る輝きが戻ってくるではないか。クリーナーといいつつ、じつはただのコンパウンドだったりして、との疑念もないではないが、錆びまできっちり落ちたキッチンは、新築当時のような美しさを取り戻したのである。うーん、マンダム…。
次は、座敷を含む、和室2間の大掃除。みこりんのオモチャをぽいぽい片づけて、段ボール箱を折って畳んで裏返し。ちょうど明日は、地元の中学校で廃品回収がある。グッドタイミングだ。
Licが本棚の底に、キャスターを取り付けている。私が使ってきた本棚だが、独身寮に居た頃から、カセットテープ入れ&CD入れになっていた。和室に置いておくには、あまりに不釣り合いなソレを、ついに移動させる日が来たのである。そのために、Licは着々と準備を進めていたのだ。
カセットテープは、新しく買った押入収納BOXに片づけ、CDは本棚にキャスターをつけて転がるように細工をしたのち、リビングのオーディオラックの隙間へと移動。横向きに押し込むカタチになっているので、見た目、CDがそこに入っているとは気づかない。隙間の有効利用である。高さもちょうどいいので、ポトスの鉢植えを飾り、電話など置いてみる。うーん、マンダム…。
これでいつお客さんがやって来ても大丈夫。
謎
真夜中、みこりんも寝たあとは、先週録画しておいた『サーキットの狼 act-II』を見た。飯島直子が、やっぱり別人に見える。個人的好みでいうならば、飯島直子はこの当時のルックス&スタイルのほうがイイなぁ。
そうやって私がサーキットの狼を楽しんでいる横で、Licはインターネットでリンクのリンクはまたお友達を、実践しているようす。あ、竹本泉のサイトを発見した模様、電光石火でブックマークに登録だ。
ところで私が最近はまっている謎が、1つある。それは、彼岸花についてだ。
子供の頃、田んぼのあぜ道で、真っ赤に燃えるように、辺り一面に彼岸花が咲いているのを毎年のように見ていた。そんな中、赤い花に白のラインが入った彼岸花があったのだ。真っ白ではなく、赤と白のストライプである。真っ赤な彼岸花が100本あったとしたら、その赤白は1本しかないほど、数は少なかったのだが、私はその赤白彼岸花がお気に入りだった。ところが、現在、サーチエンジンで調べても、その赤白彼岸花の情報は見つからない。白花彼岸花は、ちらほら紹介されているのだが…。
もしかすると、子供時代の幻影を記憶の中で脚色しているだけなのかもしれない。もともと赤と白のストライプなんていう彼岸花は、存在していなかったのかもしれない。でも、それでも、あの記憶が間違いだったとは思いたくない自分がいて、今も赤白の彼岸花を探しているのである。
1999.9.12(Sun)
秋物
今日は市長選挙である。義務を果たしてこそ、権利は主張できるものだ。選挙好きのみこりんも、なんだか張り切っている。家族で投票所に向かった。
投票用紙がその場でプリンタから出てきたように見えたが、まさかね、ほんとにプリンタ??紙の表面が、プラスティックのトランプみたいで、鉛筆の乗りがすさまじく良い。
無事、投票を済ませると、今日の目的地であるフリーマーケット会場へとクルマを走らせる。TVなどで見たことはあっても、実際にフリーマーケットを体験するのは初めてだ。やや緊張しつつ、到着。…だが、なんかおかしい。人の気配がないのだ。もう終わってしまったとか、そういうのともなんか違う。もしや場所を間違えたのだろうか。仕方がないので、詳細情報を調査して、後日出直すことにした。
せっかく街まで出たので、今日も園芸屋さんに寄ってみる。今の時期は、夏物と秋物が混在していて、思わぬ掘り出し物があったりするのだ。
“トラの尾”という花が、妙に気になった。サルビアのでかい版みたいな、ピンク色の花をつけている。トラの尾かぁ…、現地ではトラの扮装をするとき、この花を尻尾に見立てて使ったとかかな?よし、買おう。
花壇の前縁に、背の低い花を植えたい。ありきたりでもなく、突飛すぎず…、花径1cmほどの超小型ヒマワリみたいな花を無数につけたやつを1株、あとはルリマツリモドキを1株。青い花には、とことん弱い。
以上を買ったあと、さらに立ち寄ったホームセンターの園芸コーナー。冬の野菜も育ててみようというわけで、白菜の苗を4株買った。品種名が“ポチ”という。じつに可愛らしいではないか。
さて、家に帰って花苗を植えていると、Licがウッドデッキからこちらを見ている。私が手に持っている、ルリマツリモドキが気になるらしい。このまえ植えた“ルリマツリ”と、どこが違うのだろう?という目である。ほら、この青の深いところなんかが全然違うんだってば。と、青花好きの私は思うのだが、遠目に見れば…“モドキ”というだけあって瓜二つなのであった。モドキは、Licが指し示したバジル後方に収まることとなった。緑に囲まれて、凄烈なブルーが心地よい。この両脇には、白い花が似合いそうだ。そう思いついたら、すぐにでも苗を買って来たくなるのだが、また今度の楽しみにとっておこうと思う。
ゴーゴーファイブ
最近、みこりんは「ゴーゴーファイブ!」と言いながら、右手をまっすぐ前に、左手を右の肘付近に当てて、見得を切る動作をするようになった。あきらかに何かの決めポーズと思われる。我が家では、ゴーゴーファイブは一度も見たことがないので、そのポーズが果たしてゴーゴーファイブのものなのかどうなのか、判定ができないのだ。
みこりんは、その技を保育園で覚えてきたらしい。ゴーゴーファイブが何なのか、みこりんは知っているのだろうか。そこで、キッズステーションでちょうど放送してたアマゾンライダーを見せ、「これなあに?」と聞いてみたところ、みこりんは「ごーごーふぁいぶぅ」と答えてくれたのである。どうやら仮面をかぶった特撮モノという認識はあるようだ。
さて今日は、イトーヨーカ堂でお買い物であった。そこにはゴーゴーファイブの武器やらロボットやらが置いてあったのだが、みこりんに「あ、ゴーゴーファイブだ!」と話題を振ってみても、いまいち反応がない。これはいったいどういうことだ。アマゾンライダーには反応したのに!?じつはみこりん、ゴーゴーファイブのような戦隊モノより、仮面ライダー系のほうが好きなのでは??来週こそ、みこりんと一緒にTVでゴーゴーファイブを見て確かめなければ。
『がんばっていきまっしょい』
今日が返却期限なので、晩ご飯の鍋をつつきながら見ることにした。1970年代の松山の方言なので、私のなじんだ東予地方の方言とは、若干違う部分もあるのだが、それでも語尾に「〜じゃけんの」がついたりすると、何とはなしにうれしがってしまうのだった。「ほじゃけん」なんて、まともに聞くのは何年ぶりだろうか。
鍋を食い尽くしたあとは、「じゃんぐじむしたい」「すべりだいしたい」と遊びに誘うみこりんを、なんとか待ってもらいつつの立ち見である。細かい台詞は、大部分聞き逃してしまった。そんなんで面白かったのか?と問われれば、「麗奈ちゃんが普通っぽくてよかった〜」という感想に尽きる。見終わったあと、原作の小説を読んでみたいと、強く思った。図書館に置いてあるかな。探してみよう。
1999.9.13(Mon)
工事開始
今日から三日間の予定で、太陽光発電装置の設置工事が始まった。第一日目の今日は、お昼から屋根の太陽熱温水器を撤去して、ソーラーパネル設置用の架台を取り付けていたらしい。思ったよりも、手早く作業が進んでいるようだ。
室内では、配線をいじるついでに分電盤を新規に付け直し、容量を50Aまで上げ、コンセントも増設して対応する予定である。はたして電気代が、どれだけ下がるのか!?ブレーカーが落ちまくる生活とは、これでおさらばできるのか!?発電所の稼働が楽しみである。
PS2
ついにその姿が明らかに、ということでニュースでも大きな扱いだったPS2。デザインは、最近のVAIOシリーズと、なんか似てるものを感じてしまった。縦置き可能ってのは、いいね。やたらいろんな入力端子があるのが、不気味ですらあるなぁ。いったいどれだけのオプションユニットを揃えてくるのやら。LANカードは欲しいし、キーボードから音声入力からタブレットからマウスから、データグローブにデータスーツ、気が付いたらPCを上回る重装備になってそう。
4万円〜…、でもDVDプレイヤー買うことを考えれば、安いもんだとも言えるし。でも来年のクリスマスシーズン前には、お約束のように定価の1万円ダウンとかありそうだから、買い時期に悩むなぁ(すでに買うことは決定事項なのか?)。
1999.9.14(Tue)
GITANE
昨日の深夜、TVで屋外ライブを放送してたのだが、真っ赤な髪のヴォーカルが気になって、つい見込んでしまった。バンド名は GITANE 、名前は聞いたことがあったが、どんな音楽をやってるのかは知らなかった。初めて聞いてみての感想は、ヴォーカルは音は外すし、声の伸びも見られず、下手、演奏はイイ。それでも赤い髪の女には、小悪魔的魅力を感じたので、もっと情報を得ようと彼らの公式サイトを本日訪れてみたのだが…。
無断転載を禁止するのは当然だが、引用した奴は死刑ってなぁ。引用って、何かわかってんのかな。音楽業界で飯食ってるから、そこらへんの認識がなっちゃいないんだろうな、きっと。引用まで一方的に禁止して平気な顔してるのは、音楽だけだし。でもね、文章表現においては、引用は誰にも認められた正当な権利であり、それを禁止するなぞできんのだよ、GITANEのみなさん。というわけで、GITANE に対する興味は、あっというまにどこかに消えてしまったのであった。
地球観測フェア’99
募集イベント「夢の地球観測衛星」〜こんな衛星あったらいいな〜入選作品が、宇宙開発事業団のサイトで公開されている。
まずは最優秀賞の堀口 綾乃ちゃん(11才)の作品から。救助衛星「それ行け!セントバーナード」、なかなかいいとこついてるね〜。ほほぅ、各部の説明付きかぁ、なになに…、温度感知センサーに温度分析装置、それに加えてサーマルブランケットとなっ!?うーん、11才って小学校5年生??恐るべし。
優秀賞は浜口 智之君(14才)。おぉぉぉ、ミリ波発射装置がついとるじゃないか。侮り難し14才。
しかしもっとも恐るべきは、佳作の「とりもの衛星」だな、やはり。浦野 正一(41才)さん、やるなぁ。これを佳作に推した審査員のみなさんも、すごいと思う。
1999.9.15(Wed)
太陽光発電装置
本当ならば、今日で設置工事が終了するはずだったのだが、昨日から激しい雷と、猛烈な雨にみまわれ、中断している。しかも今日は、台風の接近に伴って、朝から風が吹き荒れているのだ。外回りの作業は危なすぎる。そこで屋内での配電盤の取り替え&コンセント増設作業が、朝から始まっているのだった。
配電盤の両脇に、精電器と太陽光発電装置のモニター機器が新しく取り付けられているのだが、けっこう大きい装置なので、慣れるまで頭の上がうずうずしそうである。ぱっと見には、なんの装置なのかさっぱりわからない姿をしているのだが、よく探せば発電量モニターなんかが付いてたりして、想像力を刺激する。
明日は晴れてくれるだろうか。
図書館へ
夕方、Licが借りてきてた本を、図書館へ返しに行く。暴風雨は彼方へと去りつつあった。
次に何を借りるか考えつつ、書架を見てまわっていると、文庫本のコーナーで唐突にそれを発見してしまった。カレル・チャペックの『園芸家12ヶ月』である。園芸家にとって、この本はなにやら特別な本らしいというのは知っていたが、なんだか敷居が高そうな気がして、自分から近づく努力をしていなかったのだ。その本が、今、目の前30cmのところで、「さぁ、読んでみるがよい」と語りかけている。
これも何かの縁であろう。私は静かに『園芸家12ヶ月』を、書架から抜き取ったのだった。
借りたその日のうちに、最後まで読んでしまうとは、自分でも信じられない快挙である。今夜はみこりんが、Licの組み立てるマグネロボ・シリーズに気をとられていたのが幸いしたようだ。『園芸家12ヶ月』、内容もさることながら、この本が書かれたのが1928年あたりと知って、驚きを禁じ得ない。チャペックの描き出す当時の園芸家の姿は、現代における園芸家と、なにも変わるところがないのである。春の息吹を感じては、居ても立ってもいられなくなり、買い込み過ぎて、もう植える場所がないといっては嘆いてみせる。園芸カタログから、どの植物を注文するか悩みぬく場面など、どれもこれもいちいち自分の姿とオーバーラップしてしまい、もう笑いの連続であった。素晴らしい。たしかにこの本は、園芸家必読の書と言っても過言ではない。さぁそこの園芸家のあなた、まだこの本を読んだことがなければ、明日にでも図書館、本屋さんで探してみることをお勧めする。自分が園芸家であることを、感謝せずにはおれなくなるであろう。
にゃんきちくんの受難
朝から工事の人が、家の中をうろうろしている。ふと、にゃんきちくんのケージを覗いてみると、なんだか様子がおかしいことに気づいた。
爪研ぎの横で、身を隠すようにうずくまり、じぃっと静かに息を忍ばせているのだ。餌入れを見ると、ほとんど残っていた。こっこれは!もしやにゃんきちくん、病気なんでは??
ケージのドアを開けてやっても、ぜんぜん出てくる気配がない。うずくまったまま、時折哀しげな瞳を、私の方へ、ちらと向けるだけだ。よほど調子が悪いのだろうか。不安な気持ちは、臨界点へと達しつつあった。
Licによれば、昨日もこんな感じだったらしい。あれ?昨日の夜は普通だったぞ??
私はようやく真相にたどり着く。
おしとやかなにゃんきちくん、彼女は工事の人が恐かったのだ。見知らぬ人間を警戒していただけなのだ。みこりん顔負けの、人見知りをしていたのだ。夜、いつもと変わらず「なーん、ふにゃーん!」とひっくり返って甘えてくるにゃんきちくんの顔が、一瞬人間のように見えた気がした。
1999.9.16(Thr)
工事終了
ふいに目が覚めたら、天井からなんだかごとごと音がする。寝起きゆえ、しばらく事態が把握できなかったのだが、どうやら太陽光発電装置の工事が再開されたらしい。時計の針は、午前7時を少し回ったところ。台風による遅れを、一気に取り戻す決意が伝わってくる。
発動機を始動させたらしい。けたたましい爆音が、静かな住宅地の朝に轟き渡る…。あぁ、それはやばい、まだ朝になったばかりだというのに、と思っていたら、唐突に発動機は停止した。自主規制が働いたのかな?
Licによれば、工事は結局、お昼の1時過ぎには完了したということだ。太陽電池パネルは、厚みが少ないので、近くで見上げても“太陽光発電装置”が装備されているとは、すぐに気づかない。工事が始まるまえは、屋根の三面をパネルが覆うということから、かなり家の外観が悪くなるだろうと思っていたのだが、拍子抜けするほど違和感がない。太陽光発電装置は、その存在が希薄であるとは聞いていたが、たしかにこれはモニター装置がなければ付けているのを忘れてしまいそうだ。こいつはいい、こういう控え目でありながら、じつはとても役に立ってる装置って、押しつけがましさがないから大好きである。
あとは中部電力に最後の仕上げをしてもらえば、無事、発電開始となる。やはり起動の時には、にこやかに満面の笑みを浮かべつつ、『発電開始!!』とか宣言しながら白手袋で作動ボタンを押すのがいいだろうか。いやいや、やはりこういう時の掛け声は、そうじゃない、昔からのお約束があるではないか。そう、鋭角に人差し指をかくっと曲げつつ、こう言うのだ。『ぽちっとな!』
パックマン
“ついに『パックマン』でパーフェクト!”という記事に目が止まった。『パックマン』といえば、私が初めてパーソナルコンピュータを手にした十八年前、そう中学2年だったか3年だったかの時期には、すでにゲーセンに置いてあった伝説のゲームである。
あのころは、コンピュータ雑誌に人気ゲームのパクリ(というか、ほとんどそのままコピーみたいな)のソースリストが満載で、ひたすら入力しては遊んだものだった。むろん当時のゲームは、ほとんどがマシン語で書かれており、ソースリストといっても、ただの16進数の羅列というすさまじいものだったのだ。しかもそういうページが何ページも、多いときで十数ページもあって、忍耐力と精神力の極限まで使い切らねば打ち込めなかったのである。
おかげでニーモニック表を見なくても、16進表記の数値を見ただけで、Z80の対応する命令を即座にイメージできるようになっていた。この技能は、ハンド逆アセンブルと呼ばれ、デバッグのときにはとても役に立ったのである。おそらく当時のマイコン少年&少女の大半は、この技が使えたはずだ。恐るべきことに、今でも16進コードを見ると、無意識のうちにZ80対応のハンド逆アセンブルをやってしまいそうになるのである。あぁぁぁぁぁ…
で、パックマンだが、当然これも自分で入力して遊んだものだ。裏情報で、パックマンの数を(ほぼ)無限に改造する方法も試したが、ゲームはいくらでも続けられそうだったけれど、緊迫感のなさが致命的で、最後までやろうとはとても思えなかったのだった。今回のパーフェクト達成は、もちろんノーマル仕様だろう。クリアしたとき、何匹のパックマンが残っていたのか気になる。いや、それよりも現在においてなお、パックマンがゲーセンに残ってたというのが驚きだ。やはり海外での人気は根強いものがある。
256面でクリアできるという仕様は、古の8ビットマシンを思い出させて思わず目頭が熱くなるのを禁じ得ない。それでも6時間あまりかかる。意外に短い時間でクリアできるのだなとも思う。その昔、『すすめ!パイレーツ』で、延々インベーダーゲームをやりつづける親父の話が載っていたが、あれなどインベーダーゲーム全盛の時に始めて、終わったときにはすっかりブームは去っていたというオチだった。インベーダーゲームにクリア条件があったのかは定かではないが、たしかにあれはインベーダーゲームでなければならなかったのだ。パックマンをネタにしてたら、たったの6時間で終わってしまい、オチがない状況になってしまったであろう。
これまで誰も256面をクリアしていなかったというのも、驚きだ。ラスト付近では、敵の動きはどれほど高速になるのだろうか。あぁ、クリア状況を見てみたい、ラストに出てくるフルーツが何か確かめたい…。
1999.9.17(Fri)
ブドウ
今日、Licの実家からブドウが届いた。品種は“ピオーネ”。毎年この時期になると、送ってきてくれるので、果物大好き家族の我が家としては大助かりである。
ところで、先日の水曜日にも、同じく“ピオーネ”が届いているのだった。こっちは、Licの一番下の妹から。体験農業みたいなもので、栽培していたらしい。
冷蔵庫の野菜室は、一気にピオーネで埋まってしまった。なんと豪勢なことであろう。ちまちま遠慮しつつ食わなくても、有り余るブドウを惜しみなく大胆に千切っては食い千切っては食い。至福のひとときである。
みこりんもブドウは大好きなので、自分の分を、ちゃんと一房キープして食べている。私が横から手を出そうものなら、「みこりんのっ!!」と食い意地張るのに余念がない。だが、みこりんのちっこい口には、立派な粒は大きすぎる。無理して詰め込み、咳き込んでからは、ちっちゃい粒だけを選り分けて食べている様子。結果、残った大きな粒は、私のものになるのであった。じつにうまく食い分けができていることよ。あぁしかし、この平和な共存も、今のうちだけなのだろうなぁ。
1999.9.18(Sat)
怖いもの
みこりんがお昼寝から目覚めたらしい。ベビーベッドの上で、寝起きの余韻を楽しんでいるようす。柵の隙間から、ときおりこちらをのぞき見ている。
みこりんと視線が合った!指をもぐもぐさせながら、きょとんとしてる。ふいに悪戯心が沸いてきて、私は両腕をゾンビのように突きだしながら、腰をかがめて、なおかつ顔も少し傾け気味に、ぎくしゃくとみこりんの方に接近してやったのである。
みこりんの顔つきが、だんだん怪しくなってくる。あと1mという距離まで近づいたとき、辛抱の限界を超えたのか、みこりんは両腕をばたばたさせて、本気で怖がり始めてしまった。なおも、そのまま近づこうかと思ったのだが、みこりんの怖がり具合に、尋常ではないものを感じたので、止めておくことにする。変な刷り込みを与えてしまっては大変だ。
昨日読んだ絵本の中には“音を盗むお化け”が登場していたのだが、みこりんはしきりに怖がっていた。竜巻のようなその姿を指さしては、「おばけこわい〜」と言うので、「絵本から出てくるかもしれんね!」って言ってみたら、絵本から遠ざかるように座り位置をずらすのだった。絵本そのものを嫌いになられたら大変なので、それくらいにしておいたのだが、いつか「お化けなんかおるわけないやん」と言い出されてしまうんだろうか。そうなってしまっては、どうやってみこりんと怖いものごっこをすればよいのか。来るべきX−dayに備えて、ネタを研究しておかねばなぁ。
秋深まりつつあり
夜も更けて、時間が明日への境界線を越えてゆくあたりを漂っている。網戸の向こうからは、コオロギだのウマオイだのが一夜のパートナーを求めて死にものぐるいのアピールタイム。昼間よりも、生命のたくましさを実感できるひとときである。
ふいに間近で『ぎぃっ ぎぃっ ぎぃっ ぎぃっ…』と音がする。天井からだ。見上げた先に、逆さにとまったキリギリスの仲間を2匹発見。花桃を根城にしてたやつだろう。いつのまに、入ってきたのやら。
しばらくすると、再び1匹が羽根を微妙に振動させて、鳴き始めた。もう1匹は、なにやら神妙に聞き入っているようす。もしやこいつらペアか?
それにしても、部屋の中で聴く虫の声は、なぜにこうもやかましく感じてしまうのだろう。鈴虫を飼うのは、かなりポピュラーな日本の秋の風物詩だが、豪邸ならいざしらず、普通の家の中であれを飼うと、夜、ものすごいことになる。私が小さかったころ、親父がよく鈴虫を飼っていたのだが、やかましくて眠れないと言っては、結局ケースごと庭に出してしまってた。それならば、いっそ放し飼いにしてはどうかといつも思っていたものだ。虫の声は、窓の外からそぅっと流れ込んでくるくらいがちょうど良い。
天井の虫が、また鳴き始めた。なんだかやけにもの悲しい音色だな、と思っていたら、聞き入ってたメスの姿が消えているのに気がついた。そろそろ庭に帰してやろうか。
1999.9.19(Sun)
彼岸花
ここ数日、雨続きだったのだが、今朝はようやく機嫌の良いお日様の姿を見ることができた。今日を逃してはなるまいと、さっそく家族で彼岸花を見に行くことにした。
場所は、みこりんの保育園周辺の田んぼである。特にここが彼岸花で有名とか、そういうのではなく、ごく普通に自生しているのを見に来ただけだ。クルマで5分という近さもありがたい。
土手の斜面に、あちらにぽつん、こっちにぽつん、といった具合に、ちょこちょこ彼岸花の群れがある。一面燃えるような赤とはいかないが、黄金色に染まった田んぼの縁取りとしては、これ以上ない組合せである。やはり彼岸花は、ある程度以上、ぶわっと群れて咲くのがイイ。1本だけ“ぽつん”とあったりすると、なんだか死体でも埋まってそうで、ちょっと怖いかもしれない。
以前、黄色いリコリスを植えてみたこともあったが、プランタに横一列3本だけ咲いた黄色い“彼岸花”の姿は、なんだか“場違い”という印象が強かった。彼岸花は、最初に花が咲いて、それが萎れてから葉っぱが出てくる。だから、花が咲くときは、地面からにょっと1本の茎が出ているだけなのだ。自生している彼岸花は、たいてい下草に覆われているので、花茎だけ伸びてても変ではないが、プランタのような土しかない場所では、それがとてつもなく妙に感じてしまうのだ。背の低いハーブ類と一緒に植えてれば、少しはマシだったかも…、と今でこそ思えるが、こうして自生している彼岸花の群を見ていると、わざわざ庭に植えなくてもいいか、という気になってしまうのであった。
さて、彼岸花を見に来たのには、もう1つ理由がある。それは、9月11日の日記でも書いたが、赤と白のストライプ咲きの彼岸花を探すためだ。先週、実家に電話して聞いてみたのだが、「そんな彼岸花は記憶にない」と言われてしまったのであった。こうなっては、自力で発見せねば落ち着かない。ストライプ彼岸花は、果たして実在するのであろうか!?
この写真は、今日撮ってきたものだ(『彼岸花のある風景』に全画像あり)。縁取りが白になっているのが、確認できることと思う。これがストライプ咲き彼岸花の正体なのかは、わからない。でも、子供の頃に記憶しているストライプ咲き彼岸花は、もっと白が鮮やかだった気がする。100m離れた場所からでも、あそこに白混じりの彼岸花があるなと分かったのだから。
それにしても、この白縁取りの彼岸花は、正しくは何なんだろうか。ただの色彩変異で、固定したものではないのだろうか。植物図鑑に載ってなかったってことは、ただの自然の気まぐれという線が濃厚だなぁ…。
草むしり
連日の雨で、庭の土は芯まで湿ってしまった感じ。じめっとしてて嫌な感じだが、草むしりには最適だ。頑固な根っこも、たやすく抜けてくれるのだから。
大物の雑草は、すでに壊滅状態なのだが、地下では秋の訪れとともに、着々と勢力範囲を広げているやつがいる。そいつの名は“シロツメクサ”(クローバーとも言う)。花が咲いたらラスカルと遊んでしまうと言う、アレである。こいつの怖さは、土の表面近くを根っこが縦横無尽にはい回り、あちこちから葉っぱを吹き出させて、気が付けば“あっ”というまに庭が占領されてしまってたというところにある。地上に出てきた葉っぱをいくら摘んでも、地下の根っこは、その数倍の面積に広がっているので、土を掘り返して根こそぎにしなければ、元の木阿弥なのだ。だから、根っこが広がってしまう前に、取り除いてしまうのがよい。
根を切らないように、慎重に土から剥がしてゆくのは、リンゴの皮むきで、いかに切らずに長く剥けるかにチャレンジしているかのようである。長いまま根っこが取れたら、素晴らしく気分がよい。すっかり癖になってしまいそうである。あっちでびぃぃぃぃ、こっちでびしゅしゅしゅ。1時間あまりそうやっているうちに、気が付く範囲の地下勢力は壊滅していた。我が家の庭が、シロツメクサで覆い尽くされる悲劇は、なんとか回避できたようである。這いつくばっていたカラダを起こし、腰を伸ばして空を見上げる。あぁ、この瞬間を味わうことができる限り、庭いじりは止められそうにない。
さて、秋物の野菜を育てる準備をしなければならない。この夏、変わった野菜シリーズで楽しませてもらったレモンきゅうりも、そろそろおしまいだ。種採り用に、1つだけ残していた実を、“収穫”した。1ヶ所だけ、虫に食われた穴が開いてたが、中は腐ることなく育っているようなので一安心。あとは、一気に畑から枯れかけた枝葉と根っこを取り除けばよい。赤オクラのほうは、まだ新芽が出そうだったが、抜いておく。赤オクラは、まだ別の場所に植えてあるので、畑を空けるのが優先だ。巨大シシトウのほうは、あまり場所をとってないので、置いておく。もっと収穫してからじゃないと、なんだかもったいない気がして。
畑の土に、鶏糞20kgと堆肥20kgを新しく加えて、耕しておく。だんだん土の色が、いい感じになってきた。この畑の土は、元からあった庭の土に後から腐葉土やら堆肥やらを足して作ってきたので、最初はまだ赤土が残ってたりしたのだが、今ではその名残はほとんどない。園芸家は、地上の花よりも、土作りが好きなのだとはよく言ったものである。こうして、ほこほこの土を触ることに至上の歓びを感じてしまうとは。
秋の園芸セール期間なので、今なら堆肥も鶏糞も20kgが298円で買える。この機に、畑の拡張をやってしまおうかな。
飛行機雲
我が家の上空は、飛行場へのアプローチコースになっているらしく、よくジャンボ旅客機などが轟音を響かせて飛んでゆく。機体に施されたマーキングが、裸眼で確認できる程度の飛行高度なので、見ていて面白い。飛行機大好きのみこりんも、ごぉぉぉぉっという音が聞こえ始めると、急いで庭に出て、空を見上げて飛行機を探すのであった。
みこりんは、飛んでゆく飛行機を見つけると、決まって小さな手を振り、「ばいばーぃ!」と言う。あの高度ならば、もしや肉眼でも地上のみこりんを確認することができるのでは?と思わせるところが、いろいろと想像力をかき立てられる。ある日突然、異国のじいさんが、従者を連れてやってくるのだ。「オー アナタタチガ アノトキ テヲフッテクレタ オヤコデスネッ!」そしてお約束の涙なくしては語れない美談を延々と告げ、そして最後に手渡す一枚の紙切れ。「コレハ ワガオウコクヘノ ムキゲンパス デス」いつでも気が向いたときに、遊びにおいでください…とか、そういう非日常な出来事があるわけないと思いつつ、手を振るみこりんと一緒に、私も手を振ってしまうのであった。
収穫
巨大シシトウ“ユニコーン”の実で、現在一番大きなものが20cm超。他は、10cmサイズが1つと、できたての赤ちゃんが2〜3個。Licが、「30cmになった実って食べておいしいのかな?」と言ってたのが気になる。最大30cmになるけれど、収穫して食べるには、もっと若いうちでなければならないとか??うーん、いかにもありそうな話だ。どんな味なのか食べてみたいとは、常々思っていたので、手頃な大きさになってるやつがないかと探してみる。
…ない。ちょうどよいサイズのが見あたらない。諦めようとしたときである、みこりんが何か手に持っているではないか!?おぉぉ!それはまさしく、手頃なサイズのシシトウである。長さ5cm弱、待ってましたといわんばかりに若々しいおいしそうなシシトウ。巨大シシトウの株は、みこりんサイズの高さしかない。みこりんにとってみれば、遊びにもってこいの実を探すのは、造作もないことだったのだ。
さっそくみこりんが、生のまま囓ろうとするので、あわてて救出した。赤ちゃんの頃、みこりんはシシトウを食べて大泣きしたことがある。だが、このシシトウは若いとはいってもピーマンサイズ。みこりんは、それをピーマンだと信じて疑っていない様子であった。
赤オクラも、ちょうどいいサイズのが1本あったので収穫しておいた。
夕食である。麻婆茄子に、収穫したシシトウを入れてある。どこから見ても、ピーマンだ。はたして、味はどんな感じだろうか!?一口、囓ってみた。…甘い。
苦みがほとんど感じられないのだ。でもピーマンのような癖のある味でもない。あっさりして、柔らかく、これまで食べたことのない野菜といった感じである。種も、普通のシシトウより少なく、邪魔にならない。ほぉぉ〜、これが巨大シシトウ“ユニコーン”の味か。天麩羅にすると、かなり美味いかもしれん。
赤オクラのほうは、Licの作ってくれたカクテルを一杯やったあとのお茶漬けに入れてみた。茶漬けの元は、お中元でもらった白子海苔の梅じそ味だ。ほかほかご飯に、茶漬けの元を振り掛け、その上にスライスした赤オクラを乗せる。熱いお湯をかけて、出来上がり。
さらさらとすすってみると、オクラ独特のねばりと甘みが、梅味と絶妙の混ざり具合である。想像してた味なんか比較にならない、美味だった。たった1本のオクラを入れるだけで、お茶漬けがこうも変貌するとは。しかもそのオクラは、自分が育てたものであるという事実は、じつに気分がよい。家庭菜園の楽しみは、実用面なんかより、こういう瞬間にこそ凝縮するのかもしれないな。
1999.9.20(Mon)
秋の長雨
またもや雷雨である。学生時代は、9月といえば学園祭を翌月に控えて、その準備にかかりっきりだったものだが、雨に降られた記憶はそれほどない。愛媛県と岐阜県という違いはあるだろうが、どちらも台風直撃コースにのっているので、台風の影響を受けやすいという点では、同じである。最近のお約束、異常気象が定着してこういうのが普通の9月の天候になってしまったのだろうか。うーん、でも去年は雨はそんなに降らなかったような…。
雨が降ると、湿気が溜まる。じめじめじめじめ。あちこちからカビが生えそうで、不安になる。この長雨のせいで、巨大シシトウの一番大きな実が、ダメになりそうである。外国の野菜だからなぁ…。
稲光がすごい。窓が一瞬ストロボに照らされたように発光し、直後に大気を切り裂く轟音がやってくる。みこりんは、この“音”が苦手のようだ。どこかに落ちたのでは?と思うような激しいヤツが聞こえると、大慌てで抱っこをせがむ。声に出せないほど、怖がっているようす。ほぅほぅそんなに怖いのか…、では、こんなのは…。「あっ!!雷さんが、窓の向こうにやって来た!!」と、指差した瞬間、みこりんは死にものぐるいで、ぎぅぅぅぅぅっと私を絞め落としにかかった。ん〜、馬鹿力。
こういう怖いものがやってきてるときは、みこりんに言うことを聞かせるのは簡単だ。お風呂でカラダを拭かないまま脱走しようとしても、「雷さんがやってくるよ」と一言呟けば、大慌てで戻ってくるのだから。
みこりんの怖いもの。『お化け』『雷』『ちゃっちゃらっちゃ(謎)』…
適度に怖いものがあるほうが、子供にはいいような気がする今日この頃であった。
1999.9.21(Tue)
成長
「あーん、して」と、みこりんが電動歯ブラシの本体部分を、私の口元に押しつけてくる。歯磨きごっこかな?と思いつつ、「あーん」してみると、歯磨きしてくれるわけではなさそうである。なにやら、じっと喉の奥をのぞき込んでから、「はい、おーしまい」と言われてしまった。いったい何の遊びだろう?こんな遊びは、今までやったことがないぞ??ん〜…、しかし、これは…、もしかして…、たっぷり3秒かかって思いついた答えが1つ。だが、確証はない。
それが正解だとわかったのは、次にみこりんが電動歯ブラシを私に持たせて、「みこちゃんもする」と口を開けた時だ。今度は、歯ブラシだけではなく、スプーンも使ってほしいらしい。なかなか本格的な“喉の検査”である。みこりんは、『お医者さんごっこ』をやっているのだ。
喉の検査のあとは、聴診器の出番となった。みこりんは、自分の髪を留めていた“ぱっちん留め”を手に持ち、それで私の腹やら胸やらを、ぽんぽんやっている。もちろんTシャツは、首までまくりあげられていた。遊びとはいえ、妙なところはリアルである。
私の番が終わると、ぱっちん留めを手渡され、やってくれと言う。自分でシャツをさっさとまくりあげる手際の良さ。とても今日初めて思いついて、やっている遊びとは思えない。保育園で覚えてくるのかな〜、やはり。
最近、みこりんは人形遊びとか、ままごとなどをよくやってるように見える。もっと小さいころも、そういう遊びはしていたが、最近のはなんだがリアルというか、ちゃんとした遊びになっている感じがするのだ。遊びが上手になったと言うべきだろうか。それと同時に、みこりんの自己主張も激しさを増し、拗ねる、ふてくされる、といった感情表現がはっきりと分かるようになってきた。明らかに、こちらの意図を読んで、わざと反抗したりもする。感情面だけではない、さきほどなど、私のパジャマを洗濯するので洗濯機まで持っていってもらったら、戻ってきたその手には、もう1組の別のパジャマがあったのだ。驚くべき推測能力である。
みこりんの内面の成長は、感動が消えないうちにこうやって日記に書いておけば、いつでも思い出せるので重宝する。ただ、日記として書いてしまうまでに、記憶からこぼれてしまうイベントもかなりあるのが、悔しいところである。記憶力の衰えをはっきりと自覚してしまうのでイヤだったが、やはりメモ帳を用意しておくべきなのかもしれない。
1999.9.22(Wed)
似てる?
e-one が、iMac に似てるかと問われれば、似ていると答えるし、「e-one は iMac のパチもん」と思っているのも事実だが…、判決の「e-one を iMac と誤認するおそれがあるから違法」ってのは、なんかぜんぜんピント外れで、思いっきり肩すかしをくった感じである。思わず「あ、あのなぁ…」とつっこみ入れてしまいそう。
e-one に 純正 Mac OS が乗るんなら、まだ分からないでもないけれど、Mac OS と、Windows の違いは、めちゃめちゃでかいんでないかぃ?
だいたい、外見が似てたからって、買う人はやっぱり触ってみて自分の気に入った使い勝手のマシンを選ぶと思うけどなぁ。最初から iMac を買おうと思ってる人は、間違っても e-one は買わないし、iMac のデザインは好きだが Mac OS はちょっと…、と思ってる人は、e-one は最高のマシンとなるだろうし、OS に思い入れがない一般人は外見プラス操作性その他で選ぶだろうし。つまり、iMac そっくりの e-one が売られていても、そのことで Apple が客のいくらかを失うなんてことは起こり得ないのだ。あったとしても、そんなものは誤差の範疇である。まぁ iMac みたいな外見なら、コンピュータというものを買ってもいいかなと思った素人さんは、たしかにいたんだろう。だが、そういう人が仮に e-one に流れたとしても、それを「e-one が iMac にデザインが似てたから」で片づけるのは無理がありすぎる。そういう人は、Mac OS より、Windows の方が性にあっていたと考えるのが自然だ。Mac OS が、よく言われる素人にもわかりやすいインタフェースを提供するのなら、なおのこと e-one ごときに流れるはずがないではないか。
ランボルギーニ・カウンタックLP500Sの外観を持った、中身トヨタ・カローラがあったとして、しかもどちらも価格が300万円ぽっきりだったとしたら?ランボルギーニは、偽カウンタックを売ってるトヨタを訴えたりするだろうかと考えてみる。自社製品に自信があれば、そんな外見“だけ”似たマシンが出たからと言っておたおた狼狽える必要はどこにもないなぁ。うーん、なんで Apple は訴えたりしたのだろうな。自社が不利益を被ったことを、本当に証明できるのだろうか。もし証明できなければ、逆にソーテックから損害賠償を請求されるハメになるんでは?ソフトウェアへの理解が少ない日本はともかく、アメリカでの裁判の結果はなかなか微妙かもなぁ。
1999.9.23(Thr)
じめじめじめ
台風が近づいているらしい。降り続く雨に、乾かない洗濯物の山…。だが、今日は接近する台風が秋雨前線を押し上げたせいで、つかの間、雨も小康状態である。幸い、本日は祭日で会社も休み、砂ネズミ達のケージを掃除するチャンスだ。ケージを置いてある玄関付近には、連日の雨がもたらす湿気により、なんともいえない臭気が鼻をついていた。もう2〜3日もすると、ケージに敷き詰めたチップが、一斉にカビてとんでもないことになりそうな予感があって、ずっと落ち着かなかったのだ。
ロボロフスキーの“ダン”から始まって、同じくロボの“あかねちゃん”、次に砂ネズミの“クロ”、最後に砂の“ちゃっぴー”で、ケージ洗いも一段落。丸洗いの爽快感と、真新しいチップのふかふか加減は、見ていても実に気持ちのいいものである。ネズミ達は、さっそくチップを掘ったり蹴散らしたりしつつ、自分好みのレイアウトにするのに余念がない。
今回使ったチップは、これまで買っていた圧縮タイプのパイン・チップと基本的に同じだが、メーカーが違った。1本あたり100円程度安くなっていたので、どんなものかなと買ってきていたのだ。手触りは、それほど差は感じなかったが、完全にチップ化されていない木片が混じっていることが多いように思った。鋭い楊枝みたいになってるやつは、見つけ次第取り除いておいたが、ちょっと不安感の残るチップであった。やはり使い慣れたメーカーのほうが、値段は高いが安心できる。
チップの交換といえば、毎回必ずお手伝いしてくれるのが、みこりんである。いつもならば、洗う前のケージに新しいチップを入れてくれたりしたものだが、今日は言いつけをちゃんと聞いてくれて、おりこうさんだった。2歳を過ぎて、少しはお姉ちゃんらしくなってきたのかも。。。
ネズミ達の小屋掃除が終わったら、相対的に汚れが目立つようになったピーコの鳥かごにどうしても目がいってしまう。雨はまだ本降りになりそうになかったので、こちらもついでに掃除することにした。水洗いして、新しい新聞紙を敷いて、ぱりっと綺麗に仕上がった鳥かごは、休日の常、そのままサンルームへと直行となる。天井から吊った物干し竿に引っかければ、ピーコがちょうど視線の高さになって具合がよいのだ。ピーコも、外の景色が見渡せるこちらのほうが、気持ちいいらしい。ずっとココに吊って置いてやりたいけれど、野良猫どもがうろついている限り、できそうにない。犬でも庭で飼うようになれば、大丈夫なんだけど…。
動物達の小屋掃除が済むと、玄関そのものを片づけ&掃除したい欲求がふつふつと沸き起こってくる。湿気で不快指数が極限まで達しそうな今こそ、整理整頓にはもってこいのタイミングかもしれない。靴箱に、ピーコの餌関係を仕舞ってあるスペースがあるのだが、そこが無意味にデッドスペースがあることも、今日はいつになく気になってしょうがない。そうだ、ここににゃんきちくんの餌や、ネズミ達の餌も入れてしまおう。そのためには、仕切り板を入れなくては…。家を買って5年目にして、始めて靴箱を本格的にいじった気がする。なぜ今までやってなかったのだろうかと思うほど、ピーコの餌収納部分のデッドスペースは、改造後にはとてつもない収容量で、あっというまに散らかっていた餌関係の物体を飲み込んだのだった。我が家には、おそらく他にもこうしたデッドスペースは多数存在するはずだ。溢れに溢れている雑誌&本関係も、じつはすっきり収納できるのではないか、という気がしてくる。要検討項目である。
マーゴへ
午後のおやつの時刻が近づいても、雨はまだ本降りにはならなかった。今回接近しつつある台風は、かなり歩みが鈍いらしい。
というわけで、マーゴに出かけることにする。特に目的はなく、金もない。ただ今日みたいな天気の日には、無性に賑やかなところで過ごしたいだけだった。
みこりん用の秋物の服を物色する。煉瓦色を基調にした、カントリー風ふりふり服の誘惑がものすごい。サイズもちょうどみこりん用のが揃っている。しかし。しかしである。とても普段着にできそうにないという大問題が、立ちふさがるのだった。他を見渡してみても、スカート系の普段着タイプが少ないような気がする。いや、たんに私が最近のおしゃれ系普段着に、慣れていないだけなのかもしれないのだが…。
そのうちに、お昼寝中だったみこりんが起き、広い店内をあてどなく彷徨うことになる。しばらくはLicの所在を把握していたのだが、いつのまにか見失っていた。まぁいい。このフロアから動くことはないはずなので、そのうち発見できるだろう。
みこりんを連れていると、一人のときには怪しげにみえる行動も、不自然なくできてしまうという利点がある。というわけで、Lic用に何かいい服ないかなと、十代の女の子向けコーナーやら、有閑マダム向けコーナーなどを、見て回った。ただ、ここで1つだけ問題が。それは、よさそうな服を発見しても、私が記憶しているLicの洋服のサイズが、もはや通用しないという現実である。うーん、食欲の秋、恐るべし。
一回りしても、なぜかLicに遭遇できなかった。こういう場合は、下手に探し歩くとドツボにはまる。そこで、ガチャガチャのところでいったん停止。ここで待つことにした。
なにやら新作のガシャポンが入ってた。おなじみのガンダム・シリーズだが、ジオングやらガンキャノンがラインナップされている様子。ガンキャノンに興味を惹かれたが、あいにく小銭の手持ちがない。財布とにらめっこしてると、みこりんが「おかねちょーだい!」と言う。みこりんもガシャポンやりたいらしい。「お金ないんだよ、みこりん」と言っても、「あるよ〜」と得意げに1円玉を財布から抜いていったのであった。
1円玉を手に、みこりんは1つ1つガシャポンをチェックして、どれにしようか悩んでいるようす。そのうち「これだ!」と思うのを見つけたようで、1円玉を慎重に投入した。そしてハンドルをひねる。当然ながら出てこないので、みこりんは不思議そう。返却ボタンの操作方法を教えてやった。
みこりんがガシャガシャやってるのを見ていたら、どうしてもガンキャノンを出してみたくなって、ついに1枚だけ入ってた1000円札を両替することを決意する。何度目かの返却ボタンを操作して戻ってきた1円玉を手に、不服そうな顔のみこりんを抱っこすると、両替機があったはずの場所へと向かった。しかし、目的のマシンは影も形もなく、確実にあるはずの遊具コーナーに行くべきか苦悶する。遊具コーナーにみこりんを連れていけば、確実に1時間はそこで遊ばされる。うーむむむむ。
悩んでいたら、Licがやってきた。お互い左向きに探していたので、発見できなかったことが判明する。で結局、遊具コーナーに行くことになったのだった。無事両替を済ませ、みこりんとLicが遊んでいるすきに、ガンキャノンにチャレンジする。願いは通じたか、一発でガンキャノンをゲット。109の機体であった。108も入ってるらしいが、違いは識別ナンバーだけなんだろうか?給料日を過ぎて、財布が暖かくなったら、確かめてやる。ところで、ガシャポンにマクロスが登場するらしい。こうやってどんどん家には、だぶった機体が増えてゆくのだろうな。
お彼岸
というわけで、Licが“おはぎ”を作ってくれた。みこりんは、最初“おはぎ”をなんだかわかってなかったみたいで、私が食べてみるように言うまで、興味を示していなかった。だが、みこりんは“おもち”が大好きなのであった。お正月近辺は、みこりんの「ももち!ももち!」と催促する声が日に何度も聞かれたものだ。
一口“おはぎ”を口にすると、「あ、このあじは!?」という顔になり、「おもちみたいでしょ?」といきなり核心に触れてやったら、たちまちみこりんは“おはぎ”=“おもち”の新たな関係をインプットしたようだ。一口サイズに丸めてもらった“おはぎ”を丸飲みすると、ただちにLicのところへ舞い戻り、「もっかいもー!」と催促するのであった。
結局、みこりんは量にして茶碗1杯分くらいは平らげてしまったらしい。お腹はぽんぽこりんに膨らんで、見てるこっちが「大丈夫かな?」と不安になってしまうくらい。さすがに晩ご飯は食が進まないようで、自分のかわりにお人形の“ぽぽちゃん”に、食べさせて上げていた。
そうしてるところだけ見れば、“ぽぽちゃん”を純粋に可愛がってるように思えるのだが、私は見たのだ、あの光景を。みこりんが、一人廊下で“ぽぽちゃん”を投げ飛ばし、仰向けに倒れた上から、げしげしと足で踏んでいたのだ。それも愛情表現だとしたら、なんだかすごいのだけれど、たぶんあれがみこりんなりのストレス発散方法なのだろう。ストレス発散の対象にできるほど、“ぽぽちゃん”がみこりんにとって、とても近しい存在になっているという見方もできるだろう。リアルな人型をした人形は、我が家には“ぽぽちゃん”が唯一なのだが、もしここに別の人型をしたお人形がやってきたとしたら?いったいどんな人間模様(?)が繰り広がられるだろうか。ちょっと見てみたい気もするが、人型のお人形にはいろいろ奇怪な話がつきものなので、安易に試すのは怖いなぁ…。
1999.9.24(Fri)
台風18号
昨夜0時ごろ九州南部に上陸しつつあった台風18号は、今朝方、中国地方に到達したらしい。山口や広島あたりが暴風雨に見舞われている様子が、ニュースで流れている。岐阜県からは、まだまだ離れているはずなのに、外ではかなり強い風がときおり音を立てて吹きすぎているのだった。こんなやつが最接近したら、いったいどうなってしまうのか。
連日の雨で、地盤はゆるみにゆるんでいる。昨日など、近くの高速道路が大規模な山崩れとともに、崩れ落ちてしまったのだ。川の氾濫は、さすがに昔から洪水被害を経験した土地柄、堤防の整備は完了していて盤石なのだが…。
今夜から明日の朝にかけてが、このあたりのピークらしい。真夜中、ぎしぎしがたがたいう音を聞きながら眠るのは、子供の頃はなんだか“特別な日”で、わくわくしたものだが、今では庭の植木や花や野菜が気になって気になって、それどころではない。美しく咲きほこった“ねこのひげ”が、無惨に千切り飛ばされるかと思うと、いても立っても居られなくなる。無力とわかってはいても、暗黒の空に向かって何らかの超自然的力が作用しないかと、念じてしまうのである。
さて、雷をおおいに怖がっていたみこりんだが、今回の台風はどうであろうか。雷ほどではないが、台風を特徴づけるあの音は、なかなか神経に障るのではないか。派手に怖がるというよりは、じわじわ接近し、なおかつ継続する恐怖の中で、みこりんは今夜眠ることができるだろうか。観察しなければ。
………
…あれ?台風はいったいどこへ。じつは午後4時ごろには岐阜に最接近していたんだそうな。威力を落とした分、速度が早まった結果らしい。気づかないまま、台風は過ぎ去っていたのであった。今夜の月は、さぞかし美しいことだろう。
1999.9.25(Sat)
乾く!
目覚めると、部屋が薄暗いことに気が付いた。昨夜寝たのは、明け方近く。いったい今は何時だろう?時間感覚が混乱する。
昨日の台風は、夕方には遠くに去っていったのだが、雨戸は閉めたままだった。それで、こんなに不自然な暗がりになっているのだ。すでに午前10時過ぎ。起きなければ。
襖を開けると、目がくらんだ。おぉぉぉ、なんというまばゆさだろうか。神々しいまでの金色の陽光が、家中の窓という窓から溢れ込んでいた。それだけ明るいのに、空気はどことなくひんやりしていて、秋を感じずにはいられない。廊下の天井を突き抜けて、どこまでも空高く続く蒼い空が、視覚にオーバーラップしそうな錯覚を覚えた。
かすかに音が聞こえている。はるか高空をゆくジェット機の音だ。湿気をみじんも感じさせない音響である。起きだしてきたみこりんも、立ち止まり、音の主を捜すように窓の向こうを見やっていた。このうえなくほのぼのとした一日の始まりである。
昨日までの雨のせいで、山と積まれた洗濯物を、洗濯機にがんがん放り込んで一気に洗う。こんな天気の日には、ものの2〜3時間でしゃきっと乾いてしまうだろう。あぁ、今日が土曜日でほんとうによかった。
笑い上戸
庭の草引きにとりかかる。こうやって週末ごとに草引きしてれば、去年のように雑草まみれになることもない。午前中いっぱいかけて、西側の庭から雑草の芽を殲滅した。ちょうどお昼になったので、休憩を入れる。リビングでは、みこりんがジュースを飲んでいた。「ぱいなっぷーだよ」と言うグラスの色は、たしかに淡い黄色で、パイナップルジュースが入っているらしい。Licがカクテル作りにはまっているので、こうしたフルーツジュースのたぐいは、常に数種類が冷蔵庫にストックされているのだ。
みこりんは「ぱいなっぷー」が、妙に気に入っているらしい。そうじゃない、こうやって発音するんだよ、ということで、私がお手本を示してやる。さぁ、大きく口を開けて、「ぱいなっぽー!」
聞き終わるや否や、みこりんは「んひひひひひひひひひひ」と、まるで笑い袋のような強烈な笑いを発した。もうしんぼうたまらん、といった風に、顔面を硬直させて笑っている。「ぱいなっぽー」は、みこりんの笑いの起爆スイッチを入れたらしい。そんなに喜んでくれると、笑わせ甲斐があるというもの。みこりんの笑いが途切れないように、何度も「ぱいなっぽー」を繰り出してやった。
もしや早くも「箸が転んでもおかしい」年頃なんだろうか。
だんごむし
午後から、ふたたび庭の草引きである。おっと、忘れるところだった、白菜の“ぽち”にたかってる“だんごむし”をなんとかしないと。
“ぽち”を植えてある大きな鉢は、それこそ100や200はいるであろうと思われる“だんごむし”の巣窟になっているのだ。どうしてここまで増えたか理由は不明だが、とにかくこいつらの食欲は凄まじく、“ぽち”の柔らかな葉っぱなどひとたまりもなく“芯”だけになりつつある。
多勢の“だんごむし”軍団にたいして、こちらは1匹1匹指で捕獲という原始的手法で対抗するしかない。私一人では、まったくもって戦力不足。ここはぜひとも、みこりんに参戦してもらわねば!
みこりんは、“だんごむし”が好きだったはずだ。触ると丸くなるその特異な性質に、ことのほか興味を惹かれていた記憶がある。みこりんのちっちゃな指は、小さなダンゴムシの捕獲には、このうえない戦力となるであろう。さぁ、みこりん、思う存分、捕まえるがいい!
はたしてみこりんは、だんごむしを発見するや、「お!むしむし!」と指さしながら、じりじりと間合いを詰めているようす。そうだ、そのまま捕まえるのだ、みこりん。わくわくしながら見守る私。だが、しかし、事態は思わぬ展開を見せることになる。
みこりんは言った。「むしむしつかまえて!おとーさん」
なんということだろう。みこりんは、虫を触るのが怖くなったらしい。これでは、だんごむしに勝つことは難しい。なんとしても、みこりんをだんごむし好き好きに戻さねば。
プリンカップに、だんごむしを1匹ずつ、捕獲してみることにした。こうして収集欲を満たすアイテムを使えば、みこりんもだんごむしを自力で捕まえるのではないか?と思ったのだ。「ほら、みこりんもつかまえて!」などと言いながら、景気良く捕まえにかかる。みこりんは、ついてきてくれるだろうか。
ついと、みこりんが手を伸ばす。「おお!やったか?」なにやら小さく丸い物体を掴み上げるみこりん。「つかまえた、つかまえたよ、おとーさん」上機嫌のみこりん。作戦は成功か?
だが、なんか妙だ。みこりんのつまんでいる物体は、だんごむしというにはちょっとカタチが変ではないか?…そいつの正体は、石ころだった。小さな小さな石ころ。だんごむしのように、わさわさ動かないので、みこりんにも掴むことができたのだろう。おぉぉ、みこりん、それはだんごむしじゃない。
やがてみこりんも、なんとなく違和感を抱いたらしい。「あれ?これそーかな?あれー?ちがうよ、これー」。ひどく驚いた風にみこりんは言い、やがてだんごむしを捕まえるという遊びにも飽きてしまったらしい。再び「おとーさん、つかまえて!つかまえてよぉー」と、見るだけみこりんに戻ってしまった。うーむ、万事休す。だんごむし退治の薬を買ってこよう。土から溢れ出てくるだんごむしの群に、くらくらしながらそう決心していた。
ガーデニング
草引きが一段落すると、ホームセンターまでお買い物に行く。堆肥、鶏糞を買い足してくるのが主目的だが、秋の花も出回っているはずなので、それを物色するのも楽しみである。
店先に並ぶ秋の花々。今年変わったところといえば、大量にポット苗で売られているミニシクラメンだろう。“ガーデン・シクラメン”と銘打って、庭に地植えできることを売りにしている。たしかに大型のシクラメンなどは、霜にやられればあっというまに枯れてしまうが、ミニシクラメンは、かなり寒さには強いのだ。実際、関西方面では、ミニシクラメンをパンジーなどと一緒に冬の花壇の彩りに使っていたりする。
私も、ミニシクラメンの地植えに憧れて、数年前に、冬、屋外栽培を試みたことがある。しかし、ミニシクラメンとはいっても、原種ほど小型でもなく、中途半端なサイズのものしか当時は売ってなくて、ことごとく枯れてしまったのだった。1〜2週間は大丈夫なのだが、じわじわと萎れてくるのだ。
岐阜の冬は、関西とは比べモノにならない寒さというのもあるだろう。しかし、今回のやつは、堂々と地植えの可能性に言及して、“岐阜”で売っているのである。これは期待するなというほうが、無理というもの。さっそくじっくり苗を吟味して、2株買った。目に鮮やかな朱い花を咲かせるものと、純白にピンクの絞りが入るものと。はたして、春まで持ちこたえてくれるだろうか。
その他には、カンパニュラ2種と、チコリを1株、チオノドクサの球根1袋を購入。大量にどばっと同じ花を咲かせるのもいいが、こうしてちびちび他品種を植えるのも変化があって面白い。今月23日から、このホームセンターではカード決済ができるようになったので、さらに堆肥、鶏糞、寒冷紗なども買って置いた。
買い物から戻ると、またもや園芸の時間である。買ってきた苗を植え、水をたっぷりやっておく。そしてついに今日、以前買ってあった“揃い咲きチューリップ”を植えることにした。気温もかなり下がってきたので、良い頃合いだ。
予定どおり、でかいテラコッタを使う。ちょうど1袋の球根で、テラコッタは1鉢分だ。地植えと違って、鉢植えにする場合は、チューリップは思いきり浅植えにしたほうがよい。穴を掘らなくて良いので、さくさくと植え込み完了。猫のトイレにされないように、上から網をかぶせておく。そばで見ていたみこりんに、「来年の春になったらチューリップ咲くからね」と言っておいた。春になれば、みこりんはどれほど大きくなっているだろうか。楽しみなことばかりが増えてゆく。
はさみ
みこりんと一緒にお風呂たいむ。お湯を熱がるみこりんを、なんとか湯船につけ込んで、肩までほかほか暖まる。
浴槽に、ウルトラマンのカットバンが貼ってあった。みこりんがやったのだろう。「これなに?」と聞いてみると、「うるとらまん〜」と言う。「じゃ、これは?」と、ウルトラマンの右隣にいる、バルタン星人を指さしてみた。はたしてみこりんは答えられるだろうか?
「かいじゅう!」というのが、みこりんの答えであった。うーん、そろそろ具体名も覚えさせてみようかな。というわけで、「ばるたん星人」を教え込んでみる。記憶するには、何か言葉以外に、イメージとか動作が伴うと覚えやすい。そこで、バルタン星人のお約束、両手をそれぞれハサミ状に構えて、「おふぉふぉふぉふぉふぉふぉふぉ」と奇声を発してみることにした。
なかなかインパクトがあったようだ。みこりんは、さっそく「おふふふふふ」なんて口まねしてる。「ばるたん星人だよ〜、ばるたん星人は八つ裂き光輪でやられたんだよ〜」と、さらにハサミを上下に振ってみる。
だんだんみこりんは、このハサミ状の手が怖くなってきたらしい。「こわい〜」といって、私の手を押さえにかかる。なおも、「おふぉふぉふぉふぉふぉふぉふぉ」と記憶の奥底に焼き付くように、バルタン星人を演じてやる。さぁ、もういいだろうか。もう一度、みこりんに聞いてみる。「これ、なぁに?」
みこりんは、じつにうれしそうに言った。「ばるたんせーじん!」。しかも、ハサミ状の手つきまで再現してくれた。「おふふふふふふ」。ちょっと声が違うが、ほぼ完璧である。私は満足げに、肩まで湯につかり、目を閉じた。バルタン星人の人形、買ってこなけりゃな。そんなことを考えながら。
1999.9.26(Sun)
耕す!
今年の春、庭の南西側に移動させたハーブガーデンだが、本来のスペースのまだ2割ほどしか使っていない状況である。といっても、空いた部分は瓦礫が埋まってるような荒れ地なので、何か植えようと思えば、まずは開墾をせねばならない。これが見えざる縛りとなって、今日まで放置していたわけなのだが、頃合いやよし、本日、ハーブガーデンの拡張を実施する。
なにはともあれ、まず土を掘り返さなくてはなるまい。こんながちがちで粘土質の赤土では、いかなハーブといえど、栄養失調になることは明白、土壌改良が必須である。シャベルを使って、大胆に掘ってみた。表面を削る程度では効果がないので、深さ40〜50cmは掘るのだが、ただでさえ固い地盤に、これでもかといわんばかりに出てくる石ころども。シャベルが何度も石にぶちあたって、気色悪い接触音が響き渡る。
開墾の基本は、こうした石ころなどの瓦礫を土から撤去することだ。無限に沸いてくるかと思われる石ころを、せっせと裏庭へと運び、再び掘って、また石運び。そんな作業を延々と繰り返す。
ようやく、縦1.5m、横1mほどの穴が開いた。Licに、「まるで死体でも埋めるみたい」と言われてしまったが、たしかにこの穴ならば、死体の1つや2つ、なんとかなりそうである。それにしても、普段使わない筋肉を酷使したので、全身がいい感じに火照っていた。筋肉痛の予兆だ。
穴の底に、まず鶏糞をたっぷりと入れ、次にバーク堆肥を投入、さらに石灰などを振り掛けつつ、もとの土と混ぜながら埋め戻す。まだまだ沸いてくる石ころを、さらに取り除きつつ、成分が均一になるように混ぜて混ぜてひっくりかえして、おりたたむ。
赤茶けた色だった土が、次第に“畑色”になってゆくさまはこのうえない快感である。しかも、空気をたっぷりと含んだ土は、ほくほくで柔らかく、気のせいではなく確かに暖かい。これだけ劇的な変化が現れると、労働した甲斐もあるというものだ。
最後の仕上げと、土の表面をならしにかかる。うーん、60kg近い堆肥や鶏糞を混ぜたはずなのに、なぜか地表面が、周囲よりも低くなってしまった。それだけ土の中に、石があったということだろう。
ふかふかのハーブガーデンに仕上がって、思わず顔もにやついてしまう。ここに何を植えるべきか、早くも野望を巡らしたりして。これから季節は秋から冬へと向かうというのに、ハーブというのも無理があるなぁ。ここはひとつ、冬野菜を植えてみようか。深く掘ったので、ジャガイモなんかもいけそうだ。ジャガイモ、タマネギ、ニンジンと、カレー&シチューの具トリオが、一番利用価値あるかも。
西瓜
西瓜の実がついてから一ヶ月を過ぎたが、あいかわらず小玉なままである。やはりこの西瓜、大玉西瓜ではなかったらしい。みこりんが、庭に来るたび西瓜をちぎりたそうにするので、もう9月も終わりだし、収穫することにした。さっそくみこりんを呼んでくる。
「西瓜、収穫するよ」と言ったら、「はさみもってこなかん」と、みこりんは颯爽とハサミを取りに行ってくれた。さすが食い物のこととなると、てきぱきと動くみこりんである。では、記念すべき黄色い西瓜の収穫は、ハサミを持ってきてくれたみこりんにお願いするとしよう。みこりんが切りやすいように、ツルをピンとはって、さぁ!
収穫した西瓜を持って、みこりんがうれしそうにリビングに戻っていった。Licに切ってもらうつもりらしい。やがて戻ってきたみこりんの手には、目に鮮やかな黄色い西瓜の輪切りがあった。半分に切ると、ちょうどみこりんの両手にすっぽり収まる大きさになるのだ。まさに、みこりん仕様の西瓜といえよう。
ウッドデッキに、ちょこんと座り込み、スプーンを駆使して西瓜を食べ始めるみこりん。上手に種をどかしてる。Licが、もう半分の西瓜を持って、やってきた。私に味見をさそうというのだ。なかなかに用心深いではないか。
匂いは、西瓜そのものだった。試しにひとすくい食べてみると…。西瓜というより、キュウリと言った方がいいかもしれない。甘みがほとんどなく、まるでサラダをドレッシングなしで食べている感じである。ちらと、みこりんの方を確認してみると、平気でぱくぱく食べているようす。時々自分で確認するかのように、「あまいよー!おいしいよ〜!」と言いながら。みこりんにとっては、甘く立派な西瓜でなくても、庭で採れた西瓜は特別なものなのだろう。
1999.9.27(Mon)
セントポーリア
創生園から秋恒例の、セントポーリアのカタログが届いた。お店は、兵庫県宝塚方面の山本という場所にあって、私も実際に2〜3度行ってみたことがある。山本という地域は、園芸農家が集中していて、阪急山本駅を降りれば、見渡す限り園芸屋さんの看板があるという具合だった。といっても、いわゆる“お店”という外観ではなく、どこも普通の農家と変わらないため、初めて入るには、かなり勇気がいる場所でもある。ひとたび声をかけて、温室を見せてもらえば、そんなこと気にならなくなるんだけれど。
カタログ表紙に印刷された温室のようすは、そんな当時を思い出して懐かしい気分になれる。1枚めくってみると、秋の新作がずらっとリストアップされていた。品種の多さで、あいかわらず他の園芸植物を圧倒している。
新作にざざっと目を通して、次のページへ。私のもっとも気になるリストがそこにはある。『原種』だ。
手持ちの原種にチェックを入れてみると、まだ半分以上持っていないことがわかる。ほんとは持ってないやつすべてを注文したいところだけれど、1鉢680円とはいえ、数がそろえばたいそうな額だ。ここは慎重に購入株を厳選せねば。
セントポーリアの原種について記述のあるサイトを巡りつつ、どれにしようか気分を盛り上げてゆく。だがここで重大なことに思い至る。今季は、植え替え資材も買わなくてはならないのだった。アフリカの高地に棲息するその特異な性質から、植え込み資材も通常の花とは、多少違うのもセントポーリアの特徴である。切らしている資材を、次々にチェックしてゆくと、これだけで2000円近くになってしまった。うーん、これでは新しい原種を増やすのは、せいぜい1株がいいところだ。ますます選ぶのに困ってしまうではないか。
結局、リストの上から順にたどって、一番最初の未保有株を選ぶことにした。いずれ全て揃えるのだから、こうしたシーケンシャルな選び方のほうがわかりやすい気がしたのだ。
今年こそ、寒くなるまえに植え替えを済ませてしまわねば。
海老の出番
私は海老が大好きである。握り寿司では、必ず甘海老、普通の海老、高い海老の最低3種類は食うし、海老フライがお弁当に入っていれば、1匹だけでご飯を食い尽くせるほどである。だから海老を食うのに、なんのためらいもないのだが、海老が高コレステロール&高カロリーではないか?と疑いの念をもたれていたとは、まったく思いもよらないことだった。まぁ知っていたところで、食うのを控えようなどとはこれっぽちも考えないだろうけど。
昨日、地上波で放送した『発掘!あるある大辞典』は“海老”の特集だったのだが、まさに海老が高コレステロール&高カロリーではないことを、さらには、いかに海老が体にいい食品かを、訴えるものであった。海老を食うことで、血液がさらさらになる実証実験は、視覚的に理解しやすい結果を示しており、かなりインパクトはあったかもしれない。世間一般では、こういう番組が企画されるほど海老は不健康な食品と誤認識されていたというのに、なぜ私周辺ではそういう情報が一切入ってこなかったのだろうなぁ。
ところで、コレステロールが騒がれ出したころ、たしかイカも当初はすごい悪い食品という情報が広まったことがあったと思う。あれも結局、「じつはすごく体にいい食品でした」ということがわかり、訂正された。まぁ、そんなに悪い食品が、なぜ今日まで食い続けられ、食卓から駆逐されなかったのかという素朴な疑問は当時から抱いていたのだけれど。
『あるある大辞典』や『おもいっきりテレビ』などで放送されると、たいてい対象となった食品はスーパーで大々的に宣伝されて売り出されるのが、最近の常だ。昨日までありふれた食材だったものが、一夜あけるとスーパースターになってしまうのである。おそるべし影響力。
今回も、やはり海老がスポットを浴びて、ずらっと並んでいたらしい。こうなってしまうと、「おお、これがそうか、買ってみなくては」と思うか、「なんかこっぱずかしいのぉ」と思うかは、人それぞれあるだろう。ちなみに私は後者のように思考してしまうので、対象物が海老のように好物であった場合には、とても困ってしまうのである。
幸い、こうした売り出し期間というものは、たいがい1週間も続けば終わる。周知期間が終わったというよりは、新しい『あるある』や『おもいっきり』のネタが登場するからなんだろう。古典的食品はともかく、新参者で1年後にどれだけ生き残るものなのか、気になるところではある。
1999.9.28(Tue)
すっぱい
今朝は、妙にお腹がすいていた。だが、お腹具合はといえば、ベストな状態とは言い難いのだった。胃に、どっさり石でも詰め込まれたかのように、ずしっと響く膨満感。それなのに、さっきから腹の虫どもが、「食いてぇ…、食いてぇ…」と囁きかける。
派手な催促ではないが、これを無視すればあとで大変な目にあいそうだという確信はあった。無理にでも、腹に何か詰め込んでおかねばなるまい。
出勤までのタイムリミットが刻々と近づいているため、今からソーセージなどをフライパンで炒めるのも難しい。となれば、おのずと食べるモノは決まってしまう。そう、アレだ。日本の朝食に欠かせぬ果実、梅干しである。今年はLicが干した自家製の梅干しが、冷蔵庫に常備されているので、それを食べることにした。もちろん炊き立ての白ご飯と一緒にである。
梅干しは、よく漬かっており、塩辛さもひとしおである。まったりとコクのある辛み。思わず口をすぼめて、ありがちな「すっぱい」表情をしてしまう。ちょうど卓袱台の向こうには、みこりんが座っていて、私のそんな様子をさっきからじっと観察していた。
私が何度目かの、「すっぱい」をやっていると、みこりんが言った。「おちゃのんでよ、おとーさん」
よく気のつくみこりんであった。
そして誰もいなくなった
ピーコのために、新しく「セキセイインコ用」の餌を使うようになったので、これまで使ってきた餌が余ってしまった。かといって、そのまま廃棄するにはなんだかもったいない。ここはひとつ、野生の雀どもにごちそうしてみようというわけで、先日から庭に苺パックに入れて置いてあるのだが、なんだか様子が変である。もしかすると、私はとんでもない思い違いをしていたかもしれない…。おぉ、なんということだろう、雀など最初からいなかったのだ。この団地周辺で、雀のさえずりを一度でも聞いたことがあるだろうか?朝、やかましいほどチュンチュン鳴くのが雀というやつだ。だが、朝は静寂のまま訪れたのではないか?
あまりに当たり前で、ありきたりな雀。いて当然、どこにでもいる鳥、それが雀だと、これまで信じて疑うことはなかった。現に、会社の敷地内では今日も雀が忙しげに餌を探していたはずだ。そう、団地以外の場所では、変わることなく雀がいるのだ。
私が初めてこの団地に引っ越してきたとき、雀はいただろうか?記憶をたぐってみると、どうやらいたらしいことを思い出す。雨戸の戸袋が、かさこそいっていた。あれはたしかに雀が夜のねぐらにしていた音だ。では、いったいいつから雀の姿が消えたのか。春は、ツバメがたくさん飛んでいた。そのそばに、雀の姿は…、なかった。少なくとも半年以上、雀の姿を団地では見ていないはずだ。
去年の冬は、ヒヨドリ、ツグミ、ジョウビタキがいた。冬につきものの、フクラスズメは、やはり見た記憶がない。小鳥がぜんぜんいないわけではなく、雀だけがいないのだった。あれほど人間社会に適応しまくった雀が、どうやったら姿を消すことが出来るのだろう。謎すぎる。いや、謎というより、不気味である。なにやら理由のない不安が、ちろちろとかすかに見え隠れする気配を感じて仕方がないのであった。
眠れぬ夜
みこりんが泣いている。深夜、午前3時。お腹が痛いと泣いているのだった。
これまでに聞いたことがないような、痛い泣き方である。外傷などの痛みならば、だいたいどんなものか想像もできるのだが、見えない部分の痛みとなると、不安ばかりが先に立ってしまう。みこりんは、はたして大丈夫だろうか。
赤ちゃん雑誌についてきた、病気の見分け方をめくってみるが、どれも該当しそうにない。すぐに病院に連れていくかどうかの判断は、とても難しいところだ。運良く小児科のドクターが当番ならばよいが、専門外のドクターでは、こちらとしても不安が残る。昨今の医療事故の多さを考えれば、慎重にならざるをえないのだ。
みこりんの症状は、ひどくはなっていないようである。夜明けまでもう少し。朝になれば、病院に連れて行こう。
1999.9.29(Wed)
病院へ
お腹が痛いといっては泣くみこりんを、Licが病院へと連れて行った。私は心配ながらも、仕事である。
お昼ごろ、どんな具合だったかLicに電話してみたところ、ただの風邪ということだった。夜、一度吐いていたので、点滴をしてもらったらしい。みこりん、また腕をぐるぐる巻きにされたのか。電話の向こうでは、機嫌良さそうなみこりんの声が聞こえる。その声を聞いたら、やっと安心できた。みこりんは、大丈夫だった。
夜、ようやく帰宅の時間。みこりんの右手は、ごっつい包帯で巻き巻きになっていた。どうやって点滴されたか、みこりんがたどたどしい日本語を駆使して伝えてくれようとしているのだが、雰囲気だけはなんとかわかった。なんだかみこりんも、点滴慣れしたような気がする。右手が使えないというのに、晩ご飯は左手だけで上手に食べているし。
やはり、夜、掛け布団からすぐに脱走してしまうのが、風邪の原因かな?何かいい方法を考えないといけないなぁ。
密やかに
いい天気が続くので、夜、庭の植物に水をやった。早起きして、朝の水やりをしようといつも思うのだが、なかなか実現しない。しょうがないので、こうして夜の水やりとなってしまうのだ。
日曜日、肉体をフル稼働させて開墾したハーブガーデンは、幸い猫のトイレになることもなく、しっとりとたたずんでいる。植えたばかりのチコリにも水をやろうと、かがんだ時だった。何かが地面を動いているのに気がついた。思わず動きを止めて、注視してしまった。いったい何がいるというのか。
月明かりに照らされて、夜といっても、視界は明るい。目を凝らすこともなく、そいつらの正体は判明した。ダンゴムシだ。ダンゴムシが、地表のいたるところをはいずり回っているのだった。
庭の雑草を殲滅し、古い雑草置き場も処分した。その結果、大量に発生していたダンゴムシは行き場を失い、こうしてあてど無くさまよう流浪の民となってしまったのではないだろうか。ただ、こやつらの歩みは、とてもダンゴムシとは思えない高速機動である。もしかすると、ただのダンゴムシではなく、夜、こうして大移動する種類である可能性も、ゼロではないのだけれど。
庭にヒキガエルを飼っていれば、ナメクジ、ダンゴムシのたぐいは激減するらしい。時にはムカデも食べてくれると聞いた。うーん、ヒキガエルいいかもしれない。試してみる価値はある。
1999.9.30(Thr)
10000カウント突破
1997.11.13に、このカウンタを始動させてから、10000に到達するまで1年と11ヶ月あまり。意外に早くやってきた感じがする。最初から来てくれてる人も、途中から来てくれてる人も、今日初めて来てくれた人も、みんなに厚く御礼申し上げます。
まだまだコンテンツも貧弱なので、拡張予定はいろいろあるものの、日々の忙しさにかまけてなかなか手をつけられないのが、悔しいところ。一日が72時間あったなら…。
うーん、それにしても日記を溜めてしまうと、なかなか取り戻すのが大変だ。心に残った出来事は、忘れないうちにメモるようにしたので、以前にくらべると格段にリカバリーが容易になったとはいえ、文章にするのは難しい。さらさらっと書いても、素晴らしく面白い日記が書けてしまう才能があればなぁ。まぁ、こうやって下手な文章をこねくりまわすのは、頭の体操には最適かもしれないし、もしかするとボケ防止になっているのかもしれないと思うと、今のままでもいいかな、と思ったりもしつつ、今日はなんだか眠れないので、気がついたら翌朝になろうかという時刻。あぁぁ、一日なんかあっというまだ。
それにしても、東海村の事件(人災という感触が)は気になるところだ。ずーーーっとNHKつけてたけれど、これほど刻々と避難勧告が全国放送になったのって、阪神大震災以来?
食欲の秋
最近、にゃんきちくんは残さず餌を食べてくれる。夏の小食さが嘘のようだ。そろそろ1歳ということで、食事量が増えたんだろうか。それもあるだろうが、一番の原因は、餌をカルカンの猫缶にしているというのが大きいだろう。なにしろ、このカルカン、他の猫缶より若干高めということもあり、作りが丁寧で柔らかく、人間が見てもおいしそうに思えるほど、上品な仕上がりになっているのだから。
餌入れに準備している最中に、にゃんきちくんが乱入してくることもある。それほど猫まっしぐらにさせる何かが、このカルカンにはあるらしい。
たっぷり食べて、いつまでも健康に艶々で、しなやかなまま育ってくれるならば何も言うことはない。そのためだったら、ずっとカルカンでもいいかな、とさえ思うのだった。