2000.4.7(Fri)
95円
ビデオレンタルが95円というので、夜、さっそく借りに行く。
今日は『エピソード1』のレンタル開始日なのだ。だから95円セールらしい。
こんな田舎町でも、30本以上入荷していた『エピソード1』は、すべてレンタル中になっていた。だが今夜はついている。『マトリックス』がちらほら戻ってきていたのだ。これは95円の対象ではないが、構うことはない。新作料金でも、見てみたい作品である。
あとはLicが『ドクター・ドリトル』他。私は『ドーベルマン刑事』『冷たい血』なども。
今夜は何を見るか、まだ迷い中である。
2000.3.5(Sun)
“犬”
私が“プロテクトギア”に初めて出会ったのが、大学2年だか3年だかの年だ。いまから12〜3年前ってことになる。押井守が初の実写映画を撮るというので(たしか映研関係出身だから、アマチュア時代に実写はかなり撮ってたんじゃないかと思うけど)、一部では話題になった。そのときの作品が、『赤い眼鏡』である。出演者のほとんどが声優(加えて、ほとんど『うる星』つながりのスタッフのような)で、商用作品というより実験映画というかアマチュア作品風な匂いのする映画であった。
プロテクトギアは、冒頭部分に使用された以外は、終盤に一度シルエットを見せただけなのだが、同時期にこれを見た私とサークルの野郎どもは、その美しい“強化型外骨格”の虜となってしまったのだった。その年の学園祭では、客呼び込み用“着ぐるみ”にも使ったし、数年の保管の後、会社での仮装大会にも、これでエントリーしたものである。
それから数年後、私が就職した翌年にコミック作品『犬狼伝説』として、プロテクトギアと再開。そのさらに翌年、再び実写映画『ケルベロス・地獄の番犬』が公開されたが、プロテクトギアの造形はともかく、中身はもはや思い出せない程度のものだった。
『犬狼伝説』は、他の2つの映画作品に比べると、かなり毛色の異なる作品である。いちおうストーリーっぽいものがあるので、難解さに歓びを見いださなくなった私でも、楽しむことが出来た。ただ、攻撃部隊の必要性を内乱に求めるあたりに、やや古風というかイデオロギー臭いというか、新鮮味には欠けるのだが。まぁ、プロテクトギアがわんさと登場するので、見ていて楽しいという利点のまえには、そんな欠点も補って余りある。問題があるとすれば、未完で終わっていたということか。
その完結編を、ようやく昨日、手にすることが出来たわけだ。ケルベロス争乱に至る、重要なポイントが描かれるはずである。
で、読んでみての感想。かなりはしょってしまってる印象で、無理にケルベロス争乱に持っていった感じがする。決起するまでに追い込まれた、というのが私にはそれほど伝わってこなかったのが残念だ。特に、“人狼”というキーワードが出てくる回、あれは余分に思う。映画のための伏線なんだろうが、唐突であり、説明不足にすぎるのではないか。
もっと面白くできるのに、わざとテンション下げてるような印象もあり。人物描写をあえて避け、いきさつを淡々と描いている。うーん、創作意欲を失ったんでは?などと思ってしまうが、それほど映画『人狼』に入れ込んでるのだろうか。はたしてプロテクトギアが出てくるのかどうかが気がかりだが、今年夏公開らしいので、期待しつつ待ってみることにしよう。
2000.2.21(Mon)
『ケイゾク』
この1、2年は、地上波のドラマをほとんど見てなかったのだが、先週たまたま深夜の再放送で『ケイゾク』がどんなものなのか知ってしまった。内容の面白さとか、そういう本質的なものはおいといて、私は中谷美紀に弱い。“日石わーきれいガソリン”で踊ってたときから、特別だった。なので先週、みこりんの『てぃが』と一緒に『ケイゾク』の1巻を借りてきたのである。
その日のうちに通しで見たのだが、こういうお話はぜひともLicと一緒に見たい。一人でツッコミ&推理するのは悔しすぎる。だがLicは土曜、日曜と、みこりんを寝かしつけると一緒に朝まで寝てしまっていたので、果たせなかった。
ところがついに今夜、Licは睡魔に負けなかったのだ。3話続けて鑑賞。うーん、まんだむ。
2000.2.19(Sat)
ティガ&ダイナ&ガイア
みこりんが「てぃが、みる」というので、金曜日借りてきていた映画版『ティガ&ダイナ&ガイア』を見た。ガイアが登場すると、みこりんはガチャポンで獲ってきたウルトラマン・エースを持ってきて、「いっしょ!いっしょ!」と楽しそう。で、両腕を直角に構えて「しーーーーー」と、なにかの光線を打ったりしている。この構えはセブンのワイドショットであろう。スペシウム光線ではなく、ワイドショットなところに、みこりんのこだわりを見た思いである。
だが、みこりんの集中力も、最初の10分が限度だった。あとはブロックで遊んだり、ミニカーで遊んだり。でも、以前に比べるとずっと物語を楽しんでいるような気がする。男の子が出てくるのがよかったのかな。台詞の意味も、だいぶ理解できるようになってきてるようだし。
でもみこりん、ティガなんてTVで一度も見たことないのに、どうしてあれほど「みたい」と主張したのだろう。保育園でお友達に聞いてくるんだろうか。ワイドショットの構えを知ってるのも、謎だ。私がみこりんに「ウルトラマン」してやるときは、エメリウム光線か、スペシウム光線なのだが。先日の大魔人の件といい、ますます先生の中に特撮好きがいる疑いが濃厚である。
2000.1.10(Mon)
恐竜を見る
夜、TVのチャンネルをぱしぱし切り替えていると、恐竜の映像が目に止まった。CGなのだろうが、たいへん素晴らしい仕上がりである。動きなども、本物そっくり(見たことはないが、4つ足、2つ足の生物ならばそうするだろう動きと、違和感がほとんどなかたということだ)。幸い、これから番組が始まるらしい。なんとなくビデオにも保存したほうがいいような気がして、テープをセット、録画開始。
恐竜の生態をドキュメンタリー形式に紹介するものだったが、映像は冒頭のイメージどおり、なかなかのものである。CGだけではなく、模型なども駆使しているもよう。すさまじくリアルである。映画以外で、これほどの恐竜が動いているのを見たのは、記憶にない。映像は一級品だというのに、肝心の語りの部分がどうしようもなく陳腐だったのが対照的だ。この映像で、ナショナルジオグラフィックあたりが創るような語りが入れば、文句なし。
途中でLicが見始めたのだが、冒頭のメイキングシーンを見ていないのを思い出し、ちょっといたずらしてみることに。
私:「なんかね、ついに恐竜が発見されたんだって!」
Lic:「えっ!?これ、本物??」
私:「あたりまえやん。すごいよなぁ」
Lic:「恐竜って、あの恐竜??」
私:「恐竜の子孫みたいよ」
Lic:「どっ、どこで見つかったん??」
もっと続けてみたかったが、Licの反応がこちらの思うつぼにはまってくれたのが面白すぎて、降参した。その直後、Licパンチが飛んできたのは言うまでもない。
2000.1.1(Sat)
謹賀新年
あけましておめでとうございます。新世紀まであと1年、毎日更新とはなかなかいきませんが、『ひみつ日記』で今年もお楽しみいただけると幸いです。
*
我が家のお雑煮は、白味噌仕立ての具だくさん(野菜のみ)である。餅は丸餅で、焼かずに入れる。Licの実家では、すまし汁で鶏肉が入るという。Licの母の母が、関東出身ということで、納得。西日本にあっても、母の味は受け継がれてゆく。ちなみに、私の親父は餡ころ餅を、雑煮に入れていた。讃岐(今の香川県)では、そうするのだという。だが、私の母は同じく讃岐出身なのに餡ころ餅を入れるのは聞いたことがないと言っていた。親父の生まれ育った地域限定の風習なのかもしれない。雑煮だけでなく、親父の実家では、鰻丼の食べ方も変わっていた。鰻をどんぶりの底に敷き、ご飯を乗せ、タレを少々、とどめにお茶をどぶどぶと注ぐ。まるで鰻丼茶漬けといった感じだったが、これはこれでなかなか美味かった記憶がある。だが、うちの実家ではいずれも母方の味を継承しているのだった。…ということは、我が家の雑煮は、いずれすまし汁(Lic系の味)に変わっていくのかもしれない。
午後、初詣に出かける。巫女さん目当てだったのだが、社務所にいたのは、おじいさん方ばかりでがっくり。おみくじは、可もなく不可もなく。みこりんが引いてくれた福引きは、南天の木でできた夫婦箸。みこりんのお嫁入り道具にしようか。人出はまばら。後で知ったのだが、明日が刀剣の打ち初め式だという。来年は、2日に初詣するとしよう。
初売りのマーゴをぶらつく。Licが福袋を迷いに迷って、ようやく買った。何が入っているのかわからないスリルが、ギャンブラーLicの血を興奮させるのであろう。ブランドものの服が入っているのだが、サイズが心配である。入らなければどうするのだろうか。服に合わせて痩せてくれればラッキーなのだが。
夜、WOWOWで『ディープ・インパクト』を見た。今夜が初見である。1999年も終わった今、この映画をやるのはどうかな?と思っていたのだが、クライマックスが近づくにつれ、逆に、この映画は2000年の今こそ感動が増すのではないかとさえ思うようになった。私的には『アルマゲドン』より、断然よかった。こういう映画が見たかったのだと、思わず両膝を打つ感じである。注文を付けるとすれば、接近した彗星に対する核ミサイル攻撃が失敗したあと、残存する宇宙機での作戦行動も見せて欲しかったというところか。“メサイア号”だけしか、稼働しなかったのがややひっかかる。だが、メサイア号の特攻は、淡々としていてたいへん素晴らしい演出だった。家族との最後の交信も、適度に抑えられていて嫌みに感じなかったし。
裏では、Kids Station チャンネルで『TV版エヴァ』を録画中。最初の方をちゃんと見ていなかったので、記憶の補完用だ。元旦の夜は、平和に過ぎてゆくのであった。
1999.12.29(Wed)
仕事納め
今年もあとわずかとなったところで、仕事で使ってるハードウェアに故障が連続で発生。パルスレーダーのT型コネクタが死んだのも痛いが(今から発注かけても納品まで1ヶ月はかかる)、今日のPCがらみの故障もまずい。予算がないというのに、よりによってCPUカードで不具合発生とは。このPCは工業用PCなので、容易に別のやつに取り替えるわけにもいかず、頭の痛い問題を抱えてしまった。それでも今日は仕事納めの日である。午後からは大掃除をせねばならず、仕事にならない。ま、来年まで仕事のことはすっぱり忘れてしまえってことだろう。片づけ開始だ。
午後4時、毎年恒例の茶話会が始まった。
本社あたりだと、アルコールなども振る舞われて、相当派手にやるそうだが、現場の工場を抱えている関係からか、うちの事業部はわりと控えめだ。きっちり午後5時、定時でおしまいとなる。労働者たちは、皆、家族のもとへと急ぎ足で帰ってゆくのである。
帰宅ラッシュでごった返す時間帯を避け、やや遅れて駐車場からクルマを出し、私も家路を急ぐ。ふいに、「あぁ今年も、もう終わりなのだな」という思いに捕らわれ、やや感傷的になってしまう。今夜はLicとみこりんがいない。今日明日の予定でLicの実家に帰っているのだ。今夜は独り…。ちょこっと寂しいかも。
帰宅後、予定通りWOWOWで『エイリアン4』を見る。気持ち悪いグロさが気になったが、全体的に予想よりはデキが良い。もっと悲惨な仕上がりだと思ってたが、これならば合格としよう。H.R.ギーガーの創り上げたエイリアンの造形美は、ラストの人類型エイリアンでぶち壊されているのだが、生々しい怖さを与えてくれたことで評価したい。リプリーが結局どうしたかったのかという、かなり重大なテーマが描かれなかったというマイナスポイントはあるのだが(って、単に私が見逃してるだけかもしれん)、救いのある終わり方だったと思う(でも、地表に激突した船から、エイリアンが復活しそうな予感もするんだけど…)。
続けて『L.A.コンフィデンシャル』を見る。見ていてどうも違和感というか、記憶をくすぐるシーンが多いのに気がついた。最初、それが何なのかわからなかったが、突然に思い出したのだった。私はこの作品を以前にも見たことがある。しかもかなり昔に。
でも、この作品は1997年製作である。時期が合わない気がする。…ただの既視感かもしれないが、なんだか気になってしょうがない。お話のほうは、かなり面白く感じた。最初、見ようと思っていたわけではなかったのだが、どんどん引き込まれて、結局最後まで見てしまったのだ。落ち着いた感じの満足感がある。
そして真夜中。『CUBE』を見る。すっ、すごい。こいつはSFだ。巨大なキューブ状の物体と、同じくキューブ状の部屋、罠の数々、数字の謎、用意された登場人物、どれもこれも素晴らしい。ラストで、キューブから脱出する場面がとてつもなく印象的である。外の世界には生きる価値がないと、キューブに残る男。いったい外界はどうなってしまっているのか。想像力をかき立てる。ただ独り外界に出てゆく精神障害の男。真っ白に輝く外の光景が、普通なら明るい夢や希望を感じさせるところなのに、ひどくもの悲しく冷たく感じられた。「怖い」という思いを、猛烈に呼び覚まされた感覚である。
まったく見せないことで、怖さを無限大に引き出しているのだろう。こんな寒い夜に見るにはうってつけの作品だった。何年たっても、この映画のワンシーンを、唐突に思いだしそうである。
そろそろ睡魔が、辛抱たまらないくらいはいずってきている。寝よう。明日は冬休み初日、有意義に過ごさねば。
1999.12.13(Mon)
『激しい季節』
WOWOWの日本映画特集ということで、なんとなく見てしまった作品。田辺誠一と高橋理奈が主演。
薄幸そうな線の細い女ということで、高橋理奈はなかなかいい感じである。ケバくないのが、よい。
ふとした交通事故で加害者と被害者として出会った男女が、互いに惹かれ合うのだが、じつは女の方はヤクザの親分の妻であった、という設定。男の方が、女のために会社を辞めるところまでは、まぁそこそこ違和感もなかったのだが、だんだんズレてくる。
ヤクザが自分の女をそうそう簡単に手放すはずもなく、男の家族や婚約者にも被害続出。たまたま高校時代の親友“タケシ”が、そのヤクザ組織にいるのだが、彼もまた、男のために(女にも密かに思いを寄せているので、彼女のためにやっているとも言えるが)ヤバイことになってしまう。
そこまで周囲に迷惑をかけていながら、男は自分勝手な正義とやらを貫こうとする。「逃げない」などとカッコつけて、親分に「彼女をください」と直談判。阿呆である。妻と話しをするから待っていろと言われて、ぼうっと待つ男。その間、女はぼこぼこにされ、タケシは命を落としながらも、親分どもと差し違えるのだった。タケシは、最後まで“男”であった。
それにひきかえ、主人公のほうの男は、結局何だったのか。ワガママ放題の、お坊ちゃんとしか見えない。結局、棚ぼた式に、女をゲットしたわけだが、「なにやっとんじゃ、おまえ」という思いだけが残る終わり方だった。
禁断の愛を貫き通すのだという設定にしては、男と女の“離れがたいどろどろとした愛”がまったく描かれていないのが、致命的である。そこまで大迷惑をかけても、なお、「おぉしょうがない、おまえらは一緒にいたいのだな」と、こちらを納得させるだけの動機付けが欠けていた。
おざなりなベッドシーンでお茶を濁すようなハンパなことをせずに、もっと激しく激しく獣のようにむさぼりあうような演出が随所に入ってれば、かなり説得力はあっただろうに。精神的なつながりの重要性を見せたいのかといえば、特にそのようなシーンもないし、結局、主演の二人の役者を、ただ“出したかった”だけという程度にしか理解できないのである。
脚本の永原秀一はかなりのベテランのようである。松田優作主演の『蘇る金狼』も手がけているのだが、あれは原作に助けられたということか。今回の原案は加納佳代。どうも新人っぽい。だが、やはり監督である君塚匠の力量不足が、失敗の最大の原因なのだろう。君塚匠か、覚えておこう。二度とひっかからないために。
1999.12.12(Sun)
『スタートレックまるごと24時間』鑑賞中
午前4時。あと1時間で小休止が入る。2時間の中断のあとは、再び午後5時までノンストップ。
ホットカーペットに寝ころんで、TVモニターを見上げるカタチ。部屋の灯りは、先ほどすべて落としておいた。どうして今回は“灯りを消す”ということに、最初から思い至らなかったのか。暗闇に浮かび上がるヴォイジャーの姿は、見違えるようにリアルさを増したのだった。不覚である。
Licとみこりんは、すでに寝室で熟睡中だ。こうして一人、闇の中で宇宙空間を飛翔する滑らかな船体を見ていると、つい、独身寮にいたころのことを思い出す。あの頃も、こうして真夜中、スタートレックシリーズ(当時はTNG“新スタートレック”)を見ていたものだ。平日だというのに、おかまいなく、翌朝のことなど考えもせずに、ただひたすら“SF”を堪能した。エンディングが終わると、開け放した窓から、じっと夜空の星々を見上げ……。そのまま夜明けまで起きていたことの方が多かった気がする。いろいろと悩み多き時代でもあったし。
独身寮を離れて5年が立つというのに、こうして今、同じようなシチュエーションでスタートレックシリーズを見つめていると、時間感覚が消失しそうな予感を覚える。忍び来る“睡魔”によって、脳の一部はすでに半覚醒状態にあるのかもしれない。危険なくらい、“快感”である。
ところで、ヴォイジャーにはこれまでのシリーズにはない、どこか猟奇的怖さがある。人体への改造ということならば、TNGにおける“ボーグ”が代表的エピソードとなるのだが、あれは機械と人体との融合という意味で、どろどろとした“溢れる血”を感じさせないものだった。ところがヴォイジャーには、臓器移植で生きながらえている異星人“ヴィディア人”が登場する。去年、初めてそのストーリーに触れたとき、久しく思わなかった“純粋な怖さ”というものを感じた。今回の放送では、まだ奴らが登場していないが、それ以外でも例えば“限界速度ワープ10”のエピソードもなかなか恐い。急速にヒト遺伝子が進化するのだが、その形態描写が、かなり生々しいのだ。しゃべっている最中に、進化の結果不要となった“舌”が、“ぐぼっ”と吐き出されたりする。さらに、はるか未来へと進化した図は、一見“サンショウウオ”なのだが、よく見れば前足しかない。しかも体色は肌色。“あの”艦長が、そいつになってしまったのだと思うコミカルな笑いよりも、不条理な怖さのほうが大きかった(ただ、このエピソードでは、産まれていた子供を現地に放置するという、およそ「艦隊の理念」に反したことをあっさりやってしまったので、脱力はするのだが)。
さて、午前5時。これから2時間休憩が入る。午前7時からの2時間分を録画予約しておけば、4時間の自由時間だ。一眠りするとしよう。無事、目覚ましで起きられればよいが・・・。
1999.12.12(Sun)
そして朝
平日も、これほど目覚めがよければいいのにと思うくらい、目覚ましが鳴ったと同時に意識が戻る。午前8時45分。予定通りだ。さっそくヴォイジャーの続きを見るため、階下へと急ぐ。録画テープも入れ替えなければ。
『2つのヴォイジャー』で、ついにヴィディア人が登場した。射殺後(麻痺させてるだけかも?)、すぐに臓器を取り出せとか言ってるのが、いよいよ恐さを倍増させる。出産直後の女性を発見して、赤ん坊がいるはずだと、探す……、や、やめて。そのネタは、私の鬼門である。赤ん坊を“どうにかする”のだけは、自分が死ぬのを想像するより、はるかに恐い。
『ケイゾン総攻撃 前後編』。ケイゾンによってヴォイジャーが奪取されてしまう。それを奪い返すために動き出す緊急用医療ホログラムのドクターと、殺人者として監禁されていたスーダ、それにシャトルで脱出していたパリス。おいしすぎるシチュエーションだ。こういうエピソードに、私はかなり弱い。特に、スーダには注目である。何に出ていたのか覚えていないのだが、たしかスーダ役の俳優さんには見覚えがある。その時も、どこか異質な殺人者として描かれていたような…。はまり役といえる。ツボックとの精神融合の結果、殺人衝動を抑えることに成功していた彼だが、艦を取り戻すために、再びヴァイオレンスの世界へと戻らなければならなくなる。どう料理してやろうかと舌なめずりするほど、料理のし甲斐のある設定だ。
期待が高かった分、ラストには少々不満が残るものとなった。スーダは生かしておいてこそ、あとあとエピソードを膨らませることができたと思うのだがなぁ。それに裏切り者のセスカも死んでしまった。もっともっと悪どい所業に出て欲しかったが、残念だ。
そして午後5時。長かった『まるごと24時間』終了。24話分あれば、佳作、秀作から凡作、駄作まで、いろいろあるのは当然なのだが、今回のセレクトでは、比較的良作が多かったように思う。TNGよりも冒険活劇の色合いが濃いという点も、うれしいところだ。自爆指令が頻繁に出されるほど、緊迫する局面が多いっていうのも、いい感じ。今後ますます面白くなっていきそうな予感である。
1999.12.11(Sat)
『スタートレックまるごと24時間』
『スタートレックまるごと24時間』が、スーパーチャンネルで始まった。今年も『ヴォイジャー』が連続で流されるわけだが、レギュラー放送枠で過去に放送された22話以降の、24話分が対象である(22話付近のサブタイトルリストで比較すると、若干食い違いがあるようだが)。
もちろんS-VHS標準録画の準備は万全。すでに12本分の空きテープは確保してある。去年は、録画中にブレーカーが落ちること数回というありさまだったが、今年は太陽光発電装置の導入に合わせて電源回りを強化してあるので(50Aへの移行、配電盤の交換など)、そちらの心配も無用である。炊飯器が炊きの佳境に入ろうが、電子レンジを使おうが、もはや何の憂慮もない。視界はすべてクリア、システム・オールグリーンな心境で、ゆったりとその時を待つのみ。
明日の午後5時まで、長い長い時間の始まりである。
1999.12.5(Sun)
『ビッグ・ウォーズ』!
レンタルビデオ屋が95円セールをやっていたので、借りてきた作品である。普通なら借りてまでは見ようという気がおきなかったのだが、95円ならばたとえ失敗しても、心理的なショックも少ないというものだ。
タイトルどおり、荒巻義雄の原作をOVAにしたもの。架空戦記ものでは、第一人者といえる人だが、私はこれまで彼の作品は一度も読んだことはない。というか架空戦記と言われる小説全般に、手を出したことがないのだ。ノンフィクションの戦記ものはけっこう好きなのだが、架空ということならばSFのほうを選んでしまう。架空戦記ものに対するイメージが、なんだか“古くさい感じ”というものだったので、積極的に読もうと思わなかったのだ。
だがこの作品は、架空戦記ものとは少々違うようである。まぁ未来の架空戦記ということならば、その通りなのだろうけれど(それをいうなら、銀河英雄伝説なども架空戦記だし)。
さて、ビデオをセットして見始めたのが午前中。終わる頃には、ちょうどお昼という時間帯である。最初、みこりんと一緒に見始めたのだが、2歳3ヶ月のみこりんにはハードすぎたようだ。最初、飛行機などが出てくる場面では、じっと画面を見つめたりもしていたが、10分もすれば飽きたのか自分の遊びに熱中し始めてしまった。
みこりんの遊び相手をしながらだったので、細かな描写などはだいぶ見逃したようである。だが、全体的な評価としては、もう一度真夜中にでもじっくり見たいなというもので、悪くはない。どうでもいい作品なら、少々見逃しても、まぁいいやとなってしまうのだが。それにしても『ID4』より前の作品なのだが、神々の攻撃機が乱舞するシーンは、つい既視感を覚えてしまうのだった。雰囲気的にそっくりである。『ID4』の表現効果が、この作品に影響されたとしても、なんら違和感がないくらいに。
ただ、神々の高機動兵器に対して、いかにも鈍重そうな地上巡洋艦の砲撃は、なんだか滑稽な感じであった。そこまで戦局がやばいところにあるのだという、描写だったのかもしれないが…。でも地獄内部の肉弾戦の様子は、なかなかスピーディで良かったと思う。
あとで調べたところによれば、原作は『神撃つ赤い荒野に』というタイトルで1981年に登場していることがわかった。18年前のことだ、かなり古い。そもそも『ビッグ・ウォーズ』シリーズの、最初の巻が出たのが1978年である。なのに本屋でみかけた記憶がないのは、そのころはSFといえば海外作品にばかり目を向けていたからなのだろう。日本の作家で当時気にしていたのは、平井和正、小松左京、眉村卓くらいだったから。
ちゃらちゃらしてない重厚な感じの日本SFという意味では、懐かしい思いのする作品であった。
1999.12.1(Wed)
夢
朝、みこりんを起こしに行く。休日はみこりんが一番早起きなのだが、平日の朝は、かなり苦手らしい。ということは、みこりんはちゃんと平日と休日の区別がついてる?たんに、1週間のサイクルを体が覚え込んだだけかもしれないけれど。
みこりんを起こすときには、まず部屋の入り口あたりでそっと呼びかけることから始める。いきなり本格的な“起こし”にかかると、不機嫌モードに突入するからだ。寝起きは、ゆったりとさりげなく自然に行われるのが心地よい…。
「みこりん、朝だよ〜」
大声にならず、さりとて独り言になってしまっては意味がないので、なかなかこの発声を習得するまでは苦労したものだ。何度、みこりんを驚かせて泣かれたことか。
今朝はこの一言で、むくっとみこりんは起きてくれた。こっちを見て私を確認すると、裏返って両手をつき、座り姿勢となる。私は、そっと寝室へと脚を踏み入れるのだった。
今朝のみこりんはなかなか機嫌がいいようだ。きょとんとした感じで、目をごしごしこすってる。私がそばにくるまで待って、みこりんは言った。
「いっぱい食べたよ」
唐突なフレーズだったが、すぐに“夢”のことを話してくれているのだと想像できた。みこりんの夢は、いったいどんな感じだったのだろうか。つとめて普通の調子で会話にもってゆく。オトナでも起きてしまうと、たった今まで鮮明に覚えていた夢の内容は、あっというまに四散するのだ。慎重に慎重に。
どうやら保育園で何かを食べていた夢だったらしい。みこりんが、それを“夢”だと認識しているかどうかは、定かではない。が、おそらく、現実にあったことと区別はついていないのではないかと思う(その理由については、11月26日の日記に書いたことが参考となるだろう)。
夢を、「これは夢だ、現実のことじゃない」と認識できるようになったのが、自分の場合いつ頃だったかを思い出そうとしたのだが、“ものごころ”ついたころにはすでに夢というものを知っていたような気がする。3歳か、4歳くらい。保育園の記憶はあるので、たぶんそのころのはずだ。
今でも覚えている夢は、どれもこれも悪夢ばかり。親父が死に装束で延々と歩いていくのを見ている夢とか(すでに“死”の概念があったらしい)、自分が寝ているそばにおぞましい化け物が近づいてきている夢とか…。恐い夢の数と同じくらい楽しい夢もあったはずなのに、なぜかこっちはさっぱり思い出せない。そして、私をずっと悩ましている記憶のこと。
その記憶が、はたして夢なのか現実なのか、今でもわからないのだ。記憶によれば、それは古い映画だった。おそらくモノクロ。しかも洋画のはず。たぶんTVで放送されたのを、家で見た(と思っている)。見ている状況などは一切覚えていない。ただ映画のストーリーと衝撃的な映像が、断片的に記憶されているだけなのだが…。
黒衣のコート姿の大男が出てくる。たぶん複数。外見は、人類なのだが、じつは彼らには脇腹にもう1対の小さな腕が生えている。人に襲いかかるとき、この小さな腕がシャツを突き破って飛び出してきたような…。
やつらは、人類をサンプリングしていた。特殊な装置を使って、襲った人間を試験管のような小さなカプセルに閉じこめていたのだ。どうやったかわからないが、人間が数センチにまで縮んでしまうらしい。黒いアタッシュケースの中に、それらのカプセルが保存されていた。
やつらに対抗する男が一人いた。やつらの弱点は、その脇腹の腕。付け根を捻り上げると、気絶する。そうして、アタッシュケースに閉じこめられた人たちを助け出していた。
はたしてこれは実際にTVで見たことなのか、それとも私の“夢”だったのか。もし、実在する映像ならば、もう一度見てみたいと思いつつ今日まで発見できず(意外に、古い日本の特撮モノだったりして)。なぜこれほど気になるのか自分でもわからないところが、うらめしい。もし、この内容にピンときた人がいたら、ぜひ連絡していただきたい。
1999.11.6(Sat)
『ソルジャー』
夕食後、地上波も衛星波もTVがつまらないので、みこりんがまだ起きていたのだが借りてきた『ソルジャー』を見ることにする。
予告編の印象では、『ユニバーサル・ソルジャー』のようなものの宇宙版を想像していたのだが…。
やや“強化兵(と言っていいのかどうか)”の設定が不明瞭な気がした。ただの優秀な兵士と、どこが違うのか?ということである。ランボーのほうが、よほど人間離れしているかも…。ただの優秀な兵士であることが、悪いのではない。そのほうが派手ではないが、じっくり見せる演出が可能なので、私的に評価は高くなるのだが、どうも今回のはその辺りが中途半端な感じである。
新型の強化兵(DNA操作していると言っていたので、強化兵でいいのだろう)が、民間人相手に戦闘力を駆使したのが、この映画の最大の過ちであろう。強化兵である必要がどこにもないではないか。相手が弱いので、ポテンシャルを最大まで発揮することなく、単に火器の力だけで殺戮を行っているのでは、まったく面白みに欠ける。それに戦闘の理由づけにも乏しいため、ストーリーが一気に陳腐になってしまっているのだ。
そう、この映画には強烈な敵が存在しない。旧型兵に対して、新型の強化兵を対比させているのだが、『ターミネータ2』のような1対1ならともなく、軍隊を扱う以上、これでは不十分である。廃棄惑星には、強敵が必要だった。
『…不時着した難民達は、その強敵と猛烈な嵐の両方に怯えて暮らしていた。そこにカート・ラッセル演じる旧型兵が廃棄処分され、彼の登場により一方的に殺戮されるだけの難民達にも、一縷の生き残る望みが見えようとしていた。そこに着陸してくる強化兵達。強敵と遭遇、すさまじい死闘が繰り広げられる。だが、最後には強化兵と旧型兵との連携技で、かろうじて敵を撃退。しかし、強敵の背後には新型強化兵を生みだした上官の妖しい影が…。』
やっぱりこういったシナリオのほうが、面白いような気がする。兵士を、徹底的に“悪”として描くことで、旧型兵(カート・ラッセル)の情感の芽生えを描きたかったんだろうことは推測できるが、それさえも失敗しているのでは、救いようがない。
1999.10.29(Fri)
ゴーゴーファイブ
いつも、朝は「お母さんといっしょ」にチャンネルを合わせているのだが、今日はたまたま SkyPerfecTV! をつけてみた。ちょうどスーパーチャンネルでは、「パワーレンジャーDX」の時間だった。さっそくみこりんを呼んでやる。ゴーゴーファイブ好きのみこりんなので、きっと喜んでくれるにちがいない。だが、みこりんに「いやーーー」と即答されてしまったのであった。聞き慣れない「パワーレンジャー」という単語よりも、Licが作ってるお弁当のほうが気になるらしい。さて、どうしたものか。
「ゴーゴーファイブみたいなもんだよ?」と、付け加えてみたところ…。「みる〜!!」と、うれしそうにかけてくるみこりん。右腕を前に伸ばし、左手を右脇に添えて、決めポーズも怠りなく、ちゃっかりTVの前に陣取ったのである。ゴーゴーファイブの威力、恐るべし。
パワーレンジャーに変身するシーンでは、しっかり真似しつつ「ごーごーふぁいぶぅ」と叫んでるし、ヒーローモノを楽しむ術は、教えられなくてもしっかり会得しているようだ。頼もしい限りである。ただ、パワーレンジャーとゴーゴーファイブの区別がついていないらしいのが、少しだけ気にはなるけれど。まぁ、そのうち覚えてくれるに違いない。
1999.10.23(Sat)
『るろうに剣心 追憶編』第四幕
を借りてきた。『ブラックジャック』の最新巻と、最後までどっちにしようか迷ったのだが、続き物を先に見たいという心理状態が強く働いた結果である。
みこりんが寝てから見ようと思っていたのだが、風呂から上がってみこりんを寝かし付けている間、私の方が先に寝てしまっていたらしいのだ。なので、時計の針が明日になってからの鑑賞タイムである。なぜ途中で目覚めることができたかといえば、にゃんきちくんが、ロボロフスキーのあかねちゃんを襲っている怖い夢を見たからだった。風呂から上がったときには、まだにゃんきちくんはケージの外で遊んでいたので、心の隅に心配事として記憶されていたのであろう。実際には、ちゃんとLicがケージに戻しておいてくれていたのだが。
さて、ビデオのほうだが、巴が殺される場面である。おぉぉ、そうだったのか〜……、でも、少し物足りないような気もするなぁ……。凄腕の剣客(のはず)が、こういう事態になるのは、やや説得力に欠けるかも。でも、しかし、室温が低下したかのような錯覚を覚えるくらいには、引き込まれていたのだった。それにしても、巴の作画、なんだか既視感を覚えてしょうがない。ずっと昔、こんな感じのキャラいなかったかな。ちょっとすぐには思い出せないけど、頬の面積の大きな色白で、前髪の隙間から覗く黒い瞳って、たしかに記憶領域に痕跡があると私の脳が言っている。
そして、エンディング。こういう作りは、かなり好きだ。終わってしまった遠い記憶というより、まさに今、生きているのだと主張できるだけのリアルさがいい。原作をまったく知らなくてもそう思えるかどうかは、もはや想像するしかないのだが、アニメの外伝的作品にありがちな、いわゆる“内輪受け”は、ほとんど感じさせていない。かなりいい部類に入るのではないだろうか。
1999.10.11(Mon)
3連続晴天
昨日は運動会が終わったあと、砂ネズミとロボロフスキー、そしてピーコの小屋掃除をした。今日は、水槽掃除である。天気がいいと、水仕事もやりやすい。
それにしても、やはり今日は筋肉痛になってしまった。膝の関節も、ぎりぎり痛む。変な方向に力が加わったようだ。準備運動もなしに、全力解放などすれば、こういう結果になってもおかしくない。それでも去年よりは、まだマシだ。あれは“タイヤ引きレース”というより“タイヤ奪い合い”といったほうがいいようなシロモノだった。
水槽掃除も粛々と終了したころ、Licとみこりんはすやすやお昼寝の真っ最中。時計は午後4時をまわったあたり。今夜は私が晩飯でも作ろうと、ビーフシチューの材料をチェックしてみたのだが、なんと牛の肉を切らしていることに気が付いた。このまま諦めるのは、とてつもなく悔しいので、さっそく買い出しに出る。肉だけ買ってくるつもりが、なにを間違ったかレンタルビデオ屋と本屋にまで寄ってきてしまい、たくさん荷物を抱えての帰宅となった。部屋の明かりが消えていたので、まだ昼寝から目覚めてないのかと思っていたら、夕闇迫る暗がりで、なにやら動く気配がする。みこりんだ。みこりんが起きて活動している。もぞっと、大きな影も動いたのが見えた。どうやらLicも起きているらしい。すぐにビーフシチューを作らねば。
今夜のシチューには、庭で採ってきたローズマリーの若枝を使ってみた。肉料理といえば、ローズマリー。ハーブの定番中の定番である。できあがったビーフシチューは、いつになくスパイシーだった。ローズマリーだけの効果というより、この新製品のルーがこういう風味なのかもしれない。
明日は、みこりんの保育園が運動会の振替でお休み。なのでLicもお休み。私は出勤だったが、借りてきたビデオが気になって時刻が明日になったころ、再生ボタンを押していた。借りてきたのは『ブレイド』。ヴァンパイヤとヴァンパイヤ・ハンターのお話らしい。冒頭、ヴァンパイヤの群れに立ち向かうハンターのアクションシーンに、釘付けとなった。動きに、日本の特撮ヒーローモノが昔から多用していた見栄を切る手法が取り入れられているのが印象的だ。武術として見せているというより、流れの美しさ、動きの華麗さを前面に押し出している感じだった。スティーブン・セガールが映画でよく見せる、合気道の動きもかなり入っているように見えた。それがカンフーや空手とは違った、見栄えを生んでいるようだ。香港映画ほどではないが、ワイヤーアクションも活用されていて、いやらしくなく決まっている。多用しないところが好感を持てる。
これほど美しいアクションシーンは、なかなか見ることはできないのではないか。特に、ハンターを演じる黒人の体躯、肌の色、戦闘服の黒、ぞくぞくするほど魅力的だ。汗くさくないところが、すごい。シュワルツェネッガーやスタローンがアクションすれば、たいがい血と汗にまみれた男臭さを演出するところだが、この作品にはそういうシーンは意図的に抑えられている。ヴァンパイヤと、デイ・ウォーカーという、人間ではないモノ同士の闘いということから、あえてそうしているのだろう。
冒頭のシーンだけでも、借りてきた価値があると思っていたが、最後までこのノリを維持してくれて、じつにすがすがしい思いだ。背中に帯びてる剣と、黒衣…、剣は違うが『ベルセルク』のガッツが、ふと思い浮かんでしまった。今日、『ベルセルク』の新刊を買ってきて、さっきまで読んでいた影響もあるだろう。白人が、ほとんど出てこないというのも、イメージを一新していて新鮮だ。ラストのあたり、なんとなく続編が出そうな予感。
1999.10.4(Mon)
ライディーン
昨日から、SkyPerfecTV! のファミリー劇場で『勇者ライディーン』が始まったので、もちろん録画しておいた。今夜、第一話を再生してみる。
やはりライディーンは、待機状態からフェースオープン(?)の過程がなにやらぞくぞくっとして気色良い。ゴッドバードチェンジしようものなら、きっと総毛立つに違いあるまい。あぁぁ早くゴッドバードを見てみたいものだ。
ガキの頃見てたはずだが、ストーリーなどはほとんど覚えていないので、これからゆっくりと記憶を補完してゆこう。
1999.10.2(Sat)
サーキットの狼2・モデナの剣
早く寝なくちゃと思いつつ、昼間撮ったデジカメの画像をページで使えるようにコンバート作業。チャンネルNECOでは、サーキットの狼2をやっていた。興味を惹かれて見てみると…。
剣・フェラーリ役は、竹内 力 だった。今ではすっかりVシネマ系の顔的役者になったが、私にとっては『彼のオートバイ・彼女の島』の印象が今でも強く残っている。だから、クルマを運転する姿には、違和感を覚えてしまうのだった。やはり彼はバイクに乗ってるほうが似合う気がする。キャラ的にも、ちょっとゴツすぎるような気がしないでもない。ところで、原久美子が出てるのを見ると、どうしてもAV女優時代を思いだしてしまう。朝岡実嶺を見てもそう思わないのに、なんとしたことだろう。
1999.9.12(Sun)
『がんばっていきまっしょい』
今日が返却期限なので、晩ご飯の鍋をつつきながら見ることにした。1970年代の松山の方言なので、私のなじんだ東予地方の方言とは、若干違う部分もあるのだが、それでも語尾に「〜じゃけんの」がついたりすると、何とはなしにうれしがってしまうのだった。「ほじゃけん」なんて、まともに聞くのは何年ぶりだろうか。
鍋を食い尽くしたあとは、「じゃんぐじむしたい」「すべりだいしたい」と遊びに誘うみこりんを、なんとか待ってもらいつつの立ち見である。細かい台詞は、大部分聞き逃してしまった。そんなんで面白かったのか?と問われれば、「麗奈ちゃんが普通っぽくてよかった〜」という感想に尽きる。見終わったあと、原作の小説を読んでみたいと、強く思った。図書館に置いてあるかな。探してみよう。
1999.9.10(Fri)
『真ゲッターロボ』
会社帰りに、レンタルビデオ屋に寄る。『がんばっていきまっしょい』、ようやく借りることができた。新作は単体で借りると、一泊二日だが、もう1本一緒に借りたら二泊三日だ。というわけで、以前から借りよう借りようと思っていた『真ゲッターロボ Vol.1』をついに借りることにした。
お風呂にお湯をはってる待ち時間の間に、『真ゲッター』を再生する。おぉぉ、線が太い、凶悪そうな顔だ〜。軟弱さのかけらもないキャラは、さすが永井&石川作品。
30分が、あっというまだ。恐いくらい迫力たっぷり。ゲッターのデザイン、うまくリファインしてあるなぁ。本屋でちらと見かけた新作でも、たいがい凄さを感じたが、重量感あふれる動きは、また格別。スーパーロボット系とかリアルロボット系とか,そういう区分がもはや無意味にすら思えてくる仕上がりだ。いいね〜、明日にも続きを借りてこようかな。
1999.9.6(Mon)
サーキットの狼
SkyPerfecTV! の ChannelNeco で、『サーキットの狼』をやっていたので録画しておいた。スーパーカーブームまっただ中の、小学生時代に映画化されたやつかと思ったが、どうも違うらしい。製作は1992年になっている。どんな感じかな?と、さっそく見ることにした。
吹雪の愛車がロータス・ヨーロッパではなく、ケーターハム・スーパー7になっているのを筆頭に、オリジナルの設定で残っているのは人間関係くらいという様変わりようだった。だが、これはこれで違和感がない。『サーキットの狼』にはまりまくってた小学生時代にこれを見たら、「ロータスはどこいったーー!!」と怒ってるかもしれないが。
例の赤線に黒い星マークのロータスも、ちょこっとだけサービスカットで登場したし、そこらへんは制作者もよくわかっててこういうストーリーにしたんだと思われる。ディアブロじゃなくて、カウンタックが出てたのも、大きく頷ける場面だ。公道サーキットの出走車に、なぜかポルシェが多いというのも、舞台裏の苦しい事情が見えてくるようでさえあったなぁ。
ところでミキ役って、あれやっぱり飯島直子かな?なんか今とは、全然雰囲気が違うんでびっくり。act 2 も、録画しておこう。
1999.9.4(Sat)
『ウルトラマン ガイア』最終回
他の地域より1週間遅れで、ついに東海地方でもガイア最終回となった。
エネルギーを奪われたアグルとガイアを復活させるために、地球の怪獣が放つ“太陽の光”を、反射衛星砲のように各ファイターで中継する。無条件に感動する場面である。子供たちも、ここでぐぐっと拳を握りしめたことだろう。
復活したガイアとアグルによる、破滅天使への総攻撃、まさに光線技のオンパレードである。歴代ウルトラマンを圧倒するレパートリーの豊富さだ。おそらく通常の戦闘では、その1つでも最後のキメで通用するほどの破壊力があったはずの技を、これでもかといわんばかりに繰り出してもなお、倒すことができないあたりに、最終回にふさわしい強敵であることが示されている。しかもバカでかい。敵が強大であればあるほど、倒したあとの明るい光が輝いて見える。
そしてラストシーン、気分爽快南風である。もともとガイアもアグルも地球の光を根元とするため、昭和のウルトラマンの最終回にはつきものだった“別れ”の要素は、まったく絡まない。こいつはいい。“地球に優しく”と、100回授業で教えるより、何百倍も効果的に地球を積極的に意識するようになるだろう。
ひさびさにイイものを見せてもらった。
1999.8.28(Sat)
『ガイア』
『ウルトラマン・ガイア』がそろそろ最終回らしい。欠かさず見てた熱心なファンではないが、やはりラストはしっかり生の感動を味わっておきたいものだ。『ティガ』から始まった平成ウルトラシリーズも、『ガイア』で一区切りということらしいし。
ガイアの赤と、アグルの青が、絶妙のコントラストである。30代の旧ウルトラマン世代が、セブンとメトロン星人の回における“赤”を強烈に焼き付けているのと同じく、現代の子供らは、この赤と青、二人のウルトラマンの映像を、忘れることはないのだろう。
をを、地球の怪獣達が宇宙からの脅威“破滅招来体”と闘っている。守るべき地球。Mother Planet “The earth”。いいね、こういうのはとてもいい。「負けると分かっていても、闘わねばならないときがある」と、ハーロックの語りでも聞こえてきそうだ。
ガイアとアグルは、復活できるのか!?え??来週最終回?そうだった、東海地方は1週遅れで放送されてるんだった。密度の濃い25分だったなぁ。
1999.8.28(Sat)
『ガメラ3』
夜、『がんばっていきまっしょい』を借りにレンタルビデオ屋に行ったが、あいにく借りられていたので『ガメラ3』を見ることにした。『がんばって…』は、お気に入りの田中麗奈ちゃんが出ているうえに、劇中に登場する高校が松山東高がモデルになってて、松山やら愛媛の光景がばんばん登場する。愛媛出身で、大学時代を松山で過ごした私にとっては、ぜひとも見ておきたい1本なのである。
が、今夜は『ガメラ3』だ。平成のガメラ・シリーズは、じつは1本も見たことがない。旧ガメラシリーズも、ギャオスのやつしか記憶にない。それがどうして今回いきなり『3』を借りようと思ったかといえば、学生時代の仲間達が『3』を熱く語ってたのを思い出したからだ。どうしようもない駄作ならば、議論の対象にもならないが、どこか光る部分があれば、それをネタに延々と語ってしまえるのがSFモノの生態である。はたして『ガメラ3』は、どれほどのものであろうか。少しばかりの期待を込めて、再生ボタンを押した。
今夜も布団に寝ころびながらの鑑賞である。だが、渋谷駅壊滅のシーンを終わって、後悔した。14インチの画面では小さすぎる!ガメラが青白い炎を激しく吹きながら地上に接近し、着地。小さい画面で見る限り、えらくマニアックな甲羅などの変形があったようだ。なるほど確かに特撮はもの凄いらしい。
ガメラといえば、ついゴジラと比べてしまうのだが、怪獣モノにしてこの空中戦のスピード感は、素晴らしい。地上での肉弾戦も、大胆な動きである。まるでアニメーションにおける巨大ロボットモノのように。
庵野秀明を筆頭に、過去の特撮モノの手法をアニメーションに取り込んで来たのは有名である。しかし、この『ガメラ3』では、逆にアニメーションの手法を特撮で再現しているようだ。同じ特撮でもハリウッドのソレとは、どこか違う。大胆なデフォルメや、古くは“金田走り”などと呼ばれた独特の動きは、まさに日本オリジナルの表現手法といえよう。
で、肝心のストーリーなのだが、山崎千里扮する巫女と男のペアが、余分に思えた。個人的には、中山忍とかガメラと意志疎通できる女も、不要にすら感じた。前田愛と、男の子だけでイリスのどう猛さを見せつけつつガメラへの激しい憎悪と、破壊だけでも十分面白くなったんではないだろうか。前作の絡みがあるのはわかるが、あえて視点をずらすべきだったように思う。
最後に一言、「怪獣と精神融合して取り込まれた時は、すっぽんぽんでなきゃ!」
1999.8.14(Sat)
『るろうに剣心 追憶編 第一幕』
漫画雑誌を買う習慣はないし、立ち読みも滅多にしないので、『るろうに剣心』を知ったのはTV放映を見てからだ。剣客モノは好きなので、興味半分で見ていたが、いつのまにか見忘れても平気になっていた。そんなある日、偶然見かけた“志々雄真実編(と勝手に分類している)”にハマってしまったのであった。現実にはあり得ない技なのは百も承知だが、昔からこういう必殺技系剣技の応酬にはとことん弱いのだ。
しかし“志々雄編”が終わったあとのTVオリジナルは、もはや私にとって何の魅力もないものだったので、二度とTVで『るろうに剣心』を見ることはなかった。
さて今回ビデオで借りてきた『追憶編』だが、原作でも触れられていた人斬りの頃の物語となる。キャラデザが、やや能面系なのが気になるが、原作の絵よりはこっちのほうが私好みなので、許可である。また、お笑い系表現が一切排除されている点も、良い。じりじりと内圧が高まるように、人斬りにのめり込んでゆくさまを描くには、ちゃらちゃらしていない音楽も効果的だ。
回想シーンが何度も入るが、その切り替えがちょっと分かりにくい印象を持った。季節感をごろっと変えるとか、ひねりが欲しかった点だ。
人斬りのシーンでは、まるで大根を両断するかのごとく人間がすぱすぱ切断されたが、重量感に欠ける演出のマズさである。何かの技を繰り出したならば、見栄ということで納得できるのだが…。
とはいえ、物語全体を通して声のトーンを落とし、動きよりも見せ方で進む展開は、好ましい。30分の作品というのが幸いしているのか、密度の濃い、ダレ場の見あたらない緊張したストーリーを維持している。久しぶりに、続きをすぐ見たい衝動に駆られた。
1999.8.13(Fri)
かっこいい生き方
とても印象に残っている映画のシーンがある。『荒野の7人』に、その場面が登場する。最初、村を盗賊から守ってもらうために用心棒を雇った村人達。が、最後まで抵抗する道よりも、盗賊の支配を受け入れる道を選んでしまう。村を追い出された用心棒7人は、自分の意志で引き返し、盗賊どもの掃討を開始する。村の子供が、言った。「父さん達は卑怯者だ」
ここからである。用心棒が、その子供に言う言葉。「父さん達は、卑怯者じゃない。おまえ達を守るために、そうしたんだ。」家族を養い、平凡に土を耕して生きる、そんな生き方のほうが、俺達よりもよっぽど勇気がいるのだと、そう用心棒は言った。
現代の日本ではどうか。平凡に真面目に、黙々と働き、子供を立派に育て、ひっそりと、しかしささやかな幸せに満ちた生きざまを、誰が“自立した市民”ではないなどと言えるだろうか。デモ行進したり、市民運動に参加しなければ、“自立した市民”ではないかのごとき論調が、最近目立つ。自分が好きで市民運動をするのは勝手だが、違う生き方をする人々を不当に貶める言動は、とうてい“自立した大人”のすることじゃないな。
1999.8.11(Wed)
『エメラルダス』
みこりん用に借りてきていた歌のビデオを返しに行ったついでに、OVA版『クイーン・エメラルダス Vol.3』を借りてきた。前作は、作画にかなり難があったが、今回のはどうだろうか?
みこりんが寝ている間に見てしまおうとしたが、はじまって3分ほどでみこりんがひょっこり起きてしまったため、ビデオデッキを急遽2階の寝室に運んでいって、寝転がりながらの鑑賞となった。画面が小さいのがちょっと残念だが、水槽の騒音がないぶん、台詞が聞き取りやすいという利点もある。
彩色指定が大幅に変更されたか、かなり見やすくなった。あの安っぽい色がなくなるだけで、ぐっと引き締まって見える。あとは宇宙空間に、やたら派手な色を散らさないでくれればもっとよくなると思うのだが…。
物語のほうは、やや説明口調なシーンが気になった。登場人物による語りでストーリーを説明すると、作品世界から一歩引いて見てしまうようになるので、あまり好きじゃないんだが。でも、やっぱり一番気になったのは、殺人者に勝ったのが、単にコスモ・ドラグーンの性能が優れていたからという点だ。相手よりも強力な火器で勝利しても、当たり前すぎてつまらない。あそこはやはり、コスモ・ドラグーンでも歯が立たず(奪われたという設定でもいいが)、苦戦した末、やっとのことで敵の装甲内部に銃口をねじこみ倒すとか、そういった決闘が見たかったな。
ところでエメラルダスの声、以前記憶していたのよりだいぶ“おばさん”声になってしまった気がするなぁ…。
1999.8.6(Fri)
『アルマゲドン』をようやく見る
予想どおり、今日中にビデオを返却することは不可能であった。借り直すよりは、1日延長したほうが安上がりなので、『アルマゲドン』は、今夜じっくり見ることにしたのだ。
みこりんを寝かしつけ、TVの真ん前にイスを持ってきて万全の体勢で再生開始。
冒頭、流星群に襲われるアメリカ本土のシーン。なんか違和感あり。おそらく爆風の表現がほとんどないのが原因だろう。この流星による破壊のシーンは、後半、アジア大陸を直撃したやつなんかだと、しっかり爆風のすごさが表現されてるので、手抜きと思われる。この意図的手抜きは、他にもいろいろ使われている。例えば、ロシアの宇宙ステーション内部や、小惑星地表などの本来低重力な場所でありながら、1G程度の重力があるように見えるところだ。宇宙ステーションでは、回転によって重力を発生させている設定だったが、あれはやはり無重量空間での作業にしといたほうが自然っぽかったと思う。小惑星での1G表現は…うーん、やはりこの映画をSFとして見てはいかんということだろう。
物語前半は、思わず途中あくびしてしまったくらい、間延びしていた。緊迫感がほとんど伝わってこず、下手といっていい演出・脚本。ようやく後半に入って、打ち上げのシーンあたりから、ごろっとテンポがよくなってくる。この落差は何事だろう。特に、離婚した妻が、TVで宇宙飛行士の中に元夫の姿を発見したとき、子供にちゃんと「パパよ」と言うシーンは、ぞくっとくるものがあった。こういう何気ない演出が、場を盛り上げる。どうしてこういったシーンが前半なかったのか、不思議に思えるくらいだ。物語の要である、A.Jと、娘とのからみがかなり失敗しているのは非常に残念。
いよいよラスト、核爆弾の起爆スイッチを押すために一人残る場面。このような全体のために自分が犠牲になるというシーンは、苦労しなくても感動場面にしやすいが、もっとも作者の才能が活かせる場面でもある。私が個人的に、こういうシーンでの最高傑作と思っている作品は、ジェイムス・ティプトリーJrの『たった一つの冴えたやり方』である。はたして『アルマゲドン』は、どこまで私を泣かせることができるだろうか?
期待が大きかった分、やや外した感じ。『たった1つの…』では、溢れる涙を止めることができなかったが、この作品はぜんぜん大丈夫であった。惜しい。じつに惜しい。こういうシーンは、もろにリアルタイムの別れを見せるよりは、あとからじわじわっと回想シーンあたりに絡めるとか、小惑星での作業そのものを隠したほうがいいのだ。『めぞん一刻』での、惣一郎さんが死んだ場面での響子さんと犬の惣一郎のシーンのように。
前半に、『ライトスタッフ』並の登場人物達の描かれ方が欲しかった。それがあったなら、この作品はもっともっとよくなっただろう。下手にアクションシーンと、宇宙での特撮シーンに色気を出した分、ドラマ部分がおろそかになってしまっている。そのため、感情移入できるキャラが見つけにくいのだ。この素材ならば、もっとすごい作品になったはずだ。もったいない、、、、、ほんと、もったいないなぁ…。